鎖の他すべて自由――キリストへの憧れに生きる

2025/01/05 降誕節第二主日聖餐礼拝 

「鎖の他すべて自由――キリストへの憧れに生きる」 

使徒言行録説教第74回

(26章・後半(主に13節以下)            

                                                                                                                牧師 上田彰

 

 2025年の最初の日曜を迎えました。一年前、一体どういう気持ちでこの日を迎えていたのか、思い出してみたいと思います。それぞれの方に、それぞれの思いがあることでしょう。その中で、一つの出来事について、少し掘り下げてみます。

 

*日本全体が見舞われた激震

昨年の1月1日、日本に激震が起こりました。その中でも能登半島は、具体的に大きな被害に見舞われました。しかしその揺れは、日本中を覆ったと言えます。そして報道によって知るところでは、その復興は全くもって進んでおらず、9月の豪雨によって断水が大規模にまた起こりました。このことは、実は地震が全国にもたらした揺れは、今もなお続いているのではないかと思わせます。都心部の震災であれば、断水は数週間で終わり、堅固なインフラ復旧が図られます。インフラの復旧が一年経ってもメドが立たないということは考えられない。地震はプレートのゆがみによって起こりますが、日本国内の地域格差はなおゆがみ続けているのではないか。このようなゆがみを抱えている中、能登の人は、いえこの国に住む人々は、どのような希望を持つことが出来るのでしょうか。この国を何かが縛っているように思えます。

 昨年12月に、能登の教会を覚えて祈る機会をクリスマス祝会の時に持ちました。最も大きな被害を被った輪島教会の牧師は、あるときには避難所の片隅において、あるときには近隣の無牧の伝道所において、またあるときには崩壊の度合いが小さかった礼拝堂へと避難所から通う形で礼拝を執り行い続け、そしてついに5月に元の場所に仮設の礼拝堂が出来、礼拝を再開しました。(看板を抱えるように映っているのが輪島教会・新藤牧師。教団HPより)

 特に思います。避難所の片隅での礼拝を献げるときの心境はいかばかりだったのでしょう。傍から見ると、次のような声もあるかもしれません。無責任と失礼を顧みずにあえて引用してみます。「避難所で大変な思いをしているのは教会関係者ばかりではない。むしろ礼拝を休んで復興のためにボランティアをすることで周囲の信頼を得る方がいいのではないか」。


そういう声が実際に届いているものなのかどうか、わかりません。直接言う人はいないでしょう。しかし周囲の人に言って、間接的に伝えよう、そんな動きはあるのかもしれません。もしそういう事があるとしたら、悲しいことです。何が悲しいかと言えば、そこには被災者同士での関係性のゆがみがにじみ出ているからです。関係性のゆがみというのは、例えば、あの家はそれほど被害がなかった。こちらは大きな被害だ、という類いのものです。助け合うのではなく、いがみ合うという状態は起こりうる、その小さな現れとして宗教の問題があげつらわれ、大げさに取り扱われることがある。コロナの時のことを思い出せば私どもも心当たりがあります。2024年の能登のことだけでなく、皆が何かに縛られているように思います。(写真はブルームバーグ、被害の有無が家ごとにある)

 

*希望を語り続ける

 

 さて、避難所の片隅で礼拝を献げる牧師と信徒の様子を引き続き想像してみます。彼らは、礼拝を毎週献げながら何を考えているでしょうか。いろいろな言い方が出来るでしょうが、礼拝に希望を見出しているからではないでしょうか。

 ここで一連の演説の中で、23節でパウロがこう語っていることに注目しましょう。

「私は、メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになると述べたのです」

これは、目新しい言葉ではありません。聖餐式の時にも形を変えて告げられている、最も伝統的な信仰の言葉とも言える言葉です。しかしこの言葉が、総督フェストゥスには、遮らねばならないほどに響く、突き刺さる言葉でした。パウロが語り終えるか終えないかのタイミングで、大声でフェストゥスはパウロの演説をやめさせました。中断をさせねばならないと思ったのです。なぜフェストゥスは大声で制止をしたのでしょうか。それは、これらの言葉は、今のパウロという、判決次第では死刑になるかもしれない者が語る言葉にはふさわしくないと感じたからです。彼が語るべきなのは、絶望や諦めを持った最期の言葉であるはずだ、しかし今この男は希望の言葉を語っている。何かがおかしい。一度黙らせよう。復活の希望が、死にゆく者の口から説得力を持って語られ、総督は思わず焦ってしまった。

 

 ここまでのパウロの動きを振り返ってみます。エルサレムに上った彼は、神殿にいたところを捕まえられて、まずは神殿の敷地の中の階段において、次いで翌日は最高法院の者達の前で、さらに翌々日カイサリアに移動して最初の総督の前で、そして二年おいて次の総督フェストゥス、そしてユダヤ王アグリッパの前で、というふうに何度も演説を行いました。これらは彼の四半世紀に及ぶ活動全体のまとめともなっていて、そしてそれぞれの演説は、聞き手に対して相当大きな印象を残しました。普通に考えたら、聞いた勢いでパウロの説得に応じてキリスト者になってしまっても不思議はないほどでした。

例えば今日のところで、フェストゥス総督と共にパウロの演説を聴いていたアグリッパ王は思わず次のように28節で言っています。「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか」。これはパウロの説教に相当の説得力があったことを示します。後半は直訳すると、「私にキリスト信者の役回りを演じさせるつもりか」、となります。丁度俳優が、ある演劇に出ることを求められ、台本に目を通したところ、これは演じる価値のある作品だ、この作品でこの役回りを演じられるなら役者冥利に尽きる、こちらから出演をお願いしたい、ということが起きるケースがあります。そういう意味で、彼は自分がキリスト者になるという役を引き受けかけてしまっている。しかし王であるという立場上、自分が宗旨替えをすることは国民に対して相当に大きな影響力を持ってしまう。自分の立場上、この、本来は栄誉ある大役を引き受けることは出来ない、すんでの所でアグリッパは出演辞退をしているのです。彼は今の王の立場にとどまり続けるため、あえて自分に制約を課し、王という立場に自らを縛りつけてしまうのです。

もう一人の聞き手であったフェストゥスの方は、それほどにはパウロの演説には入れ込まなかったのですが、周りが彼の演説に引き込まれていることには気がつきました。彼は大声で演説中止を求め、そしてこう24節で叫びました。「パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ」。彼は、神の御子の復活を信じようとはしません。そして復活を信じない者は、パウロが語る希望を理解することができません。何かの難癖をつけたいのですが、「おまえの演説など難しすぎて理解出来ない」と言ってしまっては、却って理解出来ない自分の方が悪いとなってしまいそうな勢いです。そこでフェストゥスは、勉強のしすぎでパウロは頭がおかしくなった、という評価を下すことで、パウロをおとしめようとしました。よく考えると意味のよくわからない批難です。いちゃもんをつけるくらいしか、やることがなくなっていた。彼もまた、アグリッパ王とは違う意味で、古い立場にかたくなにとどまり続け、縛られ続けている人物です。

 

 一連の演説は21章から始まっていますから、ここまで六つの章を用いてルカはパウロの演説を紹介してきました。どの演説も、パウロに反発をする人々の様子を記して終わっています。しかしそれは、パウロの言葉に説得力を感じているからです。慌てて、とにかく反発する態度を取らざるを得ない。そうでもしないと、来週にでもパウロが軟禁を受けている住まいに行って、誰かが洗礼を受けてしまいそうだ、もしパウロが来週まで生きているならば…、という状態になっている。

 そのような状態が二年以上続いているわけで、この二年間に誰も洗礼を受けるには至らなかったのが逆に不思議なくらいです。その間にパウロの説教はこのカイサリアの地で大きな位置を占めるようになった。26節にはありますように、パウロは次のように断言出来た。「このことは、どこかの片隅で起こったのではありません。ですから、一つとしてご存じないものはないと確信しております」。

 

 福音の言葉が公共の場所で語り続けられました。もしパウロの説教がなければ、一体どうなっていたでしょうか。キリスト教の信仰は、個人的なものにとどまっていたのではないでしょうか。例えば次のような誤解が広まっていたかもしれません。

 パウロが説くキリストの教えは、宗教という名にふさわしくない教えだ、なぜならば宗教は本当は公の場所で信じられるものでなければならない、ユダヤ教であれば神殿と律法を持ち、1000年の伝統を持っている。しかしキリスト教は、せいぜいみすぼらしい集会所で礼拝をしているだけで、結局は個人的なものに過ぎないではないか。心の中で信じられているだけのものなど、宗教という名にふさわしくない。

 こういった誤解が広まらなかったのは、パウロが公の場所で語る言葉が影響力を持ち続けていたからだ、と考えられます。今日の演説の中でフェストゥスとパウロの間でなされているやりとりは結局の所、キリスト教の信仰が、公のものと言えるのか、それとも個人的なものに過ぎないのか、ということを巡るやりとりでした。

 

*マニアックな宗教からパブリックな宗教へ

 

 一方でフェストゥスはいいます。パウロは「頭がおかしく」なった。聖書の元の言葉では「マニアック」という言い方です。自分にしか楽しみがわからない趣味に没頭する人のことをマニアと言います。パウロの教える教えは、マニア向けである。これはユダヤ教を多くの人々が信じる余地を持つまっとうな宗教、キリスト教はマニア向けであって所詮は心の中に教えにとどまっていてまっとうな宗教とは言えない、という評価を意味します。それに対してパウロは、福音が語られ、信じられるというのは、どこかの片隅で起こっているのではない、と言っているのです。

 

 このやりとりを記録するルカは、パウロの説教の中に、一つのキーワードが隠されていることに気づきます。21節の「神殿にいた私を捕まえた」という言葉です。この箇所をよく分析してみますと、ここで「神殿にいた」という言葉は、抜いても意味が通じます。パウロはいろいろと伝道をした、ユダヤ人にも異邦人にも福音を伝えた。だから捕まって殺されそうになった、それで通じるのです。ところが抜いても意味の通じる言葉、「神殿で捕まって」が、ここであえて加えられているのです。これがパウロ自身の言葉であったのか、ルカの強調であったのかはわかりません。しかし、捕まった場所が神殿であったということは注目に値するではないか、という主張が含まれているのです。パウロの伝道活動は、神殿こそが究極の終着点なのだ、というのです。

 ルカがこれを執筆しているのは、二世紀に入るか入らないか、いずれにせよ西暦70年の神殿崩壊よりはずっと後です。神殿がなくなったあとに、パウロは神殿を目指しながら伝道をしていた、そして神殿で捕まった、ということを思い出し、強調しているのはなぜでしょうか。もうなくなってしまった神殿のことなど気にかけず、パウロの伝道がかつて盛んであったということだけ思い出していればいい、そんなふうにも思えるのに、そうは問屋が卸さないのです。

 

 使徒言行録の説教を、私どもはもう少しで終えるところまでたどり着きました。読みながらずっと疑問に感じていたことが、自分の中ですっきり溶けていくような思いを、この数回の説教の中で感じています。疑問というのは、以前から感じていたものです。それは、ルカが描くパウロが、なぜユダヤ教にすり寄ったような言動をしているのか。パウロ自身が書く手紙で見る限り、ユダヤ教が持つ律法の縛りから解放される様子が描かれているのに、使徒言行録ではむしろ、ユダヤ教の本来の姿こそがキリスト教だ、という風に、キリスト教がユダヤ教のバージョンアップとして描かれています。ユダヤ教とは別の宗教としてキリスト教が出発しているのではないのだろうか、そんな疑問を、共に使徒言行録を読むことにお付き合いくださってきた方の中でもお持ちの方がおられるのではないかと思います。しかしこの21章以降の演説を読むと、目に見える神殿が、そしてそこで礼拝を献げるユダヤ教がある意味では崩壊したあとに、パウロがなお目に見えない神殿において礼拝を献げる、ユダヤ教以上にユダヤ教的な新しい宗教としてのキリスト教がユダヤ教の信仰を、ある意味では引き継いだのではないかという理解の元に、パウロの説教を記録し、編集したことに気づきます。

 

*鎖の他、すべて自由

 

 違う言い方をしてみましょう。29節でパウロはこう言っています。「今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが」。これは、鎖につながれていることを重荷と感じ、早くこれを外してほしいと願っているという意味ではありません。私は目に見える鎖でつながれていて、他の人は鎖につながれていない、つながれていないのだから彼らこそが自由であるはずだ、しかし、鎖につながれている自分の方が彼らよりも自由なのではないかと思えてくる。

 その場にいる人々は皆、パウロよりも太くて重い鎖によって何かにつながれていたのではないでしょうか。例えば総督フェストゥス。彼はローマから派遣され、ユダヤ教をしっかりと治めることを期待されている人物です。ユダヤ教に肩入れすることなく、また最近目立ってきているパウロ達のキリスト教にも肩入れせずに、中立であることを期待されている。どちらの宗教からも自由でいられるように、彼は復活を信じようとしません。

 パウロは言いたいのでしょう。そもそも復活を信じないということで、人は自由でいられるのだろうか。復活を信じないということは希望を持たないで生きるということであり、希望を持たない生き方は自由なのだろうか。

 

*片隅から、ど真ん中へ

 

 ここで思い出します。避難所の片隅で説教を続けた一人の牧師を。彼は傍目には、片隅で礼拝をする一人のマニアックな人に過ぎないように映るかもしれない。しかし、彼が復活の福音を語るとき、世界の中心は説教者の方へと動いていき、説教者はもはや片隅で語る人物ではなく、また単なるマニアックな人というのではなくなってしまう。

 それに対して、今の日本にも、フェストゥスのような、中立主義者というのがいるように思います。自由でいようと思っていながら、実は鎖につながれているのではないでしょうか。またアグリッパ王は、多くのユダヤ教徒とは違い、ローマ帝国と親しくすることをいとわなかったユダヤの指導者です。キリスト教を政治的に利用することは考えた可能性がありますが、自分が信じようとは思わなかった。今の日本には、またアグリッパ王のような者がいるのではないでしょうか。そしてアグリッパ王と同じように、重くて鈍い鎖によってつなぎ止められている人がいるのではないでしょうか。

 六章に及ぶ演説の中で、密かにパウロの説く福音に心動かされた者は多いのです。しかし皆なにがしかの鎖につなぎ止められて、福音によって歩み出すことを出来ないでいます。それに比べれば、今パウロをつないでいる鎖の、なんと細く軽いことか。

 

*キリストの他、すべて自由――日本の教会が目指すもの

 

 今日の説教題は、ある一人の信仰者の言葉をもじってつけたものです。今から100年前に、わずか36歳で病死するまでの間に、森明という牧師が展開した伝道運動は、学生キリスト教共助会という名前を持ち、「キリストの他自由」というモットーで知られています。キリストを信じるということの他はすべて自由である、これがキリスト教信仰の本質であり、日本という国はキリストを信じることによって今までの古い慣習や地縁血縁による見えない鎖から解き放たれ、本当に自由になることが出来る。これが森明の、あるいはキリスト教共助会の、いえすべてのキリスト者の願いです。

 いろいろ考えさせられます。私どもは、信仰を持つということを教会に結びつけて考えます。それは要するに、教会を通じてキリストに結ばれることで自由になるということであるはずなのに、組織としての教会を余りに強く意識して、奉仕が大変だ、献金というのも何か縛られている感じがする、いろいろな集会なども行かないといけないのだろうか、地縁血縁だって大事なんじゃないか…。いつの間にか、キリスト以外の鎖によってがんじがらめにされていることに気づく。そんなときに思うのです。パウロにかけられている鎖は、キリストを信じる故にかけられているものだ。その鎖によって、他のすべての鎖からパウロは解き放たれている。

 

*パウロ邸での聖餐への招き

 

 この裁判を終え、裁判所を出て鎖を外されたパウロは、再び軟禁状態の住まいに戻されます。どんな住まいだったのでしょうか。想像してみます。そこには書き物をするための机があります。また、方々の教会から戻ってきた伝道者達を迎えるための応接セットがあるでしょう。すでに二年間ここで生活をし、それぞれの教会に伝道の方針を伝えるための基地としてここは機能し始めています。

 そんなところに戻ってきたパウロ。すでにここにはパウロの仲間がいて、「よく戻ってきたね」、あるいは「今度こそは死刑判決を受けてルカだけがここに帰ってくるかもしれないと思っていたんだけどなあ」、などと冗談を言います。それに対してパウロは、「なに、死刑や鎖など恐れる必要はない、恐れるべきは天におられるあのお方だけだ」、などと返すのです。


そんなやりとりをしているうちに、裁判所から遅れて帰ってきた一団が到着します。それは私どもの姿です。…一同が一瞬沈黙をしたのち、口を開くのはパウロです。「パンと杯は用意出来ているかい」「ああ、準備は万端だよ」「では始めよう。私が君たちに伝えることは、主から教えられたことそのものなんだ。あの夜に主イエスがパンと杯を取って示してくださったことを思い出そう。主が再びおいでになるまで、私たちはこうしていようじゃないか」。マラナタの賛美の歌が歌われます。その意味は「主よ、来て下さい」。この真実の祈りを、共に献げましょう。†