確かなものに向かう足取り ――聖霊の火は消えない

2024/09/01 三位一体後第十四主日聖餐礼拝 

使徒言行録説教第69回 (22:17~30)

「確かなものに向かう足取り 

――聖霊の火は消えない」


 牧師 上田彰

 

*聖書黙想を通じて目指すもの

 

 確かなもの。私どもにとって、何が一番確かなのか。話は七年前に遡ります。近隣教会の集まりに参加していたカトリックでフランス人司祭がおられ、あるときにこういうことを発言なさいました。

 

 最近、皆さんは、特にここにおられるのはプロテスタントの皆さんですが、「高齢化、高齢化」と言って、「高齢化」を問題のように取り沙汰しておられる。しかし、高齢化ってそんなに問題なんですかね。確かに乗り越えなければならない課題はあります。しかし高齢化は「恵み」ですよ。そうじゃないですか。


私はその時以来、ずっと、「恵みとして高齢化を受け止める」ということについて考えています。ちょうどこの夏に来たマッソン宣教師のひ孫さんとのやりとりで、7年前に与えられた教会形成の幻である、聖書黙想について、再度の構想を進めています。可能であれば、年度内に私どもの教会としての取り組みの形を取りたいと願っています。

 そのために、この取り組みのカトリック教会側からの発信を行った、16世紀のイグナティウス・ロヨラに再度関心を向けています。その関連で、インターネットの動画サイトで、現代のカトリック教会が出している、ロヨラに関する動画を見ました。これは7年前にはなかったことです。

 その中に、最近イタリアのローマ、つまりロヨラが設立したイエズス会の本部があるところを訪れた日本人司祭の話がありました。その司祭は、本部に飾られているロヨラの像のところで記念写真を撮ったのだそうです。その背後には標語があり、ロヨラの言葉が残されていました。次のように書かれています。「行け、そして世界すべてを火に包め」。伝道に対するロヨラの熱い思いが伝わってくる標語と言えるでしょう。そしてその像のそばには、誰のいたずらか、消火器が置いてあって、記念写真を撮る人は皆その消火器も一緒に入るように撮るのだそうです。この話を愉快そうに語るカトリック神父の様子を見て、ああこれがヨーロッパのキリスト教が持つ自由闊達さなのかな、と思いました。実はこのエピソードには背景があります。それは、この、「行け、そして世界すべてを火に包め」という標語は、マタイ福音書をイエズス会修道士がラテン語で読むときに、最後の部分に出てくるイエス様の大宣教命令、つまり、「行け、そして世界の民すべてに洗礼を授けよ」という言葉をもじっているのです。

こういうのを「本歌取り」というのだそうです。すなわち、マタイ福音書の最後が本来の言い方、短歌で申しますと「本歌」で、イグナティウスはこの「本歌」が何であるかがわかるように、少しだけ表現を変え、中身を新たにしました。

私どもは、このような本歌取りがキリスト教の歴史の中で度々起こっている、ということをどのように受け止められるでしょうか。一方では、もじるというのは本歌をパロディーにするということですから、今風にいえば著作権の問題などにも引っかかってくるかもしれません。他方で、このように本歌取りが行われることによって、逆に本歌に対する皆の尊敬が高まるということもいえるでしょう。キリスト教の歴史は、本歌取りを繰り返すことで、聖書の言葉を新たに発音し直し、発展を繰り返してきた歴史である、ともいうことが出来るでしょう。そして、私どもアジアのキリスト教よりも、ヨーロッパのキリスト教の方が、このような自由闊達な本歌取りが出来ているような気がします。少なくとも、ロヨラの像のそばに消火器を置くセンスは、うらやましくもあります。

 

*御霊の火を消してはならない

 

 その自由さを見聞きしてその後ずっと頭を離れないのが、第一テサロニケ5章の言葉です。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」という有名な言葉に続く形で、パウロは書き記している、次の言葉です。「“霊”の火を消してはいけません」。聖書の元の言葉では、「御霊に冷や水をかけてはならない」となっていて、「火」という言葉はないのですが、これは聖霊の働きを火に例えているのだろう、と考えられてきました。火は、ある人の中で静かに燃え続けることもあるでしょうが、ロヨラはそこで、聖霊の火というものが、燃え広がる様子を想像しました。それは同時に、私どもが聖書黙想という形で志を受け継ぎたいと願っている、ロヨラの記した『霊操』という名著の神髄でもあります。

ここにも実は本歌取りとまでいうと大げさですが、もじりがあります。大元は「体操」という言葉です。「霊操」とは「体操」を意識してロヨラによって作られた言葉と言えるでしょう。私どもは老いも若きも体を伸ばすことの重要性を知り、また実践しています。体をストレッチするのと同じように、あるいはそれ以上に心をストレッチすることの重要性を大事にするべきだというロヨラの主張は、キリスト教全体の思いであるといって差し支えありませんし、私どもがもし聖書黙想を通じてプロテスタント版の「霊操」を実践するなら、まずはこのロヨラのいう「霊操」を学ぶことから始めてもよいと思わされます。

 そして気づかされるのは、「聖霊の火を消してはならない」とパウロが述べているのは、聖霊の働きがこのように、本歌取りを繰り返すことによって発展を遂げるキリスト教が、人間的な思いによってその流れをせき止められることがあってはならない、ということです。聖霊の働きは人間を通じて働きますから、人間の側では、神様の思いが実現するようにと願い続ける必要があります。「御霊の火を消さないように」と記すパウロはまた、「霊は生かし、文字は殺す」(第一コリント3章)とも述べます。信仰を律法主義のように考えてしまう動きが、教会の中にもあったのだということを思わせます。

 

*聖霊の自由な働きに委ねる

 

 聖霊の働きが炎のように、パウロの中で、そして教会の中で自由闊達に広がり始めるとしたら、一体どのように私どもの教会は、そして伊東の社会は、そして日本は、どのように変わっていくのでしょうか。そのような思いは今日の箇所に出てくるパウロの立ち振る舞いを見ても感じます。

 キリスト教は先ほど申しましたように、本歌取りを繰り返すことによって発展を続けています。宗教改革のように大きな本歌取りの出来事もありますし、日常の生活の中で日々新たにされる形でも私どもの信仰は新たにされます。この数年間、私どもの社会は感染症と闘って参りました。そのときの対応一つ取っても、私どもの信仰的振る舞いとは何かということが問われていたと思います。今日話題になるのは、ユダヤ教からキリスト教が生まれるという、歴史的にもこれ以上大それた本歌取りはないだろうと思われる事態です。

 

*「本歌取り」を果たしきる

 

 パウロが捕まったのは神殿の建物の中でした。元々のきっかけは些細な誤解でありました。ギリシャ人でキリスト者であったトロフィモが、異邦人であれば神殿の前庭にまでは入ってもいいとされていたのに、この前ユダヤ人男性に紛れて建物の中にまで入っていた。そのトロフィモが町中でパウロと話しているのを見た者がいる。どうやら二人はキリスト教つながりで知り合いのようだ。きっとパウロが手引きしてトロフィモが神殿に出入りしているに違いない。怒りに身を任せる群衆がパウロを取り囲んで殴り始めたときにローマの兵士たちがやってきて、なんとか暴力は止まりました。そして千人隊長の許可を得てパウロが証しを始めるのです。そしてその証しを聞いてさらに逆上し、パウロを殺すという段階にまで達したのが今日の話です。今日の話で23節に、人々が上着を脱ぎ始めたということが書いてあります。これは、石を投げて人を殺すときに、返り血が自分の服につくのを避けるため、上着を脱ぐという習慣があったことと関係しています。つまり、今日の箇所は、パウロを神殿の中で見かけたときには殴るくらいしかしていなかったのが、前回と今回の証しを聞いて、さらにボルテージが上がり、単なる敵意からはっきりした殺意へと変わってしまった、ということがわかります。

 では、なぜパウロの証しは彼らの敵意を殺意に変えてしまったのでしょうか。そのことを理解するためには、17節から21節までを丁寧に読まなければなりません。ここではポイントだけ簡単に申し上げます。



パウロの側で、異邦人伝道を始めることも出来るしユダヤ人伝道を続けることも出来る、というような選択の余地はなかった。パウロは神様の命令によって異邦人伝道を始める。

・異邦人伝道はユダヤ人のためのキリスト教会ということからの転換を含み、本歌取りが行われている。

・ユダヤ人は自分たちがユダヤ教の正統な継承者だと思っているが、パウロは自分たち教会こそが、本当の意味でユダヤ教の神髄を理解し、そしてユダヤ教の本当の意味の担い手だと神様によって示された。

 

 

 もう少し解説をしてみます。まず、キリスト教は最初キリスト教とは呼ばれておりませんでした。「この道の者」という言い方も使徒言行録には出てきますが、ここでは便宜的に、「ユダヤ教ナザレ派」と呼ぶことにします。エルサレム神殿に本拠地を置いて神殿での礼拝を行いつつ、近くにあった二階建ての建物を拠点地にしてイエス様についての証言を共有し、またパン割きの儀式を共有しておりました。その時にはユダヤ教の他のグループの間でもナザレ派に対する敵対心は強くありませんでした。ところがナザレ派は急速に発展をしたため、評価が分かれ始めました。サウロなどは、律法によって救われるのではなく十字架によって救われるという教えは、問題があると思っていました。ステファノ殺害に賛成していた人がいたのです。他方で、ユダヤ教には様々なグループがありますから、自分たち以外のグループが盛んになることに対して比較的寛容なユダヤ人もおそらくはいたのです。そして殉教したステファノ、そしてペトロ、さらにはサウロから転じたパウロに至るまで、少なくとも部分的には自分たちは模範的なユダヤ教徒だと思っていた節があります。

 つまり、例えば土曜の安息日にしていた礼拝を日曜、つまり主がおよみがえりになられた日にずらしたりしてはいますが、あくまで自分たちはユダヤ教の主流派だと思っている。ところがユダヤ人たちは、キリスト者がシナゴーグへ入ることを禁じたりして、キリスト者を端っこに追いやろうとしている。しかし実際に隅っこに追いやられるのはユダヤ人多数派の側で、ナザレ派は本歌取りを果たし、キリスト教という形でユダヤ教がかつて持っていた立ち位置を獲得し、さらにユダヤ教以上の存在になった。こうしてキリスト教が誕生した、という訳です。今風に申しますと、「シン・ユダヤ教としてのキリスト教」ということになるでしょうか。

 

*自称(?)ユダヤ人を怒らせてしまったわけ




 私ども日本のプロテスタント教会は、何度もこういった本歌取りを繰り返すことによって生まれた教会です。では取ってしまった本歌と仲良く出来ないかといえば、そんなことはなく、カトリックとも、あるいはヨーロッパキリスト教、ユダヤ人キリスト教、もしかするとユダヤ教とだって対話が出来るかもしれません。馬鹿にすることなどあってはならないしありえないのですが、実際には取られた方の本歌側の人たちが怒ってしまうということは、しばしば経験します。宗教改革を起こした側と起こされた側との和解には数百年かかりました。

しかし、次の主張だけは譲るわけにはいきません。パウロの方では、ユダヤ教とは別の宗教を創設したのではなく、ユダヤ教が正当に進化してキリスト教が生まれた、キリスト教とはユダヤ教のまっとうな生まれ変わりだ、そうイエス様に幻の中で教えられたと考えている、ということです。自分はかつてユダヤ教のど真ん中であるファリサイ派に属していて、熱心にキリスト者を迫害するぐらいユダヤ教の中のユダヤ教徒だと考えていた。しかし今や、いえ、そして今や、そのユダヤ教のど真ん中の信仰は神殿と律法によって示されるのではなく、キリストの十字架と聖書によって示されている。だから自分はユダヤ教の中のユダヤ教徒として、キリスト者になったのだ。自分の理解が多くのユダヤ人に受け入れられていないことは知っている。だからこそ主なる神は、私をエルサレムの外にいる異邦人の伝道へと使わしたのだ。私は異邦人伝道をすることによって、ユダヤ人以上のユダヤ人、まことの信仰者になるのだ…。

 この譲れない主張の故にユダヤ教の側で怒りが発生し、殺意を持つに至ったということになります。

 

*本来的なものを本来的なものと出来ない弱さ





この出来事の中で、ローマの兵士たちの混乱ぶりも目につきます。彼らはパウロをむち打ちにかけようとするのです。本来はむち打ちというのは罪が定まった人に対して下す刑罰であるはずなのに、罰すべきかどうかこれから調べる相手であるパウロを、むち打ちによって尋問をするという態勢を取る。そのときの姿勢は、鞭で打ちやすいように、パウロが両手を広げた格好で手を縛るというものでした。まるでイエス様が十字架にかかったときのような格好をパウロにさせて、あとは鞭で打つだけとなりました。

その時に、自分を縛った百人隊長に対して、パウロはぼそっと一言告げるのです。慌てた百人隊長は、その場にいる最高司令官である千人隊長に、今自分の耳元でつぶやかれた一言を告げます。それは、パウロはローマの正式の市民権を持っている、という一言でした。ローマの市民権をパウロを正式な裁判の後にむち打ちをするならともかく、それより前の取り調べの時にむち打ちをするというのは、重大な規律違反である、というわけです。

 この、自分がローマの市民権を持っているということが、今回の一連の行動でかならず使うことになる切り札であることを、パウロはすでに気づいていました。当時のローマの領土において、本来ローマの市民が受けるべき権利を受けられずにいる、パウロは自分で主張をしない限り、ローマ市民として扱われない、だからいざというときにはこのことを主張することで、ユダヤ人から不当に扱われて、自分の主張が顧みられることなく殺されることはない、とわかっていたのです。

 

 ローマ市民が、ローマ市民として扱われないということは、地方によってはごく普通に起こりました。そこで自分は正当なローマ市民である、と主張しなければならなかったのです。パウロはまた、彼は自発的にユダヤ教から離れた者だ、と思われていました。そこで彼は、自分は本来正当なユダヤ教徒だ、と主張したのです。

 歴史的にいって、キリスト教がユダヤ教を母体として生まれたということは間違いないと思います。それでは、キリスト教はユダヤ教から外れることで生まれ、ユダヤ教はユダヤ教、キリスト教はキリスト教と、別々に発展することを運命づけられていたのか、それとも、ユダヤ教の正当な発展としてキリスト教が生まれたのか。ここで冒頭の、「聖霊の火を消してはならない」というパウロの言葉を思い出すのです。キリスト教は、ユダヤ教の中に生まれた聖霊の火を受け継ぎ、発展させた形である、聖霊の火を消さないというのは、聖霊が持っている自由闊達さを、最も生かした形で受け止めたときに、ユダヤ教からキリスト教への自然な移り変わりが起こる、それを妨げてはならない、という意味であることに気づかされます。

 

*聖霊の火を消してはならない――聖餐への招き

 

 これから歌う、讃美歌282番は、宗教改革を記念する讃美歌です。この歌を宗教改革記念日以外に歌うというのも不思議な感じがします。しかし一方で、どうしても宗教改革記念日というとルターが作曲した讃美歌を歌う傾向があり、この歌が歌われていないのも事実です。改めて私どもの教会がプロテスタント教会として、どのように生まれた教会であるのか、ということを考えさせられます。16世紀の宗教改革をきっかけにして、それまでなかった教会が現れた、という風に考えることは出来るでしょうか。もしそうだとするならば、プロテスタント教会はそれまでもそれ以降もあるローマ・カトリック教会の分派、別働隊に過ぎません。しかし宗教改革とは、それまで眠っていた本来的な教会の精神が16世紀をきっかけにして目覚めたものだと考えることが出来ます。つまり、プロテスタント教会とは、カトリック教会からの正当な進化なのだ、というこの議論は、教会が進化をするのかということを含めて、大がかりな議論になります。

 

 従って、次のような問いを考えてみるのもいいかもしれません。キリスト教は今日盛んであると言えるでしょうか。それとも右肩下がりであると考えるでしょうか。もし今はキリスト教の時代ではない、かつては教会も盛んであったが、今は教会も盛んでなく、教団を見ても対立と紛争ばかりで希望はない、と考える人がもしあるとするならば、聖霊が今もまた自由な炎のように燃えさかる様子を想像してほしいのです。「世界を炎に包め」と喝破したロヨラの銅像のそばに、消火器を置く、そのいたずら心を持って事柄を眺めたときに、様々な聖霊の働きの痕跡にもまた気づくことが出来るのではないでしょうか。聖霊は確かに、その躍動する器である教会を成長させ、発展させます。

 

 私どもの前には聖餐のパンと杯があります。これは、私どもが聖霊の静かな広がりを見出す感性を持って受け止めるときに、キリストの血となり肉となります。信仰的な希望を持ってこの世を見つめ直すよすがとして、主の食卓に与りたいと思います。

 


Heiliges Abendmahl am 14. Sonntag nach Trinitatis, 01.09.2024
69. Predigt über die Apostelgeschichte (Apg. 22,17–30)
„Schritte in Richtung Gewissheit – Das Feuer des Heiligen Geistes erlischt nicht“
Pastor Akira Ueda

Ziel der Bibelmeditation

Das Wahre. Was ist das Wahrste für uns? Die Geschichte beginnt vor sieben Jahren. Es gab einen französischen katholischen Priester, der an einem Treffen der Nachbarkirchen teilnahm. Er äußerte sich folgendermaßen:

In letzter Zeit sprechen viele von euch, besonders die protestantischen Teilnehmer hier, ständig über "die Alterung der Gesellschaft", als ob dies ein Problem wäre. Aber ist die Alterung wirklich so ein Problem? Natürlich gibt es Herausforderungen, die wir überwinden müssen. Doch das Altern ist eine „Gnade“. Ist das nicht so?



S eit diesem Moment denke ich darüber nach, wie wir das Altern als Gnade annehmen können. Diesen Sommer habe ich in Gesprächen mit dem Urenkel des legenden Missionars, der über 100 Jahren vor in Ito Tätigkeit hatte. Durch dem Austausch mit dem Urkenkel, einem aktiven Christ, bin ich wieder bewusst, was wir sieben Jahre vor machen wollte: die Bibelmeditation Ich hoffe, dass wir, wenn möglich, noch in diesem Jahr wieder anfangen. Deshalb habe ich wieder Interesse an Ignatius von Loyola, der im 16. Jahrhundert eine Protptyp- Initiative auf der Seite der katholischen Kirche begann. In diesem Zusammenhang habe ich ein Video per YouTube auf einer modernen katholischen Website gesehen, das sich mit Loyola beschäftigt.

Darin erzählte ein japanischer Priester, der kürzlich Rom, den Hauptsitz des Jesuitenordens, besuchte, dass er ein Erinnerungsfoto neben der Statue von Loyola machte. Hinter der Statue war ein Slogan zu sehen, der ein Zitat von Loyola enthielt: „Geht und entfacht die ganze Welt in Flammen.“ Man kann sagen, dass dieser Slogan die Leidenschaft von Loyola für die Evangelisation widerspiegelt. Daneben stand ein Feuerlöscher, vermutlich als Scherz, und jeder, der ein Erinnerungsfoto machte, schloss den Feuerlöscher ein. Als ich den humorvollen Bericht des katholischen Priesters sah, dachte ich: Das ist die Freiheit des europäischen Christentums. Diese Episode hat auch einen Hintergrund. Der Slogan „Geht und entfacht die ganze Welt in Flammen“ ist eine Paraphrase des großen Missionsbefehls Jesu im Matthäusevangelium: „Geht hin und lehret alle Völker und taufet sie.“ Man nennt dies eine „Paraphrase“. In der Dichtkunst bedeutet dies, dass ein Originaltext (in diesem Fall das Jesu Wort) verändert wird, um etwas Neues zu schaffen.

Wie können wir solche Paraphrasen in der Geschichte des Christentums verstehen? Einerseits könnte eine Paraphrase wie eine Parodie erscheinen und zu Fragen des Urheberrechts führen. Andererseits erhöht eine solche Paraphrase den Respekt vor dem Originaltext. Auf dem Feld des japanischen Liedes nennt man es “Honka-dori” (Honka: originals Lied, dori: adaptieren). Man könnte sagen, dass die Geschichte des Christentums eine Geschichte ist, in der durch ständige Paraphrasierungen /Honka-dori die Worte der Bibel immer wieder neu ausgesprochen und entwickelt wurden. Vielleicht haben die europäischen Christen mehr Freiheit in solchen Paraphrasen als die asiatischen Christen. Jedenfalls beneide ich die Art und Weise, wie sie einen Feuerlöscher neben die Statue von Loyola stellen.



D as Feuer des Geistes darf nicht erlöschen

Seitdem ich diese Freiheit gesehen habe, gehen mir die Worte aus dem ersten Thessalonicherbrief, Kapitel 5, nicht mehr aus dem Kopf: „Freuet euch allezeit, betet ohne Unterlass, seid dankbar in allen Dingen“ und dann: „Den Geist löschet nicht aus.“ Die Wirkung des Heiligen Geistes wird mit einem Feuer verglichen. Manchmal brennt das Feuer still in einem Menschen, aber Loyola stellte sich vor, dass das Feuer des Heiligen Geistes nach außen strömt. Dies ist auch der Kern des berühmten Werkes „Geistliche Übungen“ von Loyola, das wir durch Bibelmeditation anstreben möchten. Auch hier gibt es eine Art Paraphrase, wenn auch vielleicht etwas übertrieben ausgedrückt. Das ursprüngliche Wort ist „Übung“. „Geistliche Übungen“ sind ein Begriff, den Loyola in Anlehnung an das Wort „körperliche Übungen“ geprägt hat. Wir wissen, wie wichtig es ist, unseren Körper zu dehnen, und das praktizieren wir auch. Genauso, wenn nicht sogar wichtiger, ist es, den Geist zu dehnen, so wie es Loyola lehrt. Das ist der gemeinsame Gedanke im Christentum, und wenn wir eine protestantische Version der „Geistlichen Übungen“ durch Bibelmeditation umsetzen wollen, sollten wir bei diesen „Geistlichen Übungen“ von Loyola anfangen.

So erkennen wir, dass Paulus’ Worte „Den Geist löschet nicht aus“ bedeuten, dass das Christentum, das sich durch Paraphrasen weiterentwickelt hat, nicht durch menschliche Gedanken behindert werden darf. Die Wirkung des Heiligen Geistes geschieht durch Menschen, daher müssen wir auf der menschlichen Seite ständig dafür beten, dass Gottes Wille verwirklicht wird. Paulus schreibt: „Der Geist macht lebendig, aber der Buchstabe tötet“ (2. Korinther 3). Das lässt darauf schließen, dass es in der Kirche auch Bewegungen gab, die den Glauben auf ein gesetzliches Denken einschränkten.

Sich dem freien Wirken des Heiligen Geistes anvertrauen

Wenn das Wirken des Heiligen Geistes wie eine Flamme in Paulus und in der Kirche frei und ungehindert zu wirken beginnt, wie wird sich dann unsere Kirche, unsere Gesellschaft in Ito und Japan verändern? Diese Frage stellt sich auch beim Betrachten von Paulus' Verhalten im heutigen Text. Wie bereits erwähnt, entwickelt sich das Christentum durch ständige Paraphrasierungen. Es gibt große Ereignisse wie die Reformation, aber auch im täglichen Leben wird unser Glaube immer wieder neu belebt. In den letzten Jahren hat unsere Gesellschaft gegen die Pandemie gekämpft. Selbst in dieser Zeit wurde unser Glaubensverhalten auf die Probe gestellt. Heute geht es um die Geburt des Christentums aus dem Judentum, ein historisches Ereignis, das als eine der größten Paraphrasierungen gilt.

Eine Vollendung der Paraphrasierung

Paulus wurde innerhalb des Tempels gefangen genommen. Der Auslöser war ein kleiner Missverständnis. Trophimus, ein Grieche und Christ, hatte sich in den Tempelvorhof begeben, was für Heiden erlaubt war, aber jemand sah ihn und Paulus zusammen in der Stadt und vermutete, dass Paulus ihn in den Tempel gelassen hatte. Als die Menge begann, Paulus zu schlagen, griffen die römischen Soldaten ein und verhinderten weitere Gewalt. Nachdem er die Erlaubnis des Tribuns erhalten hatte, begann Paulus sein Zeugnis. Aber die Menge geriet weiter in Wut und wollte Paulus töten. In Vers 23 heißt es, dass die Leute ihre Kleider auszogen – eine Tradition, um zu verhindern, dass beim Steinewerfen Blut auf ihre Kleidung spritzt. Dies zeigt,





dass ihre Feindseligkeit zu einem klaren Tötungswunsch geworden war. Warum hat das Zeugnis von Paulus ihren Hass in Tötungsabsicht verwandelt? Um dies zu verstehen, müssen wir die Verse 17 bis 21 sorgfältig lesen. Ich werde hier nur die wichtigsten Punkte kurz erwähnen:

  • Paulus hatte keine Wahl, ob er die Mission zu den Heiden beginnen oder die Mission zu den Juden fortsetzen wollte; es war ein Gebot Gottes.
  • Die Mission zu den Heiden bedeutete eine Abkehr von der jüdischen Kirche und eine Paraphrasierung fand statt.
  • Die Juden glaubten, sie seien die rechtmäßigen Erben des Judentums, aber Paulus argumentierte, dass die Kirche die wahre Essenz des Judentums verkörpere und dass ihm dies durch Gott gezeigt worden sei.

 

Ich werde es ein wenig weiter erläutern. Zunächst wurde das Christentum zu Beginn nicht als „Christentum“ bezeichnet. In der Apostelgeschichte wird auch der Begriff „Anhänger dieses Weges“ verwendet, aber hier werde ich der Einfachheit halber die Bezeichnung „Nazarener-Sekte des Judentums“ verwenden. Die Nazarener-Sekte hatte ihre Basis im Tempel von Jerusalem und nam dort Gottesdienste teil. Gleichzeitig nutzten sie ein nahegelegenes zweistöckiges Gebäude als Hauptquartier, um Zeugnisse über Jesus zu teilen und das Brotbrechen als Ritual zu praktizieren. Zu dieser Zeit gab es unter den anderen Gruppen des Judentums noch keine starke Feindseligkeit gegenüber den Nazarenern. Doch da die Nazarener-Sekte sich schnell entwickelte, begannen sich die Meinungen über sie zu spalten. Saul (Paulus) zum Beispiel fand die Lehre, dass man nicht durch das Gesetz, sondern durch das Kreuz gerettet wird, problematisch. Es gab Menschen, die die Tötung des Stephanus unterstützten. Andererseits gab es im Judentum viele verschiedene Gruppen, und wahrscheinlich gab es auch einige Juden, die relativ tolerant gegenüber dem Aufstieg anderer Gruppen waren. Die Märtyrer Stephanus, Petrus und schließlich Paulus, der aus Saulus wurde, betrachteten sich zumindest teilweise selbst als vorbildliche Juden.

Mit anderen Worten: Obwohl sie zum Beispiel den Gottesdienst vom Sabbat (Samstag) auf den Sonntag, den Tag der Auferstehung des Herrn, verschoben haben, betrachteten sie sich immer noch als den Hauptzweig des Judentums. Doch die Juden versuchten, die Christen an den Rand zu drängen, indem sie ihnen den Zugang zur Synagoge verwehrten. In Wirklichkeit jedoch waren es die jüdischen Mehrheiten, die an den Rand gedrängt wurden. Die Nazarener-Sekte nahm die ursprüngliche Form wieder auf und erlangte als „Christentum“ die frühere Position des Judentums und wurde schließlich zu etwas, das das Judentum übertraf. So entstand das Christentum. Man könnte sagen, dass das Christentum als „neues Judentum“ zu verstehen ist. Auch die Worte Jesu in Vers 21: „Geh hin; ich will dich zu den Heiden senden, die weit entfernt sind“, müssen für diejenigen, die den großen Missionsbefehl am Ende des Matthäusevangeliums im Sinn hatten, wie eine erneute Interpretation geklungen haben.

Warum die selbsternannten (?) Juden verärgert wurden

Unsere japanische protestantische Kirche ist eine Kirche, die durch wiederholtes Übernehmen solcher „ursprünglichen Lieder“ (Honka) entstanden ist. Bedeutet das, dass wir nicht in Frieden mit den übernommenen „ursprünglichen Liedern“ leben können? Ganz im Gegenteil! Wir können durchaus in Dialog treten – mit der katholischen Kirche, mit dem europäischen Christentum, mit dem jüdischen Christentum und vielleicht sogar mit dem Judentum. Es sollte niemals Spott oder Geringschätzung geben, und das wird es auch nicht. Aber in der Realität erleben wir oft, dass diejenigen, deren „ursprüngliche Lieder“ übernommen wurden, verärgert reagieren. Die Versöhnung zwischen denjenigen, die die Reformation ins Leben gerufen haben, und denen, die sie durchleben mussten, hat Hunderte von Jahren gedauert.

Aber in einem Punkt können wir keine Zugeständnisse machen. Paulus' Ansicht ist, dass er keine neue Religion gegründet hat, die unabhängig vom Judentum ist. Vielmehr glaubt er, dass das Christentum durch eine legitime Weiterentwicklung des Judentums entstanden ist – dass das Christentum die rechtmäßige Wiedergeburt des Judentums ist und dass er dies in einer Vision von Jesus gelehrt bekommen hat. Er sah sich selbst als Mitglied der strengsten Sekte des Judentums, der Pharisäer, und war so eifrig, dass er die Christen verfolgte, weil er sich als den „Juden der Juden“ betrachtete. Doch nun, ja, gerade jetzt wird der Kern des jüdischen Glaubens nicht mehr durch den Tempel und das Gesetz verkörpert, sondern durch das Kreuz Christi und die Heilige Schrift. Daher wurde er als „Jude der Juden“ zum Christen. Er ist sich bewusst, dass seine Ansicht von vielen Juden nicht akzeptiert wird. Deshalb, so glaubt er, hat der Herr ihn zur Evangelisation der Heiden außerhalb Jerusalems gesandt. Indem er das Evangelium den Heiden bringt, wird er ein „Jude, der jüdischer ist als die Juden“, ein wahrer Gläubiger.

Aufgrund dieser unnachgiebigen Haltung kam es zu Zorn und schließlich zu Mordabsichten seitens der jüdischen Gemeinschaft.

Die Schwäche, das Ursprüngliche nicht als das Ursprüngliche zu akzeptieren




In diesem Ereignis fällt auch die Verwirrung der römischen Soldaten auf. Sie wollten Paulus auspeitschen. Normalerweise ist Auspeitschung eine Strafe für jemanden, dessen Schuld bereits feststeht. Doch sie wollten Paulus, dessen Schuld noch nicht bewiesen war, durch Auspeitschung verhören. Paulus' Haltung während dieser Zeit war, mit ausgebreiteten Armen gefesselt zu sein, um leichter geschlagen zu werden



In diesem Moment flüsterte Paulus dem Zenturio, der ihn gefesselt hatte, eine kurze Bemerkung zu. Der erschrockene Zenturio eilte sofort zum höchsten Offizier vor Ort, dem Tribun, und berichtete das Flüstern, das er eben gehört hatte. Die Bemerkung lautete: Paulus besitze das volle römische Bürgerrecht. Einen römischen Bürger vor einem ordnungsgemäßen Gerichtsverfahren auszupeitschen, wäre ein schwerwiegender Verstoß gegen die Vorschriften.

Paulus hatte anscheinend genau berechnet, wann er diesen Anspruch auf das römische Bürgerrecht geltend machen würde. Er wartete, bis die Wut der Menschen ihren Höhepunkt erreicht hatte, und ließ dann diese Bemerkung wie kaltes Wasser auf sie niederprasseln.

Nachdem sich die Lage etwas beruhigt hatte, musste man die Situation erneut überdenken. Die Juden glaubten, dass Paulus freiwillig vom wahren Glauben des Judentums abgefallen war. Doch Paulus behauptete, dass er der wahre Träger des legitimen Glaubens sei.

Paulus, der das „ursprüngliche Lied“ übernommen hatte, erklärte, dass gerade er es sei, der den wahren Geist des „ursprünglichen Liedes“ bewahrt habe. An dieser Stelle erinnern wir uns an Paulus' Worte vom Anfang: „Den Geist löschet nicht aus.“ Das Christentum sei die Fortführung und Weiterentwicklung des Feuers des Heiligen Geistes, das im Judentum geboren wurde. „Den Geist nicht zu löschen“ bedeutet, die freie und lebendige Natur des Heiligen Geistes in seiner vollen Entfaltung anzunehmen und so den natürlichen Übergang vom Judentum zum Christentum zu vollziehen – und das dürfe nicht behindert werden.

„Den Geist löschet nicht aus“ — Einladung zum Abendmahl

Das Lied, das wir gleich singen werden, Nummer 282 im Gesangbuch, ist ein japanisches Lied zur Erinnerung an die Reformation. Es mag seltsam erscheinen, dieses Lied außerhalb des Reformationstages zu singen. Andererseits ist es auch wahr, dass wir am Reformationstag oft dazu neigen, die von Luther komponierten Lieder zu singen, während dieses japanisch komponierte Lied oft übersehen wird.

Durch den heutigen Bibelabschnitt wird uns bewusst, dass die protestantische Kirche nicht plötzlich im 16. Jahrhundert entstanden ist. Vielmehr könnte man sagen, dass der Geist des Gebets, der seit den Zeiten der Bibel existierte, in unserer protestantischen Kirche erwacht und erblüht ist. So setzt die Kirche ihre Entwicklung fort. Unbestritten ist, dass die Reformation ein großer Wendepunkt war, und gesellschaftlich betrachtet hat auch die Covid-Pandemie in gewissem Maße unser Glaubensleben beeinflusst. Doch in unserem täglichen Leben gibt es unzählige Anlässe, unseren Glauben zu erneuern.

Es könnte hilfreich sein, sich folgende Fragen zu stellen: Kann man sagen, dass das Christentum heute floriert? Oder glaubt man, dass es im Niedergang begriffen ist? Wenn jemand meint, dass dies nicht das Zeitalter des Christentums ist, dass die Kirche einst blühte, nun aber nicht mehr, dass es in unserem Kyodan nur noch Streit und Konflikte gibt und keine Hoffnung, dann möge er sich vorstellen, wie der Heilige Geist noch immer frei wie eine Flamme um sich greift. Es stimmt, dass die Kirche mit einer alternden Bevölkerung konfrontiert ist. Doch auch die Freiheit, diese neue Herausforderung als „Gnade des Alterns“ zu betrachten, liegt in unseren Händen. So wie Paulus, der trotz sichtbarer Verwirrung und Schwierigkeiten erkannte, dass überall neue Möglichkeiten zur Evangelisation auftauchten, sollten auch wir die zahlreichen Chancen, die vor uns liegen, wahrnehmen. Vielleicht erkennen wir die Spuren des Wirkens des Heiligen Geistes, wenn wir mit dem gleichen verspielten Geist auf die Dinge blicken, mit dem neben die Statue von Loyola, der „die Welt in Brand setzen wollte“, ein Feuerlöscher gestellt wird. Der Heilige Geist lässt die Kirche, die sein dynamisches Gefäß ist, in der Tat wachsen und sich weiterentwickeln.

Vor uns liegen das Brot und der Kelch des Abendmahls. Dies wird für uns zum Fleisch und Blut Christi, wenn wir es mit einem Sinn annehmen, der die stille Ausbreitung des Heiligen Geistes wahrnimmt. In der Hoffnung auf Glauben wollen wir erneut auf diese Welt blicken und an den Tisch des Herrn treten.