回心と出発

2024/08/04 三位一体後第十主日聖餐礼拝 使徒言行録説教第68回

 「回心と出発」 22:1~16                                             牧師 上田彰

 

*ディディモスは「見えない」者なのか

盲目のディディモスという修道士が四世紀におりました。生まれつき目が見えなかったようですが、彼は記憶力があって、昼の時間帯に彼の元に来て読んでやった本を、夜の時間に思い起こすことで、他の人よりも優れた聖書解釈と神学議論を展開しました。人は、彼を「見えないディディモス」ではなく、「見えるディディモス」と呼んだほどです。

 信仰者にとって、彼が盲目であったかどうかということは、ほとんど意味を持ちませんでした。むしろ彼は、本当に見るべき真実を見ている、という意味で、彼は「見える人」と呼ばれたのです。

 生まれたときに様々な困難を抱えるということは、大なり小なり私どもも経験しているかもしれません。しかしその困難を乗り越えるやり方というものがあるのかもしれない。そこに信仰の力があるとしたら、一体どのようにして信仰の力は発揮されるのでしょうか。

※ 敵意の前で

 

 パウロが人々の前で演説を始めます。神殿の前庭に集まったユダヤ人たちは、パウロを殺そうと意気込んでいた人々です。言ってみれば、パウロの演説は、殺意を前にした演説、ということになります。

 かれはその冒頭で、あの出来事について語ります。あの出来事、それは自分自身の回心の出来事です。多くの人は使徒言行録9章にある、ダマスコ途上の出来事についてお読みになったことがあることでしょう。今日の箇所を読んで、重なることが繰り返されている、と思われた方もおられると思います。9章の記述は、パウロの主観を通さない、言ってみれば客観的な形の記述で、今回の記述は、その出来事をパウロの視点で見たときにどのように映るか、ということに重きがあります。

 

その際、大きく違うようにも思われる箇所が、今日の9節です。ダマスコ途上のサウロには、同行者がおりました。サウロと同じくキリストの弟子を名乗る者達を捕まえようと意気込んでいる者達でしょう。サウロの回心の現場について、9節にありますパウロの視点では、こうなります。同行者は、まぶしい光は目にしているが、サウロが誰と話しているか、話している相手の声は聞こえなかった、となっています。この部分は9章の記述と食い違っておりまして、9章では「声は聞こえたが、誰と話しているのかわからなかった」(9:7)となっています。9章では「彼らには聞こえた」となっていて、今日の箇所では「彼らには聞こえなかった」となっているのが大きな違いです。

 おそらくこういうことでしょう。彼らは、幻の中に現れたイエス様がサウロに語りかける声を、音としては聞いたのです。それが9章にあるように、客観的な出来事です。しかしそれは22章にあるパウロの理解だと、彼らは聞き取れなかった。聖書の中でこの「聞く」という言葉はしばしば「悟る」と訳すことがあります。つまり、22章で「聞こえなかった」というのは「理解することが出来なかった」という意味だというわけです。

 聞こえていたけれども理解出来ない同行者たちと、聞こえていて、そして理解してしまったサウロ。ご存じの通り、サウロだけが福音を伝える者として回心を遂げるのです。

 

 聞く。深く聞く。理解する。悟。私どもはこのような意味で深く聞き、そして悟りたい。いつもそう願っています。

 

*ファクトからファクトフルネスへ――子育て中の親の見解

 

 先日伊東を訪れてくれた、以前からの教会関係の友人がおります。両親とも深い関係があるため四人で食事をしていたのですが、子どもの年齢がほとんど同じということもあって、自然と私と彼との間で子育ての話になりました。三人の子どもを育てる父親として、会社勤めで忙しい中でいろいろと苦労し、また深く悩んでいることもあるようでした。



彼はインターネットで見たということか、一つの言葉を使っておりました。それは「ファクトフルネス」という言葉です。直訳しますと、「事実に満ちたこと」という風になります。要するに、人間の中にはいろいろな偏見があるけれども、そういった偏見をできるだけ排除して、事実だけによって判断し、振る舞うこと、ということでしょうか。私どもがしばしば自分の偏見に気づかないまま、むしろ偏見を基礎に据えて周りの人と関わってしまうことを考えると、子育ての方針を探し求めている人が、ファクトフルネスという考え方に惹かれるというのも、よくわかります。今お話しした、「聞く」ということの二重性、つまり「耳で聞く」ことと「心で聞く」ということと関係することはおわかりだと思います。

 今子育てを抱えている親の中で、漠然とした不安が広がっています。極端に言えば、この国で子育てを続けていて良いのだろうか、という不安です。その不安は、自分たちは再び中世の時代に逆戻りしているのではないかという不安だといっても良いかと思います。中世以前の時代において、名門の家に生まれることと庶民の家に生まれることの間には大きな違いがありました。名門の家に生まれれば将来が約束されていて、庶民の家に生まれた者ではとうていたどり着けないような出世の道が開かれている、というわけです。

 それは昔の出来事だ、とも言い切れないのではないか。そんな声を聞くことがあります。いろいろな統計というものがありまして、名門の大学に行く人の家庭は親も名門だとか、親の年収と子どもの年収に不快関係性が生まれている、そういう事が現代の世相を描くものとして、統計上の裏付けを持って語られるのです。

 その友人と私とで見解が一致したのは、そのような断片的なファクトを突きつけられても、そこから自由になって、もっと深い事実、ファクトフルネスに基づいて子育てをしたい、という思いでした。

 東京生まれの人はどうのこうの、血液型がその人の性格に与える影響は、何月生まれの人の性格は、こんなDNAを持って生まれた人はかわいそうだ、云々。そこで思考を停止して、それらのファクトを受け入れてしまっては幸福になれない、そんな断片的なファクトが暴力的に若い人に不安を与えていて、あちこちで分断を感じるようになっているのが、今の社会の一側面です。

 しかしもちろん、ファクトによって息苦しい社会を生きるのではなく、ファクトフルネスの考え方を身につけることによって、生まれやDNAを克服するということは十分出来る。こんな条件をもって生まれてしまうと幸せに生きることが出来ない、という風に悲観的にならずに、その生まれを受け入れた上で、どのように前向きに克服していくか、課題を考えるという生き方です。

 

*「鼻息荒い(9章冒頭私訳)迫害者」に届いた声

 

 公平を期すために申し上げるならば、ユダヤ教にもそのような、ファクトフルネス、つまり生まれによって人の生き方が決まってしまうことはなく、律法を守って神様との約束を信じる者は、いろいろな障害を乗り越えて幸せな生き方ができる、ということを信じる宗教です。その意味では、運命を克服するタイプの宗教であるともいえるかもしれません。

 

 そしてサウロは、自分がそのような宗教に属していることを誇りに思っていました。だからこそ、イエスとかいう男を信じたら律法を守らなくても、つまり異邦人のままでも救われる、というキリスト教の道の教えに強く反発をしていました。そしてあのダマスコ途上の道のりをも、「鼻息荒く」(9章冒頭)闊歩していたのです。生まれを乗り越えるために一番いい、いや唯一の道は神様との約束を信じ抜き、律法を守り抜くことしかあり得ないはずだ。そんな思いが、鼻息の荒さにつながっていたのでしょう。この若者に引っ張られるようにして、何人かがサウロと共にダマスコへの道のりを進んでいた。

 

 ところがそこで天からの強い光がパウロとその周りの者に照りつけるのです。地面に倒れたサウルに声が聞こえます。「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」。他の人には音としての声は聞こえたが、意味はわからなかった。推測になりますが、一つの理由は、イエス様は、サウルよと呼びかけたことにあるのではないでしょうか。サウルは呼びかけられた。だから次の言葉が自分へ向けられた言葉として響いた、という訳です。「サウロが『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました」。

 

 「マッソン宣教師は日本語が十分語れない。そのため説教も何を言っているのか私たちには全然わからないということが多かった。でもマッソンは時に涙を流して説教壇から十字架、十字架と絶叫していた。彼の涙ながらの説教、絶叫に多くの人々は引きつけられ、わからないままにイエスを信じていった。この私もその一人です」。これは先週も紹介した、伊東教会の役員の証言です。そしてある神学者は、宣教師が不十分な言葉でしか語れなくても、キリストの真実を伝え、キリストからの呼びかけを伝えることは出来る、と言いました。宣教師が語る言葉は断片的なファクト、事実に過ぎません。しかし私どもの耳にファクトフルな真実が届いたとき、それは十分な説教であるといえる。

 

 ダマスコ途上で起こっている事柄も、端的な事実、ファクトだけを取り出すなら、とてもシンプルな出来事です。鼻息荒く歩いていると光が照って、イエス様から呼びかけられる。サウロの周りにいた同行者は、の声が聞こえているのに語られている言葉の意味がわからなかった。サウロにはその声も意味も届いた。

 

*罪の赦しの洗礼へ

 

 私どもは、自分の事柄として考えた場合に、耳に聞こえている音を、心に響く主の声として聞くというのはどういうことか、思いを深めないわけにはいきません。そこで、聞く=悟るという聴覚とは別の次元として、見る=悟る、という関係についても回心の出来事は触れていますから、そこから考えてみたいと思います。

 彼は強い光によって、視力を失います。その状態で三日三晩飲まず食わずであった、といいます。その間、あの「私はあなたが迫害しているイエスである」という言葉だけを何度も何度も思い返しました。回心の出来事には時間がかかります。サウロにとっても、あの声は最初「聞こえてはくるがただの音として耳で聞いていた」だけだったかもしれません。しかし三日三晩の間その音を心の中で繰り返すことによって、悟るに至るのです。確かに私は、あのお方自身を迫害していた。迫害という言葉は、「追いかけ回す」ということです。今でいうストーカーとちょっと近いのかもしれません。熱心ですが、何か自分勝手なのです。そしてイエス様の弟子、という時の「弟子」というのも「ついていく者」である点では熱心さは同じでも、ついていくべきお方の前で自分を殺す、というのが弟子のあり方で、まとわりついていく人に対して自分が上に立とうとする、というのがストーカーとか迫害をする者のあり方です。

 彼が回心を遂げるということの本質は、迫害者から弟子へ、まとわりつくことによって自分が生きるあり方から、従い付いていくことによって自分を殺すあり方への転換です。

 そしてアナニアとの出会いにおいてはっきりしているのは、アナニアに呼びかけられることによってサウルは目が見えるようになる、ということです。そして今まで目にしていた関係性とは全く違うものが広がっている世界をサウロは、いえパウロは目にするようになるのです。かつては自分が上に立って迫害する相手であったキリスト者は、共にキリストに従う者として協力する仲間となる。ついでにいえば、彼は旧来のユダヤ教徒との関係も悪くなるはずがない、と考えていたようです。パウロとなった人の目に見えているのは、律法を重んじる信仰深い人、アナニアなのです。

 

 かつてのサウロは、律法を説き聞かせる教師ラビの一人でガマリエルの弟子であり、周りの者はもちろん、サウロ自身も、自分は律法を良く理解していると思っていた。目を開いているけれども見えていなかった。冒頭の話で申しますと、「目が見えて、理解も深いサウロ」であったのです。しかし、彼が最も福音を良く理解したのは、三日間目が見えなかったとき、そして実はそれ以前から、本当に見るべき者を見ていなかったことに気づいたとき、かれは「見えるパウロ」になり「聞くパウロ」になったということなのではないでしょうか。

そのような彼に対して、アナニアは勧めます。「洗礼を受けなさい」、と。実は9章と22章で大きく違うのは、誰が洗礼を勧めたのか、ということです。9章のアナニアは聖霊を受けなさい、と言いました。22章のアナニアは、罪の赦しの洗礼を受けなさいと勧めているのです。

 つまり、この演説をパウロに対してむき出しの殺意を向けている人々の前でする際に、重要なのは、洗礼を勧めたのはユダヤ人の共であるアナニアなのだ、とパウロが主張していることにあると考えられます。

 かつてのサウロは、DNAや生まれによる困難、聖書の言葉でいうところの「罪」というものは、律法を守り割礼を受けることによって克服される、と考えておりました。キリスト者となったパウロは、DNAや生まれという名の罪の恐ろしさによって人間が束縛されそこから抜け出しにくいということは良く知っています。しかし、キリストに結ばれることによって罪を赦していただくことができると悟ることが出来たのです。この場合の罪の赦しとは、罪ががんじがらめに私どもを縛っていたのが、その縛りが緩くなる、そんなイメージになるかと思います。少なくとも、再び目が見えるようになってアナニアから洗礼を勧められたパウロは、サウロの時よりもずっとよく目が見えるようになり、また耳が聞こえるようになった。キリストに結ばれるということはそのようなことなのではないでしょうか。

 

*真に見、真に聞こうとする教会の苦闘

 

 先日の説教で、戦後直後の、純粋アメリカ人の宣教師と、日本のことを幾ばくか知っている宣教師との間の緊張あるやりとりがあったということを紹介しました。そのときの説教のスタンスとしては、純粋アメリカ人と言えるピーチ宣教師は物わかりの悪い珍しい人で、日本に長くいたカールソン宣教師やラング宣教師は日本人牧師と歩調を合わせられるきちんとした人だというものでした。そういう風に受け止めた聞き手も多かったと思います。その後いろいろな方とこの下りについてやりとりをし、少し言葉を足した方がいいかなと思いました。

 それは、ピーチ宣教師もまた彼なりに日本の教会の行方を心配していた可能性がある、ということです。というのは、私も実際にアフリカ人の牧師から聞いたことがあるのですが、宣教師が現地に入って開拓して教会が生まれ、また教団が生まれた後に、現地の人たちに教会や教団を託して宣教師が本国に引き揚げると、数年経って教会や教団がキリスト教の色合いを失って、現地の伝統的な宗教になじんでしまうというケースがあるのだそうです。ピーチ宣教師は、そういう実例を知っていたのかもしれません。ピーチ宣教師にとって、戦時中に宮城遙拝をしていた教会が、放っておいてキリスト教のままにとどまっていられるのか、心配になるのは、客観的に考えれば十分理解出来るのです。実は、日本の教会を擁護したカールソン宣教師やラング宣教師の方が変わっていたのかもしれない、とさえ考えることが出来ます。

 そんな宣教師たちのやりとりにくさびを打ち、カールソンたちに決定的な意向を与えたのが、松本牧師の言葉です。彼はこう言ったのです。「真空状態の中で日本人が作った教会が日本基督教団である」、という言葉です。これはつまり、外国人の宣教師から見て、日本の教会は自立している教会かまだ自立出来ていない教会か、というのはまだ議論としては空回りしていて、日本人牧師はどう考えていたのか、というのが大事だということです。そして松本は、国策によって強制的に合同されたという部分のファクトを取り出せば、それは不幸なことだといわざるを得ない。しかし、日本の教会は遅かれ早かれ自分たちで信仰告白を制定し、自立した教会にならなければならない。だとしたら、それが今のタイミングであってもよいのではないか。

 実は教団の当時の指導部の牧師たちも同じことを考え、一方で戦時中に軍部に協力をしてしまったことを反省しながら、しかし解散という道を取らずに引き続き合同教会として歩むことを決断し、そして次のような言葉を教団成立の沿革の中に含めました。それは「くすしき御霊の摂理」という言葉です。この言葉は今でも論争を生んでいます。この言葉によって、戦争協力の事実を隠そうとしているのではないか、という疑いは、特に今日が平和聖日であることを考えると、きちんとお伝えした方が良いと思います。私どもの平和の背景には、あるいは合同教会としての歩みの背景には、悲しい事実がある。多くの犠牲の上で今日の社会、今日の教会があるのです。それはファクトとしては正しいのです。しかし、より深く信仰の目で見たときに、日本人の伝道は日本人の手でやるべきだということに他ならぬ日本人自身が思い至り、そしてこの決断に至っている。これはカールソンやピーチが何かを言って決まる問題ではない、ということを松本牧師は宣言していることになるのです。松本の「真空状態」、それから教団の文書に出てくる「くすしき御霊の摂理」というのはしたがって、戦時中に教団が国策に協力し、戦争に協力したということを開き直り、正当化する文脈ではなく、神様の前にへりくだるという決意を込めて使われた言葉だということがわかります。


日本基督教団は、そして私どもは、それでも本当にただキリストに対してだけ従っている教会であるといえるかどうか、怪しい部分もあると思います。分断を促すイデオロギーがあり、また逆にきちんとした詰めを行わないままで経済的な論理だけで教団を切り盛りしようとする動きもあります。来月また海外から牧師がお客様として来るので、日本の教会がどのように見えるのか、またドイツの教会では今申し上げたようなことについてどういう風に対応しているのか、根掘り葉掘り聞いてみたいと思っています。

 

 しかしはっきりしていることがあります。それは、「サウル、サウル、なぜ私を迫害しているのか」という、あのときに聞こえてきた声を三日三晩思い返していたときに、「私」とは誰であるのかということについてはっきりわかった。自分に話しかけられているということを悟ったときに、人は真にものを見ることが出来、真にものを聞くことが出来るようになる。私どももまた、目の前に備えられている聖餐の食卓に与りながら、真に見て真に聞くという経験に与りたいと願います。