2024/07/07 三位一体後第6主日
聖なる空間にたたずむ幸い
使徒言行録説教第66回 21:17-29
牧師 上田彰
*主の大庭に憩う
今日の交読詩編は、「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵み」と歌い、祈ります。「主の大庭」という言葉が思い浮かぶ方がおられるかもしれません。古い訳ではそうなっています。誰にとっても、まさにここが主の大庭、と言えるような景色が心の中にあるのではないでしょうか。その場所を思い出したときに、「ここでの一日は千日に勝る」と覚える、そんな心象風景を思い浮かべることが出来るでしょうか。没頭出来る趣味があって、一時間くらいやっているつもりが気がつくと一日経っていた。そんな経験であれば誰にでも思い当たる節があることでしょう。今日の聖書箇所に置き換えれば、趣味に没頭して過ごす一日は一ヶ月に勝る、というわけです。ただ、その場合でも千日に勝る、とは言いにくいと思います。信仰を持って過ごす一日が三年に勝るというのは、地上での経験でもって例えるのが難しいように思います。ですから詩編の歌い手は、最初から地上での体験と比較するのではなく、信仰者の生き様において天上と地上とがつながっていることを踏まえて、「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵み」と歌うのではないでしょうか。
趣味の世界であるならば、一人一人の趣味は違いますから、お互いの趣味について話しても食い違うのは当たり前です。しかし、1000日分の体験が出来る主の大庭に、一人でたたずむというのは何か不自然です。信仰者同士が顔と顔を見合わせるような仕方で主の大庭にいる。それぞれの心の中に広がる信仰の景色は、互いの交わりを通じて広がって参ります。
使徒言行録の歴史は主が天に昇られてから四半世紀の教会の歩みです。大きく分けてエルサレムに残った信仰者と、エルサレムから世界に広がっていった信仰者がいるわけですが、それぞれの伝道の担い手から見て、主の大庭に共にたたずむという形になっているかどうか。これはユダヤ人教会と異邦人教会がキリストにおいて一つであるとはどういうことか、という問いにもなることでしょう。今日の箇所から次回にかけて、エルサレム神殿での出来事が話題になります。エルサレム神殿には庭があります。主の庭というからには、エルサレム神殿の庭が信仰にとってどのような意味があるか、考えてみる価値がありそうです。
*二つのグループ、一つの信仰
ユダヤ人キリスト者の教会は現在はヤコブたちによって担われていました。主の兄弟ヤコブと言われる、弟とも従兄弟とも言われる人が代表者で、今日のパウロもヤコブに会うためにエルサレムに上ったと言われています。おそらくヤコブというのは、愛すべき頑迷固陋な人物であったと思われます。イエス様に近い血筋を持つために重んじられてはおりましたが、自分の考える「大庭」から一歩も出ることのない、今でいう宗教的保守の思想の人物です。
どこの世界にも、どの時代にも宗教的保守といわれる人々がおりまして、思い出すのは、留学中に出会った一人のルーマニア人の神学生です。正教会の国からやってきた、正教会の信仰を体現するような人物でした。神学生と交流を持っていたときのやりとりです。彼らの中にそういった雰囲気を感じていたのです。ドイツ人の神学生が主体の寮に、私を含めた外国人留学生が何人か住んでおりました。特にルーマニアから来た一人の神学生は周りから尊敬されていました。一言で言えば、彼らが体現している祈りの生活習慣は、ドイツ人から見ても筋の通ったものだったのです。例えば今日は聖人◯◯の日だから、こういう決まったお祈りがあって寮の中の正教会から来た留学生で集まってお祈りをするんだ、とか、受難節の断食の仕方などが決まっていること、あるいは一度ルーマニア教会の礼拝に見学がてら参加させてもらったことがあるのですが、聖餐式の準備が九時半からの礼拝の一部になっており、十時からのメインの礼拝の前に人が集まって礼拝と祈りを捧げていることなどは、私どもの教会における聖餐式の準備と後片付けの仕方について、改めて考える材料になると思っています。彼自身が個人として正教会の信仰を体現しているだけでなく、正教会の人々が確固とした信仰を持っているということがよくわかる、皆がそんな印象を持ちました。他方で彼らには弱点がありました。それは、自分たちの祈りの生活習慣を発展させるすべがないということです。一言で言えば頑迷固陋なのです。現代社会は日々発展しています。楽しいことはいろいろありますから、信仰生活から離れる人は大勢います。私などは現代における教会の課題は、現代社会の中でいかに信仰を持ち続けることが出来るか、ということだと思っていますが、つまり一言で言うと、伝道し続けることが大事だと思っていますが、彼らは、いかに現代社会を否定するか、ということを教会の課題とすべきだ、伝道などを人にしている暇があったら、自分の信仰のことを気にした方が良い、そう考える節があったようです。
そして次のように言うのです。プロテスタント教会は、優れた文明とと共にあるが、厳密には教会とは言えない、それは運動に過ぎないのではないか。この批判を彼らがしていたことを、実は今日の箇所から思い出していました。
つまり、パウロがやっている異邦人伝道は、素晴らしいものであるが、エルサレム教会につながってこその教会であって、まさか私たちと切り離されて自分たちだけで異邦人のための教会を作ろうとしているのではないだろうね、というのが使徒言行録十五章以来のエルサレム教会側からパウロたちへの問いでした。
エルサレム教会と、その代表者であるヤコブは、自分たちが考える教会という枠組みから一歩も出ることなく、パウロの考える教会とやらの枠組みが自分たちの枠組みの中にあるものかどうか、そこに関心を持っているのです。ある意味やっかいな、しかし対話すべき課題がここから見えて参ります。パウロたちの側でも、ヤコブたちの側でも、願いは一つです。それは、教会は一つであり、主の大庭としてイメージするものも含めて、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の間でつながりが切れていてはならない、というのが願いです。しかし、実際には、パウロの側でそのような願いは強く持っていて、時々エルサレム教会に挨拶に行ってはみるものの、あまり歓迎されていない様子も窺えます。例えば18:22におけるエルサレム訪問は詳しい様子が記されておらず、ほとんど空振りに終わったと思われます。そこで今回は、エルサレム訪問にあたって、自分が関係している異邦人教会に対して、祈りと献金を呼びかけます。今エルサレム教会は経済的に危機の中にある。彼らに恵みを届けることを通じて私たち自身もまた恵みに与ろうではないか。
パウロが献金というものを一体どのように考えているのか、そのことについてお話しすることは大変に意義深いことだと思いますが、実は今日の箇所ではパウロが何かを携えてエルサレムに行ったということについては、つまり献金を通じて異邦人教会からエルサレム教会へ向けられている祈りについては、全く触れられていません。そこでむしろ、パウロがエルサレム教会からどんな課題を示されたのか、ということについて見て参ります。
*神殿と教会
それは、一言で申しますと、パウロが身を挺して、エルサレム神殿を重んじているということを内外に対して示してほしい、特にエルサレム教会に対してはっきり示してほしい、ということでした。
ここでエルサレム神殿とエルサレム教会という二つの言葉が出て参ります。言葉の上では似たようなものですが、いろいろな意味でスケールが全く違います。エルサレム神殿とその大庭というのは、縦横250メートルくらいで、伊東小学校と伊東市役所を併せたくらいの大きさです。また世界の建築の歴史の中でもエルサレム神殿は荘厳なものであったことで有名です。それに対してエルサレム教会といっているのは、何を指すかははっきりしませんが、使徒言行録の最初の方を見ますと、120人が入ることの出来る部屋のある二階建ての建物が出発点でした。皆が共同生活を行う場所があり、やもめを養う、いわゆる福祉施設も持っていたようです。それらが一つの建物とは限らず、分散していた可能性もあります。つまり、建物でもってエルサレム教会はどこにある、ということは言いがたい、ということです。
他方で言えることは、神殿はすでに信仰的習慣が確立していて、今後何かが変わるということはまずあり得ないのに対して、教会は生まれて数十年しか経っていませんから、まだ信仰的習慣が確立したとは言えません。教会にはダイナミックな発展を遂げる可能性があったのです。歴史的な伝統を重んじる神殿と、将来的な発展を重んじる教会。この二つが密接につながることは、誰の目から見ても大事なことでした。
では実際には、どのような形で二つは連絡を取っていたでしょうか。今日の箇所からはいくつかのつながりがあることがわかります。もともと教会は礼拝堂と言える建物を持っておらず、集会所があるだけで、神殿の前庭が主な伝道の場所でした。おそらくは神殿の敷地の比較的近くで家の教会としての活動を持っておりました。集会所においてパン割きの集まりは毎朝行われていて、それは小さな礼拝になりますので、そこでイエス様との思い出を語り合う、福音書の材料となるような証しの分かち合いもされていたのでしょう。キリスト者同士の、おそらくは数十人ぐらいの共同生活の色彩がそこにはありました。そのパン割きの交わりのあと、行ける人が今度は神殿に行って礼拝を献げるという風にもなっていたようです。
すると疑問に思うのが、20節にある、幾万ものユダヤ人が信者になった、という記述です。これがエルサレム教会側の人物の誇張、大げさに言っていることは間違いないのですが、しかし完全に嘘をついているわけではないと思います。推測ですが、彼らがユダヤ人の神殿と関係を持っていた中で、その神殿に出入りする人を勝手に教会のメンバーとしてカウントして、「数万は信者がいる」ということを言っていた可能性はあると思います。
神殿の結びつきは、他にもありました。今日の所に出て参ります「誓願を立てた者」というのに注目出来ます。これは一種の信仰的な修行です。元々はナジル人の誓願と呼ばれておりました。お酒を飲まず、髪を切らない、そして神殿に捧げ物をする。それらによって特別の力を持つことが出来る、という人たちというのが民族としてのナジル人です。旧約聖書の中にある、サムソンがその人物の一人です。誓願の手続きを絶やさないことで常に特別の力を持ち続けることが出来る部族がいたのですが、その後時代が改まり、民族としてのナジル人でなくても、このナジル人が行っていた修行を全ユダヤ人が出来るよう、ルールを一部改変して開放したのです。どんなユダヤ人で会っても参加することが出来、ファリサイ派やサドカイ派の信仰者と共に、当時イエス派とかナザレ派と呼ばれていた教会からの参加もありました。ヤコブの所に行ったパウロが聞いたのは、「四人の誓願者がちょうど出たので、その式に参加する際の費用をパウロが肩代わりしてくれないか、そうすれば「ある疑惑」が晴れる」、という話です。
その「疑惑」というのが、「パウロが割礼を受けないようにエルサレムの外にいるユダヤ人たちに言って回っている」、という噂です。これも簡単な誤解が元にあります。自分たちユダヤ人が割礼を受けることを異邦人キリスト者に求めた際にパウロは口答えしたらしい。それならきっと、割礼についてパウロは否定しているに違いない、という誤解です。
パウロは本当に割礼反対派であったのでしょうか。使徒言行録を見る限りでは、パウロは自分の同行者であるティモテに対して割礼を受けることを勧めていたりしています。それから誓願ということに関しても、実はパウロも時々そのような誓願をしていたことが使徒言行録18:18からわかります。一言で言うならばパウロは柔軟な人物のようです。しかしその柔軟さは、あることにかんして筋を通すことによって柔軟である、ということでした。それは何かというと、「信仰は恵みである」という一線です。
使徒会議の議論をよく見ると、割礼を受けることによって聖霊を受けるというユダヤ人キリスト者の道筋も、洗礼を受けることによって聖霊を受けるという異邦人キリスト者の筋道も、どちらも聖霊を受けているという意味では同じだ、等しく教会のメンバーとして受け入れよう、というのが結論です。ところが頑迷固陋な、自分の考える「主の大庭」だけが「本当の大庭」だと思っている一部のユダヤ人キリスト者は、パウロが結局割礼を肯定しているのかどうかということにだけ関心がいって、「聖霊を受けたかどうか」ということが意識から抜けてしまっていたようです。
パウロはそういった人に実際に対面したら、きっと次のように説得するでしょう。「割礼を受けるかどうか、自分で決めて受けた人が主の大庭に入った人というのはいないはずです。神様が恵みによって割礼へと招いて下さることによって、大庭に入ることが出来るのです。同じように、洗礼を受けるかどうか、自分で決めて受けた人が主の大庭に入ることは出来ません。神様が恵みによって洗礼へと招いて下さることによって、大庭に入るのです」。大事なことは、聖霊によって招かれて教会の一員になるということだ、というのがパウロの眼目ですが、一旦誤解にとらわれてしまった人の耳には入りません。「神様の恵みによって信仰に入るというような建前論はいいから、結局割礼を肯定しているのか否定しているのかという本音についてのパウロの答えがほしい」という思考回路から抜けることが出来なくなってしまっていたようです。
そこでパウロは、この誤解のループから抜け出すことが出来るようにと、彼らの提案に乗ることにします。つまり、誓願を立てた者に付き添って、一緒に神殿に行く、というのです。
*真の大庭
この箇所を読みながら、そっくりの議論をしたことがあることを思い出しました。それは、キリスト者も一生に一度はエルサレム詣でをしないとならない、と力説する人とのやりとりです。信徒の友などにもたまに、聖地旅行の広告が出ていると思いますが、行った人の話では、確かに実物を見るのとただ話に聞くのの間には雲泥の違いがある、百聞は一見にしかずだと言っている人とのやりとりです。一見すると、一度は行かないと行けないという方が分がありそうでした。しかし、次のように言い出す人がいて、私は納得しました。「行くのは悪くないが、本当のエルサレムは聖書の中にすでにあるのだから、聖書のエルサレムのスケールの大きさは現地のスケールなど圧倒している、そのことを知るために現地に一度行くのは悪くないかもしれない、それ以上の意味はエルサレム旅行にはないのではないか」、そんな話です。
今日の箇所でパウロが立ち向かうのは、頑迷固陋な、本場エルサレムはここにあって、ここ以外に主の大庭がある場所など存在しない、と考える人たちです。しかしパウロは異邦人伝道を通じて、本当に主の大庭が広がっているのは実は東経31度、北緯35度にある地図上のエルサレムではなく、聖書を広げ、御言葉と祈りに触れるあらゆる場所、あえて言えば私どもが今御言葉を聞いている伊東教会のある東経139度、北緯34度に存在しているのではないでしょうか。
異邦人伝道を重ねる中で、パウロは自分が今いるエルサレムに広がる神殿の大庭よりも、もっと広い大庭が広がっていることを知っていました。それは異邦人伝道というフィールドです。そして彼は思ったことでしょう。自分は、異邦人伝道の広さを知っているから、エルサレム神殿の広さがすべてだと思っている人たちとも、一緒にやっていくことが出来る。「ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました」で始まり、「福音のためなら、わたしはどんなことでもします」で終わる、第一コリント9章のパウロの言葉を思い出します。福音を知る者は、真の自由を得て、本当の闊達さにたどり着く。
パウロよ、あなたは四人の誓願に付き合ってほしい。費用も負担してほしい。そうすればあなたの疑惑は晴れる」。ある意味で馬鹿馬鹿しい、拒絶することだって出来る提案だと思います。しかしパウロは喜んで付き合うのです。
私どもはこれから聖餐に与ります。和解の食卓と呼ばれます。どんな対立も、主イエス・キリストの前では相対化される。そのような恵みを味わうことは、千日に勝る恵みです。