2024/06/02 三位一体後第一主日(聖餐礼拝)
悲しみの海を越えて――ひざまずくことで見える真実
使徒言行録説教第64回 21:1~6
牧師 上田彰
船はエフェソのあったアジアを出ます。使徒会議をきっかけに始まった異邦人伝道旅行は、ヨーロッパのギリシャにまで及びますが、今は福音書の舞台であるガリラヤやエルサレムに近い、今でいう中東の地域にまで戻って参ります。異邦人伝道はアジアからヨーロッパにかけて行われました。今でいう中東とは、雰囲気が違います。どんな思いで彼ら伝道者たちの船は、港町ティルスにたどり着いたのでしょうか。彼らはここに一週間滞在し、そしてエルサレムへと更に向かいます。船に乗っているのは、パウロと運命を共にする伝道者たちです。そしてティルスで一週間交わりを持ったのは主の弟子たちです。彼らはパウロからすると先輩格にあたる、第一世代の信仰者です。
二つの世代をまたがる信仰者たちの交わり。船に乗る第二世代の伝道者と、船を陸で待つ第一世代の信仰者には見えない溝がありました。船に乗る者達は、エルサレムで過酷な運命が待ち受けている可能性があります。一方で、陸で出会った信仰者たちは、今は家族を持ち別の仕事をしている様子です。従って船に乗ってパウロたちと運命を共にすることは出来ない。
パウロたちの覚悟を聞いた弟子たちは、なんと言えばいいのか迷いました。迷いながらついに口にするのは、「行かないでほしい」という言葉です。聖書によれば、これは「聖霊に促されるようにして語った言葉」だというのです。聖霊によって促されて口をついて出た言葉は、「これは御心なのだから命を捨ててでもがんばって来なさい」ではなく、「行かないでほしい」であった。普通なら、これは「本音が出た」という風に取るところではないかと思います。しかし、「行かないでほしい」というのは、信仰の言葉であった、というのです。
一方にあるのは、今エルサレムに行くのは神様の御心であるという、信仰の思いであり、他方にあるのは、今エルサレムに行くのは神様の御心ではないのではないか、という、これも信仰の思いです。静かな形で、二つの信仰の思いがぶつかり合い、見えない形で火花が散っていることがわかります。
私どもの教会は、マケドニア会という組織に属しています。日本基督教団が「真にして一つの教会」となることを目指して戦後直後に作られた運動団体です。当時日本基督教団は、国策による強制的な合同の時代が終わり、教団から出るグループが出て参りました。これは主に、海外の宣教団体から支援を受け、日本基督教団にとどまるのではなく、新しい教団を別に作ってそこで伝道をしたらよいという海外宣教師の促しによって生まれた動きでした。日本聖公会やバプテスト教会のように、今は別々に伝道をしている教派は、このときに本国の宣教本部の指示に従い、日本基督教団を出たグループです。
伊東教会が戦前に属していた同盟協会からもまた、独自の教団が作られようとしていました。戦後に来た海外宣教師の主張はこうです。「日本基督教団は、自分たちの判断で合同することは出来ず国家の強制的な合同を待ち、戦時中は宮城遙拝を行って国家にへつらい、戦後になったらリベラルな神学を受け入れようとしている、要するに世俗化した団体である。だからもっと純粋な、キリストの息吹だけを感じることの出来る新しい教団を作るべきだ」、というものです。
ところがその主張が高じてしまい、「新教団に移らない者は不信仰だ」というような攻撃が始まってしまった。そして不幸なあの出来事が起こったのです。それは新教団に移ることを勧めていた宣教師が、一人の若い同盟協会のホープであった相沢良一という牧師の読んでいる神学書がリベラルすぎる、といって攻撃を始めたのです。ちなみに読んでいた本はピーター・フォーサイスといって、決して単なるリベラルな神学者ではありません。リベラルというレッテル貼りでは収まらないようなスケールを持った神学者といえます。一方でリベラルを自称し、他方でリベラルを批判出来る、そのような力量を持ったイギリス人神学者がおり、そしてそのような力量を持ちたいと願う日本人牧師がいた。
しかし戦後にアメリカから来た宣教師は、フォーサイスを理解せず、フォーサイスの志を受け継ぎたいと願う牧師のことも理解しなかった。そして英語でこの若い日本人牧師・相沢に論争を挑むのです。彼はアメリカ留学直前でしたので英語が出来なかったわけではないのですが、「もしかしたら不完全に自分の思いが相手に伝わったかもしれない」、と後日述べています。両者の溝は深まります。そもそも戦後に来た宣教師がどれだけ日本の状況をわかった上で新教団の設立を勧めているのか怪しいと考え、相沢牧師の師匠筋にあたる松本廣牧師は、自分の教会の信徒であった菅野栄などと共にアメリカの同盟教団本部に手紙を書いたようです。
(少し私の方で、戦時中の伊東教会について擁護をするならば、宮城遙拝をしていたから真実の礼拝がされていなかったというのは、あまりに単純すぎます。4年前に私どもの教会が礼拝を続けるかどうかで迷っていたときに、戦時中の様子を礼拝出席者から伺う機会がありました。伊東教会は戦時中も一度も礼拝を欠かすことなく、それでもどういう事態が起こるかわからないので、ござを窓の所に垂らして礼拝をしていた、と聞きました。それで意を決して、私どもは外の掲示板に、「私たちの教会は、市民の心の健康を願って礼拝を続行します」と掲げたのです。もし戦時中の様子を聞かなかったなら、あるいは戦時中に世間の圧力に負けて礼拝をやめるときがあったなら、2020年は一体どういう風に過ごすことになったのだろう、そういうことは今でも思います。)
話を戻します。純粋な教会の設立を目指す戦後来た宣教師と、戦時中の教会もまた真実の教会であったと信じる日本の伝道者との間に出来た溝は一向に埋まらず、ついに次のような事態が起こってしまいます。
(引用)1948年5月11日・12日に横浜菊名教会でもたれた会合で、日本人牧師と戦後来た宣教師との協議会が催された。このときばかりは立場の是非を巡り、口角泡(こうかくあわ)を飛ばす大議論がなされた。松田政一は両者の仲を取り持とうと一生懸命であった。松本は、教団はミッションが戦時中に去った、「真空状況の中で出来た」のであって、日本人の意志で作ったものであると述べ、戦前から日本にいた宣教師であるラングは同盟と教団を割るべきではないという見解を述べた。すると戦後に来た宣教師はラング宣教師に向かって、「おまえはどっちのサイドでものをいっているのか」と詰め寄った。ラングは、「アライアンスの精神はどっちのサイドに着くということではなく、協力出来るのだ」という立場を貫いた。周りの者達の、分裂をさせまいとする懸命な取りなしもむなしく、伊東教会の松本廣は外国ミッションの配下にあることを望まず教団残留、相沢のいた元村、波浮・新島・熱海もこれに賛同し、木下のいた千葉(今の西千葉教会)や菊名も教団にとどまることになった。(引用ここまで、『日本同盟基督教会略史』、434ページ)
こうして教団に残った教会と牧師が集まって、現在のマケドニア会が出来るのです。マケドニア会には、「日本基督教団を愛する」という不文律があります。大文字のDNAが埋め込まれているといってもよい。「真にして一つの教会」というのは、実現が恐ろしく難しいのも事実です。真の教会を目指すのなら、あるいは一つの教会を目指すのなら、なんとか出来ます。しかしその両方を兼ね備えた、真にして一つなる教会を目指す日本基督教団の、あるいはマケドニア会の、あるいは福音主義教会連合の歩みは、なお不完全です。私どもはなお途上にある、といわなければなりません。
平等にいって、日本基督教団を出た同盟基督教団が立派な伝道をしていることは確かだと思います。彼らなりの仕方で真の教会を目指していると評価することは出来るでしょう。そして日本基督教団が、一致を優先するあまりもたもたしているのも事実です。しかし、一致した教会だけを目指すのでも、真実な教会だけを目指すのでもなく、真にして一つなる教会を目指すというのがマケドニア会の、ひいては伊東教会の立場であることは、はっきりしています。そしてマケドニア会が、日本基督教団の伝道に大きなインパクトを与えたのも事実です。心の友、信徒の友、そして黒潮といった印刷物による伝道は私どもの最も得意とする領域です。
残る側、出ていく側、両方に真実があるのです。しかし私どもは、残ったことの意味と意義を軽んじることなく、そこに主の導きがあったことを信じる者でありたいと思います。
さてこのようにして、甲乙つけがたいようにも見える二つの分かれ道を経験し、そのうちの一つを自覚的に進んでいる私どもからして、しばしば教会の一致が乱れることがあるという、使徒言行録にしばしば出てくる指摘は、率直に言って心が痛むものといえます。聖霊が一致をもたらしたあのペンテコステの出来事。出来ればその思い出にずっと浸っていたい。あのときに聖霊の給う一致、ギリシャ語で恐縮ですが、ホモスマドンという事態を経験した。ところが教会は伝道を進めるにつれ一致がますます深まるというようなことを使徒言行録は記さないのです。異邦人伝道を始めることが決まるエルサレムの使徒会議(15章)が、先ほどのホモスマドンという言葉が肯定的に使われる最後ではないかと思います。先の19章では、同じホモスマドンという言葉が、パウロたちの一行を襲う暴徒の振る舞いを記す際に用いられるのです。一つとなって伝道するのは美しく、一つとなって暴動を起こすのは美しくありません。しかしその両方が一つとなる、ホモスマドンという言葉によって言い現されている。使徒言行録の中で、聖霊の働きとは一体何だろうか、聖霊が働けば働くほど私どもは仲良くなって伝道のために一つとなって心が燃えるはずなのに、なぜ仲が悪くなり、暴動まで起こってしまうのか、という問題意識ははっきりあると思います。
それに対する答えの一つが、小さな形ですが今日与えられていると思います。ティルスにいた弟子たちは、ただ「行かないでほしい」と言い出すのではなく、聖霊に動かされてそのように言った、というのです。
聖霊に動かされる。これは何か浮き足立ってことを始めるという意味ではどうやらないようです。確かに主が十字架にかかった後、意気消沈して元の生活を始めていた弟子たちが、エマオの途上で主イエスに出会い、道々話している中で心が燃える体験をする。これは明らかに聖霊の働きです。しかし同時に、今日の箇所のように、殉教の覚悟を語ってくれたパウロたち伝道者に対して、弟子たちが「行かないでほしい」と発言させるような聖霊の働きもあるというのです。聖霊の働きというのは、あるときには熱い思いを与えますが、あるときには冷静な思いを与えるもののようです。ちょうど、真の教会を目指して熱い思いを持ち、一つの教会を目指して冷静な思いを持つというのと同じかもしれません。
もしこのような聖霊の働きがなかったとしたら、一体どうなってしまうことでしょうか。私ども一人一人の人生に聖霊が働かず、この教会に聖霊が働いていないとしたら、一体どうなってしまうのでしょうか。それは、あるときには過激に熱くなり、あるときには極端に冷めてしまう、言ってみれば浮き沈みの激しい教会、浮き沈みの激しい人生を送ることになってしまうのではないでしょうか。
毀誉褒貶という言葉があります。おとしめられたと思ったら、褒められる。褒められたと思ったらおとしめられる。人間の評判というものは、かくも裏表が一体になっていることか。そしてそのような他人からの評判によって、自分自身が浮き沈みにあったような気がしてしまう。よい評価も、悪い評価も、本当は不確かなものであり、そして不確かなものによって人間はしばしば振り回されてしまう。
異邦人伝道はいつも毀誉褒貶の連続です。
浮き沈みの激しい生活とも言えるかもしれません。そんな中でパウロは、浮き沈みが激しくない、どんなときにも前へと進む小さな小舟に手をかけています。この小舟に共に乗る者達と、船の針路はどんな風になるものなのか、祈りを持って見極めているというのが先日と今日の箇所です。
今日の箇所、それから先日の箇所と、続けて出てくるのが、パウロが「ひざまずいて祈った」という所です。推測ですが、ここでひざまずいているのはおそらくパウロだけではないでしょう。離別を悲しむ場面で、皆がひざまずいているのです。おそらくパウロは先日の箇所では、長く説教をしていたので、その時には椅子に腰掛けて話していた。聞く者も腰を落ち着けていた。しかし祈るときには皆がひざまずくのです。実はパウロがまだバルナバと伝道をしていたときにリストラという町に行き、そこでギリシャの神々と同じように崇められ、生け贄が捧げられてしまうという場面があります。その時に使徒たちは、服を裂いて抗議をしました。あり得ないことが起こっているといって怒りを示したのです。ここでもまた、傍目から見ると椅子に座るパウロを人々が拝むようにして取り囲んでいるようにも見える。しかしパウロは話をしている間は、確かに輪の中心にいますが、終わった途端に本来輪の中心にいるべきお方のために席を譲ります。それが、先日の箇所と今日の箇所で、たて続けに「ひざまずいて祈った」とあることに関わっています。つまり、教会の中心にいるのはパウロという教会指導者ではなくて、キリストという教会の頭なのではないか。
何度か、ドイツのクリスマス前の飾り付けについての写真についてお話ししました。御子の誕生の様子を人形劇のように表現する飾りを例えばエントランスに置きます。大人の背の高さから見ると、豪華なホテルの明かりが目につきます。子どもの背の高さになると、そのような豪華さの陰に隠れるようにして生まれた馬小屋の様子が目に入ります。子連れで入った親子が、子どもの視線になって説明を始めたときに、大人もまたクリスマスの本当の意味について、子どもとともに気づくことが出来ます。
ひざまずくということには、子どもの身長に合わせるということ以上の、深い信仰的な意味があるのではないでしょうか。パウロも、また周りの人たちも、ひざまずくことによって新しい風景が見えてくるのです。そのことを先日と今日の箇所では「聖霊によって」「霊に導かれて」と書いています。お帰りになってからご自分で聖書を開いてみて確認をしてほしいのですが、ニュアンスとしては、これが最後の出会いであるということがわかるというのも、また教会での務めへと導かれたということも、聖霊によって教えられることだ、というのです。言い方を変えれば、聖霊が教えてくださるというような仕方でなければ、気づかない事実がある、ということです。
聖霊が時に私どもを熱くさせ、時に私どもを冷静にさせるのはなぜでしょうか。それは熱くなったらクーラーを入れて寒くなったら暖房を入れるというような、空気調整と同じように、感情調整の働きを聖霊が担う、というような話ではありません。常に私どもは、誤解して突っ走ってしまう可能性があるのを、あるいは誤解から躓いて動けなくなっているのを、聖霊によってより深い真実を教えられることによって、力強い歩みへと変えられていく、ということです。
パウロから見て、このように自分が信じている殉教の道が、信仰者としてはむしろ先輩格にあたる弟子たちによって「行かないでほしい」と言われることは、どういう風に映るのでしょうか。もしパウロが、自分の考えることだけが正しいと考えるタイプの信仰者であるのなら、弟子たちは信仰を失ったといって非難するかもしれません。しかしパウロはそうしないで、彼らと共にひざまずいて祈った、というのです。弟子たちのいうことにも真実があるのです。自分が進むべきと確信している道にも真実があるのです。それらが静かにぶつかり合ったときに、聖霊は彼らが共にひざまずいて祈ることを命じるのです。小さくなることによって、より深い真実を見ることが出来る。 (画像はAI描画)
来週は花の日・こどもの日です。19世紀にアメリカ教会で、子どもたちに献身を勧めるのが6月第二週の日曜日でした。今でも、幼児洗礼をするのはこの日と決めている教会もあるようです。従って6月第二は最初、「子どもの献身の日」であったのです。そして野に生えている花を献身の印として集め、いろいろなところに配る習慣が出来ました。そのようにして花の日・こどもの日となるのです。子どもたちが幼い者の視点で私どもの社会を見たときに、私どもの振る舞いは一体どのように見えるのでしょうか。私どももまた、ひざまずいて祈り続ける者でありたいと願います。 †