2024/05/19 聖霊降臨祭主日聖餐礼拝 使徒言行録説教第63回
「別れの時に教えられること」 20:18~38 牧師 上田彰
*涙の意味について
聖書が人間の本質を突いていると思わせるのは、「涙の意味」を教えてくれるときではないか、そう思うことがあります。今日の登場人物は、語る者も聞く者も涙の内にあります。悲しいから泣いているのでしょうか。何かを失ってしまうから涙を流すのでしょうか。
そうではないと思います。私どもは思い出すのです、主イエスがこうおっしゃってくださったことを。「悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる」。2000年前に主イエスがそう語ったとき、涙の意味というものは大きく変わったのではないでしょうか。失ったから泣くのではありません。慰めてくださる方を得ていたことに気づくからこそ、涙を流すのです。
(画像はロマ書8:28「御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」)
*慰めを伝える者の卑しさ、誇り
ドイツ時代に、何人かの神学生と席を囲んでいて、日本のある映画作品を巡って、忘れられないやりとりをしました。「おくりびと」という映画をご存じでしょうか。今から15年ほど前に制作され、海外でも高い評価を得た作品です。主人公が自分の故郷に戻って仕事を探していたとき、「旅のお手伝い」をする仕事がある、というので、旅行代理店なのかと思い面接を受けて入社してしまう。ところがその会社は遺体を棺に納める、納棺の仕事であった。遺体というのは何らかの感染症の発生源になることもあり、衛生的にも慎重に対応する必要があるが、それ以上に世間の納棺師というものに対する偏見は大きく、自分としてはやりがいを感じる部分はあるものの、後ろ指を指されることも多い。彼自身妻から理解が得られず実家に帰ってしまわれたり、幼なじみからもそんな仕事は辞めろと諭されてしまう。しかしその幼なじみの母親が亡くなり、その納棺を依頼され、立派にこなす。その姿を見て妻の理解が得られ、また幼なじみとも和解することができる。…そんな話なのですが、この映画はドイツでもかなり早い時期に公開されたらしく、私が日本から来た牧師がいると知った一人の神学生が、日本における葬儀の様子に関心を持った、といって話題を持ちかけてきました。
「日本ではみんなあんな風に葬儀の際に悲しむの?ウェットな感じがする。」
「ドイツの葬儀に参列したこともあるけど、確かにドライな感じはするね。」
「宗教的に言えば、私たちは復活を信じているから、それで明るく振る舞おうとするのかもしれない。」
「実は私は、日本のウェットな葬儀はいいんじゃないかなと思っているんだ。俗に、私たちは葬儀を二回する、と言われている。それは仏教において通夜を行うから、同じように丁寧にするために前夜式を行っていることとも関係がある。それから、実はアジアでは、葬儀の際に悲しむということは文化にもなっていて、中国には泣き女という職業があるらしい。」
「『泣く』というのは『泣きわめく』という言葉と『涙を流す』で違うドイツ語だけど、どっち?」
「日本のは涙を流す方。中国のは泣きわめく方だと聞いたことがあるね。私は、葬儀の時に涙を流すことは意味があると思うんだ。だって、涙を流すっていうのは、慰められるってことだからね。慰めてくださるお方がいることを、葬儀を通じて知ることが出来るのは、意味があるんじゃないかな。」
ここまでのやりとりを聞いていた別の神学生が話に入ってきます。彼はドイツですでに牧師としての経験も持ち、その後大学に博士論文を書くために戻ってきた人でした。ちょっと素直でなく、いつも批判的に絡んでくる方であったのを覚えています。
「日本の教会の特長みたいに言っているけど、そういう風に葬儀の中で慰められるということは、日本だけでなく、ドイツでもあるね。」
「確かに葬儀の時に慰め主を覚えるということについては、日本でもドイツでも同じだよね。でも、思うんだ。その葬儀の担い手については違いがあるんじゃないかって。その映画作品の中では、納棺師が卑しい、人に嫌われる仕事だとされていて、妻にも自分の本当の仕事が言えない。そして妻は夫の仕事が冠婚葬祭の仕事だというから結婚式場で会場設営でもしているのかと思ったら死体処理のような仕事でショックを受けてしまう、という場面がある。この作品は、日本で汚れたものとされている死に関わる仕事をしている人が、最後はその誇りを周りに理解してもらう、というストーリーなんだ。これは実は牧師の生き方にも似ている。例えば、病院の霊安室に向かう際、病院の玄関をくぐるときには黒いネクタイを外すということになっている。病院というのは生きている人のための施設なのに、そこに宗教者という、死を扱う仕事をする人が入ることはタブーとされているんだ。だから、牧師というのは日本では卑しい仕事とされている。しかし死を扱うということは誰にでも出来ることではないとわかっているから、そこに誇りを持っている。」ここで私も一言余計なことをいってしまったかもしれないのですが、こう付け加えました。「これはドイツの牧師には経験出来ないんじゃないかなあ」。
例の批判的な牧師学生は、明らかにムッときた様子で、こう応答しました。「ドイツでも、牧師というのは卑しさを理解した、謙虚な仕事だぞ」。
私はにやっと笑って応じ、話はそこで終わりました。
内心、ちょっと愉快でした。普段その牧師を含め、ドイツ人は皆、教会が町の中心にあり、そこで働く牧師が高級公務員として人のうらやむ、尊敬を集めている仕事とされているということを誇りにしていました。(参考画像はケルン大聖堂)社会の中心は教会であり、牧師だ。それに比べて日本というような、自分たちに比べて精神的にも貧しい国で彼は牧師をしている。そんなアジア人の言うことなど、適当にあしらっておけばいい。大体そういう扱いを普段は受けることが多いのですが、その日はいつもと様相が違っていました。なにしろ、日本の牧師とドイツの牧師、どちらがより卑しい仕事とされているか、「つまり」どちらが宗教的に見て本当に誇れる仕事をしているのか、という設定を、ドイツ人の牧師の側からしてきたのです。
このやりとりは、周りで聞いていた神学生や、その場にいた教授にもかなりのインパクトを与えたということを、後で聞きました。
*聖霊降臨の意味について
あれから2000年経っても、なお「悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる」、あの主の言葉は、私どもを変え続けています。
現在も、分区内のある牧師で、普段はリラックスした格好で集会や会議に出てくる方が、少し前から黒い服を着て会議に出ています。葬儀のための緊急呼び出しがかかる可能性があり、スタンバイをずっと続けなければならない。そんな状態が一週間以上続いているというのです。あまり詳しくは言えないのですが、遺族から積極的に頼まれて葬儀を行う場合はまだいいのですが、遺族との交渉を同時並行でする必要があり、ご遺体を最初に引き受けるのは教会の代表である自分だ、という立場を先方に対して明確にするため、黒い服を着て会議に臨んでいる。服装ばかりでなく、面持ちも緊張し、お酒も断っています。その牧師の、また葬儀のために、事情を知っている仲間の牧師は祈り続けています。それが日本において、キリストと教会に仕える「しもべ」たちの姿です。
今日私どもは、聖霊降臨祭を祝っています。聖霊が下る、それは私どもの思考回路が変えられ、今まで古くさいと思われていたものを新鮮に受け止め、今まで脇に追いやられていたものが大きな役割を果たしていることに気づく、いわば隅の頭石の重要性に気づかされ、そして生き方を変えていくという日です。主が復活し昇天なさってからも、この日まで弟子たちは、部屋の中に、内側に、閉じこもっていたのです。しかしこの日、彼らは扉を開けて外に出て行きます。教会の誕生日は同時に、私ども自身の信仰的な誕生日です。
*パウロの涙、周りの者の涙
今日は山上の説教の講解説教ではありませんし映画の話をする日でもありませんので、使徒言行録の話をします。パウロと、そしてエフェソ教会の長老たちを前にして最後に教えを伝える場面です。二つのことに気づかされます。
1.
彼らは涙を流しています。主イエスの弟子たちとの別れの場面を思い起こします。ヨハネ福音書は丁寧に最後の別れの場面を記します。弟子たちの足を洗う場面から始まり、長い祈りを捧げて終わります。説教の最後の言葉はこうなっています。「今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない」。一言で言うならば、悲しみは喜びに変えられる、というのです。
そこで、今日の箇所についても、信仰の仲間を失うことの悲しさ故に泣いているのではなく、これから殉教の危機を顧みずにエルサレムに行き、そしてキリストを皇帝の前で宣べ伝えるという大きな伝道のわざに用いられる、だからこの涙はむしろうれし泣きに近い、そんな解釈もあるようです。
しかし、ウェットな涙にも軍配を揚げる日本の教会に仕える者として、ウェットな涙と読む方が素直なのではないかとも思うのです。つまり、彼らは実際に悲しくて泣いている。しかし、そんな涙を拭ってくださるお方を思い起こすことが出来る幸いを知っている。
互いに足を洗い合いなさいと主イエスに命じられた弟子の末裔である彼らは、流した涙をも互いに拭い合い、そして慰め主なる主イエス・キリストを思い起こす幸いの内にいるのではないか、そう思わされます。失う悲しみよりも、涙を拭い合う仲間、涙を拭ってくださる主イエスキリストが与えられていることを知る。流す涙の中に、静かな喜びがあり、次の場面へと進む勇気があるのだと思わされます。
2.
一方で、そのような涙を拭い合う現場が、長老たちが所属するエフェソ教会ではなく、そこから数十キロメートル離れたミレトスであったということに注目することが出来ます。パウロたちは船に乗っているのですから、エフェソの長老に会うには、エフェソの港に船を着ける方が話は早いのです。
時間がなかったからだと聖書は一応理由を説明します。しかしその言葉の真意をよくくみ取る必要があります。いろいろな事情を慮ることが出来ます。エフェソの町では、教会の外を取り巻くパウロへの敵意がありました。もう一つ忘れてはならない事情があります。パウロがエフェソ教会に行くことを躊躇した理由は、教会の中の状況も関係しているのです。長老ではない教会のメンバーの中には、「もうこれで会えない」という言葉をパウロから聞いたときに、悲しみすぎてしまう者がいた。一旦挨拶のために教会に足を踏み入れたら、力尽くで教会に引き留める人が出てくるかもしれない。パウロ先生、あなたが決断してエルサレムに行かなければ死なないで済むのなら、ぜひ決断してください。私たちが守ります。ずっとこの教会にいてくださってもいい。エフェソ教会に足を踏み入れるなら、そんな反応が返ってくることを覚悟しなければならない。エフェソに足を踏み入れると時間がかかりすぎてしまうという理由が、なんとなくわかってきます。そこでパウロは、長老たちをミレトスまで呼び寄せます。最後の教えを託すときに、「弱い者への配慮」ということを含めたのは、「泣きすがりそうな者達への配慮」ということを言っているのではないでしょうか。
*共に涙する長老の使命
パウロの別れの説教は、実は次のような三段構成になっています。
まず第一に、18から21節、ここまでが「過去」の出来事です。そして22節から31節までが「現在」、その後の32節からが「将来」の出来事です。それぞれ、パウロがしてきたこと、していること、そして長老たちに託したいこと、が出て参ります。このうちで、パウロが涙に言及するのは第一段落と第二段落だけです。第三段落では、涙を流す段階は終わっていて、長老たちのこれからの課題はこうだ、といって語る中で、「弱い者への配慮」について含めています。「弱い者」。「金銭的に貧しい者」という意味合いもありますが、ここでは違います。「誰かの力を借りなければ生きられない者」という意味合いです。そして誰かが誤った教えを唱えると、躓き、うずくまってしまう者、それがここでいう「弱い者」ということです。パウロは教会で躓きやすい者、涙を流し始めるとどうやっても止まらなくなってしまう者がいることについて言及しているのです。
教会には、泣くことをやめられないであろう者がいた。「弱い者」と一言でいうと上から目線だという風に取られるかもしれません。おそらく、パウロが自分の判断で決めつけて「そういう人たち」をひとくくりにしている訳ではなく、長老は皆了解している事項だったようです。ここ三年ほど、教会の中で、伝言ゲームのようにして誤解が拡散して、教会が混乱の中にあった。伝言ゲームで大幅な伝言書き換えをしてしまう人がいて、その人たちの背景についても長老は理解をしている。だから今回、「もう会えない」というパウロの言葉を彼らが直接聞くと、それは地上ではもうパウロには会えないという意味なのに、今後永遠にパウロには会えないという風に誤解してしまうだろう。この悲しみは一時的なものだという意味で使った言葉が、永遠に悲しみ続けなければならない、という風に誤解されてしまう。パウロは直接自分がエフェソまで出向いてしまうと、教会のメンバーの「弱さ」を却って引き出してしまうかもしれないと自重していて、長老もこのパウロの判断に近いことを思って、ミレトスまで出向いているのです。
どんな心境でパウロと長老たちは、エフェソではなくミレトスで会うべきだという決断に至ったのでしょうか。彼らは、教会のメンバー一人一人のために祈ったと思います。パウロ自身、自分のこれからの使命を何度も主に問うたことでしょう。直接私から「もう会えない」と聞いたら、あのメンバーは誤解するだろうなあ。しかし別のあのメンバーは大丈夫なんじゃないか。むしろ、誤解したメンバーのところに行って、私の言葉の真意をきちんと伝え直してくれる役割を果たしてくれるに違いない。エフェソ教会の長老たちにだけ別れの挨拶をして、彼らに必要なことを伝えたら、彼らがエフェソ教会のメンバー全員の悲しみに寄り添ってくれて、共に悲しみ、共に次の希望に向けて立ち上がってくれる。
パウロがこのように信頼を置く長老たちとは、一体どういう人たちだったのでしょうか。彼らだって、パウロのことを誤解することはあったと思います。パウロから気持ちが離れることもあったに違いありません。今日の所から、だんだん変わっていくパウロと長老たちの様子を追いかけることが出来ます。
17節から箇所の内、第一段落、かつてのパウロの涙を見てみますと、これは「自分が取るに足らない人物であるということに涙を流す」となっています。パウロは、自分の能力によって伝道者が出来ると思っているわけではありません。能力がない者がそれでも伝道者の務めを託されている。しかし世間的にいえば、能力がないのにその職に就いている者は職を退くべきだということになります。そういう風にかつては思う長老がいて、パウロもまた自分が任に堪えうる者でないことを自覚していたから、涙を流さざるを得なかった。第二段落は現在の状況です。ここでもパウロは涙を流しています。「わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい」。三年前から起こっている事件について、そこにいる者はみな十分理解しているようで、私ども後代の読者の立場では、なんらかの形で教会のメンバーの離脱につながる事件が始まった、ということしかわかりません。パウロ自身が平常心を失ってしまうほどのことがあったことはわかります。
ここで重要なのは、過去について語る第一段落では一人で涙を流していたパウロが、この第二段落、現在のことについて語る際には、あなた方長老たちの前で私は涙を流した、と語っていることです。伝道者として流す涙は一人で流すものでしょうか。キリストだけが涙の意味をご存じであったというのは過去の出来事で、第二段落に達した現在は、なお涙を流し続ける必要はあるけれども、しかしその涙の意味を長老と共有することが出来るようになった。おそらく問題は解決していないのです。解決していれば、おそらくパウロはエフェソ教会にまで出向いて挨拶することが出来るはずです。涙の意味を理解し共有するためには、教会全体では広すぎる。しかし長老たちであれば涙を流す意味を深く共有することが出来る。エフェソ教会の問題は解決していないけれども、その問題を担う者がここにはいる。
そんなパウロが、第三段落では、つまり将来の課題としては、何を語るのでしょうか。彼は長老たちに勧めるのです。「弱い者を助けるように」、と。あなた方はやがて、弱い者を助けるようになるだろう。そこでまた主の言葉を思い出すのです。「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22)。
涙をもって教えを託された長老たちは、どういう面持ちでエフェソへと帰るのでしょうか。心の中で黒い服を身にまといながら、パウロの教えを何度もかみしめる。パウロ先生、あの言葉はどういう意味でおっしゃったのですか。まだ私たちにはわからないことが多い。もっと一緒にいてほしい。しかしそれは適わない。自分たち自身で考えなければならない。しかし、はっきりしていることがある。それは、私たち長老はパウロと共に涙を拭い合った。そして、エフェソに戻ってはじめにすることは、教会のメンバーにパウロの志を伝え、共に涙を拭い合うということだ、と。
*電車広告のコピーより
「アザラシの親子の時間は約1週間。あっという間にやってくる親離れの時、大切なことが別れによって伝えられる。母の姿を求めることをやめるとき、子どもは厳しい自然を生きることを覚え始める。」
以前に電車に乗っていたときにふと目に入った広告の中の一節です。アザラシの親子が別れるときに、涙を流すのかどうか、残念ながら知りません。しかし、私どもは子どものアザラシになったとして、目の前に広がる厳しい自然を前にして、それでもずっと前向きにいられるでしょうか。私どもは、生きる現実に向き合うにあたって、主イエス・キリストが共にいてくださり、そして涙を拭ってくださる。慰めを知るからこそ流すことの出来る涙があります。涙を拭い合う信仰の仲間がいるからこそ前に進めるのです。
私どもの前に備えられた聖餐の食卓、ここにおいて真の慰めを味わいたいと願います。 †
(アザラシ親子の絵はAI描画です。)