私たちこそ神の家――まことに誇りうるもの

「あなたがたには、キリスを信じることだけでなく、リストのために苦しむことも、恵みとして与えられています。」(フィリピ1:29

復活節第四主日礼拝説教(教会総会)    

「私たちこそ神の家――まことに誇りうるもの」

ヘブライ3:16                 説教者 牧師 上田彰

 

*様々な光景と思い出

 

 一年前の出来事。それは私どもにとって、思い出の彼方の、遙か昔のことでしょうか。それとも親しみを持って思い起こす、つい最近のことでしょうか。

 

 一年前、正確に申しますと13ヶ月前、教会総会の日の午前中の礼拝に、先ほどお読みした聖書箇所が読まれ、一人の牧会者が祈り、そして二人の説教者が立てられました。一人は信徒役員、もう一人は女性教職です。もう遙か昔のことのようにも思えるし、つい最近のことのようにも思えます。

 お二人の説教を聞きながら、いくつかの景色を思い起こしました。かつて、旧会堂から現会堂への建て替えが行われる時のことです。10年以上に及ぶ議論が総会で続けられていました。礼拝堂に足を踏み入れるとギシギシ音がする、ところどころ虫が食った穴が空いている懐かしい礼拝堂。建て替えたくないという気持ちもわかります。他方、屋根や壁に穴が空くまでは使えるはずだ、という意見に無理を感じる教会員がいたのも確かでした。ある信徒が立ち上がって意見を述べます。私は建て替え工事のために祈りたいと思います。確かにその時、迷い続けていた教会は、前進のための手がかりを得たのでした。

 それから40年が経ちました。信徒役員が説教前説教、証しでもあるような小さな説教を語っているのを伺いながら、ここ数年教会役員会でなされていた議論を思い起こしていました。ある方がこうおっしゃいます。「自分の家ならやる修繕は、教会でも同じようにやろうじゃないか。教会を、自分の家のように愛するべきだ」。そんなことを語る役員が一方におられ、他方で別の役員はこうおっしゃいます。「教会は神様に捧げられたものなのだから、自分の家以上に愛するべきじゃないか」。誰もが、教会を愛することに関しては異論がない中で、どのように教会を愛するか、その立ち位置が神様によって問われるような思いを持ちました。そんな議論は、私どもにとって、遙か昔のことでしょうか。それとも今まさにされるべき議論なのでしょうか。

 

*エジプトでの思い出と現代の思い

 

 出エジプト。今から3300年前のことです。それは遙か昔のことでしょうか。それともつい最近のことでしょうか。彼らの振る舞いを見ていると、それが現代のことなのではないか、と思わず錯覚してしまう思いを持ちます。いえ、本当に現代のことなのかもしれません。例えばこうです。

 当時エジプトにいたイスラエル人は、皆が同じ立ち位置というわけではありませんでした。一方には現地のエジプト人と結婚してそれなりの家を築いて生活をしている人がおり、他方で、変な家に仕えてしまい、半ば奴隷のように使われている人がいる。しかも、エジプト王のファラオは、自分のことを現人神と言っていて、言ってみればファラオの家というものがある。その国家的事業として、ピラミッドの建設のために動員がかかっています。最近になって、働く内容が厳しくなってきました。なんでも話によると、イスラエル人でありながらエジプト王家の子どもたちと同じ教育を受けたモーセという人物が、このエジプトからカナンへ移住する計画をファラオに申し出たのですが、それが王の気にくわないものであったので、モーセとファラオと対立している、というのです。罰としてイスラエル人については、給料と休暇は増えないけれども仕事だけ多くなったのです。モーセのせいで、人々の生活に影響が出てきた…。何かそんな3300年前の話を聞くと、遙か昔のことではなく、何か現代の状況を論じている気がして参ります。

 さてこの3300年前という名の現代の話、こう続きます。このモーセが10の災いをエジプトにもたらすことによって、今まで絶対的な権力を誇っていたファラオ王の周りから、蜘蛛の子が散るようにどんどん人が離れていきます。通常ですと、人間としてのファラオに躓いた部下がいても、他の部下が現れて、躓いた部下と神様とをつなぐ、祭司のような役割を果たすものです。ところがこのときのファラオは現人神と奉られていました。現人神が神ではないとわかったとき、もはやエジプトには神そのものがいなくなってしまったのです。教会でいいますと、誰か人間に躓いた人が現れたときに、躓きっぱなしで終わるのではなく、別の誰かがその人をキリストにつなげる、万人祭司と言われる仕組みがあります。牧師はキリストではありませんし、キリストと信徒をつなぐ唯一の担い手でもありません。教会役員もいるからです。これが整っておらず、神でないものを神と奉っていたことが、エジプトの悲劇でした。単なる政治的な仕組みだけで成り立っていて、宗教的枠組みを生かしていないことが、エジプトの弱みだったのです。政治的な権力に陰りが生じると、一気に崩れます。

興味深いのは、対するイスラエル人共同体も、政治的な弱さ・もろさを最初は抱えていた共同体だった、ということです。一方には、現地エジプト人家族と仲が良い人がおり、彼らは心情的にはエジプトにとどまっていたい。他方で、エジプト人から虐げられているイスラエル人がおり、彼らは出エジプトを強力に支持している。政治的なまとまりのなさというものは、エジプト人の側だけでなく、イスラエル人社会の間でも密かに問題であったのです。

 

*信仰者を結びつけるもの

 

 ここでモーセの出番なのですが、彼は政治家になろうとはしません。神様の言葉を取り次ぐのです。出エジプト、それは「カナンに行って支配者エジプト人のいない、政治的にも経済的にも自由な生活をする」ためのものではありません。「礼拝の自由をカナンに行って獲得する」ことを目指すのです。信仰だけが、イスラエルの民を導くのです。人々は、やがて気づき始めました。経済的な、あるいは政治的な理屈で、とどまるべき、いや出るべき、という風に分かれることはあり得るでしょう。しかし、事柄は礼拝のこと、信仰のことなのです。みんなで一緒に礼拝をすべきだ、そのことに気づいた順に、人々は思い思いの意見を述べるのをやめ、議論から手を引き、祈りの手に組み替えたのです。

 

 どんな時代においても、信仰的な言葉によってはっとさせられることがあります。一昨日、教団の牧師たちのオンライン会議において、能登の震災を覚え現地の教会の様子を伺って祈る機会がありました。最も大きな被害を受けた輪島教会は、礼拝堂で礼拝が出来る状態ではなかったため、3ヶ月の間避難所で礼拝を行ってきました。しかし避難所ですから、讃美歌を歌うことは出来ないし、祈ることも十分には出来ない。教会員も離散して、教会員が全員市外に出ていた時期もあります。しかし牧師と地域の諸教会が、教会の再建を望みます。そして4月になって、とにかく礼拝堂のあったところで礼拝を捧げようということになったのだそうです。集まった人数は8名。がれきがまだ積まれているところで、それでも礼拝が捧げられた。讃美歌が歌われ、祈られ、聖書の解き明かしが語られた。…報告者の静かな興奮が画面越しに伝わってきました。

 エジプトの地で、イスラエル人は信じることを禁止されたわけではありませんでした。自分の家の中で個人的な礼拝をすることは許されていたのです。しかしそれは本当の礼拝ではない。例えば日本基督教団信仰告白は、「公の礼拝を守る」と告白いたします。礼拝が公であることを守り続けることは、現代においても簡単なことではないのです。そしてあの時代においてモーセは、あのイスラエル人にも、このイスラエル人にも、「民族全体で礼拝を捧げられる場所へ行こう」と呼びかけ、民族の一致を図ったのです。経済的利害、強制労働からの自由、エジプトを出たくない人、出たい人。個人的な理屈はいろいろあります。しかし、礼拝を民全体で捧げるという信仰は、個人の様々な小さな理屈を乗り越え始めます。モーセが、「私に従え」ではなく、「神に従おう」と説いていることを見抜いた民は、ゆっくりと成熟を始めるのです。

*旅路を妨げるもの

 

 そのような、呼びかけと、そして呼びかけに対する応答によって始まった出エジプト。皆さんご存じの、海が割れてイスラエル人がエジプトの軍勢から逃げおおせて、あとは目的地にたどり着くだけ。エジプトのゴシェンを出発してカナンまで、直線距離でいえば400km、およそ40日の旅路で済む計算です。多少の迂回が仮にあったにせよ、40年というのはかかりすぎです。なぜ彼らは荒野を40年間さまよったのか。それは、彼らが礼拝の民としてカナンに足を踏み入れるにはふさわしくなかったからなのではないか、と思います。

一体それはどういうことだったのかというと、出エジプトの民の決断が、しばしば鈍ったのです。あるときには、こんな不平が飛び出しました。「私たちは、エジプトで奴隷であったとき、肉をたらふく食うことが出来たではないか」。俗に「肉鍋論争」といいます。奴隷としてたらふく食べられるなら、腹を空かせた自由人よりもいいのではないか。

興味深いのは、こういった不平は、いつも隠れた陰口として現れるのです。モーセに対して自分の意見として面と向かって不平を言うのではないのです。そうではなく、「なんか、民衆の間で不平が出ているらしいですよ」と、モーセに伝える人がいるのです。匿名の告発が出ている、というわけです。少し昔、アノニマス運動という名のハッカー集団が現れました。不正を働き人々を苦しめる企業や国家が攻撃の対象となり、コンピューターネットワークへの侵入が相次ぎました。(ここではその攻撃に正義があるかどうかということはとりあえず措いておきます。)象徴的な、表情のわからないマスクを掲げることが流行りました。

 同じようにモーセのところに、「不平が上がっていますよ。その人たちの名前は私の口からは言えませんが、確実にいます」、と言いに来る人が現れる。じつはその伝言をする人自身に、本当の迷いがある。信仰者としてエジプトから脱出したい、という大きな理屈はわかるところもある。しかし他方で、奴隷のままで肉鍋にありつきたい、という小さな理屈も捨てきれない。一人の信仰者として、自分の名前を掲げて、勇気を持って自分の言葉としてモーセに伝え、顔を上げて相談出来れば良いのですが、なかなかそうできない。だから名前を伏せ、仮面をつける。「エジプトに戻って以前の生活にありつきたいという声がある」。借り物の意見、という体裁でだけモーセに進言するのです。「肉鍋に与るためにエジプトに戻って奴隷にとどまろう」、そんな意見を正面からモーセに語るのなら、まだ筋道が通っているかもしれません。しかしその意見を匿名でささやき合う(口語訳聖書では「つぶやく」、出エジプト記16:2など)のです。

カナンへの旅はこうしてずいぶんと回り道になりました。民衆がカナンにふさわしくなかったから、というだけではありません。今日は触れませんが、モーセもまた罪を犯しました。彼ら第一世代は皆、カナンの地に足を踏み入れることが許されませんでした。かろうじてモーセたちに許されたのは、カナンの地を見渡すことの出来るネボ山に登り、頂上からカナンを望み見ることだけであったというのです(申命記34章)。

40年経ったら彼らが礼拝にふさわしい民になったというのではなく、彼らはふさわしさとはどんなものか自覚をしないままで40年旅をし続けたのです。

出エジプトの旅路とは、ふさわしくない者達が恵みによってふさわしくされる、おおいなる回り道の旅路でした。

 

*「名前」の回復

 

 実は昨年の今頃、今となっては昔のことにも思える教会総会の日の説教で、説教者は「名前を奪われた社会を生きる」というテーマで今日の箇所を語り出しました。今思い直すと、現代社会も大いなる回り道を余儀なくされている、ということなのかもしれません。説教者は、宮崎駿という、有名なアニメ映画の監督が、『千と千尋の神隠し』という、妖怪によって名前を奪われてこき使われる女の子を主人公とした映画にヒントを得ました。監督が、この映画のメッセージについてインタビューで説明しています。それによると、現代社会は「名前を奪われた社会」だ、その社会を問題にしたかった、と言っているそうです。

そして説教者は、このインタビュー記事に触発される形で説教を語り出します。名前を奪われる、というのは、単に「千尋」が「千」という間違った名前で呼ばれるようになった、というだけではなく、現代人は、自分の幸福を求めるために結果的に自分の幸福を進んで放棄し捨て去ってしまっている…。そういう問題意識をインタビュー記事から読み取ることができるのだそうです。

 

 自分が持つべき幸せを、進んで放棄することが日常的に起こっている、という一人の映画監督の思いは、すぐにいくつかの現代的な現象と結びつきます。例えば、インターネットで、ある言葉を検索すると、その言葉と結びつきがありそうなコマーシャルがたくさんブラウザに現れます。この人は今こんなことに興味を持っているようだ。それなら業者から預かっている、この広告を流そう。インターネットとは、検索をしている人に利益をもたらしているようでありながら、実は検索をしている人の趣味や生活習慣、家庭環境を収集することによって、インターネット業者が遙かに大きな利益を稼ぐ仕組みになっています。自分だけのものであるはずのこんな趣味やあんな悩み、それらの集大成とも言える「私の名前」そのもの、それらを譲り渡すことによってこちらは少しばかりの利便を受ける。そして企業は、大いにもうける。小さな利便のために、大きな幸せを見失う仕組みが、そこには潜んでいます。

相手が企業であれば、利益目的ですからまだわかります。しかし相手が国家であるなら、どうでしょうか。個人情報を得られないか、と国が躍起になるのは先進国で共通の現象です。税金を取るために銀行口座のありかを知るぐらいならまだいい方で、一人一人の健康状態を知ろう、というのが本丸のようです。医療の発達している現代、医療保険代が膨れ上がって国家経済が傾く可能性は、ゼロではありません。新たな薬が開発されるたびに、難しい判断が迫られます。これを認可し、医療保険の対象にすることで、どれだけの人が健康を回復するか。そして国の経済的負担はどのくらいか。そのことを判断する貴重な材料が、個人の健康情報です。自分の利便のために渡している情報が、結果として自分の幸福のためには使ってもらえない事態が、密かに進んでいるのです。国家が今までにない権力を持ち、国民の名前を奪おうとしている社会の行方は、果たしてどうなるのでしょうか。

13ヶ月前の説教、どういう風に続くのか興味のある方もおられると思います。簡単に申しておきますと、私どもの名前は、国家によってつけられたりはしません。厳密に言えば、親もまた名付け人ではありません。実は主イエス・キリストが洗礼を授けて下さる時に名前が呼び直され、本当に私どもの名前としてくださる、そのことによって私どもは、本当の意味で幸せに生きることが出来るようになる…。そのような説教です。この一年の歩みは、かの説教によって始まったのでした。遙か昔であり、そして最近のものである説教に、改めて思いを向けます。

 

*「家」、「国家」、そして…

 

 実は昨年、この箇所を教会の年度聖句にするに当たっては、こんな舞台裏がありました。年度末の役員会における話し合いの中で、次年度の聖句決めは大事なことの一つです。各役員から、思い思いの聖句を事前に出していただきます。席上で皆さんに選んでいただくに当たって、この聖句を選ぶ場合はここまでの歩みをこう捉えて、これからをこうなるよう目指すことになる…、そんなことを確認しながら一つ一つの聖句を見て行き、決めるのが普通です。ところが13ヶ月前の役員会において、さあいざ決めようという段階になって、もう一つ別の案が出ました。それがこの聖句で、結果的にこの聖句に決まりました。従って、議場でどういう風な意味合いをこの聖句から読み取れるか、他の聖句についての議論に比べ少し弱かったように思います。私どもがこの聖句によって一年歩んだ意味と意義について、改めて振り返る必要があるように思います。

 

 ヘブライ書3章冒頭は、モーセを取り上げながら、聖書は「家」とは何であるか、私どもに問うています。

エジプトにいたときのイスラエル人は、すでにエジプトに根ざし、ひとかどの「家」を築いていたイスラエル人と、厳しく奴隷として扱うエジプト人の「家」に関わらざるを得なかったイスラエル人がいました。「家」を巡って出エジプトへの意識の違いが生まれていました。そしてもう一つ、それらのエジプト人の家を束ねる、ファラオの「家」というものがありました。今日でも「国家」という形で人々に大きな「家」が影響を及ぼしているのは申し上げたとおりです。

 「家」というものに振り回されることは、まだまだ現代社会においても起こります。そして悲劇も生まれます。ある人は親子げんか、ある人は兄弟喧嘩、そして夫婦げんかや嫁ぎ先の慣習に巻き込まれ、ましてや国家という名の「家」までが自分を苦しめているとしたら、「家」というものは一体何なのだろう、そんな思いを全く持たない人がいるとしたら、現代でも珍しいと思います。そしてゆがんだ「家」理解が背景になって、ゆがんだ攻撃を他人に仕掛ける政治的な動きは、日本でも海外でも問題になっています。名前を奪われ幸福を失った人が、今度は積極的にアノニマスの仮面をかぶり、ネット上で愛国主義的な政治運動で他人を攻撃し、あるいは又聞きの情報を広めて学校でいじめが広がる。肉鍋論争というのは「痩せたソクラテスか太った豚か」という問いとして有名ですが、もう一つの側面は、論争の仕掛け方にあるのです。小さな幸せのために自分の主体的な言葉と信仰を失う。匿名で仮面をかぶって迷い続け、つぶやき続け、そして真に残念ながら、周りの人をも振り回し、道を見失ってしまう。そんな現代を取り巻く集団的人間の闇が、すでに肉鍋論争を通じて窺(うかが)えるのではないか、という問いです。3300年前の他人事ではありません。ゆがんだ「家」理解は、今日にまで影響を及ぼしているのです。

 

*そして「神の家」

 

 ヘブライ書は、モーセとキリストを比較することを時々しています。今日の箇所にもモーセが出てくるわけですが、「神の家」という言葉が出てくるのに対して、「モーセの家」は出てきません。「モーセに仕える家」というものは存在しないのです。モーセもまた召使いとなって、「あの方」に仕える。そんな「家」だけがある、というのが今日の箇所の前提です。「神の家」と訳されている言葉を訳し直すと、「あのお方の家」となります。「キリストが支配する神の家」と言っても良いでしょう。父なる神に絶対的な信頼を置き、真の大祭司と呼ぶに値する御子キリストが、この家の主(あるじ)です。家主は誰でなのか。あのエジプト人なのか。かのエジプト王なのか。モーセなのか。はてまた肉鍋に憧れる自分自身なのか。私どもが、人間的支配に甘んじることなく、「キリストの支配」を受け入れる、その時に私どもは「神の家」にいるのではないでしょうか。そして、この「神の家」において、私どもは本当の人間に、本当の信仰者に、立ち戻れるのではないでしょうか。

 

 2023年度を通じて私どもが教会年度聖句から問われ続けた問いというものは、「神の家はどこにあるか」、というものでした。「キリストは、どのようにして私どもを支配してくださるか」、というものでした。誰一人この問いから逃れることは出来ませんでした。そしてその答えに私どもはついにたどり着いたぞ、と豪語することは出来ません。40年の旅は、まだ大いなる回り道の途上です。しかしこうは言えるのではないか。カナンの地に足を踏み入れることが許されなかったあのモーセも、ネボ山の山頂からカナンを一望することは許された。私どもがこの一年かけ、足を踏み入れることは出来なかったにしても一望することが許された景色というものがあるのではないか。重荷と苦労を感じた一年であったかもしれません。しかし、目の前に広がる景色は、この一年に与った教会の前進を示しています。それは、「神の家」、神様だけが私どもを支配してくださる、という確信と希望に満ちた誇りです。私どもが最初に願っていた形での神の家は、――残念ながら――与えられませんでした。きれいに仕上げられた建物を神の家と呼びたい。きれいに仕上げられた礼拝こそが神の家にふさわしい。多くのお金や人が集まるのがきっと神の家に違いない。そんな、小さな幸福を願う思いが、良い意味で裏切られる形で、私どもは2023年度を終えることになりました。私どもが至る「神の家」のしるしは、目に見える誇りと結びついていないことを改めて教えられる一年でした。しかし、「確信と希望に満ちた誇り」は確かに残りました。回り道をする私どもを、それでも導いてくださるキリストのご支配に気づいたときに、真の誇りは与えられます。

 

 回り道をしたって、よいではありませんか。3300年前にわずかな前進を遂げ、キリストが現れたときに決定的な前進を遂げた私どもが、2023年にもまた一歩前に進んだ。感謝して総会に臨みたいと願います。      †