エマオのキリスト

20240421伊東教会礼拝説教

「エマオのキリスト」(ルカ241335)

上田光正


 わたしどもが、キリストを信ずる信仰を与えられたということは、主の大きな恵みであると申すより他にありません。そもそも信仰というものは、思想や論理を突き詰めて行っても分かるものではありません。十字架までは、何とか分かるかもしれませんが、主イエスの御復活は、いったいこのようなことがこの世にあるのだろうか、と幾ら考えても、絶対に分かるものではありません。これはただ、復活の主御自身と出会った弟子たちが大勢いて、それまではしょんぼりと意気阻喪していた彼らが急に勇気づけられ、もう一度エルサレムに集まってきて教会をつくり、全世界に出て主の御復活を証ししたという、言ってみれば、《生き証人》の証しを通して、自分も信仰に導かれることによって、初めて分かるものです。そのようにして、初め120人ばかりの小さな集団でしたが、現在では世界で何十億という主を信ずる人々が生まれてきたのです。

 では、復活の主を信ずるとは、どのようなことなのでしょうか。先ほどご一緒にお読みした聖書の御言葉は、主がお亡くなりになって三日目にお甦りになり、天に上げられるまでの40日間の間、色々な場所で、色々な機会に、弟子たちにお会いくださった出来事の一つです。

 本日の聖書の中心聖句は23節の二重括弧の中に書かれている聖句です。「イエスは生きておられる」、という御言葉です。この「イエスは生きておられる」ということが、本日の御言葉の中心です。そしてこれは、全世界をひっくり返し、わたしどもの人生をひっくり返すような御言葉です。主は、2千年前に死人の中から復活し、わたしども人間の眼には見えませんが、今も、そしてこれからも、わたしどもと一緒に生きておられるのです。そしてわたしどもに、生きる希望を与えてくださるのです。

この話は、ちょうど主の御復活日の午後の出来事です。二人の弟子たちが居ました。彼らはマグダラのマリアたちの復活の知らせを信ずることが出来ず、エルサレムからエマオという村に向かって旅をしているところです。彼らは、それでも3日間は、まだ何か起こるかも知れない、起って欲しい、と思ってエルサレムに留まっていました。しかし何も起こりません。悲しんでばかりいても仕方がないと思い、とうとう、その日の午後、都を出ました。故郷のエマオに向かって、帰り始めたのです。「都落ち」、と言ってもよいかもしれません。二人とも、心の中は悲しさでいっぱいです。いや、この二人だけでなく、お弟子たちは皆、悲しさで一杯でした。なぜなら、あんなにも尊敬し、慕い、頼りにしていた先生は、もうこの世にはおられません。それも、わずか3日前の出来事です。主は十字架に掛けられて、惨めな最期を遂げられたからです。二人は故郷へ帰って、ぼちぼち百姓でもしようかと考えていたのかもしれません。

道々、二人は論じ合っていました。「なぜ、エルサレムの指導者たちは、メシアであるあのお方を殺してしまったのだろう。あのお方こそは、イスラエルの国を救ってくださるお方だったのに、あんなむごい殺され方をしてしまわれたとは!」「それに、神さまはなぜ、わたしたちの救い主をお助けにならなかったのだろう・・・」。疑問は次から次へとつのるばかりです。

ところが、ここに不思議なことが書いてあります。この旅する二人に、スーッと寄り添うようにして、お甦りの主御自身がご自分から近づき、一緒になって歩き始められた、と言うのです。

「話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいてき    

て、一緒に歩き始められた」(15節)と書いてあります。

「しかし、二人の目はさえぎられていて、それがイエスだ 

とは分からなかった」(16節)、とあります。

二人には、まさか、甦りのイエスだとは分かりません。この二人は、ガリラヤやエルサレムで主イエスのなさった沢山の力ある御業を見て来ておりながら、主が十字架におかかりになって三日後に甦るという、主御自身のお言葉(マルコ831等)だけは、信じていなかったのです。死人が甦るなどということは絶対にあり得ない、という固定観念に囚われていたからです。これが、「目が遮られていた」という御言葉の意味です。

* *

しばらくすると、主はごく自然な形で彼らの会話の中にお入りになりました。そしてこうお尋ねになったのです。「あなたがたは一体、何をそんなに一生懸命論じ合っているのですか」。その次の聖書の言葉が、大変印象的です。「二人は暗い顔をして立ち止まった」、と書いてあります。二人は恐らく、足を止め、そして――わたしの想像ですが――、ななめ後ろを振り返り、下から見上げるような形で、この見知らぬ旅人を見上げたのです。そしてその拍子に、よくありますように、ふと、自分たちの「素顔」を見せてしまったのです。相手が知らない人だったからかもしれません。それは、「暗い顔だった」、と書いてあります。わたしはこの言葉に注意を引かれます。考えて見てください。彼らは若い日に、キリストと出会い、イスラエルを救うのはこの人に違いないと思って、ずっとついてきました。青年らしい理想に燃えていたのです。ところが、そのイエスが、最後には十字架に掛けられ、実に惨めな死に方を為さいました。御遺体は墓に入れられ、最後に重い墓石でふたが閉められたのです。

わたしにはこの時、この二人の弟子が見せた悲しみの顔の中に、人間の「悲しみ」というものがよく表れているような気が致します。それは、愛する者や愛しい者を死によって奪われた者の顔と似ているかもしれません。あるいは、何年も「ひきこもり」で社会に出る勇気を持てない若者の顔であったのかもしれません。そして、とても面白いのは、そのようなわれわれ人間一人ひとりと、復活の主が、一緒に旅をしていることです。人生という旅路を共にし、すぐ近くを一緒に歩いていてくださる、ということなのです。

お甦りの主は、どんな時でも、わたしどもと一緒にいてくださるお方です。わたしどもと共に、人生の歩みを共にし、慰めと励ましを与えてくださいます。ただ、わたしども罪人の目には、それが見えないだけなのです。

特に、自分は何でもできると思っている若い内は、主イエスが全く見えません。ですからわたしどもは、時には何十年も主を知らないまま過ぎてしまいます。それでも、主は共におられるのです。どんな孤独な人とも、また、苦しみや悩みの中にある人とも、特に、主を求める人には、主はすぐ近くに居て下さいます。そして、人生の様々な出来事を通して、語り掛けてくださいます。きのうも今日も変わりなく、静かに語りかけてくださいます。「わたしはあなたと共にいる」、と。主は死の間際まで語りかけて下さいます。わたしどもの人生は短いようでいて、存外様々な出来事や事件で満ちています。それらの出来事や事件は皆、主の「言葉」や「語りかけ」であるとも言えます。入学式や就職、結婚や出産、喜びや悲しみ。そして、人の親となって、初めて神が人を愛することがどのような事かがだんだんに分かって参ります。親は子のために命をも捨てることも分かって参ります。更に自分の病気、事業の失敗、愛する者との離別や死、そして、自分自身の死があります。これらすべてを通して、復活の主はいつも、わたしどもに語りかけ、「わたしは生きている」「わたしがあなたと共に居る」と語りかけてくださるのです。

ですから、この時、主イエスが彼らにご自分から近づき、一緒に歩かれたということは、わたしどもの人生の縮図のようなものかもしれません。ただ、彼ら二人にはそれがわからなかったのです。だから、「暗い顔だった」と書いてあります。

この言葉でもう一つ思い出しますのは、作家の椎名麟三のことです。彼は「顔」という題のエッセーのような文章の中で、こんなことを書いています。キリスト教に入信する前、自分は時々、鏡でじっと自分の顔を覗き込む癖があった。見るとそれは、いつもとても暗い顔であった。まるで骸骨のようで、真ん中に落ち込んだ2つの眼があり、その目はいつも死んでいる。まさに「生ける屍」のようだな、と彼はいつも思っていたそうです。そして彼は、それが人間みんなの素顔なのだ、と言っています。つまり、この自分の顔こそは、キリストの復活を知らない人の顔だ、と言うのです。ですから、彼の小説のテーマは、いつも復活です。人間の心の中のありのままの姿は、もし復活が信じられない時には、自分のように暗いのだ、と彼は言っているのです。

* *

さて、二人のうち、一人はクレオパという名前の青年だったようです。聖書に名前が書いてあるということは、初代教会で名前が知られていた人だったに違いありません。そのクレオパが話し出しました。「あなたは、このエルサレムに滞在していながら、都中が大騒ぎになったあの事件のことを、何も知らないのですか」。「それはどんなことか」、と主イエス。「ナザレのイエスのことです。このお方は行いにも言葉にも力ある預言者で、人々は皆、このお方こそメシアであるに違いないと期待していたのです。しかし、つい3日前に、大祭司たちの陰謀で処刑されてしまったのです。自分たちは、このお方について来たのに、もう、すべて終わりです。これから国に帰って、百姓でもしようかと思っているのです」、とクレオパは一気にしゃべりました。

それからクレオパは、一息ついてから、じっと虚空を見つめ、何かを考えるようにしながら、こうつけ加えたのです。

「しかし、一つだけ分からないことがあるのです。もう、このことがあってから、今日で三日目です。ところが、今朝早く、仲間の女たちが数人、先生のお墓へ行くと、御遺体が見つからなかったのです。そして、御使いが現れ、『イエスはここには居られない。甦られたのだ。』、と言った、と言うのです。実際、他の仲間たちが確かめに行くと、やはりお墓は空でした」。

クレオパたちにとって、この「イエスは甦られた」という言葉が、一切の謎のうち、最も不可解な言葉でした。

すると主は口を開かれます。「ああ、物わかりが悪く、心の鈍い者たちよ」。そして、静かに語り始められました。

「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、  

ご自分について書かれていることを説明された」

と書いてあります(27節参照)。

恐らく、エマオに着くまでに、三時間近くはあったに違いありません。その間、主は語り続けました。

二人はお話を聞いているうちに、暗かった顔が少しずつに明るくなってきたのです。ちょうど、顔から血の気を引いていた人が、人工呼吸で血液が再び全身に通い始めると、顔の色がほのかに赤くなる時のようです。

大変興味深いことは、彼らが復活の主に出会って心の目が開かれた後で、最初に語った言葉が、あとの方の32節に書かれています。彼らはこう言ったのです。

 「二人は、『道で話しておられた時、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った」

これはまだ、エマオの村に到着して、自分たちの心の目で復活の主を直接見る以前の話しです。聖書のお話を聞いているうちに、だんだん、主イエスが十字架にかかったのは実は、初めからの神さまの御計画であった。主イエスの死は敗北ではないのだ。人類の救いのために、主はああいう死に方をなさる必要があったのだ。それだから、神は主を死人の中から復活させてくださったのだ。そして、メシアはこういう苦しみを経て、栄光に入るはずであった。それは全部旧約聖書に預言されていた通りなのだ、と知らされたのです。その時既に、彼らの心には不思議な喜びの感情が沸き上がり始めていたのです。

つまり、道々語り合っていたその時から既に、彼らの心は次第に、「本当に、イエス様は甦られたのかもしれない」と思い始めていました。それと同時に、心が熱く燃え始めていたのです。

聖書の中心は、人生訓や、どうしたら心の平安が得られるかではありません。キリストが中心です。そのキリストの十字架と復活が分かると、人生に希望が見えるようになり、心が明るくなります。信仰に入っても、他の人と同じように苦労も悲しみもあるかもしれませんが、基本的には、それらをすべて主に委ね、幸福も不幸も主から頂くようになりますから、心が明るくなり、毎日が感謝だと思えるようになるのです。

今月号の『福音主義教会連合』の記事に、『窓際のトットちゃん』で有名な黒柳徹子さんのことが書いてあります。彼女は幼少期から今日まで、実に伸び伸びと明るい人柄で、それでいて正義感が強く、テレビを通して日本人の心を明るく和やかにさせてくれます。彼女の祖母はいつも聖書を開く人だったそうです。彼女も幼い頃から両親に連れられて教会に通っていました。わたしも神学生時代、一度洗足教会で彼女とお目にかかったことがあります。残念ながら洗礼は(多分)受けずに芸能界に入りました。それはちょうど、日本が戦争で負けて、皆がその暗さから何とか立ち上がろうと懸命にもがいていた頃で、恐らく、ご自分の使命は日本人の心を明るくさせることだと思われたのでありましょう、あのお人柄は、心の奥深い所でキリストの復活を信じているからではないか、とわたしには思えてなりません。人はキリストの復活を信じることによって、新しい人生を得ることが出来るからです。

* * *

さて、28節以下は新しい展開です。

3時間はあっという間に過ぎました。三人はいつの間にかエマオに到着していたのです。主イエスは、さらに先へ進んでゆかれる御様子でした。多分、主は他の弟子たちにも会いたかったのでありましょう。しかし、二人はまだ十分納得が行ったわけではありません。あと少しで心の目が完全に開け、すべてが腑に落ちるかも知れない、もっと先を聴きたい。もしここで別れたら、一生このような機会はないかも知れない。そう思った彼らは、「主よ、早や日も傾き、夕暮れとなって来ました。どうか、狭くてむさ苦しいところですが、今晩一晩、どうぞわたしどものところにお泊まりくださいませ」と、《無理に》、お引き留めした、と書いてあります。29節に「無理に」と書いてあります。これが良かったのです。それに、聖書の世界では、旅人に宿を貸しておもてなしをすることは、美徳とされています。そのようにして神の祝福を受けた人はたくさんおります。アブラハムが三人の客をもてなした話(創世記183)や、ベタニヤのマルタとマリアが主をお泊めした話(ルカ1038以下)、また、徴税人ザアカイが主をお泊めした話(同191以下)など、沢山ございます。

エマオの弟子たちの場合もそうです。「無理にお引止めした」。そして事実、その夜、彼らは復活の主と出会うことが出来たのです。

* *

さて、その夜、エマオの村の食卓で起こった出来事は、いつまでもわたしども人類の心に深く残るような出来事でした。

まず、30節以下をご一緒にお読みしましょう。

「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、讃美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」

とあります。

みすぼらしい農家の納屋の片隅です。多分、薄暗いランプが一つ、片隅に点いていた程度でありましょう。そこに、粗末な夕食の準備が整えられました。3人が席に着くと、いつの間にか立場が逆転していました。主イエスの方が、食卓の主人となっています。主イエスが主で、二人の弟子たちはあくまでも弟子たちという関係です。

すると主は、まず、食卓からパンをお取りになりました。コッペパンのような粗末なパンです。そして、先ず天を仰いで父なる神の御名を讃美致します。それから、パンを千切って、それを一人一人にお渡しになりました・・・。ポカンとして見ていた弟子たちの前で、まさしく、最後の晩餐の時と、そっくり同じ手つき、同じ仕草、同じご様子だったのです。ですからこれは、世界で最初の聖餐式だった、とも言われます。主はそれを通して、「わたしは生きている」、と語っておられます。弟子たちの心はまっすぐ主を見つめています。

そして、弟子たちの目が開け、今、自分たちの目の前に座っておられるお方が主であることが、ようやく分かりました・・・。

レンブラントという画家が、この決定的な瞬間を何枚も絵に描いています。その中の一つは、こういう絵です。パリの博物館にある絵です。驚いた二人の弟子たちの内、一人は1メートル以上も高く飛び上がり、もう一人は自分の椅子を倒して後ずさりしています。暗い部屋の片隅にある食卓が傾き、食器類が音を立てて床に滑り落ちます。ガチャンと床に落ちる音までが聞こえるようです。その中で、ただひとり主イエスの横顔だけが、シルエットで浮かび上がっている、という絵です。御承知のように、レンブラントという画家は、「光の画家」と呼ばれて、光と影のコントラストが見事です。復活の主の、御栄光に輝いたお顔だけに、光が集中しているのです。

主は今、世界で最初の聖餐式を通して、彼らの信仰の目を開かれたのでした・・・。それは、主イエスの方から彼らに近づいて、彼らの信仰の目を開かれたからです。二人の心の目が開かれると、主の御姿が見えなくなった、と31節に書いてあります。つまり彼らは、信仰の目が開かれるまでは、どんなに肉眼でイエスを見ていても、それがイエスであるとは分からなかったのです。それが、信仰が与えられると、心の目で見えるようになりました。

しかも彼らは決して、夢や幻を見たのではありません。彼らは信仰の目を開かれ、それとともにその暗い顔は明るくなり、生まれて初めて、「信仰の喜び」というものを持つことができたのです。

二人の弟子は、辺りはもうすっかり暗くなっていたにもかかわらず、大急ぎで今来た夜道を、走るようにして、一目さんにエルサレムを目指して行きました。

エルサレムに帰ってみると、そこには既に大勢の仲間たちが例の二階座敷に集まっていました。全員が興奮していて、「わたしは主にお会いした」「主は生きておられ、シモン・ペトロにお会いくださった」と語り合っていました。そして、皆で一緒になって、これから教会を建てよう。そして、全世界に出て行って、この福音を全世界に宣べ伝えよう、と語り合っていました。これが、この日の出来事です。


主イエス・キリストは、十字架にお掛かるになる前の夜――ですから、この出来事よりも4日前の夜ですが――、弟子たちにこう仰いました。「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる」(ヨハネ141819)、と。「わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる」。そのように、御復活の主は、きのうも今日も、そしてとこしえまでも、わたしどもと共に生きておられます。わたしどもの人生の悩みを主もご一緒に悩まれ、喜びを主も共に喜ばれる中で、わたしどもを御国の平安とさいわいにまで、導いておられます。

わたしどもは、主が生きておられるので、わたしどもも共に生きるのです。感謝です。