泥だらけの美しい足

2024/2/4 受難節前第三主日聖餐礼拝 

罪赦された者として生きる――「泥だらけの美しい足」 

2024/2/4 受難節前第三主日聖餐礼拝 

罪赦された者として生きる――「泥だらけの美しい足」 

使徒言行録説教第59回 18:22~28(イザヤ52:7)

説教者 牧師 上田彰

*アポロ、なお一つを欠く「説教者」

 

 かつてパウロは、今日の箇所に出てくるアポロについて、次のように評しています。「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」(第一コリント3:6)

 コリント教会の発展に大きく貢献したのは誰か、という論争があったようです。一方には教会創立者であるパウロ、他方には教会成長に大きく貢献したアポロ。甲乙つけがたい功績がある、ということなのでしょうか。コリントには当時、アポロ派グループが生まれていました。もう片方にはパウロ派。教会の中で分派争いが生じかけていた。アポロを尊敬どころか崇拝しているグループがある。それに対するパウロの応答をどう読み解けばいいのでしょうか。アポロ派の頭目とされているアポロに対して、パウロ派の首領扱いであるパウロがエールを送る――実はこんな単純な構図ではない、という事をあとで申し上げます。いずれにせよ、すごくややこしい構図がコリント教会にはあったようです。まずはその大元である、アポロという伝道者の誕生の様子を見て参りたいと思います。伝道者としての誕生。今日の箇所は、一人の伝道者が誕生するにあたり、欠かすことの出来なかった一つの出会いについて、語っています。

今日登場するのは、パウロの同行者です。プリスキラとアキラ、夫婦です。何人かの仲間がパウロの伝道の旅にはいつも付き添います。常に一緒というわけではなく、あるときにはエルサレムに戻る人や、あるときには先を行く人がいます。今回はパウロが先にエーゲ海を渡り、ヨーロッパに向かいます。プリスキラとアキラはアジア側に残ります。エフェソ教会の面倒を見る後発部隊が必要でした。

 まだ彼らがいるうちに、アポロがやってきた。アポロの説教を聞くのは初めてだったようです。喜んで説教を聞き始めた二人。やがて一つの感想を持ちました。一言で言うと、うまい言い回しをたくさん使ってはいるが、これは説教と言えるだろうか、というものです。

 アポロが間違ったことを語っているわけではないのです。しかし、これを本人は説教だと思って語っているのだろうか。いってみれば、「聖書読みの聖書知らず」という状態になっている。まだ何をか欠く説教、なお一つを欠く説教、をアポロは語っている。

 具体的には、どんな説教だったのでしょうか。手がかりになるのは彼の肩書きです。彼は「雄弁家」でした。雄弁家というのは、弁論について極めている人で、当時そういう肩書きは普通にあったようです。名刺に刷り込む肩書きとして、例えば「ジャーナリスト」と銘打つことは自由です。そういう名刺を作る自由があるのと同じように、雄弁家という肩書きが、当時は用いられていたのです。お金が稼げる仕事ですかと聞かれる方があるかもしれません。稼いでいた人もいるかと思いますが、むしろ肩書きそのものが名誉だったのです。

現代の日本に、他の仕事と掛け持ちをする、兼職牧師というものがあります。私の知るところでは、現役の電通マン牧師、元職ですがセールスマンという牧師もいます。それから現役の国会議員で牧師という人もおられます。あと、落語家とか講談師で牧師という人もいます。言葉を生業にする人が説教をする、その先駆けがアポロということです。ただ、天は二物を与えずといいますが、すべての兼職牧師が、両方をきちんと使い分けて職をこなしているわけではありません。中には、どちらも中途半端という人もいるようです。といっても専業牧師のやっかみでそう言っているわけではありません。例えば、講談師を兼ねた牧師の中で、最新の東神大学報に説教が掲載されている方がおられますが、普通に説教者として語っています。使い分けを意識して行えているのです。伊東教会にも是非午前は説教者として、午後は伝道集会にお呼びできる、実力派の牧師兼講談師もいるというわけです。

アポロの場合はどうだったのでしょうか。雄弁家であり、伝道者でもある人の説教を、プリスキラとアキラはじっと聞きました。比較対象があります。パウロの説教です。ちなみにパウロの説教、実は上手なものではありませんでした。当時の評判をパウロ自身が記しています。「パウロの説教は、書くものに比べればずっと劣る」。それに比べれば、語ることに関して人後に落ちないアポロ。「さすが雄弁家」、これが彼らの最初の印象です。

 しかし、説教者としてのアポロには根本的な問題点がある。そのことにも気づいていました。彼らのやりとりを、少し再現してみたいと思います。まずはこんなコメントをしたのではないでしょうか。「さすが雄弁家だけあって、話がうまいね」と始まります。そして次のように続けます。「あなたの説教は、人に聞かせるものにとどまっていないか。説教というのは人に聞かせるものである以上に、神様に聞いてもらう必要があるのではないのかい」。

 アポロはどう受け止めたでしょうか。目からうろこ、とはこのことではないでしょうか。もちろん、アポロも説教を聞いて信仰者となり、説教者となることを志している人です。ですから、次のような心得は今までに何度となく聞いたことでしょう。「説教は神様が聞くもので、人々は神様に向けて語られた言葉を脇で聞くものだ」。この、いわば当たり前の心構えを、アポロが知らないはずはありません。しかし、いつの間にか慢心していた。雄弁家出身であることが、説教者として有利になるといつの間にか思い込んでいた、と気づかされたのです。人に聞かせることに心を傾けるあまり、説教の役割を忘れかけていたことに気づくのです。説教の役割、それは「神様に向けた賛美」だということを。

 

*説教とスピーチの違いについて

そんなアポロの説教の特徴を、ルカは短い言葉で書き留めました。25節、少し意訳します。「彼は主イエスについて熱心かつ正確に説教してはいたが、その説教はヨハネの洗礼しか知らない者の説教にとどまってしまっていた」。ヨハネの洗礼しか知らない、これは一体どういう意味でしょうか。洗礼者ヨハネは、旧約聖書を生きる人です。生き方を語ることに関しては、当代随一と誰もが認める人でした。他方で、キリストの洗礼があります。キリストの名による洗礼があるからこそ、新約聖書は新しい方向性を指し示すようになります。キリストの名による洗礼、それは罪を赦してくださるイエス様を信じる洗礼です。旧約聖書に従った生き方なのか、新約聖書の、罪の赦しを信じる信仰なのか。この違いが、説教にも及んでいるとルカは指摘するのです。アポロの説教は、人間が何をしたらいいのか、律法の守り方と修行の実践の仕方について語ります。しかし、私ども人間がどこまでも主語であるとするなら、説教にならないのではないか。説教とは、罪の赦しを語り、聞くものです。主イエスキリストが究極的に主語となっていないお話は、説教とは言えません。

 「私ども人間」を主語とした説教は、どんな時代にも受けがいいのです。それに対して、「救い主」を主語とした説教は、あるいはもっとはっきり言えば、「罪の赦しを語り、悔い改めを求める説教」は、受け入れられないことがあるのです。

先日、マケドニア会である先輩牧師の話を伺いました。いろいろな教会の説教をYouTubeで聞くことが出来るようになり、若い伝道者の説教を聞いているうちに危機感を持った、という話を近況報告の中でなさいました。説教という名前で何かを語っているのです。そして語っている内容は確かに、神様を信じる、信じようという話なのです。しかし、どんな神様を信じるのかはっきりしていない――「イエス・キリストに向かい合っていないただのスピーチ」にとどまっている。それを日曜日の礼拝において説教という名で語られている。その状況に危機感を持っている、とおっしゃるのです。

 キリストに向かい合うというポイントを外したただのスピーチ。それでも、説教の体裁は取れるかもしれません。むしろ、そういうのを好む人だって出てくるかもしれません。「私たち人間」が主語となったお話なのですから、人間の生き方については語るのです。いかに元気に明るく楽しく信仰を持つことで教会を活発にするか、いかに他人に配慮をするか、という信仰的にもそれなりに大事なことを語ることも出来ます。他方で、説教というのは本来キリストの救いが主語であるはずです。キリストの救いを知るために、自らの過ちにも直面しなければなりません。そういうことが苦しく感じることだってある。私どもはそのことを本能的に知っている。そのような時に牧師の側から、「あまり景気の良くないことは話したくない、聞きたくないですよね」と持ちかけたとしたら、一体どういうことになるでしょうか。若い牧師たちの説教が、教会員の思いをそちらに誘導しているのではないか…、先輩牧師の指摘は、考えてみるとずいぶん鋭い、鋭すぎるし、もしかしたらその中には幾分はご自身の長い伝道者としての反省もあるのかもしれません。確実に言えることは、今の教会はこのままではだめだ、という強い思いがあるということです。

 

*格好悪いことは格好いい?

 

 いろいろなことを考えさせられます。話を伺っていて連想したのは、パウロの説教は「格好悪い」ものだ、ということです。そしてその格好悪さは、実はイエス様から引き継いだものではないか、とも思うのです。

ルカは、アポロが洗礼者ヨハネの信仰にとどまっている、と指摘します。アポロの説教からは、洗礼者ヨハネが生み出した弟子たちぐらいのものは生まれるかもしれない。しかしそれ以上のものは生まれない、それでは説教とは呼べない、ということではないでしょうか。

洗礼者ヨハネの弟子に匹敵する者を生み出す説教。普通に考えたら、それはほぼ最高の褒め言葉です。ヨハネといえば、当時、救い主はイエスなのかヨハネなのかと論争が生じたくらい、信仰的にも立ち居振る舞いという点でも甲乙つけがたい二人の指導者は有名でした。

同じくらい有名なのが、ヨハネの弟子たちの素晴らしさです。ヨハネの弟子たちは、悔い改めの洗礼を日々受け直し、断食と祈り、聖書を読むことを欠かさない生活をしていました。

そんな弟子たちを生み出すことがアポロにも出来る、というのであれば、普通に考えてアポロの説教は「一流」です。何にも問題がないはずなのです。しかしプリスキラとアキラは、そしてルカは、彼のスピーチは説教ではないと見抜いた。それは、アポロが、人に聞かせる説教にとどまっていたからだ、というのです。

人に聞かせるアポロのはヨハネ止まりの「スピーチ」で、神に聞かせるパウロのはキリストにたどり着く「説教」である。よくテレビで、一流のスポーツ選手に対して、一流と超一流の違いは何ですか、とインタビュアーが尋ねるというシーンがあります。私どもは、この質問がなされて答えるときの選手の表情には全神経を注いで注目します。アポロだって、プリスキラとアキラにそう指摘されたときに、目を皿のようにして、耳をダンボのようにしてアドバイスを受け入れようとしたに違いありません。彼らはどうアドバイスをしたのでしょうか。

一流であるヨハネの弟子の話はしましたが、超一流であるイエス様の弟子たちは、一体どういう人物だったのでしょうか。興味深いのは、イエス様の弟子たちの振る舞いで、ヨハネの弟子たちの振る舞いを超えるものは、一つも福音書に記されていない、ということです。

イエス様の弟子たち。

・安息日を守らず人の畑の作物を勝手に食べ始めた。

・あなた方は税金を納めるのかと聞かれ、「納めます」と答えてあとでイエス様にたしなめられる。

・自分たちには病人を治すことが出来ず、なんで私どもには無理なのでしょうかとイエス様に聞きに行って、ちゃんと祈りなさいと怒られる。

・その極めつけは、ゲッセマネにおいてイエス様の命運を分かつ晩に、真剣に祈るイエス様のすぐそばで寝込んでしまう。

・大祭司の中庭で、あなたはイエスと一緒にいたと言われて、そんな人は全く知らないと否定する。

枚挙にいとまがない、とはまさにこのことです。

 プリスキラとアキラはアポロに向かって言います。アポロ、なぜ彼らは、超一流の弟子として召され、用いられたのか、わかるかい。そのことがわかれば、あなたは本物の説教者になれる。

 聖書には詳しいアポロのことですから、知識としてはわかります。あの洗礼者ヨハネ、首を切られる前に牢獄からイエス様のところに質問状を送った、あのことかな。その質問状はこんな中身だった。

「来たるべき人、待つべき人というのはあなたのことですか、それとも別にいるのでしょうか。」

イエス様の答えはこうだった。

「治らない病気の人が癒やされる様子を見て、自分で考えなさい。ヨハネよ、あなたは地上で最も偉大な人物である、しかし天のみ国においては最も小さな人物なのだ」。

 

ここから先は、アポロとともに私どもも考えてみたいと思います。この主イエスの答えは、どのようにヨハネの問いに答えたことになっているのでしょうか。例えば、超一流から、あなたは一流だと言われた、という話だと考えると、少しスケールが小さくなってしまう感じがします。

むしろその前の、治るはずのない病気だった人が、現に癒やされつつある状況から察しなさい、という方が答えの本命ではないかと思います。イエス様は多くの病人をいやしました。心と体が整えられるようになった。まっすぐにならないはずの心と体が、このお方によって伸ばされるようになった。そして、「あなたの罪は赦された」と宣言する。治すだけであれば一流の医者でも出来ます。しかし、罪の赦しは、父なる神様にしか出来ないはずだ。そのことをナザレのイエスがやってのけている。ここに超一流であるお方、救い主の到来を見るべきではないのか。これがヨハネの信仰的直観です。

当時のユダヤ人は、洗礼者ヨハネにしても、イエス様を十字架につけたユダヤ人たちにしても、一流の宗教者であると思わされます。十字架につけたユダヤ人たちも、信仰的に研ぎ澄まされた直観を持っているのです。彼らは、イエス様による心と体の癒やしは重要ではないことを知っていた。そんなことはただのうわべの問題に過ぎません。核心は別のところにある。それは、罪の赦しの宣言、それが父なる神でないにもかかわらずなぜなされているのかという問いです。そして当局側のユダヤ人たちは、神ならぬ者が神と同じことをしている、といって十字架につけようと心に決めるのです。一方で洗礼者ヨハネはこう考えた。罪の赦しの出来事が、あのお方の周りで起こり始めている。さらに、このお方はあのような、お調子者で粗忽でおっちょこちょいの12人を弟子として召している。格好良くする一流の振る舞いなど到底出来ない12人が、格好良くされてしまうという超一流の出来事が起こっている。そのことを通じて救い主が来る終わりの時の到来を悟りなさい、主はそうおっしゃっているのではないか。


ただならぬことが起きている。それは、私たち人間がどうしたらよいのかについて考える「一流の宗教の終わり」で、神がどうやって私たちを救うかが示される、「超一流の宗教」の始まりなのだ。自分を一流の宗教者と呼んでくれる人は多くいる。しかし、超一流の宗教者集団である御国の聖徒の群れにおいて、自分は末席を汚すにも値しない人物だ、とこのお方はおっしゃっている。そして、そのような形で私を末席に加えてくださるなら、12人の弟子たちの、ずっと後で良いから、喜んで加わらせてほしい。

 

 褒めて育てるという育て方があります。幼い子どもはそのように育てるのが一番です。しかし宗教家としては完成し、あとは死を待つだけのヨハネにとって、「私が」という主語が「救い主が」という主語に代わっていくことが、どうしても必要だったのです。ヨハネはこの時に、本当の意味で信仰者になりました。地上での生き方を極めようとしていた人が、そこまでの生き方はまだ第一ステージでしかない、次のステージがある、と示された。そのことを知った時に、ヨハネは心安らかに息を引き取ることができる。

 主イエスの宣教のわざが、召されるに相応しくない人たちが召され、癒されるものであったことを思い起こします。それは残念ながら多くの人の共感を得なかった。私たちが期待していた宗教とは違う、そういって最後は十字架につけられてしまう。十字架というのは、最高に格好悪い死に方です。弟子たちもまた恐れて逃げ出してしまった。主イエスは格好悪さを貫いて、金曜日の午後三時に息を引き取る。この死に方を経て、主はよみがえりの命を与えられる。

 

*「本物」に生きる教会

 

 格好悪いことの中に本物がある。この生き方は、教会に大きなインパクトを与えました。いくつかエピソードをお話しします。

1.

 罪の赦しを重んじる生き方を選んだ教会をよく表す出来事、5世紀に起こった一つの論争をご紹介します。その当時、教会は真っ二つに割れる大きな論争に見舞われていました。その背景にあったのは、数十年前までローマ帝国で起こっていた、キリスト教弾圧です。弾圧がなされている時に、地下に隠れて弾圧をやり過ごすグループがあった一方で、信仰を諦め、皇帝が神ですと認めることで聖書を売り渡して世間に認められようとする人々が現れました。ところが4世紀前半に、弾圧が終わるのです。いくら弾圧しても決して絶滅しないキリスト教を前に、国家は弾圧を諦め、ついに信教の自由を認める勅令を出すのです。

ここで話が180度変わりました。それまでの教会は、いかに国家と仲良く、はしなくても折り合いはつけて、目をつけられないようにして生き延びるかということに腐心していました。ところがある時を境に、そういった圧力がなくなって、自由に地上に教会を建てることができるようになったのです。その時に問題になったのが、一度教会を離れた者たちが戻ってきた際の処遇です。受け入れる側にも忸怩たる思いがあったのでしょう。ドナトゥスという一人の指導者のいた地域では、一度離れた人が教会に戻る際には、洗礼を再度施す必要があると主張し、実践していました。これを再洗礼と呼びます。勢いを持った再洗礼の主張に対して、果敢に反論する神学者が現れたのです。この神学者の名はアウグスティヌス、言わずと知れた、キリスト教の歴史の中で最も優れた、誰からも尊敬される神学者です。そして粘り強い議論によって、次のような結論で合意に至りました。それは、信仰を捨てたことについて、示しをつける必要はある。しかし洗礼を再度施すということは避けねばならない、という合意です。

 これは今考えてみますと、実に重要な結論でした。私どもは、信仰において重要なのは人間である、と考えるかもしれません。ここでいえば、信仰を一度捨てた「人」がいて、その「人」が再度受け入れられるにはどうしたらいいか、信仰を捨てなかった「人」たちの立場はどうなるのだ、という風に最初から最後まで「人間」を主語にして考えます。しかしアウグスティヌスは、この問題において最初から最後まで問題になるのは、「洗礼そのもの」であるというのです。つまり、一度キリストの名によって授けられた洗礼が、人間的取り決めによって取り消されることがありうるか、そんなことはない、キリストの名とはそんな軽々しいものではない、という原則です。

「人々」に焦点を置く方が、格好良く見えるのです。今日でも、「私は◯◯先生から洗礼を受けた」、そんな言い方を耳にすることがあります。そんなときに、「誰から受けたとしてもキリストの洗礼であることには変わりないじゃありませんか」などといっても、話がかみ合わないことがあります。話を5世紀に戻すと、アウグスティヌスは、この、教会の帰趨を決める重要な話し合いにおいて、「キリストの救い」を主語にし続けることを主張します。このことは結果的に弾圧に屈した信仰者たちを擁護する、格好悪い役回りを引き受けることになります。「人」だけを見るなら、弾圧に屈しなかった信仰者を支持することの方が簡単なのです。しかしそうはしなかった。

 このときに大きな役割を果たしたのが、戒規と呼ばれる教会のシステムでした。戒規というのは、ある一定期間、悔い改めを続ければ、その人は再び聖餐に与ることが出来るようになる、という仕組みです。こういう状況の場合、戒規を執行する側は、おまえは本当は悔い改めていないだろう、などと、あくまで「罪を犯した人間」に注目してしまい、必要以上に相手を痛めつけることが考えられます。その極みが「再洗礼」の要求でしょう。今までの生き方を全部否定しろといっているようなものです。そういう不幸な突き付けが起こらないようにするために、戒規を執行する始まりの時に、ある仕掛けを施すのです。それは、どういう条件で戒規を解除することになるのかと、解除の手続きをあらかじめはっきりさせておくのです。これは現代においても、戒規を執行する際にとても重要な手続きです。戒規を執行開始する時点で、教会員として再び受け入れる手続きが定められるのです。信仰者が、あるいは教会が、取り返しのつかない過ちを犯したときに、戒規は執行されます。それは罰するためではなく、教会が健やかな教会となるために必要な手続きです。なぜなら、教会が教会であるのは、罪が罪として認識され、そして赦しが宣言されることにあるからです。罪を憎んで人を憎まずとはよくいったものです。歩むべき道を見失って迷っていた人を再び受け入れるのが教会です。罪の赦しは、どんな時代においても教会が教会であり続けるための「しるし」だからです。

アウグスティヌスの例が私どもに示すのは、決して格好いいものではありませんでした。罪の赦しというのは、実は格好悪いものなのかもしれません。教会がその格好悪さをあえて引き受けるときに、大事なものが次の世代へと引き継がれるようになるのかもしれません。

 

2 .

 イザヤ書の言葉が読まれました。福音伝道者は様々なところを駆け巡ります。その歩みを支える足はなんと美しいことかと預言者は言います。そこで伝道者たちの足を見てみれば、道路事情も悪かった当時、泥がはねて足を洗うことが家に入る必須条件となっていました。普通に考えて泥だらけの足は汚いのです。少なくとも足だけを見れば間違いなく汚い。しかしイザヤは、その足が伝えている福音の美しさ故に、美しい足だというのです。私どもは、当時の伝道者の足を思い浮かべて、汚い足はごめんだと言って退けるでしょうか。それともその務めの重さを思いながら、足を洗うことに思いが向くのでしょうか。(画像は「洗足の共同体を伝道者は必要としている」をキーワードにしてAIにより作成したもの)

 

*私たちの教会は何によって立つか

3.

今日の教会。格好いい方が勝(まさ)ってしまう、ただの、時代を追うだけの集団に成り下がっていないか、改めて検証する必要があると思います。

20年ほど前のことですが、こういう一幕がありました。私は当時、正教師試験の受験者として、全体面接の会場にいました。5人の教師検定委員と40人ぐらいの受験者がいたと思います。当時の教団はまだ紛争の勢いが残っていて、保守的な受験者とリベラルな受験者に分かれていました。その間に挟まれて、検定委員をなさっている先輩牧師も、ずいぶん疲れが見えていたように思います。ある人は怒っていて、ある人はそれらのやりとりを見て苦笑いをしている状況でした。この論争は、一体どうやって終わるのだろう。不安に思いながら時計を見ると、もう終了予定時刻まであと五分ほどでした。このまま終わってほしいという思いと、このまま終わると、自分と反対の陣営の人たちとは、永遠に和解できないのではないか、そんな思いが交錯していました。意を決して手を挙げ、発言の機会を求めました。おおよそ次のようなことを発言しました。「今回の面接は、思わぬ論争に発展しました。お互いに傷つけあったようにも思います。私どもは、今後どうすべきでしょうか。最新の欧米の神学を学び直すべきでしょうか。あるいは相手方の主張について書かれている本、自分の立場と近い本を読み直し、読み比べ、どこかでまた論争を続けるべきでしょうか。少しぶしつけな質問かもしれません。しかし正直な質問です。答えてください」。すると、今まで論争に加わらなかった一人の検定委員がすっと挙手し、この問いには私に答えさせてくれと言って、立ち上がりました。そして私に向かって、さらにはすべての受験者に向かって、次のように言ったのです。「あなた方は、論争のための準備など一切しないでよろしい。そういうことは実際に必要なら後日経験することだ。それよりも、毎週の説教の準備に力を入れなさい。説教を語り続けなさい。そして説教を聞く会衆を作り上げなさい。それがすべてだ」。

その答えは、20年たった今でも忘れることはありません。そして、論争に勝つ私たち、というような格好良いストーリーではなく、地道に説教を続けるという格好悪いわざに励むことを勧めてくださった。今でも、格好いい説教を目指していないか、人に受け入れられるだけの説教を求めていないか、自戒しながらそのときのことを思い出すことがあります。

 

 パウロの説教は格好悪いものでした。書いているものを読み上げているようで、心がこもっていない。じろっとにらまれているような気がする。激しすぎる。しかし思うのです。十字架について語る説教は、どう頑張っても格好良くはならない。あえて言うならば、格好悪いことこそが格好いいのではないか。

 現代の説教者たちも、いろいろなことを言われてしまいます。聖書的ではない、といわれるくらいならまだいい方で、例え話がほしい、いや不適切な例え話ならむしろない方がいい、ネクタイの色が気にくわない、ものの言い方が昨日けんかした亭主そっくりで腹が立つ。女性牧師につきまとうのが、女なのに、という一言です。時に涙と嘆きをもって語られる、説教者同士の愚痴を聞きながら思うのです。ああ、私どもがパウロの説教に連なるのは、一体どうやってのことだろう。年間何人の受洗者を生み出したというようなことで私どもはパウロの後継者になるのだろうか。いえ。むしろ、説教者は、十字架を語ることによって先輩牧師に連なるのです。語る側は、誘惑と戦いながら語っています。

 

4.

そしてもう一つの課題にも思いが向きます。現代の日本の教会は、いえ私ども伊東教会は、プリスキラとアキラが直面したのと同じ、一つの課題に取り組んでいるからです。それは、私どもは説教者をどうやって育てるか、という課題です。アポロが、語るのはあくまで自分、そして人々の満足を得られれば良い、という雄弁家としての意識を捨て、罪の赦しについて神の前で語るという、本当の意味の説教者になったのと同じことがこの地でも起こるなら、日本の教会の将来は明るいと思います。そしてその鍵は、格好良く、耳によく聞こえ、大向こうに受けが良い説教を求めるのではなく、地道でも良い、格好悪くても良い、下手であっても良い、祈りを持って一所懸命説教を聞くことにあります。このことによって、教会は変わります。本当の意味で力強い伝道者、雄弁家に優る福音を語る説教者は、良い聞き手によって生まれるからです。

 主イエスキリストの名による洗礼を受け、罪赦されたた者たちが召されることによって成り立っている教会。日本基督教団1700の教会、日本全体でおそらく10000ぐらいの礼拝で、今同時刻に説教が語られています。世界全体でいったい幾つの教会があることでしょうか。伝道に行き詰まった教会があります。少なくとも見た目はうまくいっている教会もあります。しかしそれらすべての教会において、汚く貧しくみっともない、しかし十字架を指し示した説教が語られる。その時福音が、鈍く、静かに、ゆっくりと、しかし確かな輝きをもって、響き始めます。

パウロが植え、アポロが水を注いだ。これは、パウロとアポロのどちらが優れた伝道者であるかという問いへのパウロの答えなのでしょうか。そうではない気がしてきました。こう続くのです。「しかし、成長させてくださったのは神である」。私どもは、人間を主語とする生き方から、救い、赦す神を主語とする生き方に変えられていくのです。罪の赦しが確実に語られる教会において、語るアポロは、聞くプリスキラとアキラを通じて、いつかきっと真の福音に目覚めます。そんな成長の恵みに与りたい。私どもは、信じ続け、語り続け、聞き続けます。