空しさからの脱却――主なる神は近づき、現れる

2023/10/01 三位一体後第十七主日聖餐礼拝 使徒言行録説教第57回 「空しさからの脱却――主なる神は近づき、現れる」 

使徒言行録1716節以下 

                                                                                    牧師 上田彰

 

*真理の町アテネ

「真理とは何か」。これは、イエスさまを十字架につけるために連れてこられた法廷での尋問の際、時の総督ピラトがイエス様に対して問うた問いです。真理とは、生粋の政治家であるピラトにとっては、食えない代物でしかありませんでした。ピラトは、イスラエルを含むガリラヤ地方を監督するためにローマから送られてきた人物で、ローマ人です。地中海世界を中心に、圧倒的に大きな力を誇っていたローマ帝国ですが、文化的な深さという意味では、自分の植民地であるギリシャの方が数歩先を行っていました。ギリシャには、哲学と政治を結びつける文化があったからです。ピラトという名前からして、かの総督はスペインかイタリアの出身だと思われますが、ギリシャの、しかもその最大都市であるアテネの人々から見れば、ピラトなど政治屋ではあっても政治家の名前には値しない、三流の人物でした。自分たちギリシャ人、特にアテネから見て、ローマの連中は田舎者だ。今はたまたま彼らによって支配されてはいるが、いずれ彼らは滅びるに違いない、彼らは真理に根ざした政治を目指していないからだ。アテネの人たちはこう続けます。自分たちは、真理に根ざした政治を実現している。

 今パウロは、このアテネの地にいます。ある意味で、伝道者として最も大きな挑戦をこの地で行っていると言ってもいいかもしれません。つまり、パウロの語る福音は、あるパウロ書簡の言い方によれば、愛に根ざした語りです。愛に根ざした語りが、同時に真理に根ざしたものでもあると言えるのか。このアテネにおいて、ソクラテスから数えても400年に及ぶ歴史を持つこの町において、福音の真価が問われています。

 

 *かつての哲学者、ソクラテス

 ソクラテスという名前は、アテネの人々にとっては、単に自分たちの誇る最も偉大な哲学者、というだけの意味には留まりませんでした。自分たちの祖先は、そのソクラテスを殺してしまった、という苦々しい記憶と結びついているのです。

ソクラテスをなぜ殺すことになってしまったのか。彼は、変な教えを広めたという容疑で逮捕され、死刑にされたのです。「変な教え」といわれるものが何であったかといえば、神を敬っていない、ということでした。ギリシャには神話から来る神々が大勢いました。それらを否定するとは何事か、というそしりを400年前に受けたのです。

 ソクラテスはこのそしりに対して反論をし、自分が神を敬わない教えを広げているというのは誤解だ、と語っています。彼の語りのどこに誤解の元があったのでしょうか。今日の箇所とも関係するのですが、「無知の知」という言葉が誤解の元だったようです。ソクラテスはこう言ったのです。「人々は、神々のことを知っていると言っている。しかし私は気が付いた。自分は神々のことを知らない。しかし自分の場合は、知らないということを知っている」。これが知恵、つまり哲学の始まりである、という有名な考え方です。ソクラテスは、神々を否定したのではなく、神々について自分は知らないという事実を受け入れた上で知っていきたい、と述べたということになります。

 正直、このソクラテスを「神を敬っていない」という理由で死刑に処することが妥当であるのか、かなり微妙というか、そうとうまずい気がします。ソクラテスが死刑になった理由には、政治的なものもあったともいわれています。事実としてソクラテスは、一種の無神論者であるという容疑をかけられて、死刑になってしまった。そのことが、アテネの人々にとって一つの暗い影を落としていました。人々は、ソクラテスが死んだ理由を、無能な政治家のせいには出来ない、自分たちにも責任がある、と考えたからです。

 

 ソクラテスはこのようにして、人々にとって苦々しい記憶とも結びつけられていますが、同時に、自分たちの誇るべき祖先でもありました。自分たちはあのソクラテスのように、真理について語ろうではないか、というように。

 真理について語るというのは、具体的には討論をするということです。どんな議論に対しても、どんな意見に対しても、一度は相手の話を聞くというのは、なかなか出来ることではありません。しかし自分たちはあのソクラテスの意見を、きちんと聞かなかったが故に殺してしまった、だから誰の意見であっても、まずは聞こうじゃないか。この姿勢が、制度としても整っており、アテネにおいては一人一人の意見を聞くということが政治に反映されるようになっていました。民主主義という言葉は、このアテネから生まれたのです。

*アレオパゴスについて

 ところで、ソクラテスに死刑が言い渡された場所はアテネの神殿がある山のふもとの、小高い丘の上でした。その場所はアレオパゴスと呼ばれ、国中の名士が集まって議論をする、今風に言えば貴族院であり、その席上で裁判が行われることがありました。パウロもまた、ギリシャの神々に挑戦をする者として、同じ裁判にかけられようとしているのでした。

 

 少し時間を巻き戻しまして、彼がアレオパゴスに連れてこられるより前の広場での様子、あるいはさらに遡って、アテネに入ってきたときの様子を思い起こしてみたいと思います。

パウロはアテネの町を巡り歩き、あちこちにギリシャ神話の像、つまり神々の像が置かれていることに大変腹を立てました。多分ただ苦々しく思うだけでなく、近くにいる人にそういう自分の思いをぶつけることもしたのでしょう。道行く人は驚きましたが、例のソクラテスの一件がありますから、よそ者であるパウロの言うことにも耳を傾けます。そこでパウロは自然と、町の広場で人々と議論をすることになりました。広場で議論をするというのは、日常風景でした。そこには今の私たちにとっては世界史や倫理の教科書に出てくるような、歴史的な思想グループがいくつもあって、パウロとの議論に彼らも加わっていたことが分かります。

 

 この広場におけるパウロの議論については、どのようなものであったか分かっていません。恐らくパウロは、街中(まちな                            現代のアテネの広場

か)に多く見られる偶像を批判しながら、イエス・キリストの福音を語ったのです。パウロがどのような意味で偶像を批判したのかは、今日の箇所からは直接は読み取れません。しかし人々は、次のように考えたようです。このパウロというギリシャ語が堪能なユダヤ人は、ギリシャでは知られていない新しい神々について宣伝をするために町に来たらしい、というのです。

 広場での議論に加わっていた者たちの中に、アレオパゴスでの会議に加わっていた者がいたようです。そこでパウロに提案します。ここは少し賑やかすぎる。岩場に、もっと静かで議論をするのにふさわしい場所があるので、一緒に行かないか、と。そこでパウロは彼らに付いていく形で、アレオパゴスでの会議に出頭することになったのです。つまり、議論をするだけの場所ではなく、その議論の結果に応じた裁判をも行う場所へと彼は連れて行かれました。

 

 尤も、ソクラテスの時代から400年経って、アレオパゴスの役割は大なり小なり変わりました。まず、その場で死刑判決を下されるということはなくなりました。もし死刑に値するような罪を犯していたとしても、もう一度別のところで裁判が行われる仕組みに変わっていました。

とはいえ、アレオパゴスそのものは、ある種の裁判所であり続けました。その裁判の席でなされた議論は、アテネ中に伝わる仕組みになっていたようです。その議論の席でつまらないことを言ったとしたら、街中に伝わってしまうわけです。こうして、アレオパゴスで死刑になって直接的に命が取られることはなくなりましたが、社会的に抹殺される可能性は十分にあったのです。今回で言えば、パウロはよそ者ですから、仮にアレオパゴスでの議論に負けてしまったとしても、町を出てしまえば関係ありません。しかし、彼が議論で負けたという噂は他の町にも伝わります。アレオパゴスへ行くというのは、パウロもまたそれだけの覚悟を持ってのことだったのでしょう。

 

 *「知られざる神に」

 さて、アレオパゴスにおけるパウロの説教ですが、パウロの説教は、先ほどのソクラテスの「無知の知」を意識した説教のように思えます。パウロはまず、町のあちこちに「知られざる神に」と銘打たれた祭壇があったことを言います。どうも調べてみますと、そのものずばりの祭壇があった可能性は低いようです。しかし、色々なところに偶像があるのを街中で見たパウロが、その偶像はどんな神をまつっているのか、その祭壇はどんな神さまに献げられているのか、と人々に聞いて回ったときに、誰かが「知られていない神に」と答えたのではないかと考えられます。そうであれば、石の祭壇に「知られざる神に」と刻んであったというよりは、人々の心に、どんな祭壇であれ献げる相手である神様は「知られざる神」なのだと刻み込まれている、言ってみればすべての神は、究極的にはどんなお方なのかは分からない、ソクラテス以来の教えが心に刻みつけられている、そんな意味であるようにも思います。「知られざる神に」。この、アテネの人々の心に刻まれている言葉は、ソクラテスの言葉であるとも言えるのです。

 

 それに対してパウロは、「あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう」と言います。パウロに対して反感を抱いていた人たちは、この言葉を聞いて心の中でおやっと思ったのではないでしょうか。この、キリストの道を伝えに来たとかいっている伝道者が変なことを言いだしたぞ、と。パウロは「あなた方が知らない神(々)について私は知っている」と言ったようにも人々には聞こえるからです。これは、「無知の知」というソクラテス以来の伝統に反していることになるのではないか、そう考えたのです。

 この観点からパウロのアレオパゴスにおける説教を読み解くと、アレオパゴスに集まったアテネの人々の狙いと、パウロが語っていることとには、大きなずれがあることに気づかされます。パウロはこの説教の中で、「私はあなた方の知らない神を知っている」とは言っていないのです。そうではなく、次のような言葉を語っていることに注目できます。「神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません」。

 これはパウロの、アテネの人々向けの信仰の勧めの宣言なのです。私たちから神さまの方に近づくことが出来るのか、ソクラテスは、自分たちが近づけないということから話を始めようと言っていることをパウロは知っています。よく今日の箇所を読みますと、パウロは「私は神について知っている、近づくことが出来る」とは語っていません。その代わりに、先ほどの言葉を語っているのです。「神が世界の様々な法則を決めて下さる形で、私たちに関わって下さる。そしてその神は、私たちから遠くないところにおられる」。もう少し砕いて、はっきり次のように言ってもいいのではないかと思います。私たちの方から神を知ることは出来なくても、主なる神が私たちの方に近づいてきて下さる。パウロが言いたいのは、「私たちは神を知ることが出来る」ではなく、「私たちが主なる神を知ることが出来るとしたら、主なる神が私たちに近づき、私たちの前にご自身を現して下さるからだ」ということです。恐らくパウロは、神を知ることは出来ないということを知ることから始めようというあのソクラテスの言葉を良く知った上で、さらにその先を語ろうとしたのではないでしょうか。ソクラテスの先にあるものとは何か。知ろうとして知ることが出来ない神さまが、むしろ私たちの方に近づいてきて下さる。このキリストの福音の核心を語ることによって、真理を語ろうとしたのです。

 

 *悔い改め

昨日の受洗準備会で、信仰とは何だろうという話になったときに、ある参加者が、私たちが心の向きを変えることだという説教を聞いたときに、なるほどと思ったことがある、とおっしゃっていました。今日のパウロの説教の言葉で言えば、「悔い改め」です。どんなに知恵があり、力があり、お金があったとしても、それを自分のために使おうとするなら、むなしいだけです。言ってみれば、自分で自分を持ち上げようとしているようなものかも知れません。確かに、自分で自分を持ち上げることが出来ないということを最初に言ったソクラテスは優れた人間の知恵を示しています。それなら、自分で自分を持ち上げることは出来ない、にもかかわらず、その私を持ち上げて下さるお方がいることについて告げるパウロの言葉は、優れた人間の知恵に勝る、神の知恵と言えるのではないでしょうか。

 

 心のあり方を、心の向きを変えて、近づいてきて下さる主なる神の方を向く。すべてのことを主なる神はご手配下さっている。そのように語るパウロの説教は、クライマックスに近づきます。神さまが近づいてきて下さる。最も近いところまでおいで下さる証拠がある。それが復活だ。主イエスは復活され…。このように、「復活」に触れたところで、パウロの説教は中断します。クライマックスに到達する前に、アレオパゴスの人々は嘲笑、パウロの話をあざ笑うことで中断へと追い込んだのです。

 この説教を聞く人の反応は、三つに分かれていました。まず一つ目の反応は、先ほどのあざ笑った人々で、復活というのを馬鹿げたことだと思った人たちです。復活するということは、救い主が一旦は死んでしまうということです。一度死んでしまうような者が救い主のはずがない、と考えたのかも知れません。主イエスキリストは、人々の罪を背負って一度死ななければならないほどに人々の罪は重かったのですが、どうやら復活と聞いてあざ笑った人たちは、その罪の重さ、そして復活するみ子なる神の力強さに思いが至らなかったようです。

 二番目の人々は、ここでパウロの説教は、ソクラテスを超えているかも知れないと気づいてしまった人たちの反応です。もう少し詳しく聞いてもっと深く納得できるものかどうか試してみた方がいいかもしれないと心のどこかで思いながらも、丁度復活という言葉を聞いてあざ笑った人たちの反応に乗じて、ごまかしてその場を撤退した人たちです。

 三番目の人々は、あざ笑うことも、納得できるかどうか迷うこともせず、信じた人たちです。名前は「アレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々」、となっています。彼らのことを、納得できた人たちと見なす必要は無いと思います。むしろ、納得するよりももっと深い意味で、信じることができたのではないでしょうか。

 パウロのアテネ伝道は、成功したと言えるでしょうか。失敗だったのでしょうか。はっきりした評価は難しいかも知れません。しかし思うことがあります。それは、みな自分の土俵から一歩も出ないで相撲を取りたがるのだなあ、ということです。パウロをあざ笑う人は、復活ということはあり得ないという前提でしか議論ができず、黙って席を立って出ていった人たちは、無知の知、神を知ることは出来ないという自分たちの信念に合っているかどうかという土俵でしかパウロの主張に取り組もうとはしません。それぞれのものが、自分の持っている価値観や前提から自由になって、神さまが近づいてきて下さるというキリストの福音の教えを受け入れることは難しい、結果としてアテネでの伝道はごく少数の人々の心に届くものとなりました。

 

 パウロが伝えるイエス・キリストと、アテネの人々が尊敬して止まないソクラテスには、似たようなところがあります。いずれも誤解の元に開かれた議会裁判において死刑が決まるというところです。人間的に言えばどちらも悲劇であることに違いはありません。しかし、大きな違いが、その死に際の言葉です。ソクラテスの場合を見てみましょう。「クリントン、我々はアクスレピオスに雄鶏を捧げなければならない。忘れずに、捧げてくれ」。これは、「病気を治してくれる神に、今こそ献げ物を捧げよう」というような意味合いなのだそうですが、この言葉を語った後に静かに息を引き取ったというのです。

それに比べて、主イエスの十字架上の叫びは、もっと悲痛です。その中心にあるのが、詩編22編の言葉といわれる、

「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになるのか」です。この叫びには続きがあり、父なる神への信頼でこの詩編は終わります。いずれにせよソクラテスのようにおとなしく死を受け入れているわけではありません。その姿は、人間の罪を引き受け、その呪いとしての死を目前にしたお方が、死というものから目を背けることがないままで息絶えていった。神の子のこのような死に対して、父なる神が復活を持って応えて下さる。このような死に、そしてよみがえる神の子の姿を知るパウロは、「無知の知」を唱え、人々の誤解故に死ぬにも関わらずあたかも自然な死を迎えるかのように死んだソクラテスの姿には満足せず、神の子の死について語り、神の子の復活について語るのです。あざ笑われようとも、私たちに近づいて下さる主なるキリストについて、パウロは語り続けます。


 よみがえった主が私たちの為に聖餐の食卓を用意して下さっています。私たちはパウロに連なる形で、語り続けます。主が復活した。それは主から私たちの方へ歩み寄って下さるということです。感謝して受け止めたいと思います。