我が子ティモテ

2023/05/07 復活節第四主日聖餐礼拝 

使徒言行録説教第49列(第50回) 1615

「我が子ティモテ――教会の成長の軌跡」 牧師 上田彰

*いじめの「克服」とは

 インターネットでニュースを見ているときに、いじめという言葉を目にするとドキッとします。一つは自分の子どもが幼稚園、小学校と学年が上がって行くにつれ、子どもたちの人間関係が複雑化しているのに気がつくからです。もう一つ、ここ数年の現象ですが、感染症によって人と人との距離が出来ると、成長盛りの子どもたちが、力の加減を理解しないままになってしまい、いじめが過激化してしまう、そんな感じを持っています。そんな中で、この10年ほどの間に、日本以外ではいじめが減っているのに日本では逆に増えている、という気になるニュースを見つけました。そのニュースの趣旨は、日本においていじめが減らないのは、いじめを克服するモデルとして学校に広がっているものが不自然であることに、学校の教師自身が気づいていないのが問題だ、というものです。

 例えば学校の先生が、自分が生徒だった頃にいじめられていたとして、それを勉強や運動をがんばることでいじめを克服することが出来た、だからいじめられっ子に対して、お前もがんばればいじめられなくなるぞ、とハッパをかけるというのが、典型的な「だめ」なパターンなのだ、とその記事は力説します。確かに、いじめに耐えて「生き残った(=いじめサバイバー)」人が学校の現場に加わるのはもちろんそれ自身問題ないのですが、いわゆる「退場した」人が不在のままでいじめ対策が作られていくとしたら、いわゆる「失敗例」からは学ばない、ということですから、確かに怖いことになりそうです。

 その報道では、より「エビデンス」(再現が可能な証拠)のはっきりしたいじめ対策が国内でも始まっている、と続きます。どのようなものかというと、いじめっ子、いじめられっ子、そして傍観者にわけ、それらがみないじめによって傷つき、性格形成に際して問題をはらむということを、みながきちんと認識する、そして声を上げれば一番効果的な層である傍観者を含む全員が、いじめの弊害をきちんと認識することで、時間はかかるが確実にいじめは減る、という実験調査です。そして国際的なレベルではこの対策が日本よりもはるかに進んでいる、とも報じます。ご興味のある方は、「いじめ」「エビデンス」で検索してみていただければ幸いです。

 ところで私は全く違うレベルでこの記事に興味を持ちました。それは、日本の教会で伝道の危機を訴える声はよく聞くけれども、その克服のために現状を認識するという話は全く聞かず、むしろ今までに成功した事例を取り上げて、その通りにやれば現状を打破できるから頑張れ、というメッセージを目にする、ということです。それはちょうど、いじめは根性で克服できる、おれがその良い見本だ、といじめられっ子にハッパをかけることで、教師もまたいじめっ子の側に加担をしてしまう、というのとおなじなのでは、とふと思いました。

 

 聖書において、このような「悪しき成功体験信仰」はあるのでしょうか。例えばパウロという人物。かつてサウロだった時代に、ファリサイ派の熱心な信者として、キリストの復活を信じる者たちへの迫害の手を緩めなかったのが、あるときに180度の転換を遂げます。自分の力で生きる生き方から、キリストの恵みによって生きる生かされ方への転換を彼は熱心に説きます。書いた手紙などを見ると、あの犬どもに警戒しなさい、などと過激な物言いをやめないところは、サウロ時代と似ているとさえ思うことがあります。強烈な性格を持っていて、周りに影響力があったのは間違いありません。

 彼が洗礼を施した人物はどうでしょうか。私たちで言えば、洗礼を施した牧師がどのような信仰を持っているかが洗礼を受けた信仰者に伝わる、ということを本能的に考えています。それゆえに誰から洗礼を受けたか、ということが話題になることもあります。興味深いことに、使徒言行録の中で、パウロが明示的に洗礼を施したという記事は出てきません。パウロの説教の後に洗礼を受けた人がいるとあれば、普通はパウロが洗礼を施したに違いないと思い込んでしまいますが、そのようにルカは書かないのです。これは、ペトロが施した洗礼の場面がはっきり記されていることに比べて、大きな違いであるとも思います。

*ティモテについて

 ここに一人の伝道者、ティモテがいます。弟子ティモテという言い方になっていて、これは第一次伝道旅行の時にパウロが、いえパウロたち一行の誰かが彼の住むリストラという町においてティモテたちに洗礼を授けた、ということを意味しています。そして「弟子ティモテ」は今や、「伝道者ティモテ」になろうとしています。実はこのティモテ、母親がユダヤ人であったにも関わらず、生まれたときに割礼を受けなかったようです。父親がギリシャ人であった影響と考えられますが、割と早く父は亡くなって、家庭は祖母と母、そしてティモテとなり、祖母と母の信仰はよく受け継いでいたものの、改めて割礼を受けるということはないまま、今でいう中学生くらいの年齢になりました。そこでパウロたちに出会い、家族皆で洗礼を受けることになります。その際、ティモテだけはその家族で男性なので、彼は割礼を受けてから洗礼を受けるということになったようです。ですから使徒言行録の記事でいいますと14章で、パウロとバルナバはリストラと呼ばれるこの町で、色々な目に遭います。一度は神々の生まれ変わりと間違えられそうになったり、今度は隣町からやってきたユダヤ人に袋だたきに遭ったりと散々な体験をする中で、しかしそんな中にあっても信仰を得たのがティモテの一家だということになります。因みに、なぜ14章の段階で割礼には言及せず、16章で、つまりエルサレム会議が終わって異邦人伝道が割礼無しに認められるようになった段階で説明されているのかは、大きな謎です。しかし、明らかに16章の段階、これは時期でいいますと西暦40年代半ばです。20代半ばのティモテを伝道者として召す段階で初めて割礼を施すというのは不自然で、第一次伝道旅行、大体西暦の30年代後半のリストラ訪問の際に、おそらくは洗礼を受ける前にティモテに対して割礼が行われている、と考えるべきでしょう。

因みに、なぜ14章の段階で割礼には言及せず、16章で、つまりエルサレム会議が終わって異邦人伝道が割礼無しに認められるようになった段階で説明されているのかは、大きな謎です。しかし、明らかに16章の段階、これは時期でいいますと西暦40年代半ばです。20代半ばのティモテを伝道者として召す段階で初めて割礼を施すというのは不自然で、第一次伝道旅行、大体西暦の30年代後半の出来事の段階で割礼が行われていると考えるべきでしょう。

 問題は、このティモテは、割礼を受ける指示は明らかにパウロが出していますから、キリスト者として、信仰者、弟子として歩み始めるときにパウロの影響下にあったのは間違いありません。ではパウロのように過激な信仰者になったのでしょうか。さらにいえばパウロは、俺のように過激な人になれと、自分の成功体験を押しつける、日本の一部の伝統的な学校教師のようなことをしているのでしょうか。どうもそのような節は全く無い、いえパウロに体育会系の気がないはずがないのですが、そのような育ち方を第二世代であるティモテは全くしていないのです。彼はむしろ、誰かにしゃべりかけられると顔を赤くして物陰に隠れてしまうような、最後までティモテの演説は使徒言行録に出てこないところを見ると、演説の能力もパウロ並みとは行かなかったようです。しかしパウロはこのティモテを大変に重んじ、「ティモテは私と同じ思いである」(フィリピ220)と言っています。

 パウロは伝道者であって教育者ではないのですが、あえて彼を教育者と見なす場合、パウロは、自分の生徒が自分と同じように成長するのではなく違う形で成長できる生徒だと気がついたら、すぐにそれに合わせ、自分の型を押しつけないタイプの教育者、そう見なすことが出来たようです。

 

*違いを認められる理由(日本の教会のこれから)

 ある牧師が言いました。「力」がいくら集まっても、それは暴力的になってしまう。しかし、その脇にしっかりと「十字架」が立っていれば、力を合わせて協力が出来る。ご存じ、協力の「協」という字は、十へんに力が三つと書くことを指しての説明です。かつて伊東教会が所属する同盟基督協会は、「教える会」とは書かずに、「協力する会」と表記しました。英語でいう所のchurchをどう日本語で言うかは、多少のブレがあったようです。公の会と書いて公会とか、あるいは組織名として「集会」と名乗るグループもありました。今私たちが用いる「教える会」としての教会という場合の「教え」とは何であるのか、いつかの機会にお話が出来ればと思いますが、ここでは「協力する会」という方のchurchに思いを向けてみます。churchとは、聖なる教えによって救われる集まりであると同時に、キリストの体を建てるために協力をする集まりでもあります。

 日本の教会は、同盟系の教会であるかどうかに関わらず、19世紀から20世紀にかけて、世界の伝道の歴史上で特筆すべき大きな足跡を残した教会の一つです。これほどに急速に教会が成長した教会は世界の中でもあまり例がなく、しかもその教会が同じ形で今も営まれています。今の教会についての分析を行うことで、当時の成長の秘密を解明することが十分可能なほどに、当時の姿をそのまま残しています。他方で危険もあって、私たちは余りに大きな成功体験を持っているが故に、その成功体験が呪縛となって、同じやり方で必ずうまく行く、うまく行かないのは根性が足りないからだ、というような発想に極めて容易に陥るということです。

 私たちの伊東教会が属する福音同盟会の伝統は、日本という、伝道についての成功体験を持つ教会の伝統の中心にいます。似たような例をいくつか挙げてみますと、例えば銀座教会(これはメソジスト系の教会)の教会史を見ると、祈祷会をやっていたら盛り上がって今のような教会になった、というような記述があります。私が京都で属していた教会(組合系の教会)は、同志社お膝元の四つのうちの一つで、神学生が始めた祈祷会がきっかけで建った教会です。この話を教会における信仰の大先輩、当時の様子をご存じの方がなさるときには必ずこう付け加えられます。最初に祈祷会を始めたのは神学部の中でも低学年のメンバーだった。それがだんだんに高学年に及んでいったんだ、と。

 伊東教会でいうとどういうのが成功体験と言えるのでしょうか。禁酒禁煙運動が盛り上がって、その時期の特別伝道集会では教会に入りきれない人で教会の前の道が混雑をしたとか、あるいは各地に教会学校を建て、それらのいくつかを教会にするという伝道の幻。それらはいずれもその時代において、貴重な体験です。しかしそれと同じことが出来ないままで経済と教勢が右肩下がり、高齢化が進むのは根性が足りない、とはいわなくても、信仰が弱くなっている、と言い続けるのは、先ほどの牧師の言い方を借りると、「暴力的」です。

 日本の教会が成功体験の呪縛から解放されて、自由な成長を遂げることが出来るようになることはあり得るのでしょうか。現在の伊東教会はささやかな形でその姿を模索しています。今日の教会役員会においても、同盟教会の発展形は何か、ということについて話し合う予定です。こういった試みは、ことあるごとに行っています。教会が、今までと同じ姿で成長を続けられるというのではなく、私たちでいえば同盟教会の信仰が、どのように発展することが可能なのか、その答えを私たちは実は既に持っているのではないか、そのような思いを持って、「伊東教会のよいところ探し」を予定しています。それは、パウロがティモテを見て、自分と違う形で信仰を育むことが出来る、そしてそのようにして育まれた信仰の賜物は、自分に与えられた信仰の賜物と組み合わされることで、無類の力を発揮できる、そのように直感したことに倣う姿です。

 

*教会の姿

 これはパウロだけのスタンスではなく、恐らく彼の背景にあったアンティオキア教会の特徴でもあるようです。第一次伝道旅行の始まりのころのアンティオキア教会のメンバーを見てみると、パウロ以外に色々特色を賜物を持った人たちが集まっており、名前を見るだけでその特色が分かる仕組みになっています。例えばバルナバ。彼はエルサレム教会において全財産を献げた後このアンティオキアに移ってきました。またシメオンにはニゲルという二つ名があり、これは「黒い」という意味で、ほぼ間違いなくアフリカ出身の人物です。さらにマナエンに関しては、その後領主を務めるヘロデと育ったということが書かれていますので、少年時代のヘロデにつけられた家庭教師が、その家に執事や使用人として務めていた人々の子どもたちも集めて一緒に教育をしていた、その内の一人がマナエンであったということではないかと思います。ローマで領主の家庭の空気を吸って育ったということになります。

 違う信仰の賜物が組み合わされることで、力が発揮される。今パウロは彼自身の信仰の息吹から生まれた新しい信仰者の賜物との共同、協働が始まろうとしています。


*聖霊が分かち、聖霊が結ぶ

考えてみれば、バルナバとパウロの離別も、互いの賜物を生かすやり方なのかも知れない。夕方の別れは、明朝の陽光を予期させる。(使徒言行録15章の出来事をモチーフにAIにて描画)

今日の聖書箇所を、章立てに合わせて便宜的に1から5節としました。ある説教者が、この箇所を15章の終わりからとしているのが印象的でした。15章の終わりには、ヨハネ=マルコと呼ばれる弟子、伝道者の扱いを巡ってバルナバとパウロが対立し、ついに別々に伝道を始めるようになる、という箇所でした。それで改めて、ヨハネ=マルコに関する出来事を確認しておりますと、要するに第一次伝道旅行はヨハネ=マルコを連れるところで始まり、パウロが彼と別れるところで終わるのです。そして合わせて、次のような言葉が書かれています。「神の言葉はますます栄え、広がって行った」。これは第一次伝道旅行の開始を宣言する言葉といってもかまいません。その言葉が、第二次伝道旅行の開始を宣言する際には、次のような言葉に発展しているのです。今日の5節です。「こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった。」第一次伝道旅行の際には、神の言葉が広がるという言い方しか出来なかったのが、今回の旅行ではその広がりが目に見える形になる、ということを示しています。信仰が強められる、というのは信仰が強められる様子を皆が実感し、言ってみれば信仰者として足腰がしっかりし、自分の足で歩けるようになった、という意味です。また信仰者の数も増えていったようです。

 私たちのchurchは、いかなる意味で「協力する会」でしょうか。どうも私たちは、聖霊が私たちをつなぐということは考えやすいけ

れども、聖霊が私たちを分かつということは考えにくい習い性があるようです。パウロとバルナバの離別、それがなかなか絵にならないといって前にもお示ししましたが、色々工夫をして、次のような絵をコンピューターに描かせるに至りました。命令文は次のような形です。「夕方に湖で二羽の鳥が違う方向に飛び立とうとしている。明日の日の出を予見させる様子」。あとで配布される説教スクリプトをご覧下さい。

 

*聖餐への招き

信仰者としての息吹が互いに互いを助け合い、高め合うような協力が出来るように、十字架の主を仰ぎ見たいと思います。私たちはこれから聖餐に与ります。この聖餐は、一人一人の信仰がキリストと結び合わされるために持つものですが、同時に私たちの兄弟姉妹との交わりが主にあって豊かにされることを願うものでもあります。主のある交わりが私たちを生かし、また教会を生かすものであることを感謝したいと思います。