わたしを愛するか

20230430説教「わたしを愛するか」(ヨハネ211519

                                                                                                                上田光正

 

 本日は、主が御復活なさって四度目の聖日です。

 先ほどご一緒にお読みしました聖書の御言葉は、復活の主がペトロをもう一度信仰者として立ち直らせてくださった、という記事です。場所はガリラヤ湖のほとりで、時は朝、ようやく太陽が昇り始めた頃です。主イエスはお約束通り、三日目に御復活なさいました。そして弟子たちに顕われなさったのは、これが三度目です。三度目の今度は、弟子たちと一緒に食事をされました。食事が終わったとき、15節を読みますと、次のように書いてあります。

「食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、『ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか』と言われた」 

 主は食事の後、ペトロ一人をお呼びして、湖畔の散歩にお連れしたようなのです。後の方を読みますと、もう一人の弟子も後からついてきたようですが、主は弟子たちの中からシモン・ペトロだけにお語りになったのです。「ヨハネの子シモン」というのは、わざわざ丁寧に父親の名前を付けて呼んでおられます。  非常に改まった呼び方です。主はよほど大切なことをお話しなさるお積りなのです。しかも、三度も同じ問を重ねられました。ペトロも「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と、同じく三度答えます。

 わたしがこの教会の講壇で最初の説教をするにあたって、このテキストを選びましたのは、主がペトロに問われたこの三度の問が、わたしが18歳で洗礼を受けてから今日に至るまでの63年間、何度もわたしを支えてくれた問だったからです。わたしは、伝道者となってからも、何か大きな問題や困難な問題にぶつかったり、自分が躓いて倒れそうになったりしたとき、幾度もこの「わたしを愛するか」という問に支えられて来ました。健康な時も病んだ時も、その他いかなる時も、この復活の主の「あなたはわたしを愛するか」という御言葉がわたしの魂の底にいつも響いて参ります。それですので、本日、皆さん方と御一緒にこの問答のことを、考えたいと思ったのです。

ガリラヤ湖の復活のイエス
ハンス・レオンハルト・シャウフェライン
Hans Leonhard Schäufelein
プーシキン美術館
16世紀前半

 「わたしの羊を飼う」というのは、主を信じる信徒たちの面倒を見る、ということです。「牧者」とか「牧師」と申しますね。これは、主がペトロをもう一度御自分の伝道の尊い御用のためにお用い下さる、という厳かな御命令に他なりません。主の三度の問いかけに対して、ペトロは三度とも、「はい、愛しています」と答えています。それに対して主は、三度、少しずつ言葉のニュアンスは違いますが、「わたしの(小)羊を飼いなさい」、と厳かな御命令を与えられました。

 それにしても、主はなぜ、三度も繰り返しペトロに同じ問を問われたのでしょうか。ペトロの答えが信じられなかったからでしょうか。どうもそういうことでは全くなさそうなのです。では、どうしてなのでしょうか。

 実は、今のペトロにはそんな、主の御用が務められるような資格は全くなかったのです。信仰生活の長い方はご存じと思いますが、これは明らかに、主が十字架にお掛かりになった時、ペトロが、「わたしはあんな人のことは何も知らない」と、三度も主を裏切ったことと直接関係があります。

 少しその時のことをお話しますと、最後の晩餐の後、主がいよいよ捕らえられるという段となって、ペトロは大言壮語をしたのです。「主よ、わたしは、どこまでもあなたについて行きます。たといあなたが牢屋に入って殺されても、御一緒について行く覚悟です」、と。ペトロは言ってみれば江戸っ子です。直情径行型、非常に実直な男で、意気に感ずる男です。主を愛することにおいては決して人後に落ちません。だから、ペトロは決してうそ偽りを言ったつもりは全くないのです。しかし主は言われました。「あなたは今夜、鶏が二度なく前に、三度わたしを知らないというだろう」、と。

 そして、皆さま御承知の通り、その夜主が予告なさった通りのことが起こりました。主が捕らえられ、連れて行かれると、男弟子たちはみんな蜘蛛の子を散らすように、逃げてしまいました。しかし、ペトロだけは、勇気を奮って後ろからついて行き、大祭司の中庭まで入って行ったのです。裁判はその夜夜を徹して大祭司の邸宅で行われ、人々は中庭で焚火に当たりながら中の様子をうかがっていました。裏切りはそこで起こったのです。有名な記事ですね(マルコ156672参照)。

 最初に大祭司の女中が、いきなりペトロを指差し、「あ、この人もあの人と一緒にいました!」と叫んだ。ペトロは真っ青になって「とんでもない、わたしはあんな男のことは何も知らない!」と言った。後は、坂道を転がるがごとくです。小一時間もすると二度目は男で、同じようなやり取りです。三度目はもっと派手でした。今度は大勢の男たちにぐるっと囲まれてしまいます。そしてペトロは地団太を踏みながら、「わたしは断じてあんな人は知らない、誓ってもいい」、と言います。するとその時、突然、夜明けを告げる鶏の雄たけびが、二度、高々と響き渡ったのです。主のお言葉通りのことが起ったのです。ペトロは大急ぎで逃げ出して、物陰に隠れて泣いた、と聖書に書いてあります。

 それがつい昨日のようであります。ですから、この時のペトロは、まだ全然立ち直っていなかったのです。自分はもう、イエス様を裏切ったのだから弟子の資格はないし、イエス様と合わせる顔もない、という気持ちだったに違いありません。

「レンブラント・ファン・レイン作  1660年」

 そのペトロを、主は何とかして失敗から立ち直らせたいがために、ペトロにわざわざ三度も「わたしを愛するか」、と問われたのですね。

 わたしどもは人生で大失敗をしたら、どうしますか。ああすればよかった、こうすればよかった、と悔やみ、ああでもない、こうでもないと悩みますが、なかなか埒(らち)が開きません。ところが主のやり方は違うのです。主は、「あなたはわたしを愛するか」、と静かにお尋ねになるのです。たったそれだけです。この時の主がそうです。それは決して、ペトロのお答えが信じられないから、念を押されたのではありません。主はペトロの最初の答えだけで、もう彼の気持ちは十分にお分かりになられたはずです。

 実は、主イエスとペトロとの三度の問答は、中身がだんだん深まっているのです。

 その前に、やはり知っておいた方がよいことがあります。実は、主はペトロに「あなたは今夜、鶏が二度なく前に、三度わたしを知らないというだろう」、とおっしゃったとき、もうふた言、とても大切なことを主は言われたのです。これはルカ伝だけが伝えているお言葉ですが、こう言われました(ルカ223133参照)。一つは、

「しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った」。

というお言葉です。 

 これは、「あなたはわたしを三度裏切るだろう」というお言葉の次の言葉です。「しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように祈った」。実はもう一つあったのですが、それは後でお話します。ただ今おっしゃったことは主が、倒れたペトロがもう一度立ち上がれるように、祈っている、というお言葉です。もったいないお言葉です。きっと主は、十字架の御苦しみの中でも、ペトロのことをずっと祈り続けておられたに違いありません。そしてペトロも、恐らく、主を裏切って逃げた時から、何度もこの主のお言葉のことを思い出し、あれはどういう意味だったのだろと、ずっと考え続けていたに違いありません。

 そういうことがありました。ですから、本日のテキストを読みますと、ペトロの答えの一度目と二度は表面的には全く同じ言葉ですが、三度目は違っていて、非常に味わいが深いと思います。三度目の答えが17節です。

「ペトロは、イエスが三度も、『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しくなった。そして言った。『主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたは良く知っておられます』」

彼は「悲しくなった」と書いてあります。「悲しくなる」という言葉は、非常に強い言葉が使われています。他のところでは、「泣いて悲嘆にくれる」とか、「悲しみに満たされる」と訳されています。ただしこれは、こんなに自分が言っても、もう主はわたしを信じてくれないのか、という悲しみではありません。なぜなら主は、「わたしの小羊を養いなさい」とちゃんと仰っておられるからです。

 むしろ、わたしの考えでは、ペトロは三度目に、非常にはっきりと、なぜ主が三度も尋ねられたか、その中に込められている主のまことに深い御愛が、よく分かったに違いないのです。主は明らかに、ペトロを赦し、何とかして、彼をその痛手から立ち直らせようとしておられる。そのことに気が付いた途端、主への篤い感謝と共に、至らなかった自分に対する深い悲しみが、ふつふつと胸の底から湧いてきたに違いないのです。

 それですので、三度目のペトロの答えはとても控え目で、謙遜です。一度目と二度目の時は、「わたしはあなたを愛しています」という自己主張が少しは入っていたかもしれません。なぜなら、「愛している」ということは、彼のうそ偽りのない気持ちですから、それだけはどうしてもわかって欲しかったのです。しかし、三度目は、ペトロはもう、「愛しています」という自己主張を放棄しているのです。むしろ彼は、自分の告白の真偽の判定を、すべて主イエスのご判断に委ねているのです。「あなたは何もかもご存じです」というのは、人間の心の奥深くにあるものは、その人自身にさえ本当はよく分かりません。ただ一人、神であられ、人の心にあるものをことごとくご存じであられるお方、主イエスだけがご存じです。ペトロはその主の前に、自分のありのままの姿をさらけ出して、ご判断を委ねているのです。主がそれを「愛」だと認めて下さるかどうか。その中に、ひとかけらの真実を認めて下さるかどうか。このように愚かな自分を、尊い主の伝道の御用のためにお用い下さるかどうか。そのすべてのご判断を、ペトロは主に委ねるのです。

 そして勿論、そのペトロの答えで十分でした。主の三度の問いかけは、同時に、主の三度の赦しの言葉に他なりません。そして、三度目のお言葉、「わたしの小羊を飼いなさい」が、完全な御委託の言葉となっているのです。

 主はちょうど、消しゴムでペトロの三回の失敗を、一つ一つゴシゴシと全部丁寧に消すようにして、もう一度、ペトロを完全に立ち直れるように、三度お尋ねになられたのでした。

 わたしどもが主と信じて仰ぐイエス・キリストというお方は、わたしどもの信仰を一生の間支えて下さるお方です。わたしどもが失敗したときには、必ず立ち直らせてくださるお方です。最後の最後まで、わたしどもが悔いのない、自分でも本当に心から自分の人生を感謝して、平安な老いと死を迎えることが出来るようにと、わたしどもの人生を全うして下さるお方なのです。

 そこで二番目に、「主を愛する」とは何か、ということを、御一緒に考えて見たいと思います。これは、先ほど「もう一言あったが、後でお話しする」と申し上げました、主の二番目のお言葉と関係します。

 主は「あなたはわたしを裏切るだろう」と仰った後で、まず、「しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように祈った」(ルカ2232a)、とおしゃいました。これが第一のお言葉です。第二にそれに続いて、主はこう仰ったのです。「だから、あなたが立ち直ったときには、他の兄弟たちを力づけて上げなさい」(ルカ2232b)、と。この二番目のお言葉も、わたしはとても好きで、実に味わい深い御言葉だと思っています。「わたしの小羊を飼いなさい」、ということと、同じことです。

 主を愛するならば、自分が立ち直ったときには、他の兄弟たちをも力づける。わたしどもの人生で、躓き倒れることは多いのです。その隣人の魂のために労し、その人のために祈る人となる。こういうことが、主を愛する人の生活に必ず具体化して来るのです。主を愛するということは、主から遣わされて、隣人を愛することです。隣人に仕えて行く道、これが主を愛する者の具体的な生き方です。そうでなければその信仰はニセものになります。

 逆にまた、隣人を愛するということは、自分が主に愛されていないと、なかなかできることではありません。主の十字架の愛を受けている。その主に心から感謝し、主を愛する。そうすれば、もはや、自分のことは何一つ心配する必要がなくなります。なぜなら主は、「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ634)と仰いました。わたしどもは、自分自身の心配ごとは、一切良い羊飼いである主と父なる神の御配慮にお任せすることができます。そしてその時、「わたしを愛するなら、わたしが愛しているあなたの兄弟を愛しなさい」、という主の御声が聞こえてくるのです。

 愛ということで、一番大切なものは、想像力です。隣人が困っていることや、助けを求めていることは、想像力がストップしてしまうと、何も分からなくなります。人の心の叫びやうめき声が聞こえるようになるのは、自分の心が開かれている時です。手助けして差し上る気持ちになります。そのようにして、わたしどもは、神を愛し、隣人を愛するという悔いのない人生を歩めるのです。

 本日、三番目にご一緒に学びたいことは、主はわたしどもを用いて、わたしどもの小さな業を高く引き揚げて下さる、ということです。わたしどもが出来ることは、皆僅かで、小さく、ふつつかな僕がする失敗だらけの業です。わたしどもの人生も、小さなもので、欠けの多いものでしかありません。しかし、主はその欠けを補ってくださり、それを高く引き揚げて下さるのです。隣人愛と言っても、わたしどものすることは皆不完全で、小さくて、余計なこと、無駄なことしかできなかったように思えてなりません。とても愛の業とは思えないのです。それでもしかし、もしわたしどもが主を愛し、主が愛される小さな羊たちを愛するなら、主はそれを大きくし、神の栄光を現すものとして用いて下さるのです。

 わたしが最初に主任牧師として赴任した教会は、高知県にあります安芸教会という小さな教会でした。そこに川島博耕さんという長老さんが居ました。なかなか立派な人ですが、今日はその方のお話をする時間はありません。ただその方が、キリスト教の信仰は、平均台を歩むようなものだとおっしゃったことをよく覚えています。平均台は、下を向くとすぐにバランスを崩してしまいます。平均台を歩くときは、ずっと遠くの方を見ることが大事だ。信仰も同じで、ずっと先の、永遠の世界を見るとちゃんと歩ける、と仰いました。わたしどもが地上で為す愛の業は、皆小さなこと、ほとんど価値のないことのように思えます。また実際にそうであるに違いありません。しかし、主は終わりの日に、この小さなわれわれが、主を愛し、隣人を愛したこのまことに小さな、ふつつかなしもべの業を、大きく、高く引き揚げて用いて下さるのです。そして、神の栄光として下さるのです。

 最後にそのことを学んで、本日の説教を終えます。

 その次の、18節以下をお読みします。イエスのお言葉の続きです。

「『はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年を取ると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる』ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、『わたしに従いなさい』と言われた」

と書いてあります。

「若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた」というのは、当時の諺か何かかもしれません。人間は若い時には、誰でも好きなように生られる。失敗も許されます。しかし年を取ると、そうはゆきません。だんだんと生き方が定められます。ペトロの場合は、他人が彼の腰に縄を巻いて、行きたくない所へ連れて行かれる。これはペトロの殉教の死を示唆している、と言われています。彼はそのようにして、神の栄光を現す、と主は言われたのです。

 ペトロがこの後でどうなったかは、聖書には書いてありません。ペトロのことは使徒行伝の12章までで、その後ペトロは忽然として消えて、あとはパウロのことが書いてあります。しかしどうやら、ペトロはローマで殉教したようです。多分その伝説が真実に近いのでありましょう。

 伝説によりますと、紀元64年のネロ皇帝のキリスト教大迫害の時に、ペトロは捕らえられて処刑されそうになった。ペトロが死んだらローマのキリスト教は終わりだと長老たちに勧められて、後ろ髪を引かれるような思いでペトロだけ逃げた。今もローマに残っております、アッピア街道を彼はローマを捨て、逃げようとしたときに、反対方向から輝いた御顔の復活の主がローマに向かって来られる。その主が彼に迫って来給うた。ペトロはそこにひざまずいた。すれ違う時に、「主よ、いずこに行かれますか」。こう訊いたら、主は、「お前が捨てたローマに行って、わたしはわたしの小羊たちのためにもう一度十字架に掛かりに行くのだ」。こう言われた。ペトロはローマを捨て去ろうとするその態度を改めて、イエスに従ってローマで殉教した。これは伝説ではありますが、まことに美しい話です。

 わたしどもが主と信じ仰ぐイエス・キリストというお方は、わたしどもの信仰を一生の間支えて下さるお方です。わたしどもが失敗したときには、必ず立ち直らせてくださるお方です。そして、わたしどもが主を愛するなら、最後の最後まで、わたしどもが悔いのない、自分でも心から感謝して平安な死を迎えることが出来るような人生を歩めるようにして下さるお方です。一人ひとりの人生を、永遠の重い栄光にあずかれるようにして下さるのです。その主が、今朝もわたしどもに「わたしを愛するか」、とお尋ねになるのです。