感謝して将来に希望をおく

2023/03/26 受難節第五主日礼拝(第二回教会総会)

 

ヘブライ人への手紙3章6節(2023年度教会聖句)

「感謝して将来に希望をおく」     役員 金井文昭

 

説教前の小説教(金井文昭兄)

私のイエス様との出会いは偶然でした。10年ほど前に妻より娘が韓国系のキリスト教会に出入りしていて、何かあぶなそうなので、見て来て欲しいと言われました。その韓国系キリスト教会はオンヌリ教会ですが、教会主催のラブソナタ京都というイベントに出かけました。前夜祭では日本の大学の教授や会社経営者さらに韓国駐日大使や韓国の会社経営者とお話しする機会があり、あやしい感じは吹っ切れました。次の日のラブソナタ本番での牧師のお話はイエス様が使徒の足を洗う聖書箇所で私は涙に溢れその後、千葉県八千代のオンヌリ教会で洗礼を受け、クリスチャンとなりました。

 

伊東教会との出会いも不思議なものです。3年ほどまえ、伊東に移って来ましたが、川奈の坂の多いところで転倒し、足の骨をおり、松葉杖で一か月ほど過ごしましたが、その間、平なところを求めて、ご近所に移りしました。松葉杖が取れた後、この伊東教会の案内を見ている牧師が優しい顔で誘ってくれて教会に通うようになります。なぜかパウロとイエス様の出会いを思い起こす出来事でした。その後、教会員との交わりを求めて隣人を愛する会として読書会をはじめました。最初は少し戸惑いがあり、やったり、やらなかったりしていましたが、ある時山道愛子姉が“羊飼いが羊をほっていたらだめですよ!”と言われ、その言葉に励まされて今日まで続いています。隣人を愛する会の毎週の皆様との交わりは私の一週間の仕事の報酬としての恵みにように感じています。

 

この恵に感謝し、牧師、役員と相談して隣人を愛する基金を設立しました。基金の使用法としてどのように用いたら礼拝を守り、福音をより多くの人に伝えられか皆様のお知恵を聞かせて頂くようお祈りします。

 

さて、少し、話は代わります。みなさんの記憶にも新しいと思いますが、22日水曜日ピッチャー大谷の投げたボールが、大谷と同じ米国大リーグエンジェルスに属するトラウト選手のバットが空を切ったその瞬間、日本中で歓喜の声が沸きあがり、みな、こころを一つにして成し遂げたWBC世界野球の優勝を祝いました。神はこころを一つにしてみんなであることを成し遂げる時に、集団としての喜びが湧くように人を作られたことを覚えます。

 

今私たちは古く、醜くなった礼拝堂をきれいに整えるよう聖霊の働きを受け、みんなでどうしたら良いか知恵を絞り計画を練っています。この計画を達成することで教会員一同がWBC世界野球の優勝の瞬間のような歓喜を味わいたいと願っています。

 

礼拝堂はかなり、醜くくなっており、特に、屋根、玄関、花壇が直ぐに気付くところですが、良く見ると壁紙もほころびだらけです。一方、屋根の水漏れ対策は礼拝を続けていくために重要です。現在辛うじてもっていますが、一度壊れると大きな修繕が必要になり、礼拝を続けることが難しくなります。教会一同、礼拝堂を自分の家と思って同じ思いで改修修繕を進めたいと願っています。

 

玄関前の花壇は妻と共に整え始めています。今、春の日差しを受けて可愛いらしい花が咲いています。ほとんど毎日、水やりに来ていますが、通りすぎる旅人が指をさして喜んでいる姿を見て幸せな気分になります。

 

お気付きでしょうか、その花の中にあゆみちゃんが私にたくした赤いチュウリップの花があります。これは西小学校でもらった花で“金井さん、これを育てで下さい。と申し出があり、植えたものでもらった時はつぼみでしたが、次の日に花が開いて春を満喫しているようです。

最近もう一人の子供との出会いもありました。

キネマ通りの伊東国際交流協会で外国人のための日本語教師養成講座を修了して3月から日本語を教えていますが、私の担当は1月に西小学校にフィリピンから転向してきた小学4年生のガビリエル君です。まだ、ひらがなもきちっと読めない状態で英語を加えながら教えています。教室でじっとしているのはつらい年ごろで休憩時間に教会に連れて来て花壇の話をしていると赤いチュウリップを見て“自分も、もらった”と目を輝かせていました。そして自分もクリスチャンであることの話をしてくれました。その後、ガビリエル君のお父さんとも話す機会がありましたが、一家6人で近所に住んでおり、介護施設で働いているそうです。礼拝する教会を探しているとのことで教会にも連れてきました。伊東で介護が必要な人のために、働いているこれら若い外国人やその子供たちも私たちの将来への希望です。ともに礼拝を捧げられる日があればと願っています。

 

先週は須田先生井の説教がありました。“主の為に生き、主のために死す“というみ言葉から始まり洗礼を受け救われた人はどのように生きるかガラテア書のパウロの言葉を用いてあかしされました。パウロは次のように言っています。

5:13兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。 5:14律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。  5:22しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 5:23柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。5:25もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。

 

須田先生の午後の説教は次第に熱を帯びて2時間近くになりましたが、御霊によって進むとはどういうことか、の具体的行動としてでしょうか、説教の最後で、福音伝道を伝えることを思いついたら是非、上田牧師と相談して進めて下さいという言葉が強く印象に残っています。私たちの将来への希望である子供たちや若い人を隣人として支え、伊東の地に神の国が実現するように皆様と一緒に働きたいと願っています。ヘブライ人の手紙の中でパウロはまた、つぎのようにあかししています。

3:6キリストは御子として、神の家を治めるのに忠実であられたのである。もしわたしたちが、望みの確信と誇とを最後までしっかりと持ち続けるなら、わたしたちは神の家なのである。

そうです!私たちは神の家である礼拝堂をきれいに整え、私たちの思い信仰を引き継ぐ人たちを支え、将来への希望としたいと思います。 

この祈り私たちの愛するイエス様をとおしてお捧げします。

アーメン