エルサレム会議、三回目

2023/03/05受難節第二主日聖餐礼拝 使徒言行録説教第46(エルサレム会議、三回目) 福音と律法 151321節 牧師 上田彰

*身内の宗教から復活の宗教へ

 主イエスが群衆にとある家の中で語っておられたとき、外に何人かの人影が現れました。一人が主イエスの母マリアで、その子どもたち、つまり主イエスの妹や弟たちです。彼らは、長男と話したいと言って、外に出てくるようにと人づてに頼みました。すると主は使いの者にこう答えます。私の母、私の兄弟とは誰か。父の御心を行う者が私の母であり兄弟である、と。その答えを外に立ったまま聞いた内で、最も深くその返答を胸に刻んだのは、一番年の近い弟、ヤコブでした。主イエスの身内が、主イエスのことを良く理解していたというわけではありません。最も身近な者が、却って信仰から遠いということがありうるのです。

 

 また彼は、あるときに次のようなことも口にしています(ヨハネ7)

イエスの兄弟たちが言った。「ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世にはっきり示しなさい。」兄弟たちも、イエスを信じていなかったのである。

この言葉がヤコブ自身か、ヤコブに近い立場の者から発せられたのです。後にパウロは「ユダヤ人は信仰のために見えるしるしを求め、ギリシャ人は知恵を求める」と語っていますが、ヤコブは何か見える証しを欲していたのです。

 少し分かる気がします。神学校に入る前、大学生活をしている頃、私は通っている教会において伝道熱心な信徒として有名でした。教会に誘って実際に来た人数は、20人はくだらないと思います。ただ、それらのほとんどは、信仰告白をする前のことです。人数は多いけれども教会につながる人はほとんどいませんでした。きちんとわかっていない、信じていない状態であそこはとにかく楽しいところだから、と人を連れて来ても、来たのと同じ勢いで去って行ってしまうのです。その内に、自分の中で信仰が分かってきたときに、今までほどは勢いよく誘うことは出来なくなりました。しかし自分の言葉で信仰の証しをする、ということがいくらかは出来るようになったのです。

 ヤコブは、イエス様の身内だから教会において重んじられていた、という訳ではありません。そんな単純な理由ではなく、教会はヤコブがまた回心を遂げたことを知っているからです。パウロは後に、その回心とは、主イエスの復活の現れに触れることだった、と語っています。いわゆる奇跡物語を目の当たりにした、というのとは少し違います。肉の眼において目撃した奇跡など、目に入ってきたのと同じ勢いで失われていきます。信仰を持ったら病気が治った、お金持ちになった、信仰のきっかけになるという話は聞いたことがないわけではありません。しかし、また同じ勢いで病気になるかも知れないし、貧乏になるかも知れない。そうしたらまた信仰が同じ勢いで頭をもたげ始めるのでしょうか。ヤコブが回心を遂げた、というのは、ヤコブの中にある色々なものが信仰の妨げになったりきっかけになったり、だから信じたり信じなかったりする、というようなかつての心のありようが、大きく変えられた、ということです。ヤコブは、兄弟の中でもイエス様に一番そっくりであった、だからイスカリオテのユダは裏切りの晩にこのヤコブをイエス様と間違えないよう、イエス様に接吻をすることでイエス様を逮捕しようとする者たちに合図を送った、といわれるほどです。あの尊敬するイエス様とうり二つということであるのなら、間違って崇められないはずがありません。ヤコブが信仰から遠かったのは、そんなエリート崇拝みたいな信仰が弟子集団とその取り巻きの中にないわけではない、と見抜いたからでしょう。それで悶々としていた。自分の兄が捕らえられ、十字架にかけられたときにも、次に狙われるのは自分だとばかり、ペトロ以上に遠くまで逃げ、息を潜めていたのかも知れません。自分が救い主の、あるいは救い主と自称する者のそっくりさんであるという運命を、心から憎む
が三日ばかり続きました。しかしそんなヤコブの所にも、復活の主は表れて下さいました。その時に気づくのです。自分がイエスの弟であるという運命を呪うのではなく、自分の所にもイエス様が現れて下さったということを喜ぶ。まさか弟だからと優先して表れて下さったということもないでしょう。主にあって男も女もなく、主にあって異邦人もユダヤ人もなく、主にあって身内であることと赤の他人であることは違いがありません。ただ主が信じる者として下さる。そのことだけを喜ぶのです。

 救い主の身内であるという運命を理由とするのではなく、また見えるしるしとか優れた知恵によるのでもなく、信仰の眼が開かれることによって今やヤコブは信仰者となった。復活された主イエスが、「まずペトロに現れ、次いで使徒に、またヤコブにも現れ、最後に月足らずの私パウロにも現れた」と第一コリントの最後の方で語る時、ペトロ、ヤコブ、またパウロ達に「現れた」復活の主とは、人間的な意味での疑いとか、納得してからでないと信じないという頑なさとか、信仰者の家庭の生まれの方が信仰に入りやすいはずだという肉親本意さとか、この共同体の中でどうやったら出世できるのだろうかといった出世の道探しとか、私はキリスト者となる運命の星の下に生まれたのだろうかといった形で持ってしまっている迷い、その他信仰に入るために乗り越えなければならない様々な障害を、イエス様の方から取り除いて下さって、私たちの方に歩み寄って下さる、そのことを受け入れることによって弟子たちやパウロは、本当の意味で信仰者となっていくのです。

使徒言行録の始まりから、このエルサレム会議の出来事までの間におよそ10年から15年の歳月が流れています。その間に色々な出来事がありました。かつては神殿の前庭で使徒達は説教をしていたのです。しかしステファノの殉教を契機に教会は散らされていきました。そういえば以前は、エルサレムへ帰ろうというユダヤ教の運動を支持して、故郷の土地を捨ててエルサレムに移り住むことを決めた人々には、教会も寮のような住まいを提供するなど、どちらかというとエルサレムに集まるのが信仰者だという立場を取っていました。しかし今やパウロや、その寮出身のバルナバが伝道活動を行っているアンティオキアの教会の方が大きくなりつつありました。パウロが今回のエルサレム会議について語るところを見ると、異邦人教会はエルサレム教会に対して支援のための献金を集めることを決議しています(ガラテヤ2)。エルサレムが信仰者のふるさとであるべきだ、という「べき論」と、信仰者はエルサレムから別の新しいところへと散らされつつある、という「実際の状況」の間にずれが生じつつあったのです。

 そんな中で、エルサレムにおいて洗礼を受け、信仰者として新しい出発をしたはずの元ファリサイ派の教会メンバーが、わざわざアンティオキアまで赴き、異邦人達に向かって「洗礼を受ける前に割礼を受けないと救われない」と主張を始め、パウロやバルナバと大きく対立するという出来事が起こってしまったのです。

 そのために持たれているエルサレム会議ですが、ペトロの主張はこうでした。「神さまはユダヤ人の中からも異邦人の中からも聖霊を通じて信仰者をお選びになり、心を開いて下さいます。割礼によって体を開くのではなく、洗礼によって心を開いて頂ければ、それで信仰者として十分である」。教会が大きな転換点を迎える、決定的な言葉だったと思います。見える形で申しますと、礼拝を守る日が週の終わりの安息日である土曜日から、あのお方の復活を経験した日曜日へと移っていったことが、教会をユダヤ教ナザレ派からキリスト教へと転換する転機であったと言えます。しかしもっと見えない、そして深い形で、キリスト教が誕生したのは、「割礼なき洗礼」をペトロが主張したこの時であった、と言うことが出来そうです。

 

*「保守的」なヤコブ

 今日の所において、ヤコブの役回りは何でしょうか。後にヤコブは、自らしたためた手紙において、次のように名乗ります。「神と主イエス・キリストの僕であるヤコブ」。主イエスの身内だからというのではなく、むしろそのお方の復活によって、私は信仰者とさせられた。回心を遂げた後のヤコブは、教会で重んじられるようになりました。主イエスの身内として運命的に信仰を持つというのではなく、主イエスのしもべ、と名乗ることによって信仰者とされた一人の人は、跪いて祈るために、膝が岩のようにごつごつとして硬くなっていたという伝説があります。想像ですが、かつておっちょこちょいとして有名であったペトロは、コルネリウスとの出会いを通じて、既に変えられていました。どちらかというと移り身が早いのがペトロです。それに対してヤコブは、保守的で慎重な一面を持っていたのではないでしょうか。教会にも、時代の最先端を取り入れる、進取の機運というものにあふれているという部分があります。時代をリードするのは教会だという自覚によって、若い人が集まっていた時代があります。しかし教会には、良い意味で保守的な部分があります。ドイツに行きますと、礼拝に集まる人は確かに高齢者ばかりです。しかし、どんな時代においても高齢者が教会に来るのです。人生の盛んな頃は仕事や家庭、趣味で忙しかった人たちが、自分たちの人生をまとめるに当たって、帰るべき所に帰ってくる、それが教会だというわけです。教会において人生のまとめが出来るという点では、日本の教会もまた同様ではないかと思います。そのために、教会には変化を好まない、保守的で慎重な側面があります。そういった側面を体現しているのがヤコブではないかと想像するのです。ヤコブは今日の箇所で、旧約聖書からの引用を行い、律法が読まれ解説されるというユダヤ教以来のタイプの礼拝がエルサレム教会ではずっと持たれていたことを示唆しています。

 

*新しい教会像を示すヤコブ

 そんな彼が、ペトロより一周遅れて異邦人伝道への賛成演説をするのです。

彼は預言書を引用します。アモス書の9章の言葉です。主なる神が戻ってきて、イスラエルの幕屋を建て直す、そのことによって、主を信じるユダヤ人や異邦人がまた主の名前を探し始めるようになる、という内容です。もしご興味のある方がおられたら、ここでルカが引用した聖書箇所が、旧約聖書の元々の箇所と少し違うところがありますので、時間を取って比較してみられたら面白いかと思います。ここでは結論だけをはしょって申し上げますと、ヤコブは旧約聖書を、ユダヤ人の立場ではなくキリスト者の立場から解釈し、引用していることが分かるのです。旧約聖書自身の文脈は、イスラエルという国が倒れかかっているけれども、それがエドム人という異邦人をも神さまが用いて下さることによって、建て直される、という話です。それに対してヤコブの演説において引用されているのは、倒れかかっているのは国ではなくて教会である、その教会は、異邦人を受け入れる心の広さを持つことによって、教会として本来持つべき視野を回復することが出来る、そういう文脈であることに気づかされます。つまり、ヤコブの演説は、旧約聖書を引用しながら、そこにキリストの息吹を吹き込むという、教会ならではの解釈が加わっているのです。建て直されるのは国家ではなく教会です。国を建て直すのがエドム人を含めたユダヤ人だといっているのに対して、教会を建て直すのが異邦人だというのではなくて、異邦人を受け入れる心の広さを経験することそのものが教会の建て直しだ、というのです。

 ヤコブがこの聖書箇所を引用する意図は、こうなのではないでしょうか。昔の信仰者の言葉を、そのまま受け継ぐのではなく、その言葉に新たに息を吹き込み、発音し直すことによって、私たちの信仰が確かなものとなる、ということです。ヤコブはイエス様の身内であるから尊敬されているのではありません。身内であるにも関わらず、身内であるということを何の関係もないかのようにひざまずいて祈り続けるから尊敬されているのです。同じように、旧約聖書に書いてあるから受け入れなさい、というのではないのです。旧約聖書に書かれていることを、聖霊の息吹を持って読み直したときに私たちの今の状況が鮮やかに描かれていることに気づくではないか、だから私たちはこの異邦人伝道の始まりという状況を、聖書の預言の実現と信じようではないか、というわけです。

 教会が建て直されるべきであることに、人々は気づき始めています。

 

*福音的な律法解釈は可能か

 ヤコブが行う演説の続きはどうなっているでしょうか。

 「ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです」。実はこの言葉は、パウロがガラテヤ書で伝えるエルサレム会議の結論とは、少し異なっています。恐らくエルサレム会議というのは数日間、または数回行われていて、パウロ抜きでエルサレム側のメンバーだけで話し合われた会議があって、それをルカが一つに合わせているという説があるようです。確かに一見すると、ヤコブは旧約聖書の教えを守ることを異邦人にも求めていて、保守的な人なのだろうという印象を与えます。しかしこの四つの戒めをヤコブがここで示したことの真意をキリスト教的に膨らませるならば、パウロはこの戒めをヤコブが示したことに、同意するのではないかと思います。異邦人伝道者パウロは、このヤコブの保守的な考え方を、どのように好意的に受け止め直したのでしょうか。異教の地における伝道に赴くパウロにも納得のいくものへといかにして解釈することが出来るのか、なかなか難しい課題であると共に、興味深い課題でもあると思いました。

まず前提となるのは、ここに出てくる戒めは、いずれも異邦人の習慣となっていたことです。例えばみだらな行いというのは、当時のギリシャ宗教では神殿娼婦といって、男女の営みを勝手に宗教的なものだと言いくるめていました。また彼らの礼拝において献げられた肉が、市場に安く流れているということもありました。動物の生き血をそのまま飲むという習慣もあったようです。ある種の野蛮さを象徴するこれらの習慣に対して、ユダヤ教はノーを唱えてきましたが、新しいキリスト教も引き続きこれらの野蛮な習慣に対してはノーを唱え続けるべきだ、というのがヤコブの主張として考えられることです。

 しかしこの話は、ここまでであれば「キリスト教もユダヤ教と同じ戒めを持っていないとならない」といっているだけで、キリスト教の新しい息吹で律法を解釈したことにはなりません。もう一段踏み込んで、キリスト者だからこの戒めを新たに受け止め直すことが出来る、という風になるのかどうか、パウロは検討したのではないでしょうか。そしてパウロは、いえヤコブの演説を聴いた新しい宗教の担い手達は、改めて旧約聖書を読み直したのではないでしょうか。

 すると次のようなことが分かります。ここでヤコブが示した四つの戒めは、いずれもレビ記18章前後に出てくる戒めです。ここに出てくるのは、「混ざる」という事への警戒感です。もともとユダヤという国は、周りを強く大きな国々に取り囲まれ、政治的には大変に弱い国家でした。そのために、特に北イスラエルは他の宗教を持つ民族と混ざり合って、国としてのアイデンティティーを失って滅びてしまいました。南ユダはその様を知って、他の宗教と混ざり合うことを極端に嫌いました。サマリア人を含めた、他の宗教を持つ異邦人を軽蔑し、挨拶もしないという風に頑なな態度でいたのです。律法というのは、ユダヤ人たちが異邦人と同化しないようにするために何をすべきか、ということについての生活指導の言葉集であるという側面がありました。

 ところが、ヤコブが取り上げている四つの戒めを検討していくと、次のように解釈することが出来る可能性が見えてきます。それは、ユダヤ人と、いえ信仰者と異邦人とを分けるのは、生活全般ではなくて、礼拝の場である。これから異邦人の世界に赴くパウロにとって、彼らと挨拶をしてはならない、生活の場を完全に分けなさいというのは、どだい無理な話です。しかし、異邦人伝道の現場に行って、聖なる空間が礼拝によって作られる、その場所へと人々を招き入れなさい、とヤコブが勧めていると考えることは、パウロにとって大きな励ましになるのではないでしょうか。

 使徒言行録にはこれ以降、ヤコブは登場しません。ヤコブがパウロに向けた最後の伝言、それは身内だから信じる宗教ではなく仕える者として信じる宗教への転換を経験したものが、パウロに対して、旧約聖書を捨てるのではなく生かす形でユダヤ教以上の宗教へと兄の宗教を発展させてほしい、とパウロに伝えたかったのではないでしょうか。

 

*現代において福音的な生き方は可能か

 21世紀の日本に生きる私たちにとって、パウロ的に解釈されたヤコブの伝言は、なお意味を持つのではないでしょうか。異教社会においてキリスト者として生き生きと生活すること、それはキリストの食卓を囲むようにして聞く主の御言葉の礼拝です。かつて主イエスの身内であるが故に弟子でもあった一人の人は、復活の出来事を通じて真の意味で弟子であり使徒となりました。自分が信仰者であるのは、身内だからとか、自分なりに納得できたからとか、ここに身を置くと有利だと計算できるとか、そういう話ではなく、ただキリストが招いて下さることによって主の前に立つ、いえ跪く
ことができる。私たちもこのような信仰者のむれに礼拝を通じて加えられたいと願います。