福音がもたらす平和

現在水曜日の聖書祈祷会ではガラテヤの信徒への手紙を読み進めていますが、その中に次のような印象的な一節があります。「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(220)。生きているというのは、一体どういうことでしょうか。人生の中で、バリバリ働いて人の役に立つことを生きがいとする時期があります。そして年老いて、あるいは病を得て、人の世話になりながら生きるときがあるかも知れません。頼られることを生きがいとしていた人が、頼る生き方に転換せざるを得ないときに、生きがいを失うということが多々あります。パウロがガラテヤ教会の信徒たちに、頼られる生きがいから、頼る生きがいへの転換を勧める際に、パウロは自分自身の転換を思い出しながら、先ほどお読みした言葉を記したものと想像できます。ご存じ、サウロからパウロへの回心の出来事です。彼は迫害をすることに生きがいを感じていましたが、違うことに生きがいを感じるようになるのです。それはキリストの言葉を心の中でこだまさせ、またそのこだまを外に響かせるようにして隣人にそっと福音を伝えるやり方です。一般的には、サウロからパウロへの回心は劇的なものであったけれども、彼の外面的な行動にはあまり変化がなく、激しい迫害者が激しい伝道者になったという風な、ある固定した先入観が働いてしまいます。しかし所々、先ほどのガラテヤ書の言葉のように、「自分が、自分が」という激しい情熱をほとばしらせるのではなく、「我が内なるキリストの声」に静かに耳を傾ける生き方をしていた様子がうかがえます。

little Christ」で検索

すると、「(私の内にあ

る)小さなキリスト」で

はなく「キリストに抱か

れている小さな私」の絵

が並ぶ。これはある種の

必然性がある。


2023/01/22 顕現後第三主日礼拝 使徒言行録説教第42回 

1418節 福音がもたらす平和  説教者 牧師 上田彰

 *「生きているのはもはや私ではない」

 私たちが読んでいる使徒言行録、ご存じのように使徒達がどのように伝道を進めていったかということについて記しています。執筆されている内容を見ますと、主イエスが復活されて後昇天なさった時(紀元30年代半ば)から始まって、パウロの数回に及ぶ伝道旅行とローマでの皇帝とのやりとりなど、紀元60年代半ばまでのことについて記されています。パウロの伝道旅行の足跡を地図でたどって参りますと、今日の箇所でデルベまで踏み込んだということは注目に値します。デルベといえば、ガラテヤ州の東の端の町です。つまりここでパウロはガラテヤ州に入っていたことになります。パウロはガラテヤ教会の信徒に手紙を送りますが、時期でいえばデルベ訪問からそれほど間を置いていません。混乱するガラテヤ教会についての様子を、デルベ訪問の時に伝え聞いている可能性もあるな、あるいはガラテヤの諸教会の創立に、パウロ自身が直接加わっているのではないだろうか、などといろいろ想像しました。

*主を頼みとする生き方

 ガラテヤ書をパウロが記す少し前、ガラテヤ州に接するイコニオンでのパウロの伝道の様子について、先ほどの「生きているのは、もはやわたしではなく、キリストがわたしの内に生きておられる」ということを体現するような形で使徒言行録の著者ルカは伝えています。今日の3節は先ほどのガラテヤ書に現れるパウロと重なります。

「それでも、二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである」

あるかについて、注目をしなければならないと注意を促します。それでギリシャ語の聖書で確認しますと、冒頭の「二人は」という言葉は元々は入っていません。文字通りにいえば「彼らは」です。それから「主を頼みとして勇敢に語った」というのも、少しすっきりさせすぎた翻訳です。次のように訳し直してみたいと思います。「彼らは少し長めに滞在した。滞在中、証しをして下さる主イエスについての語りが、あった。また主が彼らの手を用いて起こして下さったしるしと不思議なわざについての語りが、あった」。彼ら、つまり二人の使徒は確かにこの一文には登場します。彼らがイコニオンに滞在したのは間違いないようです。主にユダヤ人会堂で話をし、時折癒しなどの不思議なわざをしたようです。しかしその二人の働きは、二人がしているはずなのに、なぜか他人行儀に「語りがあった。不思議なわざがあった」という風に、わざと主語が明らかではない書き方がされているのです。

 「生きているのは、もはやわたしではなく、キリストがわたしの内に生きておられる」。これはパウロがたまたま思いついたように記したのではなく、パウロがあのダマスコ途上の回心の時以来、彼の生き様を変えた体験として彼に伴い続けているのではないでしょうか。

 パウロの回心に当たるような劇的な出来事を、現代の私たちは直接体験することは(すく)なくなっています。恐らく洗礼を受ける前に光に包まれて目が見えなくなった、というような体験談を現代において聞くことがあるとしたら、それは何らかの意味で作り物の可能性さえあります。しかし私たちは、もっと本質的な意味で、パウロの体験を継承しているのです。それは、洗礼を受ける前か、直後か、あるいはずっと後に、「生きているのはもはや私ではない」という思いを持ち、また頼られる生きがいから頼る生きがいへの転換を経験するのです。洗礼を受ける前に経験したという方も、洗礼は若い頃に受けたけれども頼る生きがいへの転換は比較的最近ですという方もおられるかも知れません。しかし日々御言葉に触れることによって、「生きがいの転換」は日々起こっています。


 *対立の発生

 パウロとバルナバは、ユダヤ人会堂で自分の内における、あるいは自分たちの間において響いている、「御言葉のこだま」を人々に伝えました。語るのはキリストです。染み出る言葉を彼らは取り次ぐだけです。もし流暢に、立て板に水とばかりに福音を力強く自分の言葉として語り、人々はその圧倒的な話術に感動して信仰に入る、というのであれば、彼らのイコニオン滞在は一日しか必要が無かったかもしれません。しかし御言葉を自分自身で聞きながら、さらに語るというのは時間がかかります。恐らく同時に、近隣の教会の様子なども聞き取っていたことでしょう。あのガラテヤ教会の混乱についても耳にしていたかも知れません。そうだとすればなおさらのこと、時間がかかります。イコニオンにおける福音的な生き方の形成には、時間がかかりました。

 今日の箇所は、パウロが福音を語ったことで、ユダヤ人の信仰者のグループに分裂が生まれたということについて記しています。当然、キリスト教の側とユダヤ教の側です。しかし今日の箇所には二つの陣営について、キリスト教とユダヤ教という風な名付け方はしていません。少しわかりにくいのですが、二節と三節から、それぞれの陣営をルカがどのように名付けているかを確認すると、まず2節にいわゆるユダヤ教側の名前が出てきます。それは「信じようとしない人々」です。聖書の元の言葉でいうと「聞こうとしない人々」となります。それに対して3節にはいわゆるキリスト教側の名前が出てきて、それは「主を頼みとする人々」です。つまり、先ほどから申しております、「頼られる生きがい」グループと「頼る生きがい」グループとの対立がある、というのです。もちろんそれをガラテヤ書によく出てくるように、律法主義対福音主義という風に言い表すことも出来るかも知れません。ユダヤ教を信じる人々とキリスト教を信じる人々というので間違いは無いのですが、それだと信じている対象が違うだけで信じ方には違いが無いという誤解を与えてしまいます。その二つの陣営は、信じ方、いえ生き方が違うのです。生きる者陣営対生かされる者陣営、ともいえるかもしれません。

 パウロたちが訪れ、福音によって生かされる生き方を示したときに、町の人々は分裂したのです。ここまでの話で申しますと、単に「宗旨」の違い、あるいは「掲げる旗」の違いというわけではありません。今までユダヤ教という看板を掲げていた人たちが、キリスト教という看板に掛け替えたというのではなくて、むしろ生き方そのものが根本的に変わったのです。そして今までの生き方にこだわる人々が、新しい生き方を志し始めた人々に対して敵意を向け、またそう促したパウロとバルナバに石を向けます。


 *祈りによる国境線の形成

 石というのは、最も古い形の戦争に用いられる道具です。この、道具とも呼ぶことの出来ないどこにでも落ちている、誰でも拾って集められるものによって、人々は敵意を互いに向け合うのです。戦争の定義というものを調べてみますと、最も有力なものは、「兵力による国と国との争いであり、暴力による紛争解決手段である」というのだそうです。しかしこの定義にはある欠陥があります。それは、戦争は国と国同士で起こすものとは限らないからです。むしろ、この定義を逆手にとって「国」を定義した方がいいのではないかと思いました。こうなります。国とは、戦争によって互いが互いをわかたったときに出来るものである、と。既に出来上がった国があって、互いの利益が相反することで生じる紛争を暴力で解決する、だから戦争がある、というよりは、戦争が起こってしまうことによって、国と国の境目ということを意識せざるを得なくなる、そこから生じるのは憎しみで、すべてが終わった後に残るのは悲しみとむなしさだけだ、そんなことを私たちはリアルタイムで体験しています。そして二千年前にも、神の国の福音を説く伝道者たちが、地上の国の律法を説く者たちと対立をし、争いが起こる様子が記されています。憎しみを表す石は、このようにして国と国との境目を形作っていくのです。

 実は石というものは、戦争を通じて国と国の境目を形作る際に用いられるばかりでなく、もう一つの形で国を作る際に人々によって用いられました。それは死刑制度です。かつて19世紀の哲学者ヘーゲルは、国家が国家であることの根拠は二つあって、一つが軍隊を持っていること、もう一つが死刑制度を持っていることだ、と言いました。イスラエルにおいて、共同体のルールである律法を決定的な形で破った者に対する処刑方法はいくつかありましたが、最も行われたのが石打ちの刑であったようです。旧約聖書の中では、表だった形で石打ちの刑の様子が描かれるところはありません。割と脇道のようなところで、二人ほどの石打ちの刑について言及しているところがあります。

 もともとは石打ちの刑は、人を憎むのではなく、罪を憎んで設けられた処刑方法です。重い罪だけが対象になっています。偶像崇拝、殺人、特にその中でも父親殺し。不倫というのがそこに加わっているのは目を引きます。結婚が聖なるものであり、聖なるものを破壊するということは偶像崇拝や殺人にも等しい、ということになります。尤も、実際に聖書の中に出てくるものに限って言うならば、石打ち刑は神様を冒涜したという罪に対してだけ適用されています。不倫というものが石打ちの刑の対象に数えられているのになぜ執行されなかったのか、調べきることが出来ませんでしたが、何らかの条件が付されているようです。例えば、不倫の現場を証言能力を持つ者が複数で立ち入らないとならない、というような、現実的ではないハードルをわざと設けることによって、不倫で実際に処刑される人が出てこないようにする配慮はされていたようです。要するに、ユダヤ人の共同体も、律法を字句通りに解釈して人々を裁きまくるのではなく、律法の精神を重んじながらも柔軟に運用し、大事なのはユダヤ人の共同体とそうでない異邦人の共同体の線引きを行うことを目指していたのです。現代のイスラム教国家がこういった律法の精神を誤解し、誤って不倫のカップルを石打ちの刑に処していることなどが報じられているのは悲しい限りです。

 聖書に出てくるユダヤ人たちは、律法の字句通りの解釈にこだわる15世紀以降のイスラム主義者とは異なり、律法の精神を重んじるという立場を取っている点では、ずっとパウロに近い立場だったともいえます。にもかかわらず、律法の精神を重んじる当時のユダヤ人と、福音の精神によって生かされているパウロたちとの間には、大きな違いがありました。それは、福音の精神によって生かされている者たちは、「生きているのは、もはやわたしではなく、キリストがわたしの内に生きておられる」という生き方を志しているのです。かつて律法という看板を掲げていた者たちが、もはや旗印とか看板を掲げるような生き方ではなく、キリストを土台とし、キリストによって生かされているような生き方へと変えられていく。これはいちどきに、一瞬にして変えられるというのではなく、徐々に変えられていくものです。私たちは徐々に神の国の一員に変えられていく、といってもよいかもしれません。

 したがって、今日の箇所に出てくるような「石」によって形作られようとする類いの「国」とはかなり性格が異なり、それゆえに戸惑いも生じます。そもそもキリスト者がエルサレムからガラテヤを含む各地に離散せざるを得なくなったのは、ステファノの石打ち処刑から始まる迫害が大きくなったからでした。またイエス様の処刑は最終的には十字架によるものでしたが、ヨハネ福音書を見ると、何度かイエス様を石で投げて殺そうとする者たちが現れています。福音によって形作られる国境と、石によって形作られる国境には、性質の違いがあります。石によって国境線を引こうとする試みは繰り返されます。その度に悲しみが残ります。そして悲しみさえも消え去ってしまったとき、そこに残るのは祈りです。「福音が語り続けられなければならない」というパウロの言葉を、なぜかここで突然思い出しました。

*神の国への合言葉

 福音がもたらす平和。今日の箇所は、今まで律法に基づく教えによって、ユダヤ人と異邦人が仲良く暮らしていたイコニオンという町に、パウロが異なる教えをもたらした。このことによって、不幸な分裂が生じた、福音さえなければ皆が争うことはなかったのに、という風に読むことだってもしかしたら出来るのかもしれません。そうであるならば、福音がもたらすものは平和ではなく争いであるということになります。私たちが考えなければならないのは、一つの共同体が本当の意味で一致し、本当の意味で平和に暮らすことが出来るためには何が必要なのか、ということです。それは一つの旗印の下に、同じ考えにたどり着く努力をすることによって可能なものでしょうか。そうではなく、キリストという平和にすがることによって可能なのではないでしょうか。私たちは神の国が近づいているという福音を聞くことによって生かされています。神の国を形作る境目は、石によっても、旗色という名のイデオロギーによっても形作られることはありません。ただ祈りによるのです。神の国に入る合言葉を私たちは知っています。御国が来ますように、そしてマラナタ、主よ来たりませ