御言葉の広がり――ここにも主の平和がある

2022/12/04 待降節第二主日 

「御言葉の広がり――ここにも主の平和がある」 

使徒言行録説教38 121325節 牧師 上田彰

 「神の言葉はますます栄え、広がって行った」。主イエス・キリストは、私たちに「御国を来たらせ給え」と祈れとお教え下さいました。その意味は、未だはっきりと見えることのない「神様のご支配」がはっきりとさやかに現れるようにと祈る、ということです。神様がご支配なさる場所が広がっていくと、何が起こるのでしょうか。イエス様は、洗礼者ヨハネが牢獄の中に閉じ込められているときに、自分の弟子たちを主の元に派遣し、「私たちが待つ、来たるべきお方とはあなたのことか」と尋ねさせました。その時に主はこうお答えになりました。「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」(マタイ115)。「神の国は今まさにここに来ようとしているのだ」と告げることで始まった主の宣教は、私たちを悩ませる、病気などの身体的な不自由、差別などの社会的な不自由などが解消することで実際に起こっている、そのことをヨハネに伝えればヨハネにはきっと伝わるはずだ、とイエス様はおっしゃるのです。ヨハネの弟子たちは、半信半疑のままでヨハネにこのことを伝言したのかも知れません。弟子たちには、イエス様が起こす癒しのわざを知らないわけではなかったと思うのですが、1万人がその病気や差別で苦しんでいるのに、一人か二人がその問題に悩まされることから解放されても、焼け石に水というか、十分ではないと思ったのでしょう。しかしイエス様は、このことを伝えればヨハネには分かってもらえると思っていました。ヨハネは、広がりつつある御言葉の中に既におかれているということを、イエス様は確信していたからです。

 御言葉の広がり。その始まりは、ゴルゴタの丘の上に設けられた十字架からでした。三本の十字架の真ん中に架けられたお方に向かって、脇にいる罪人(ざいにん)は、こう語りかけられたのです。「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」。するとイエスは、こうおっしゃった。「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」。主イエスが自分のことを覚えていてくださる。そのことはすでに自分が楽園にいるのに等しい。御言葉の広がりの内におかれているというのは、こういうことなのではないでしょうか。目の前で争いが繰り広げられているところで、「シャローム」と語る。1万人が目の前で病や差別に苦しむ中で、一人か二人が苦しみから解放される。それは実際に病気や差別がなくなったということではなかったのかもしれません。にもかかわらず、その一人か二人は、御国におられる主に自分が覚えてもらっているということで喜ぶことが出来る。平たく言えば、その一人か二人は、この世を中心にした価値観から、神様を中心にした価値観へと変えられた、ということです。御言葉の広がりの内に捕らえられた者は、争いや困難を直視しつつ、シャロームと語るのです。

 そのような御言葉の広がりが織りなす轍の跡を追いかけて、私たちは使徒言行録を読み進めています。12章は、ある世界史的な事件を記録しつつ、その出来事と交差するようにして教会がどのように成長しようとしているのかについて記す箇所です。


 二つの出来事が交差しています。一方にあるのは、ヘロデ・アグリッパ一世という、ユダヤの血筋を引いてはいるもののローマ帝国への忠誠を誓う支配者による、教会の弾圧と死を巡る出来事です。他方にあるのは、その出来事の中で教会が成長を遂げるという出来事です。

 まず、ヘロデ王の振る舞いですが、教会への国家による弾圧がより強まっている様子が分かります。かつて彼の伯父は、洗礼者ヨハネを捕まえたものの、殺すことに迷うぐらいの良心がありました(マルコ620)し、イエス様の処刑に際しても賛成していた様子はありません(ルカ2315)。また初代教会も、以前にペトロは逮捕されたことがありましたが、命の危険はありませんでした。おそらくそれは、当時の、つまり紀元40年以前のキリスト教はまだユダヤ教の一派だと思われていて、色々な意味で守られていたからだと思います。しかし、紀元44年となった今日の出来事において、キリスト教が独立した宗教として機能し始めていて、そして何よりもヘロデ王は残忍な王でもあり、教会は強い迫害の嵐にさいなまれていました。実際、ペトロを逃した責任を取らされた牢番は、殺されてしまいます。見た目に関しては、御言葉の広がりよりも迫害の嵐の方が速度を増しているように見えたのです。

 ヘロデ王は、人々が自分をもっともっと歓迎するようにしないといけないと考え、その見せしめに教会を弾圧したら良いと考えたのでした。そしてエルサレム市内には恐らくいくつか教会があったようですが、その中でゼベダイの子であるヨハネの兄弟ヤコブが指導者であった教会に兵を使わし、何かの理由で指導者ヤコブを殺してしまうのです。教会で最初の殉教がどのようにして起こったのか、聖書ははっきり記していません。恐らく、ペトロたちのグループの記録に比べて、ヤコブたちのグループの記録が残っていないのでしょう。想像するに、ヤコブだけを捕まえて他の人たちが残るような状況ではなく、ヤコブを殺してしまった上で教会を無理矢理解散させてしまったために、ヤコブの殉教の様子がはっきり分からないままになっているのではないかと思います。一方で、この事件は教会を目の敵にしているユダヤ人を喜ばせました。ヘロデ王はそれに味をしめて、次に自分がエルサレムに行ったときには、自分が直接指揮を執ってペトロを捕まえよう、と考えました。人々に嫌われている指導者は、時折自分自身が戦争の最前線に赴き、指揮を執る格好をすることで、人々の間で自分の人気が高まるようにしようとします。ペトロを捕まえた上で、過越祭のために多くのユダヤ人がエルサレムに里帰りをしており、彼らに対してペトロの逮捕をアピールすることで自分の株を上げる。あとは祭りの期間の処刑はさすがに避けるとして、その祭りが終わったら彼を殺すという算段で、厳重に牢に彼を閉じ込めます。

 ところがペトロはその牢からするすると抜け出してしまうのです。その様子について記すペトロの証言は、いわゆる神がかりすぎた記述であるため、どこまでが本当であるかはよく分かりません。ただ、言えることはいくつかあります。まず一つは、ペトロが自分で知恵を働かせて縄を抜け、自力で牢を破って脱出したということはあり得ない、ということです。彼は深い眠りにおかれた後、天使に導かれて鎖を外され、牢番の脇を抜けて脱出します。完全に建物から脱出したところで、彼は初めて我に返るのです。彼の脱出は、人間的な知恵によるものではなく、あくまでペトロは受け身であった、人間的な力を発揮する余地は存在しなかった、ということを使徒言行録ははっきり記すのです。ただ御言葉の広がりが彼を包んだだけだ、ということです。ペトロの自覚としては、天使が彼を導いたということ以外ははっきりしません。しかし彼が建物を出て自由になったときに、我に返ってこう告白するのです。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ」。これは大きな困難のただ中で、なお「シャローム」と告白し続ける、御言葉の広がりの内にある平安を経験する者の言葉です。


 教会はこの、ペトロに向けられた弾圧のあった年に起こった、もう一つの出来事もまた、御言葉の広がりの内で起こった事柄だと解釈し、この出来事にぴったり寄り添うようにして記述します。それがヘロデ王の死です。

 ヘロデ王は、カイサリアに自宅をかまえていて、ローマに近い所に身を置いてガリラヤを支配していました。このカイサリアの近くにシドンとティルスという町がありました。完全にはヘロデ王の支配下になく、この二つの町を屈服させるために、今でいう経済制裁を仕掛けていたようです。それに対して二つの町の住民たちは音を上げ、和解できないかと申し出ます。和解のための条約を締結することになり、その条約締結は一種の式典、セレモニーを伴う者であるため、ヘロデ王が演説をすることになっていました。それで人々は彼の演説を聴きます。シドンとティルスの住民も数多くその式典に詰めかけていました。そしてヘロデ王が演説で何かを言う度に、合いの手を入れるようにして「いよ、これは神様の言葉だ」などと称賛のかけ声を発しておりました。新共同訳では「叫び続けた」となっていますが、これは要するに、その場で絶え間なくヘロデ王が称賛され続けた、というだけでなく、ヘロデ王とは普段から、そのような形で自分のことを褒めそやすことを人々に求めていた、そこで人々は叫び続けなければならなかった、ということです。そのように考えなければ、人々が「ヘロデ王様の演説は人間の言葉ではなく神様の言葉」と叫ぶとヘロデ王自身が報いを受けて死んでしまうということは説明がつかないのです。演説の最中に死んだというのはもしかしたら本当かも知れません。しかしウジ虫が急に湧いて、それによって食い荒らされる形で彼が死んだと取れる記述は、明らかに誇張です。

 しかし教会は考えたのです。この出来事は、人間的な支配よりも、神様による支配、神の国の到来の方が速度が勝っている、確かに御言葉の広がりは、カイサリアにまで及んでいる、あのコルネリウスがいるカイサリアもまた、御言葉の広がりによって、シャロームと告げられる場所になりつつある。


 この出来事と前後するようにして、ヘロデの元を脱出したペトロのその後の様子についても12章は証言します。彼は同じエルサレム市内にある、ヨハネ=マルコの母親の家に行きました。そこが教会の拠点地の一つになっていて、そこに人が集まってペトロが獄にいる間、ずっと祈っていたのです。

 教会はどのようにして祈り続けたのでしょうか。この後のユーモラスな対応を見ると、ヨハネ=マルコの教会において祈っていた仲間は、少し信仰心が足りないようにも見えます。何しろペトロが戻ってくるのを信じなかったり、戻ってきたとしてもそれは天使なのではないかなどと少しピント外れにも思えることを言っているからです。しかし、迫害されている教会の様子を良く言い表しているエピソードではないかとも思うのです。実際問題として、迫害されている教会は、どのように祈りを捧げるでしょうか。恐らくここで、ペトロの無事を祈る祈りは実際に捧げられていたと思います。しかし、既にヤコブの教会は指導者が殺され、強制的に解散させられています。本当にこの困難の中で、私たちの祈りはペトロの無事だけを祈る祈りでいいのだろうか、もしかしたらペトロのみならず私たちもまた殺されてしまうのではないか、そんな危機感を持っている者達が祈りを捧げています。彼らの祈りの中には、次のようなものもあったに違いありません。「ペトロが天使によって守られますように。そんな中で、一人の女中が祈りの場に駆け込んでくるのです。そしてペトロが戻ってきたと報告をし、祈っている者たちの肩を揺さぶるのです。もうこれは祈りの妨害なのではないかと思っても不思議はありません。しかし彼女は頑として、ペトロが戻っていると言い張るのです。それで先ほど、ペトロを天使が守るようにと祈っていた者が、ペトロの代わりに天使が来たのではないかと思ったと言うのです。つまり、ペトロは天使によって守られて死んでしまったが、今度は私たちを守ってくれるために天使が来たのだ、というわけです。

先日、あるテレビドラマを見ておりますと、砂時計というのがテーマになってストーリーが展開していました。ある中世ヨーロッパの絵に、死が迫っている人のところに死の使いである骸骨がやって来て、その手には砂時計がある、つまり砂時計とは人間の寿命を示すものだというのです。しかしその最後のところで、砂時計にはもう一つの意味があるのではないか、と主人公の相棒が言うのです。それは、砂時計を逆さまにすれば、また新たに始めることが出来る、と。

 女中が押しかけてきた祈りの場にいた者は、天使が来たのではないかと語ります。日常用語で言うならば、むしろ死の時が迫っている、教会と私たちの命の終わりの時が近づいている、と表現するところです。しかし教会は、天使が来たのではないか、と表現します。争いのあるところにおいてシャロームと語り続ける。御言葉の広がりの内に置かれているからです。しかしこの悲壮な覚悟は、女中のわめき声によってかき消されます。そしてもっと耳を傾けていると、確かに戸口でたたく音が聞こえます。

 こうしてペトロは人々と再会することが出来ました。彼は言うのです。自分が脱出できたことを、同じエルサレム市内にある、もう一人のヤコブが指導者を務めている教会にも伝えなさい、そういってペトロは姿を消します。御言葉の広がりは、静かに、しかし着実に起こっています。


 この出来事は、教会で起こる次の大きな出来事の伏線になっています。ペトロが駆け込んだヨハネ=マルコは、バルナバの従兄弟でもあります。バルナバとヨハネ=マルコは共にパウロの宣教を大いに助ける人物です。バルナバとサウロがヨハネ=マルコをアンティオキアに連れていった。彼は、獄中のペトロを覚えて祈る集まりの中にいました。戸口をたたく音を聞いて、天使が来たといって死の覚悟を決めざるを得なかった集団の中に彼はいた。皆と一緒にあわてて戸口に立つペトロに会いに行った。そこで彼は悟るのです。御言葉の広がりは、私たちの覚悟を覆すような仕方で、私たちを包んでくださる。その後も挫折を繰り返すヨハネ=マルコですが、そんな彼が伝道の最前線に押し出されるのは、このように御言葉の広がりを経験したからではないでしょうか。