神を導く民

2022/05/08 復活節第三主日礼拝 

「神を導く民」(使徒言行録説教第21) 737-44 牧師 上田彰

 *証しの幕屋

 今日の聖書箇所の中で、「証しの幕屋」という言葉が出て参ります。証しというのは、現代の言葉で言えばプレゼンテーション、短く言ってプレゼンという言葉がちょうど重なります。半年ほど前に、雨で中止になりましたが墓地清掃が予定された日に礼拝後、短く「墓地の現状について」という発表をモニターを用いて行いました。たまたまその後、墓地の契約を改めたいという申し出が市の側からあり、対応を迫られることになりました。その経緯は教会総会の議事録という形で公表されています。他の関係宗教団体と共に、会計や規則、慣例についてのすりあわせや確認が進められています。

 それらの作業に先立つ形で、数ヶ月前に私たちに墓地の現状が示されたのです。このプレゼンが、墓地についての「証し」ということになります。そして今日の箇所に出てくる「証しの幕屋」というのは、旧約聖書には出てこない言葉です。そこにいると、なるほど、神様とはこういうお方かということがはっきり分かる幕屋、つまり礼拝所になっている、ということです。恐らく旧約聖書の時代に、礼拝をするところ(定住前は移動式の幕屋であり、後にカナンに定住してからは神殿)に入ると、それは「神さまがいると実感する」ことは当たり前のように感じられたので、わざわざ「証しの」という言葉がつけられていなかったのでしょう。出エジプト記で「幕屋の組み立て方」が記されているところ(27章)を見ると、「臨在の幕屋」という言い方がされています。この大きさで入り口を作り、こういう材料で台座や柱を用意して、というような、律法というかマニュアル風に手引きがされています。

 律法で記されているとおりに組み立てれば神様のご臨在に接することが出来る。現代の私たちにはわかりにくい発想です。同じ事情は新約聖書時代にも起こっていたのでしょう。そこで、臨在の幕屋という、そこは臨在が示される幕屋であるというマニュアルを思わせる言葉の代わりに、証しの幕屋という言葉が使徒言行録に一回、黙示録に一回(15章)出て参ります。「この幕屋は、証しがなされることによって臨在の幕屋となる」、ということですが、それだと長いので、「証しがなされるべき幕屋」あるいはもっと短く「証しの幕屋」と呼ばれているのだと思います。

 神殿が崩壊した後に書かれた黙示録で「幕屋」という言葉が使われるのは分かります。ローマの軍隊によって自分たちの神殿が壊されてしまった。しかし私たちには幕屋がある。だから私たちには神様が共にいて下さるのだ、という訳です。それに対して、同じ町の中に大きくて立派な神殿が存在する使徒言行録の時代に、あえて「幕屋」について言及するのが今日の箇所です。そこでは単に「幕屋」ではなく「証しの幕屋」と呼ばれます。これこれこういう手続きで幕屋を組み立てればご臨在に触れることが出来ますよ、というのではなくて、その幕屋で神様の証しがなされる。それによって神様のご臨在に触れることが出来る、というのが重要です。

 証しという言葉は聖書の元の言葉でいえばマルテュレオー、現代の言葉でいえば「奨励」とか「説教」という言葉です。同時に、「殉教」という意味合いもあります。ステファノは二つの意味でのマルテュレオーを果たしています。一つは説教という意味で、そしてもう一つの殉教もまた目前にしています。「殉教」の一回前である今回、「説教(奨励)」をするステファノについてもう少し見ておくのがよいかと思います。

 

 *証しをする者ステファノ

 「臨在の幕屋」をあえて「証しの幕屋」と言い換えるのは、この幕屋で神様のご臨在を実感し、神様が共にいて下さることを信じることが出来るためには証しが必要である、ということですが、要するに礼拝で神様のことがプレゼンされ、示されることが重要だということです。そしてステファノは「証し」の名手でもありました。恐らくこの7章にでてくる証し、堅く言えば説教とか弁明、もっと今風に言えばプレゼンというのは、教会に敵対しようとしている最高法院で一度だけされたものではなく、それならこのような形で聖書に残されることはあり得ませんから、それ以前に何度も教会でなされた説教だったのでしょう。ステファノは教会に仕える執事、つまりパンを配るお世話係でありながら説教者としての賜物を与えられたのです。恐らくその賜物が磨かれるのに数年はかかったと思います。だれでも執事、今風に言えば役員になればすぐに説教が出来るというわけではありません。しかし、幕屋を単に臨在の幕屋と呼ぶのみならず、証しの幕屋とも呼ばれるものとすることは、普通に考えれば使徒、今でいえば牧師が説教を行うことによってなされるというのはすぐに分かります。しかし同時に、この幕屋が執事による礼拝でのプレゼンを通じて幕屋となり、幕屋であり続けるということは、それほど当たり前ではないようにも思います。今風に言えば、役員の説教にもかなりの意味を見出すことになるからです。

 

 このステファノの最後の説教を四回に分けて聞いています。今日はその三回目ということになります。ステファノの前半生は、聖書には出てきません。はっきり分かっているのは、彼の執事としての務めは、外国生まれで外国育ちのユダヤ人達が、教会でのパンの配給に漏れてしまうことが起こったので、そのお世話をしたということです。今も昔も、移住者というのは生活が大変です。その手助けをするのが執事の仕事の一つです。恐らく彼自身はエルサレム育ちの立場でありながら、外国気風の人たちと教会で接することが多かったようです。そして教会内での意見の対立に巻き込まれます。ついに本来は助けるべき人であった者たちから敵対者が現れ、訴えられたのです。要するに、神様についての正しくない教えをステファノが行っていたという疑いで、最高法院で説教をするに至るのです。今や彼は、教会とはこういうものだ、ということを使徒達を差し置いて一人で代表して語る立場になったのです。

 それ以前のことを少し想像するなら、次のようになります。ステファノはある時までは、一人の素朴な信仰者でした。イエス様に従うようなつもりでペトロ達使徒に従っている一人の信徒でした。教会に従っていたと言ってもよいかもしれません。しかし、教会というものがあって、そこに従うというのは、信仰者のあり方ではありません。

 現在起こっている戦争を前にして私たちが戸惑うのは、何か国家の意志というものがどこかで誰かによって決められて、一度決まった意志によって人々の命が翻弄されていくという仕組みについてです。

 ステファノも、ある時までは教会という者は使徒達によって運営されていて、決まったことに自分は従えばいい、あるいは従わないと決めることも出来る、という風に教会の決定と自分の決定は別のものだと思っていました。しかし教会において執事の務めに応募するものは名乗り出てほしいという呼びかけがなされました。確かに執事のような役割が必要だということに思いが至ったステファノは、自然と手を挙げ名乗り出ていました。こうして彼は七人の執事の一人に任じられたのです。言い方を変えれば、彼は自分自身が礼拝者である以上、教会の一部でもあり、ある意味では代表でもある、ということに気がつき始めたのです。

 パンを配るという仕事は、やってみると思いのほか色々なことが分かる仕事でした。信徒の教会への思いを色々聞くのです。そしてどのようにしたら、皆が一つになれるのか、思いを深め、祈りを深めるようになりました。当時は毎日礼拝が献げられていました。そのうち、説教を使徒だけでなく執事も担当するようになっていたのです。使徒達が聖書の専門家として説教の準備のわざを深めたのに対して、執事達は信徒の声を聞く専門家として、やはり説教のわざを深めていったのです。

 ステファノの説教の特徴は、教会のメンバーの声とよく対話をして、そしてその言葉を聖書と結びつけているということです。今日の説教の中で印象深い点を二つ取り上げますと、一つが、43節に出てくる偶像崇拝されていた神々の名前が出てくるということです。これは旧約聖書の中に記されている出来事を忠実に描写しているもので、実際に崇拝されていたようなのですが、ステファノはそれらの神々を、正式名称ではなく通り名で呼んでいます。つまり、聖書を通じて読んで、つまり目で知っているだけではなくて、実際に耳で聞いたことがある名前を説教で用いているのです。説教というものが聖書の解説だという風に思い込んでいるとしたら、ステファノの語りは説教には分類されえないかも知れません。しかし説教の元の言葉であるマルテュレオー、つまり証し、すなわち神様についてのプレゼンは、聖書と対話をし、そして教会と対話をする中で生まれるものです。ステファノの語りは、説教と呼びうると思います。

 

 *「懐かしさ」について

 二つ目の特徴を、今日の聖書箇所の中で39節の言葉に見出してみたいと思います。そこには、「懐かしい」という言葉が出て参ります。「先祖達はモーセの伝えた律法の言葉を退け、むしろエジプトを懐かしく思った」というのです。口語訳では「憧れた」と訳されています。これらの言葉を旧約聖書の中から探して、つまり出エジプトの道のりでモーセの率いる神の民が行き先である東の国カナンに向かいながら、心はむしろ西の出発地であるエジプトに懐かしさ、憧れを持つということは、記述でいえばあちこちに見いだせます。「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている」(出エジプト16)といった具合です。ところが、そこでは「懐かしい」というような、心の中の出来事に言及する表現が見あたらないのです。エジプト時代の生活に戻りたい、あそこで奴隷としてたらふく肉を食べていた時代に戻りたい、という聖書の中の記述を、「彼らは懐かしく思った」と言い直すことを、ステファノは説教者として、いえ人々の声を聞くことを務めとしていた一人の執事は、今日の説教の中でなしているのです。

 これは実は、簡単なことではありません。むしろ、人々に聖書の神様の声を伝えるためにあえて人間的な思いを説教の際には排除していくべきだという考え方もあるくらいなのです。しかしあえてステファノに倣って、出エジプトの出来事の最中の人々の心の中の出来事に思いを向けてみましょう。こんな感じになるのではないかと思います。

 ああ、お腹がすいた。そんなときは星を見ることにしよう。あの星のもっと向こうに、西の国エジプトがあるんじゃないか。あの星を見ると懐かしいふるさとを思い出す。

 星の動きの中に、ある定まったルールがあるということは昔から様々な形で気づく人があったようです。星の輝きに魅力を感じると共に、そのような星の動きそのものに魅力を感じる、私たちでいえばクリスマスの時期に繰り返し演じる劇の中の登場人物である三人の博士は、聖書の外の世界からやってくる異邦人達です。その魅力に気づいていた律法は、星占いを禁じるという形で、この分野に関するユダヤの信仰者達の興味をシャットアウトしていました。しかしステファノの説教は、異教的なもの、信仰者が向くべきではないとされる方向を、それでも懐かしさや憧れと共に振り向いてしまう人々の心と向き合い、語りかけます。

 「星」というのと「憧れ」というのを見て、近代の一人の思想家の言葉を思い出しました。18世紀のインマヌエル・カントという哲学者が、次のような言葉を残しています。いつも驚きと怖れの念を持っているのが、天の星空と内なる道徳律だ、という言葉です。引用します。「ここに、我々がそれについて長い時をかけて思念を重ねていくごとに、以前にも増して新たな感嘆と畏敬の念をもって我々の心を満たし続ける二つのものがある。それは、我が上なる星空と、我が内なる道徳律である」(『実践理性批判』結語)。私たちの心が、星空への思いと人間の内にある道徳的な思いによって支配されていたとしても、不思議はない、というのです。私自身、近代を研究する立場として、カントを信仰者と分類するかどうかは正直即答が出来ないと思っています。ある人は優れた神学者といい、ある人は単なる哲学者に過ぎないと言っています。はっきりしているのは、星空と人間の心の内のヒューマニズムは、それ自身に憧れを持つのに十分なものであるけれども、そこにとどまっていてはならない、ということです。なぜなら、民を導くものは星空ではなくて、主なる神であるからです。

 しかしステファノは星空に思いを向けたがるのは異教への入り口だという風に簡単にシャットアウトするのではなく、民の声に耳を傾け続け、そして最後の最後にこう語ります。42節の言葉です。「神は顔を背け、彼らが天の星を拝むままにしておかれました」。少し強い言葉になっていますが、要するにこういうことではないでしょうか。「神様はあなた方が気がすむまで星に憧れを持ち、肉のふるさとであるエジプトに懐かしさを感じ続けてよいとおっしゃっている。しかし、あなた方は最後は決断して、神さまの方を向かないといけない。そうでなければ、いつまでも幕屋はただのテント小屋になってしまう。幕屋を証しの幕屋とし、臨在の幕屋とするために、あなた方は神様に目を向けなければならない」。ステファノの渾身の説教です。

 

 *私たちの「証し」について

 44節の「見たままの形に造るように」というのは、神様を見て神様そっくりに幕屋を作るという意味ではないようです。むしろ幕屋とは、あるいは礼拝をするところとは、天の御国を垣間見る信仰者が、その天国について見たままを地上において礼拝するところを設計し組み立てる時に再現すればいい、ということになります。つまり、礼拝をする場所とは、天国の移し、コピーだというわけです。これについては次回詳しく扱いたいと思います。重要なのは、天の星への憧れに振り回され、エジプトへの郷愁、なつかしさにあまりにどっぷりつかってしまうと、神の国への憧れが失われてしまう。だからある段階で神の国をまっすぐ見つめる生き方に切り替えなさい。

 恐らくこれはステファノ自身の生き方でもあったのだと思います。彼もまた、ある段階までは教会という組織と自分の生き方は別のものだという思いでいたのが、いつの間にか自分自身が教会の一部であり、時には教会の代表者であるという風にもなっていきます。そして神の国をまっすぐ見つめる者となるのです。次回の所になりますが、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」という言葉と共にこの世を去る、そのような教会への関わり方、いえ主なる神様との関わり方は、私たちにとっても無縁であるはずがありません。私たちもまた証しの幕屋にいる。この重みを感謝の心を持って受け止めたいと思います。