幻から現実へ

2022/11/13 三位一体後第 22 主日(終末前々主日)礼拝
「幻から現実へ」使徒言行録説教 37 回 12 章 1~12 節 牧師 上田彰
*7 年前の思い出
私の伊東教会への赴任は 2016 年 4 月です。その半年前、今から 7 年前のこの
時期、伊東教会からお招きを受けまして説教者として初めて伊東に伺いました。
あの時から 7 年が経ちました。入れ替わりもあり、特にその間にかつて前の方
で説教を聞いておられたあの方が天に召され、またその時には席を埋めること
のなかったあの方やあの方が今は礼拝を共に守る兄弟姉妹としてここにおられ
ます。教会はどのように成長を遂げたのだろう。またその成長と共に、牧師の
家族はどのような成長を遂げたことになるのだろう。7 年前のことを思い出すと、
そんな思いが止まらなくなります。因みにその時一緒に来た妻は、まだ神学生
で、娘を妊娠中でした。
その時の説教は、洗礼者ヨハネがヘロデ王によって首をはねられるという物
語だったことをよく覚えています。なぜかというと、その
出来事が起こったとされる満月の夜が、丁度礼拝の前日の
夜に伊東の夜空に見えて、そのことを説教でアドリブで入
れた、説教にアドリブを入れたのはそれが説教者としては
初めての体験だったからです。
*もう一人のヘロデ王の物語
今日の箇所にもヘロデ王が出てきて、話がややこしいので、先に人間関係を
示しておきますと、洗礼者ヨハネに処刑を命令したのがヘロデ・アンティパス
王といいます。アンティパス王と呼ぶことにします。それに対して、今日の箇
所に出てくるヘロデ王というのは、ヘロデ・アグリッパ一世といって、ここで
はアグリッパ王と呼ぶことにします。(ヘロデと名がつく王様は他にもいます。)
アグリッパ王はアンティパス王の甥に当たります。しかしアグリッパ王の姉で
あるヘロディアがアンティパス王と結婚をしていました。ヘロディアとアンテ
ィパスは姪と伯父という関係ですが、いわゆる近親の結婚は王家では見られる
ことでした。
しかしこの結婚にはもう一つの曰くがあって、アンティパス王は元々は別に
結婚関係があり、近くの国の王様の娘と政略結婚をしていたのでした。ところ
がアンティパス王は最初の妻との関係を疎かにしてヘロディアに入れ込んで、
ついに最初の妻は実家に帰ってしまうのです。それで妻の父親である王様がユ
ダヤ王国に戦争を仕掛けて、ユダヤ王国は危うく滅亡するところでした。
そこで人々は、アンティパス王には不信感を抱いていたのです。その時に登場した一人の預言者が洗礼者ヨハネだったのです。ヨハネは、アンティパス王の下の配偶者の問題だけでなく、現在の妻であるヘロディアの側にも問題がある、それは彼女はアンティパス王の兄弟である別の王様の妃であった。兄弟から兄弟へ妻が移ることになって、これは律法に違反している、と言い出したのがヨハネです。

 人々が不安になるので、早速アンティパスはヨハネを逮捕し、牢獄に閉じ込めます。ところがアンティパスは、ヨハネの説教自身はなかなかいいものだと思い、聞き惚れてしまってなかなか殺すところには至りませんでした。その一方でヘロディアはこのヨハネを早く殺したいと思っていた、と聖書は記します。

 そこで満月の夜が訪れるのです。その日はアンティパス王の誕生パーティーが行われていました。その際、妻であるヘロディアの策略によって、ヘロディアの連れ子であった、娘サロメが舞を踊ることを申し出て、立派に舞を舞ったことへの褒美として、何でもよいから所望したものを与えると皆の前で約束したところ、娘は母親の促しの通り、ヨハネの首を求める、そしてやむを得ずアンティパスは処刑を命令した、これが聖書の記述です。

 この出来事には別の解釈があり、小説『サロメ』の中で、オスカー・ワイルドが解釈したのは、こうでした。娘はもともと獄中のヨハネに好意を持っていて、ちょっかいを出していたのだが、全くヨハネがそれに動じないのを見て逆恨みをし、満月の夜に当時はパーティーの中で、売春婦しかしなかったという踊りを義理の父親の前で披露し、そのご褒美として自らヨハネの首を所望した、というのです。

 一つの出来事を巡って、幾つもの解釈が成り立ちます。ヨハネは、政治的な不安定状態を作ってしまった政治家アンティパスを政治的に戒めたのではないか。いやいやあれは律法に適った結婚だったかどうかという、信仰問題だったのではないか。いやいや、あれはサロメが母親譲りの恋多き女で、そんな彼女の誘惑になびかなかったヨハネが逆恨みで殺されたのだ、などなど。

 同時に、アンティパス王がヨハネの説教を好んで聞いていた、だから殺さずにいた、という聖書の記述も、それは信仰的な意味なのか、政治的な意味なのか、考えさせられます。

 

 今日、そして次回と扱います12章には、一人の王の死が記されています。ヘロデ・アグリッパ一世、西暦44年逝去。ペンテコステの出来事が起きてから10年ちょっと経った時点で起こった一つの事件についての聖書の見方というものが、ここからわかると言えます

 先ほどの、ヨハネ処刑事件に関してもう一度申しますと、聖書は「律法に反した結婚をした王達への警告をしたことで殺された」と捉えているのに対して、小説は「恋多き若い王女が、誘惑をしたのに乗ってこなかったために逆恨みをして殺してしまった」と捉えている、しかしある歴史家は「政略結婚を放棄してしまうことで国家を不安定に陥れた、そのことを告発したことによって殺された」と取るのです。今日の使徒言行録において、かつての処刑者アンティパス王の後継者アグリッパ一世は、どのような死を遂げたと描かれているのでしょうか。


 今日の所に出てくるアグリッパ一世は、教会に対して迫害の手を伸ばした、とあります。ヨハネの兄弟ヤコブ、つまりイエス様の弟子であったヨハネとヤコブという兄弟のうちで、ヤコブを殺してしまう。するとそれがユダヤ人の間で王様支持率の向上につながった。そこでもっと支持率を上げようとペトロを逮捕した、というのです。その時期が除酵祭、つまり過越の祭の時期であった、とルカは強調します。イエス様が捉えられるのも、エルサレムに人がやってくるこの時期でした。政治的なショーを行うには一番よい時期だと政治家は考えることでしょう。しかしもともと過越の祭の時期というのは、「祭り」というぐらいで、聖なる期間です。その時に政治的な思惑を実行するのは本当は好ましくない、このアグリッパ王という人は、宗教国家であったユダヤ王国を支配する王様としては、ちょっと節操がないのではないか、そんな声も人々の間では起こっていたようです。

 実はこのアグリッパ王は、ヘロデ王家の中では「まだましな方」でした。元々ヘロデ王家というのはユダヤ民族の出身ではあるものの、ギリシャ系の血も混じっていたのです。当時は、ギリシャ・ローマ文化は世界の最先端の文化です。ユダヤを含む大きな地域を支配するローマ帝国の文化でもありました。ヘロデ王家は、そのようなローマ帝国の手先として帝国から利用されていたのも事実です。人々の間では、ヘロデ王家に対する反感が生まれます。なにしろ政治的にも血統的にもローマ帝国寄りではないか。自分たちユダヤ人の宗教を保護してくれる王様とは言えないのではないか。以前から、ヘロデ王家の人間たちの「宗教オンチぶり」は有名でした。その中ではアグリッパ一世は比較的ユダヤの宗教に理解を示す王様ではあったのです。

 しかし、アグリッパがユダヤ教に近い立場だとはいっても、その内容が一体どの程度のものであったのか、本当に信仰的な立場に立ってユダヤ王国における政治をアグリッパが行っていたのか、というのは心許ないところもあります。本来、ユダヤ教に理解を示す王様、というからには、ユダヤ教の信仰をある程度は自分のものとする人、ということでもあるはずです。そこで、では彼はユダヤ教を尊敬すると同時にユダヤ教から新たに生まれた新しい宗教にもある程度の敬意を払ったのか、というと、しかし今日の聖書の記述を見る限りでは、そうではないように見えるのです。彼もまた、他のヘロデ家の王達と同じように、宗教を政治的支配の道具の一つとして用いていた。これが使徒言行録の著者、ルカが属する教会の視点だということになります。

 政治と宗教。これは長く続いている問題であるとも言えます。一方にあるのは、衣食足りて礼節を知ると申しましょうか、地上の出来事がきちんと整わなければ信仰心も保てない、という風に、政治の下に宗教がある、という考え方です。もう片方にあるのが、信じることによって地上での生活において出くわす困難が解決される、という風に、宗教の下に政治を置く、という考え方です。「先ず神の国と神の義を求めなさい。必要なものは添えて与えられる」とイエス様がおっしゃっているのだから、祈ることだけが大切なのです。何か心配事があるなら、まず祈りなさい、いや祈ること以外はしてはならない、そういう極端な考え方もないわけではありません。今日の箇所に出てくる、ペトロが逮捕されたときの教会のスタンスは、そのようなものに見えないわけではありません。では実際の所、どうだったのでしょうか。当時の教会は、現実を前にしながらも現実に対して何かの働きかけをすることなく、ただ祈ることだけに専念し、そして奇跡的な仕方で解決が与えられた、そういうことを聖書を読む者に伝えるために書かれたのでしょうか。

 

 *

 今日の聖書箇所、特にペトロが牢に入れられてから教会の仲間のところに行くまでの5節以降を分析しますと、一つの特徴に気がつきます。それは、記者であるルカは、このペトロ脱出の出来事を、できるだけ現実に忠実に描こうとしている、ということです。他方でルカは、この出来事には天使という、不思議な神の業が関わっている、ということもはっきり記します。そしてそれらをつなぐものが祈りです。祈りについての記述で始まって、祈りについての記述で終わるのです。

 記述そのものは単純ですから、解説をする余地はほとんどありませんが、まず第一に彼は絶体絶命の状況であることが記されます。四人一組。簡単にいうなら、四人に取り囲まれているのです

一点不思議なところがあります。それは、ペトロは何人もの兵士に囲まれている上、鎖で自由も奪われ、そしてそのままで翌日処刑されても不思議ではないという状態なのに、安らかに眠っていた、というところです。眠ろうと考えても寝られないところを、いつの間にか寝込んでしまったというのではなく、帯を外して、さすがに寝間着を着るというわけには行かないものの、出来る限りリラックスした形で寝ていた、ということをうかがわせます。そして出来事が起こったとき、ペトロは眠っていた。これらのことを、ルカがはっきりと意識しているところです。それ以外の、例えば天使はどうやって兵士に気づかれずに牢には入れたのかとか、ペトロが牢を出て行くときの彼らの反応などについては、恐らくペトロ自身が後日談も含めて全く知り得ないことであったので、書かれていないということなのでしょう。要するに、彼からすると、眠っていた、そこで天使が脇腹を突いてきて、起きた、そこで言われた通りに服などを着て天使についていった。牢屋の建物の門は勝手に開き、そこを出て町に戻るところで天使が離れて、そして我に返った。

 使徒言行録の中でも他に例を見ないほどに不思議な記述です。しかし、いくつかのことが分かります。


 最もはっきりしているのが、この出来事が祈りに挟まれていることである、ということです。5節と12節において、教会で祈りが献げられている様子が分かります。そして、祈り以外のことがなされている様子はない、ということも分かります。例えばここでペトロを救出するために、決死の救出部隊を結成しよう、これはミッションインポッシブルだ、とか、あるいは諦めて泣き出している人がいる、とかそういうことはないというのです。皆が希望を持って祈り続けていた。そしておそらくこの天使の出現も、またペトロの脱出劇も、彼らにとっては現実のことだったのだろう、ということです。最も驚いたのは祈っていた彼らではなくて、ペトロ自身だったのではないでしょうか。そのため、脱出の最中のペトロは、夢うつつであった、と自ら証言をしています。そしてその夢うつつから覚めることと、神様の御計画を理解することとが同時であった、ということです。

 恐らく彼がただ天使の力を頼り、不思議なわざが起こったことに満足をするような状態であったのなら、主は全く別の運命をペトロに対して、そして教会に対して、用意なさったことでしょう。しかし、彼は天使による救いが、主なる神による救いであることに気づくだけの正気を保っていました。

 

 *祈るために集まる

 今日の箇所を読んでいて、忘れることの出来ない出来事があります。それは留学の前、当時副牧師として仕えていた教会で、開拓伝道をしようという気運が高まり、実際に着手することになった。そこで何をしようかということになったときに、当時の主任牧師が私に対して、開拓伝道というような特別な事業を行うときに最も重要なのは、祈りである。私たちは祈祷会を持つべきだ。特に予定地の近くに住んでいる教会員をリストアップして、そのお宅での家庭集会の形での祈祷会を企画してほしいと私に求めました。そこで交渉を進め、祈祷会の予定を教会役員会に出したところ、最も主任牧師を支えてきた人たちの間で、意見が分かれました。ある方々は、分かりました。では予定されている会には必ず参ります、という人たちが一方にいました。もう片方にいたのは、開拓伝道をするにあたって、現地近くに集まるのは非常に良いことである。現地のことが分からないと準備も出来ない。しかしそこですべきことは、色々な会議や話し合いではないか。その最初に祈祷会をするというのは非常に良いが、この計画書では祈祷会が終わったら即時に解散となっている。祈祷だけを行って解散をするというのでは意味が無いのではないか。そう主張したのは、Iさんという方でした。

 しかし現実には、本当にその祈祷会は祈りの勧めと祈りだけがされて解散する会となりました。土曜に毎週か隔週くらいのペースで集まっていたのを思い出します。そして集会所を取得し、そこで夕礼拝や平日の集会が行われるようになったのを見届けてから、私はドイツに旅立ちました。10年近くたって留学から帰ってくるまでの間には、本当に色々なことがありました。結果としてはその集会所は近くに教会の場所を取得して、礼拝と集会がなされるようになり、私はその教会に主任牧師として赴任したのです。その際、母教会の主任牧師であった方に初日に聞いたことの一つが、次の質問でした。あの、Iさんはどうしていますか、と。すると分かったのは、その方は今は神学校に行っていて、翌々年には卒業予定だ、ということでした。

 最初に祈りがある。今日の箇所を読んだときに、人はいくつかの反応をすることでしょう。ああ、私もペトロの救出のために祈りたい。祈りの輪に私も入っていることが想像できる。そういう風な立場の人がいるに違いありません。他方で、こうも考える人がいるはずです。現実に困っている人がいるのに、ただ祈ろうというだけではだめなのではないか。現実に手を差し伸べなければならないのではないか。しかしそのどちらの人も、祈りの輪に加わることによって、変えられていくのです。

 現実の世界と信仰の世界は別である、そんな錯覚が打ち破られたときに、祈りの側から神様の力が押し寄せてくる。

 

 私たちにとって、成長するというのはどういうことでしょうか。信仰的な成長はどのようにして与えられるのでしょうか。この箇所を説教するある牧師の言葉が印象的でした。その牧師は、今日の箇所を読みながら一つの小咄を読んだのを思い出したというのです。ある村で、長く日照りが続いて、教会において雨が降るようにと祈るために集まることになったというのです。その際、その中の一人だけが傘を持って教会に集まり、他のメンバーは傘を持たずに教会に集まった。何しろ日照りが続いていたくらいです。傘など必要ないと思ったのでしょう。ところが祈祷会が終わり外に出ると、雨が降っていた。そこで一人だけが、傘をさして帰った、そんな小咄なのだそうです。説教者はいいます。この小咄は多少のフィクションが含まれている話かも知れない。しかしある種の真実をさしている。そして告白しなければならないのは、自分は傘を持って教会にやってきた一人の信仰者ではなく、傘を持たないで来てしまった方に属しているかも知れない、ということである、と。

 私はその説教を聞いて、実はその説教がどうやって終わるのか、全く記憶にないのですが、しかしそのエピソードには感銘を受けました。そして思うのです。私たちは、傘を持たないで、ただ祈るためだけに教会に集まってよい。そして雨が降るという幻は、現実となって祈りの側から押し寄せてくる。それを経験したときに、ペトロは次のように祈りました。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ」。これは、ペトロが、本当に神様に頼るやり方を会得したときの祈りです。それは同時に、ペトロの信仰的な成長の轍をうかがう祈りでもあるのではないでしょうか。

 私たちはペトロに倣って、次のように祈ってみたいと思います。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、あらゆるもくろみから、わたしたちを救い出してくださったのだ」。成長の恵みに感謝したいと思います。