我ここに立つ

2022/10/30 三位一体後第二十主日礼拝(宗教改革記念日) 

使徒言行録説教第35回 11章(18節まで) 牧師 上田彰

「我ここに立つ」

*我ここに立つ、ルターの場合

 今から505年前、一人の修道士であったマルティン・ルターは、ウィッテンベルクの城に自らの主張を掲げました。95箇条の主張の第一はこのようなものです。「我らの主イエス・キリストの「悔い改めよ」というキリスト者への言葉は、悔い改めとは、全生涯をかけたものであるとおっしゃるものだったのではないか」。当時の教会が、悔い改めを儀式化していることに対する批判が込められています。この主張を彼が掲げたときに、まさか数年後に帝国議会にまで呼び出されて大勢の王や貴族の前で自分の立場の説明を求められることになるとは思っていなかったことでしょう。彼は自分の信念を貫くことが、どのような結果をもたらすことになるのか、その時点では予想していなかったはずです。ましてや、まさか自分が世界史の教科書に登場する人物になるとは思っていなかったことでしょう。彼はしかし、自分が発する言葉、記す一言一句に確信を持ち、その言葉によって自分に降りかかってくる運命を受け止める覚悟がありました。


 結果的には、次のような経緯をたどることになりました。この「悔い改め」を巡る主張は、恐らく最初は、当時の教会に対するささやかな異議申し立てであったはずです。儀式と化していた当時のカトリックの悔い改めの式、告解を全部否定するつもりはなかったのです。彼は当時のローマ・カトリック教会を外部から否定するのではなく、内部改善を求めていました。

 ところが、当時の教会は、巨額の負債を抱えていました。礼拝堂の建設に莫大なお金がかかったのです。そこで、お金集めの方便として、贖宥状(しょくゆうじょう)を有料で販売したのです。贖宥状とは、一年に一度、罪を赦してもらうために出席する必要があるミサがあり、そのミサにやむを得ず欠席する場合に贖宥状を出す必要がある。今でもある制度なのだそうですが、高額の献金を支払う必要はもちろんありません。しかし16世紀の教会の中に、贖宥状を高く売れば良いというアイディアを持ち込んだテッツェルという人がいて、彼のことを当時の教会が重んじたことから話がややこしくなりました。テッツェルを中心に進められた献金集め、というかもっと露骨に霊感商法すれすれの金集めに対する批判は、当時の教会において皆が幾ばくかは持っていたようです。ルターはその中の一人として、くだんの95の主張を掲げたのです。それに対してカトリック教会はある程度反省もし、贖宥状販売を推進したテッツェルについては左遷をしました。しかし批判をしたルターもただで済むわけではなく、彼にも罰を与えようといって、何人かの神学者や教会政治家がルターと面談をします。ルターは教会の中に混乱をもたらしていることは分かっていたと思いますが、それでも贖宥状販売そのものはやめようとしない教会に対する批判の矛を収める様子がありません。

 そして対話相手の策略に乗っかってしまって、ついに超えてはならない一線を越える重大発言をしてしまいます。それが、「教皇も誤ることがあり得る」という発言でした。この発言によって、彼はカトリック教会に残ることは出来なくなります。彼は破門され、書物は焼かれることになり、そしてウォルムスの帝国議会に呼ばれるのです。彼は自分の説の過ちを認めるよう国家と教会の権力者たちに迫れます。その席における弁明を、ルターは次の言葉で締めくくりました。

「皇帝陛下ならびに諸侯がたは簡潔な答えを要求されます。それでは簡潔に、ありのままをお答えします。聖書の証によってわたしの誤りを証明し、わたしの良心が神の言葉によってとらえられない限り、わたしは何事も取り消すことはできません。なぜなら良心に反して行動するのは、なすべきことではないからです。わたしは断固としてここに立つものです。それ以外のことはできません。神よ、わたしを助けたまえ。アーメン」

 ルターの宗教改革は三つの原則によって成り立っているといわれています。聖書のみ、信仰のみ、万人祭司。しかし私が知る限りでは、ルターはこの三つを並べて論じてはいません。ある主張は彼が記した信仰告白、別の主張は別の書物の中で、というように探す必要があって、しかもかなり後にならないとはっきりとは主張されていない内容も含まれています。要するに、彼は三つの原則がある、そこから出発してカトリックと戦ったというよりも、色々巻き込まれながらも、自分の立場を崩さずにいる内に、自然と原則が三つ見えてきた、という方が正しいのではないでしょうか。ある人は、ルターが状況に応じて対応をしている内に自らが主張していることが結局何であるのかを自分自身が深く気づき始め、より明確な立場を築いていったのではないか、そういう意味で「状況の神学者」だと呼んでいます。

 我ここに立つ。ルターの帝国議会での弁明を締めくくる言葉に出てくる「ここ」とは一体どこなのでしょうか。彼自身、「信仰のみ」とか「聖書のみ」というような、既に出来上がった土俵にしっかりと足の裏を付けて立つ場所が分かっていたわけではありませんでした。むしろ、手探りで進んでいた。しかし、自分が「これ」と思えるような言葉だけを選んで発してきて、それだけは間違いないと信じてやって来た。その、手探りだけれども何かに引き寄せられているという感覚、あえて言うならば聖霊なる神が支えて下さっていると思える、その場に立つということが、ルターの信仰的信念であったのだと思います。

*我ここに立つ、ペトロの場合

 そこから更に時計の針を戻して時は一世紀、場所はエルサレムにおいて、もう一人、そのような「我ここに立つ」という心境で針のむしろに進み出た人がいます。名はペトロ。実はこのペトロ、ルターに負けず劣らずの大きな世界史的転換点に置かれています。ご存じ、異邦人伝道に進み出るかどうかの曲がり角です。実はこの時、ペトロには強い確信があったわけではありません。後にパウロは、ガラテヤの信徒への手紙の中で、当時のペトロについて非難の言葉を記しています。要するに、ペトロは確かに異邦人伝道を実践していたが、その時にエルサレムからユダヤ人である教会仲間がやってくると、異邦人から距離を取って、エルサレム本部のご機嫌伺いをしていた。そんなことではだめだ、これがパウロの非難の内容です。実は興味深いことに、使徒言行録の著者ルカは、このパウロの非難に対して少し違う見方をしているようです。まず第一に、パウロが行ったペトロに対する非難について、ルカは使徒言行録の中で触れていません。しかしルカが異邦人伝道に反対しているというわけでもないようです。恐らく、ルカも異邦人伝道には賛成していて、しかしペトロの役割について評価する際に、パウロのように、ペトロは異邦人伝道におっかなびっくりの態度を取っていたという風に非難をするのではなく、むしろペトロを擁護する立場にいます。ここは想像になるのですが、ルカはこう言いたいのではないでしょうか。ペトロは異邦人伝道に消極的だったのだろうか、いや違う見方が出来るはずだ。それは、ペトロはエルサレムのユダヤ人教会の代表者として、異邦人伝道の始まりの位置にいるのだ、そういってエルサレム本部を批判するパウロとは違う温度でここまでのいきさつを見ているのではないかと思います。ペトロが頻繁に登場するのは使徒言行録の中で次の12章までです。後半は明らかにパウロの活躍を中心に記すルカが、異邦人伝道の最初の部分を強力にサポートしていたのがペトロなのだという証言をし、パウロの非難に対してペトロを擁護するのがルカの意図ではないか、という推測が成り立つのです。

 そんな推測をしなければならないほどにペトロは揺れています。もう一回状況を確認しますと、一週間ほど前まで、ペトロたちはカイサリアでコルネリウスに会っていました。イタリアから来たローマ軍の百人隊長で、信仰深いのですがユダヤ人ではありませんでした。割礼を受けていなかったのです。しかしペトロは、律法で汚れているとされている動物と清いとされている動物とが一緒に空から降ってきて、両方を食べなさい、神が清いと言っているものを避けてはならないというお告げを夢で受けて、その夢をきっかけに異邦人伝道を志し、コルネリウスに洗礼を施すのです。

 さてそのような一大転換点を迎え、エルサレムに戻り、多くのユダヤ人キリスト者が待ち構えている所で申し開きをする必要が出てきました。その中には12弟子としてペトロと寝食を共にして来た仲間もいることでしょう。彼らの中にも、異邦人伝道を行うペトロに反対する者がいたはずです。ペトロにはどのような弁明が可能なのでしょうか。そして自分の弁明のどのような言葉によって、彼は「我ここに立つ」といいうる心境に達することが出来るでしょうか。



*共に食事をする

 まず11章の1節と3節に注目をしてみたいと思います。まずエルサレム本部には、カイサリアで異邦人が神の言葉を受け入れた、という情報が入っていました。そしてペトロを前にしてエルサレムのユダヤ人キリスト者たちが行った非難は、こうです。「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」。丁度これは、かつてイエス様が一匹の失われた羊、一枚の失われた銀貨、一人の失われた息子についてたとえで語る場面の直前で用いられている言葉遣いと同じです。イエス様は徴税人たちと一緒に食事をしていた、そのことを律法学者に非難をされて、有名な三つの例え話をイエス様は語り始めたのです。ですからペトロは実際にコルネリウスたちと食事をしたのでしょうが、その食事をするということが、仲間と認めるという手続きでもあったのでしょう。兄弟の契りを交わす、というものです。そして重要なのが、その契りを交わす手続きが、洗礼であった、ということです。その時点の教会で揺れていたのが、教会に入るための手続きは何であるのか、というものでした。エルサレムの本部は、今までの伝統に従い、それは割礼であると考えていました。ところがペトロは、カイサリアで証しを共にすることが出来たコルネリウスが、彼らは聖霊を受けている、それなら私たちの仲間であると言ってよい、いやこの人物は主イエス・キリストの仲間なのだ、そのことを明らかにするために、水で洗礼を施そう、そういって洗礼が入会の儀式であるという立場を取ったのです。

 何度も申し上げますが、ここでペトロはなぜ割礼ではなくて洗礼によって入会の手続きとして完了していると考えたのかと聞かれたら、きちんと答えられなかったのではないかと思います。例えばパウロも、洗礼をその直前に受けていますが、彼の場合は幼いときに割礼も受けています。割礼を受けた上で洗礼を受けるのがいいのか、割礼を受けないで洗礼を受けることもあり得るのか、というのはペトロの中でははっきりしていなかったはずなのです。

 しかし彼は自分がしたことについてエルサレムで弁明を求められた。そこで彼は、自分が今回のことに関してして来た一つ一つを思い起こし、何か勘違いが起こっているわけではない、間違えて洗礼だけ受けた人を仲間として受け入れたのではなく、洗礼だけ受けるので十分であるからコルネリウスは教会の仲間であるということをエルサレムのメンバーたちに説明したのです。


*我ここに立つ、エルサレム教会の場合

 我ここに立つ。最初から確固とした原則があり、その原則に基づいて計算して冷静に振る舞ったというわけではありません。しかし、手探りであるにも関わらず、こちらの方向に進めばいいのだという確信がありました。そのことを聖霊の導きだと言っても良いと思います。実際、10章から11章にかけて、異邦人伝道を推進することになる証しの直後には、必ず聖霊の働きをはっきりその場にいる者が皆感じた、ということが書かれているのです。

 ルターもペトロも、今までの習慣を全部ひっくり返すようなことを宣言しなければならず、しかも既に考え尽くした何かがあるわけではなく、手探りで自分の今までの振る舞いを振り返り、その中で首尾一貫して起こっている事柄を見抜いて、我そこに立つと宣言をすることだけを手がかりに教会の活路を見出していく。

 そのことによって、エルサレムから一歩も出ることがなかった12弟子の残りの仲間もまた説得されていくのです。彼らからすると、ペトロは次のように見えるはずです。かつてペトロと自分たちは、神殿の前庭で、あるいはペンテコステの体験をした二階に大広間のある家において、共に食事をする仲間だった。ところがヤッファに行き、ついでカイサリアに行って帰ってきた所、異邦人と食事をするようになっていた。今で言えば、戦争において同盟を組んでいたはずの国が、自分以外の国とも同盟関係を組むようになったと言い出す。しかもその国が、これからは同盟を結ぶかどうかの基準が変わる、といって昔からある民族的なつながりという基準ではなく、別の例えば石油などのエネルギーを軸にした基準で同盟関係を唱えるようになった。古い方の同盟関係にある国は不安になります。自分たちは取り残されるのではないか。

 国同士でたとえるならば、不安だけが残る話です。しかしペトロがこの新しい信仰的な同盟関係が洗礼を軸に起こると宣言をしたときに、古い同盟関係にいた人々も、ペトロの提案に賛成します。なぜなら、コルネリオたちが聖霊によって生かされ、新しい命に生きていると知ったからです。今たまたまエルサレム教会の中の出来事を国同士の出来事に置き換えましたが、国同士の話の場合には、同盟関係で、信仰者同士の話とは少し事情が違います。国同士のやりとりは、計算があります。軍事的にどうか、経済関係はどうか、などなど。それに対してここで信仰者同士の話は、同盟を結ぶ基準が変わったという国の話と一緒くたには出来ません。異邦人に対しても主なる神が命を与えて下さったといって異邦人を受け入れるようになる、今日の最後の18節をお読みします。

 「この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した」。

 神が信仰の命を異邦人にもお与えになる。それは、神は異邦人をも悔い改めさせるということなのだ。ただ静まりかえり、この事実に皆がいたく共鳴をし、神さまを讃美するようになる。エルサレム教会の信仰者たちは、割礼を受けているからと言って特権的な地位にふんぞり返るような者たちではありません。贖宥状を買ったのだからもう先祖も含めて救われるという、なんとか商法まがいの一時的な安心にすがりつくような者たちではありません。皆が、ペトロと同じく、「我ここに立つ」という思いを持っている者達です。我ここに立つ。神様の恵みの上に立つので無い限り、私は生きていることが出来ない。救いの喜びに与る幸いがここにあります。