御言葉に仕える奉仕者

2022/04/10 受難節第六主日(棕櫚の主日)礼拝 

使徒言行録説教第18回(6815 説教「御言葉に仕える奉仕者」                                                                                              牧師 上田彰

*祈るということは働くということである

 「祈りと御言葉の奉仕に専念する」。「専念」という言葉に思いを向けるために、もう一つ別の、「献身」という言葉について少し考えてみたいと思います。感謝と献身のしるし。献金の度にアナウンスされるこの言葉にも、「献身」という二文字が含まれています。高校生の頃から大学に入った頃であったか、私は意図的に信仰について深く考えないようにしていた時期があるように思います。教会には通っていたのですが、自分のこととして信仰を考えることを出来るだけ避けようとしていたのです。なぜか。それは、信仰を自分のことと考えた場合に、自分の場合には牧師になることは避けられないのではないか。つまり、洗礼を授けられて教会員(信徒)になるということと、召命を与えられて牧師としての献身の道を歩むということとの間には私の場合には余り距離がなかったのです。因みに両親とも、私に洗礼も献身も勧めたことは余りありません。ただ、そういう願いがあることは分かっていました。そこで大学は意図的に親元から離れて地方の大学に行くなど、私なりに抵抗を続けておりました。

 しかし親元を離れてからも教会につながり続けました。一つの教会に通っていると、自然と周辺の教会の牧師とも知り合いになります。そのような中である若い牧師との対話を通じて、信仰について考えるようになりました。そして信仰告白へと導かれ、ちょうど大学卒業後の進路のことなど考えなければならないタイミングで、神学校に行くということも考えてみようと思うようになりました。その、決断でいうとかなり大詰めになった、大学最終学年の冬の頃のことです。その牧師に手紙を書いたところ、返事の最後に次の言葉が書かれていました。ラテン語の言葉なのですが、日本語の翻訳が付されていました。こうです。「祈るということは働くということである」。

 これは元の表現があります。元々は「祈り、かつ働け」という、古代から伝わる修道院のモットーなのです。高校生の頃世界史で習った記憶では、修道院というのは世界で初めて時計(恐らく日時計)が暮らしの中に本格的に導入された所なのだといいます。祈ること、労働することが時を刻むようにしてなされるのが修道院だという、そんな断片的な試験向けの知識が、この若い牧師の手紙を通じて、                          エストニア教会のもの

鮮やかに信仰的な言葉として自分の中に染み入っていくのを感じました。因みに歴史的に言いますと、いつの頃からか、古い「祈りかつ働け」という表現から派生した、かの牧師が教えてくれたのと同じ形である「祈るということは働くということである」というモットーの方をむしろ修道院自身が掲げるようになったようで、日本にも後者の形で標語を掲げる修道院があり、訪れることが出来ます。

 私の中でその言葉が染み入った理由の一つに、当時親しくもあり尊敬していたが、どうしても違和感を拭うことが出来なかった、大学の先輩であり牧師の息子という方との寮での対話がありました。まとめて言うならば、その方は、「働くということは祈るということである」という風に考えるべきだ、と私に諭していたのです。その先輩は言います。想像してほしい。働くということには色々あるだろう。勉学、アルバイト、食卓を整え庭を掃き清めること、寮での交わり、あるいは絵を描き、詩を紡ぎ、時には国会前でのデモに参加すること。「それらは皆働くことだ。そして同時にみな祈りなのではないか」。父親が牧師でありながら、今は教会に行くことはやめたのだと語るその先輩の言葉には、ある種の魅力がありました。しかしその考え方に引き寄せられるのなら、その先輩と同じように、普段の生活の中に祈りは全て含まれていることになってしまうのだから、もはや教会に行く必要は無くなってしまうのではないか。そう感じました。働くということによって祈っていることに果たしてなるのか、というのが当時考えていた(今でも考え続けている)大問題でした。しかしやはり「働くことは祈ることだ」というのでは見えてこない信仰の神髄というものがあるのではないか。そのように考えていた時期に、かの若い牧師は一行の短い言葉で私に伝えたのです。修道院を生み出したところの教会の信仰が告げるのは、「祈るということは働くということである」という地平なのだ、と。それは私にとっては革命のような出来事でした。そして同時に、自分が教会の精神につながっていく、静かな宗教改革の出来事にもなっていきました。orare est laborare、かのモットーは、「祈るということこそが真の働きなのである」とも

訳せます。                              *laborare est orareという表記も多く見られる。ラテン語では

                                                                      倒置が多く、ニュアンスとしては「祈るということこそが真の働

                                                                      きなのである」と取れるが、「働くことは祈ることである」という

                                                                      表現とも取れる。結局、各自が解釈によってたどり着くしかない。

 教会を一歩出れば、私たちはいくらでも次のような言葉を聞きます。ああ、クリスチャンですか。お若いのにえらいことですね。お祈りもなさるのですか。素晴らしい。でも祈った後に実行をしなければ意味がありませんよ。実行を伴わない祈りをいくらしても、私たちは一切動かされません。個人の趣味に終わってしまいますよ、と。

 そこで祈る時の姿勢を思い浮かべてみます。私たちは祈る時に手を組みます。この祈り方は、私たちが神様が大いなる働きをなして下さることを信じる姿勢です。私たちが祈る時、主が働いて下さる。このことを信じるのであれば、もはや何の憂いもなく、祈りに専念することが出来るのではないでしょうか。このことはいうまでもなく、牧師になるべく導かれる信仰者ばかりでなく、全ての信仰者の歩みが祈りであり、献身であるということを示しています。

 

*執事の働きを覚えて祈る

 使徒言行録第六章は、教会の働きがいよいよ目に見える形になりつつある、重要な曲がり角、踊り場です。それまでの教会は、祈り、説教を行うことをもって教会の働きとしていました。教会は目に見える働きをしていましたが、それはあくまで祈ることと説教を行うことに限られていました。本当はその中に、パン割きの儀式や全てのものを共有するということなど、伏線はありました。しかしまだ大きなトラブルは発生していませんでしたので(例外はアナニアとサッフィラ事件。しかし教会では「トラブル」にはならなかった模様)、この六章で、パンの配給を巡って教会内でトラブルが発生し、パン配りを通じてはじめて教会の課題は説教と祈り以外にも存在する、ということが誰の目にも分かる状態になってきたのです。

 そして教会の対応は、祈るということとパンを配るということを別のことだとは考えませんでした。祈るということがパンを配ることを含むのだと考えて問題の対応を始めたのです。もしこの頃の出来事を記録する人が教会の外にいて、教会を外の視点から観察する日誌をつけるとするならば、こうなることでしょう。「この頃から教会は二つのことを始めた。祈ることとパンを配ることである。そこで祈る使徒とパンを配る執事という二種類の役職が定まったようだ」、と。しかしルカは、教会自身の記録として、違う書き方でこの出来事を記しています。6章を記すルカの視点によれば、祈ることの中にパンを配ることが含まれるということが明らかになったのがこの頃である、ということになります。

 過ぐる週は、パンの配り手として、執事、今でいう役員を任職した様子が書かれているところを共に読みました。私たちの教会はフルスペックの教会を志す教会として、ずっと以前の慣例に戻り、役員の任職は一生に一度限りという形を現在は取っています。今回新たに役員に任じられた方はいないということになりますので、役員任職式は行いません(教会規則30条)。しかし、使徒言行録第六章を読む時に、役員である者も、役員であった者も、役員の働きのために祈る者も、皆同じ思いで任職式の様子を思い浮かべながら今日の所に出てくる、執事に手を置く使徒の姿を思い浮かべることが出来ます。

                                                                                             16世紀頃の作品

*祈りと御言葉の奉仕に専念する

 引っかかる点があるのではないかと思います。

 それは、使徒達が、「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない」と話していることです。使徒というのは大雑把にいえば今で言う牧師のことです。そして、先ほども申しましたとおり、パンを配る執事というのは今でいう役員のことです。パンの分配というのは、直接的には貧しい者のための生活の世話を指しますが、同時に聖餐のパンと杯を配ることも意味します。そして同時に、信徒同士の争いを調停するという意味合いもあります。問題は、それでは信徒同士の争いがあった場合に、そこに介入するのは執事ではなくて使徒、あるいは役員ではなくて牧師なのではないか、とも考えられます。しかしこの二節から三節にかけての使徒達の言葉は、「自分たちは霞を食って生きていきたいから、下々の争いは別の人に任せる」というような、他人行儀な物言いに聞こえるのではないか、というわけです。

 「専念する」という言葉は誤解を生む怖れがあります。そして一旦そのような誤解に陥ってしまうと、7節の「祭司も大勢この信仰に入った」という言葉が理解出来なくなってしまいます。まだ当時はキリスト教はユダヤ教の枠組みの中にいたとはいえ、大きな神殿に仕える立場である祭司が、町中にある小さな民家で持たれている集会に出入りするようになるというのは一大事です。祭司が教会に加わるようになったのはなぜだったのでしょうか。その理由を理解するには、「祈りと御言葉の奉仕に専念する」という言葉に注目しなければなりません。

 当時、神殿に仕える祭司達は、ユダヤ人社会の中心にいました。どんな国にもナショナリズムは存在します。少なくとも、このような言い方はありうるのではないでしょうか。「外国帰りの同胞を受け入れてもいいが、まずは生まれも育ちもこの地で他に行き場のない人の生活が優先だ。ましてや外国人の生活は二の次だ」。私たちのような下々の人間は、「そんなものかな」と思ってしまうところがあります。しかし「ユダヤ人ファースト」の行きすぎが様々な歪みを社会に引き起こしていることに、為政者寄りであった祭司達は気づいてしまうのです。気づいてしまった祭司の大多数は見て見ぬふりをして、そのゆがんだユダヤ人ファーストの甘い汁を吸いました。しかしそうしてはならないと考えた祭司が「大勢」教会に加わったのです。

 ユダヤ人ファーストの歪みが、人と人との間に見えない溝を生んでいた。そして新しく生まれた教会は、この見えない溝を、見て見ぬふりをするのではなく、直視し、克服することに力を入れました。パンの分配のために執事がおかれるようになったというのは、差別を克服するためです。外国生まれのユダヤ人の中には他の民族との間で生まれた人もいたでしょうし、文化的な違いも大きかったのです。生粋のユダヤ人だけの集団であれば起こらないトラブルが、外国帰りのユダヤ人によって起こっていた。そんな状況ですから、外国人はいうに及ばずです。外国人(異邦人)とは、下の、さらにその下に置かれた存在でした。そんな何重もの差別構造のピラミッドの頂点にいた祭司達の中で、自ら差別に加担していることに気づいてしまい良心の呵責に耐えられない者たちが、教会に加わるようになったのです。イスラエル生まれのユダヤ人と外国生まれのユダヤ人とが執事の働きを通じて和解し、統合されるという教会のあり方は、当時のユダヤ教の神殿では考えられなかった、大きく革命的な要素があって、わざわざこの箇所で祭司達が「大勢」この信仰に入った、と書かれているのです。

 少し細かく見ていきますと、祭司達が教会に加わるようになった理由を二つあげられるように思います。一つには、他のユダヤ人社会においては決して耳を傾けられることがなかった外国生まれのユダヤ人のクレームに、イスラエル生まれのネイティブのユダヤ人が教会では耳を傾けていました。この教会の姿勢に本当の信仰を見出した、ということが考えられます。いってみれば、差別の是正に真剣に取り組む教会の姿に感銘を受けた、という訳です。それが執事の働きに注目することで生まれる、一つ目の理由です。

 ただ、この理由だけで祭司達があえて教会の働きに加わるようになったと考えるのは難しいのではないかとも想像できます。そこでもう一つ、この差別克服に至る背景として、使徒達の働きがあるということまで見抜いた祭司達がいた、それが本当の意味での祭司の教会への大量加入につながったのではないか、ということを見ておきたいと思います。つまり、ここで表面的には第一線でいわゆる差別克服に大きな役割を果たしている執事の背後に、実は隠れた形で使徒達の働きがあったのです。そこまで祭司達は見てとり、それゆえに信仰に入った、ということが考えられるのではないでしょうか。祭司達をそこまで動かしたものは、一体何なのでしょうか。

 次のような推測が可能です。「奉仕に専念」という時の「専念」という言葉を手がかりに考えてみたいと思います。この言葉は、「たゆまなく務め続ける」という意味の言葉です。希望を捨てず、諦めないという態度です。希望を捨てずに御言葉によって祈り続ける役割を果たしていたのは使徒達です。彼らの姿勢を示す言葉が、「専念」という言葉です。

 祭司はこう考えたかも知れません。自分たち祭司だって祭司として神殿において祈ることをもっぱらにしてきた。言葉の上では使徒が祈りに専念したのと同じように、自分たち祭司も神殿で祈りに専念してきた。しかし、神殿で自ら専念していた祈りと、教会で使徒達によって専念されていた祈りを比べた時に、現実を変える力が祈りにあると信じて行ってきた祈りについて、思いを向けないわけにはいかないのではないか。神殿での祈りは、希望と確信を持って捧げられた祈りだったのか、それとも現実と妥協する中でしか祈っていなかった祈りなのではないか。祭司達は思わず考え込んでしまったのではないでしょうか。そして自らの祈りについての考えがこの教会において広げられ、祈りに専念することの意味と意義を発見し、今までの祈り方、いえ生き方を恥じるようになった時、彼らは使徒達の群れに加わりました。そして使徒達の祈りと執事達の働きが深く互いを信頼し合うことによってつながっている、教会の中に身を置くようになりました。教会に加わった祭司が気づかされたのは、ここで働いているのは目に見える形では執事達で、使徒達は少し引っ込んで祈っているけれども、本当に働いているのは執事でも使徒でもなく、実に主なる神様である、ということです。そのことに気づき、執事と祭司をつなぐ見えないつながりの中に自分たちも加わることを喜んだのです。そうやって祭司ばかりでなく、大勢の人が教会に加わるようになりました。

 

*棕櫚の日に覚える「民衆」の位置づけ

 執事達は、ただパンを配り、ただトラブルを解決していただけではありません。特にステファノは、執事出身でありながら使徒顔負けなくらい弁論も得意で、やがて説教のわざに加わります。つまり、先ほどの専念という言い方でい  (聖ドミニコ宣教修道女会HPより)

いますと、執事達はパンを配り、トラブルの解決に専念していた人たちです。だからといって、私はパンを配るのに専念しているのだから、祈るのは使徒達に任せておきたい、という意味ではありません。ここでいう専念とは、たゆまず務め続けるということです。そして務め続けた者が、祈り、説教をするようになることは、不思議なことではなかったようです。執事達もまた、祈りと御言葉に専念する者であったのです。

 今日は本来、ステファノの殉教の話に入っていこうと計画をしていました。しかし事実上6章前半に留まり、教会が発見した祈りの力について見て参りました。ステファノの話のさわりを短くして終わりたいと思います。

 ステファノ。生粋のユダヤ人の立場でありながら、外国生まれの人たちの世話を見るために召された執事の一人です。8節によりますと、ステファノは恵みと力に満ち、不思議なわざを民衆の間で行っていた、とあります。民衆の間で支持を得たのがステファノでした。

 その同じ「民衆」という言葉が、すぐその後の12節にもう一度出てくるのです。最初の「民衆」はステファノを支持していました。次の「民衆」はステファノを中傷し、偽証をし、捕まえています。使徒言行録で初めて、「民衆」が否定的な意味合いで使われています。

 ある時にはステファノを歓迎した民衆が、後になってステファノを糾弾する。その様子は明らかに、主イエスが十字架におかかりになる前の一週間の様子に似せた叙述になっています。主イエスがエルサレムにお入りになる時、人々は自らの服を敷き詰め、棕櫚の葉を持って歓迎して迎えました。その数日後、律法学者達の扇動によって、同じ民衆がこう叫ぶのです。「十字架につけろ」と。私たちは、イエス様をホサナと賛美し続ける、棕櫚の日に主を迎えるような姿をとり続けることは出来ないのでしょうか。賛美に専念し続けることは許されないのでしょうか。

 

 今日の箇所を通じてはっきりしていることが一つあります。主イエスを十字架にかけろと叫んだ群衆と、使徒達を捕まえた神殿の者たちと、ステファノを糾弾した民衆。彼らは怖れをもっていました。祈りと御言葉に専念する者たちがいる。その姿は、怖れを生む程に力強いのです。しかし同時にこうも言えます。祈りと御言葉に専念することによって現れる、主の力を信じ切る者たちの姿は、憧れにもなり得る、と。棕櫚の日である今日、執事と使徒達の祈る姿を覚え、私たちも祈りの姿勢を整え直したいと思います。