教会の出発と「福祉」の誕生

2022/04/03()受難節第五主日聖餐礼拝 

使徒言行録説教第17回(617) 

教会の出発と「福祉」の誕生                                         牧師 上田彰

*成長の「踊り場」について

 子どもの成長を見ていて思うのは、恐らく他の色々な意味での成長にも通じると思うのですが、一直線に右肩上がりに成長するわけではない、ということです。あるときには順調に思うことが出来るようになっていくのですが、あるときには行き詰まってしまう。思うことが出来なくて本人がじれったがり、周りにも八つ当たりをする。しかしそのような時を経て、成長の方向性を自分自身で見極めることが出来たときに、成長を再び始める。

 たとえて言うならば、階段を上っていくときに、どこかで少し休憩をして、そして昇る向きを見定めてまた昇り始める。そんな踊り場が、成長には必ず必要なのだと思います。「成長に曲がり角がある」、というのは言い得て妙だと思います。

 使徒達の群れ、教会。教会もまた成長します。その成長には「踊り場」は存在するのでしょうか。それとも、一世紀の教会は留まることを知らない成長を続けていたのでしょうか。今日の箇所を見ると、どうやら前者、つまり「踊り場」を何度も経るような成長をしていることが伺えます。今日の箇所の直前、5章の終わりを見ると、「日々福音を宣べ伝えていた」という、使徒言行録そのものの終わりと重ね合わされる言い方がなされています。つまり、5章の終わりというのは、一旦使徒達の教会の完成した形を示すのです。しかしそれは踊り場だった。完成した形に見える教会に、欠けがあった。未完成なところがあった。そこを見直していくと、立ち止まる必要がある。そして色々な問題を検討し、点検を積み重ねる。そして「こっちに向けて出発すべきか」「あっちに向けて出発すべきか」という風に、色々体の向きを実際に変えて、検討する。こっちに向けて出発するとこんな感じになる、あっちに向けて出発するとあんな感じになる。十分に吟味をして、そして階段に足を乗せます。

 今日の箇所は、そのような、教会の成長の「踊り場」の一つを描いた場面です。

 

*教会的なものへの目覚め

 いくつかの伏線があります。まず一つが、教会がソーシャルなものに目覚めた、ということがあります。ソーシャル。日本語ではなんと言えばいいのでしょうか。以前にも話したことがある話をまたご紹介します。神学生達が住む寮に住み、10人で一つの台所を共有していました。時折何かの集会の時に出て、帰りに食べ物の余りを持たされます。大体の場合はお菓子で、ケーキであったり、クッキーであったり、そしてサラダということもありました。食べきれない分を持ち帰り、台所に置いておくのです。そこには「ソーシャル」と書かれたラベルや札がつけられます。日本語でいえば「どなたでもどうぞ」という意味合いの言葉です。そのお菓子がキャンディーであれば、キャンディー自身で文字を書きます。soz、つまり「ソーシャル」です。なぜ「ソーシャル」というのか。それで辞書を引きますと、「社会」という訳語も出てきますが、一緒に「福祉」という意味もあることが分かります。いわゆる貧困への援助は「ソーシャル・ヘルプ」です。「ソーシャル・ディスタンス」とはもともと、「私はあなたが感染者かもしれないから離れますよ」という意味ではなく、「私が感染者かも知れないのであなたのことを気遣って離れますよ、離れていながらもあなたのことを思っていますよ」という意味になります。

 教区社会部の仕事を担っています。教団の決まりを見ますと、社会部の役割として最初に書かれているのが、福祉団体との関係強化です。日本基督教団17の教区があり、それぞれの教区に社会部がありますが、そこに書かれているとおりにやっている教区は東海教区がむしろ例外であるくらいかと思います。

 教会の側にも誤解があるように思います。教会が明治時代以来福祉を担ってきたことはよく知られていますが、それは伝説になりつつあります。教会の側で、担い始めたのはいいがその領域が膨大になりすぎて、教会の手に負えなくなりつつあるのです。そこで、こういう意見があります。「福祉を担うのは本来は行政であるべきだ、少なくとも教会はもう少し自分たちに余裕が無ければ他を助けることは出来ない、むしろ伝道をすることが教会の本来的任務であって、教育とか福祉は二の次にせざるを得ない、例えば使徒言行録6章を見ると、使徒達は祈りと説教に専念するためにソーシャルな分野を専門家に委ねているではないか、聖書自身が自分たちの教会がまず大きくなって、それで余裕が出来たら他を助けるという順番を示しているではないか」。

 しかし今日の箇所を見ると、食事の分配で争いが起きているというのですから、分配できるパンが元々少ないゆえに(教会最初の)紛争が起こっていることが分かります。教会は、他を助ける十分なパンの備えがないときから他を助けることを志してきました。伝道を十分するようになってから福祉をするというわけではないのです。確かに現代の福祉は専門化しています。もはや素人が見よう見まねで手伝える部分はほとんど無くなりました。

 今日、先ほど歌った二つの讃美歌、7番と284番はいずれも、十字の園の歴代の理事長が愛唱讃美歌としていたものだそうです。かつて戦後、十字の園を最初に浜松で、そしてこの伊東においても立ち上げたときには、建物を建てるところから手作りだったと聞きます。その手助けのために手弁当で駆けつけた人たちがこの中にもおられるのです。しかし今や、専門家でなければ担えない分野があり、キリスト教福祉施設自身がまず第一に行政との関係を重んじているように見えることさえあります。今日の箇所を読むときに、教会が福祉の分野にも手を広げないといけませんよ、という風に読むと無理がありそうです。むしろ、福祉の大元にある「ソーシャルの精神」を重んじることが重要なようです。そしてソーシャルの精神は、福祉事業を立ち上げましょうというような狭い意味にだけ取るのではなく、教会の根本において必要なのではないか、と思うのです。

 

*祭司が教会に来るようになった理由

 そのことを明らかにするために、今日の聖書箇所の冒頭をもう一度確認してみたいと思います。二つのグループの間で争いが起こりました。ギリシア語を話すユダヤ人と、ヘブライ語を話すユダヤ人が教会の中にいた。それがそもそもの対立だったというのです。エルサレムはイスラエルの中にあり、そこでヘブライ語を話すユダヤ人がいるのは当たり前ですから、この言い回しで重要なのはギリシア語を話すユダヤ人のグループがあったということです。エルサレムの町中に沢山ギリシア語を話す人がいたということも考えられます。当時、エルサレムにはエルサレム生まれではない人がたくさんいた。そのリストは使徒言行録2章にありまして、「わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいる」。ある人は、12人の使徒は、12の言葉で福音を語り始めた、ここに出てくる地名のリストは12の言葉に対応している、と言っています。本当かどうかは分かりません。しかしはっきりしているのは、福音を語る際に、ヘブライ語が優先ということはもはやなく、12、あるいは13の言葉が全て対等であるということです。それらの言葉を語る者もまた対等になりました。世界各地で生まれ育った離散の民、ディアスポラユダヤ人が、エルサレムでも世界共通語であったギリシア語で話すグループを形成していたのかも知れません。ユダヤ教社会において、ヘブライ語の優位は明らかであった一方で、教会においては、ヘブライ語が優位ということはもはや言えなくなっていた。そしてギリシア語を話すユダヤ人が弟子、つまり教会のメンバーになるということがますます増えていくようになり、ついに「私たちにパンが足りない」と言い出すまでになったのです。この、ギリシア語を話すユダヤ人キリスト者が不平を言い始めたということを、教会は自らが成長するための良い機会であるととらえました。

そしてその流れに敏感に反応したのが、意外なことに祭司でした。今日の箇所を見ると、ユダヤ教の神殿に仕える祭司もまた多く教会に加わるようになった、というのです。恐らく祭司というのは輪番制で、交代で務めにつくために、宮仕えをしていない時には時間があったということがあるのかも知れません。同時に、祭司として、エルサレムにおけるギリシア語を話すディアスポラユダヤ人への差別を多く見てきて、そしてその差別を克服することが出来ないユダヤ教社会に深く絶望をして、教会の交わりに魅力を感じていたのかも知れません。執事の導入は、エルサレム帰還運動熱が高まる一方で起こっていた何らかの社会問題を抱えていたユダヤ社会にとって、一筋の希望に見えたのではないでしょうか。今日の聖書箇所は、単に(?)社会福祉施設の誕生ということにとどまらず、教会発の「ソーシャル」が展開することがユダヤ人社会にとって一大事件であったことを示しています。

 教会だって、この言い争いを単純に肯定的にとらえて素直に成長の機会と出来たわけでは無いと思います。葛藤があったけれども、その中で希望を見失わなかった。そして踊り場に踏みとどまり続け、なんとか成長の機会としてもとらえることが出来るようになった。そういう事なのだと思います。

 ある人はこう言います。「紛争は和解の好機」。また別の人はこう言います。「全てのことに感謝しなさいというのだから、コロナにもまた感謝できるのではないか」。もし私たちが様々な出来事を自らの成長の糧として感謝して受け止めることが出来るのなら、コロナもまた成長と和解の好機であると言えるかもしれません。もし世界規模で起こっている紛争を思いながら、それをただ「全てが終わるように」と願うだけでなく、被造物としてのうめきをあげ続ける世界が成長するためにどうしても避けることの出来ない踊り場なのかと恐れおののきながら、時に涙を流しながら祈り続けることで、今世界で起きている出来事を全く違った観点で見ることが出来るかも知れません。

 

*共鳴する教会

 新しい年度に入りました。今年度の聖句主題(「まっとうされる愛――神の愛から兄弟姉妹愛へ」)は、私たちの教会の根幹にある「交わり」の意味と意義を明らかにするものです。教会総会の時に、「フルスペックの教会」という言い方を繰り返しました。今までは「構えの大きな教会」という言い方をしていました。かつて教団新報という、日本基督教団の広報を担う部署で奉仕をしていたときに、当時起こり始めていた教会同士の合併ということについて、いくつかの事例を取材しようということになりました。それで、実際に合併をした教会、これは東北の方だったと思います、それから伝道圏といって地域の諸教会が一つとなって伝道をするケース、これが四国にあります、それと地方と島嶼部の伝道、これは伊豆と伊豆諸島がモデルとなりました。私が企画の言い出しっぺとして自分の生まれた四国の教会に行くことになりました。教会をほぼ一週間空けての取材旅行です。そこにおいて、伝道圏伝道のスポークスマンと言われ、多くの牧師に影響を与えた一人の隠退牧師にインタビューを試みました。その時にその牧師がおっしゃった言葉をおぼろげに覚えていて、「フルスペック」という言葉を使ったのです。そこで昨日の役員会の最中に、この言葉が話題になりましたので、かつて自分が取材して書いた記事をその場で読み返しました。おおよそ次のようなことが書かれていました(自分が20年前に書きました)。

 高知県東部の香美郡と長岡郡、町(村)の人口も教会の規模も大きくない中で、十余りの教会が、その中には教会ではなく伝道所という体裁を取っているところもあるけれども、いずれもが第一種教会であるというつもりでやっている。第一種(「フルスペック」)教会とは何か。それは他の教会に共鳴し、他の教会を助けうる教会のことである。香長において、どの教会も立場は対等であり、一番口うるさい教会が実は一番小さい教会であったりする。大体そういう話を伺いました。

 神学生の時に夏期伝道実習で香長伝道圏に使わされ、そこで強い影響を受けて隣接するもう一つ別の伝道圏に神学校卒業直後に赴任した牧師は、一つの教会に留まることがご自分の使命だといって、25年間同じ教会に留まり、同時に教区の重責を担っています。普通教区の重鎮になるというのは大きな教会の牧師であるというケースが多いと思います。礼拝出席数名の教会でありながら、そこの牧師が大きな働きをするということがかしこではある。これは四国教区に限りません。全ての教会は、共鳴しあう教会として、主にある交わりの中にあることが許されます。同じように、教会の中にも、男女問わず、職業や出身、貧富を問わず共鳴し合う同信の兄弟姉妹として、同じ交わりの中にあることが許されます。

 

 使徒達12人はこう言いました。「わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします」。その意味は、教会の核心にあるのは祈りと御言葉の奉仕から生まれる交わりである、それがフルスペックの、構えの広い教会である、ということです。教会が求められていることは何でしょうか。数え上げていけばきりがありません。それらの全てを行うことは出来ていません。にもかかわらず、その根幹にある教会的共同精神が、主の御言葉の響きを共有し、共鳴し合うのです。教会は、ソーシャルであることをやめることはありません。ソーシャルであり続ける限り、成長し続けることが出来るからです。

 5章の終わりではこう聖書は告げています。「日々教会は福音を語り続けた」。実際には、語り続けられないで、立ち止まることもあったでしょう。何しろ弾圧もあったくらいです。彼らは、弾圧されたのを見て、自分たちの信仰はいよいよ本物になってきたといって語り続けた、とあります。宗教改革者は、これを言い換えて(言い換えている、と解釈できます)、「福音を純粋に語る、これが教会なのだ」と言いました。二心なく福音を語る。教会の課題は多岐にわたります。その一つ一つにバラバラに対応していては体が持ちません。それらの課題の、そしてそこに集まる人々の思いが、共鳴し合うことによって意味があり、意義がある踊り場に達することが出来る。成長の糧がそのようにして得られるのです。

 

 聖餐式を行います。これはそれ自身が成長の時であるとも言えるし、踊り場のような時であるとも言えると思います。主の御前に進み出て、めいめいが自らの信仰を吟味します。同時に、兄弟姉妹愛を確認する時でもあります。私たちの教会では、聖餐式の時に握手をする習慣はありません。そういう習慣を持ち、一つの杯と一つのパンを目の前で分かち合ってきた教会が、軒並みコロナのために聖餐式の中止に世界規模で追い込まれている中で、私たちの教会は(幸か不幸か?)ほとんど何の習慣の変更もしないで、聖餐式を守り続けています。どうか心の中で前後左右の方と握手をして下さい。互いに響き合う信仰の仲間がいることを覚えてください。そして共に成長し続けることを喜び合いましょう。人生には階段と踊り場が必要です。