救いの計画へ――答えを示す

2022/03/27 受難節第四主日礼拝説教 救いの計画へ――答えを示す

使徒言行録第16回 五章34節以下 牧師 上田彰

 *「答え」を示す(国家の場合)

 未だに世界情勢は安定しません。世界の人々がロシアに対して不気味な思いを持つ理由は、主に二つあるように思います。一つは核兵器を含む武力を持っている、ということで、もう一つは、ロシア国民の圧倒的多数は今回の侵略に反対していないということです。二番目のことについて、これはメディアがロシア国民をコントロールしているからであって、ロシア国民はかわいそうな状態にあるからだという理屈だけでは、十分ではないように思います。因みにロシア政府寄りの報道番組で反戦のプラカードを掲げた職員がいました。現在のロシアの報道番組は全て録画か、少なくとも数秒のディレイを入れていますので、メディアコントロールが崩壊しつつあるという見方は出来ないという指摘もあります。要するに、ロシア政府は一つの答えを出していて、その答えは世界の大多数の人々は全く納得できない、イデオロギーがかっているとしか思えない答えであるけれども、ロシア語圏の人たちはその答えが通用している支配領域の中にいて、中では意外と居心地が良く感じています。人々はまだ現時点では大統領と政府が提出している一つの世界観、国家観、つまりは一つの答えに対して「ニエット」と叫ぶ段階にはない、ということです。

 一つの答えを持つ。これはその答えが究極的に正しいのかどうかは別にして、人々に対して一つの説得力を示すことがあります。

 

 *「答え」を示す(教会の場合)

 20世紀前半に、ある牧師が「一つの答え」を示すことで、当時の自分の国の価値観に真っ向から挑戦を仕掛けました。その言葉をお読みします。

 

救いはただ約束においてのみ認識される。しかも約束は、純粋な福音の説教によって知られる。しかし現に、ローマ・カトリックや(ドイツ)帝国教会の諸教会においても福音が説教されている。それならそれらの説教は純粋な説教であり、それらの教会もまた真実の教会であると言えるのであろうか。(一文省略)しかし仮に、使徒パウロのように純粋に福音を宣べ伝えていたとしても、その説教者が教皇あるいは帝国教会の統治に服従しているとするならば、その人は偽りの教師であり、教会の誤った指導者であろう。(告白教会と世界教会、ボンヘッファー、1935-38年)

 

 そういってこの牧師は、「福音を純粋に説教する」というのが教会の持つ唯一の答えであり、その答えをかざすことが最終的には国家反逆罪に問われるとしても、それを受けて立つと考えました。

 先ほどの文章を記した直後、彼は当時の政権与党を批判したというかどで当時ついていた大学の職を解任されます。そこで彼は与党に反対する、非合法の地下組織に参加します。そして捕まった後に、当時の首相の暗殺計画に加担していたことがわかり、絞首刑に処せられます。

 現代日本の状況に置き換えて想像するならば、相当に変な人だという印象でお聞きになるのではないかと思います。それは、現代日本の私たちは、今の私たちの社会を取り囲む「答え」に対して一定程度満足しているからです。政府自身が出す「答え」については余り満足はしていないように思いますが、かといって今の生活を包んでいる何らかの意味の「答え」にはそれなりに説得力がある、と思っています。実際に国際的な調査を見ると、日本は報道の自由が決してある方ではない。しかし何かを発言して牢屋に入るということはまずないし、物価もそれほど高くなっていない。だからまあまあ満足できる。少なくとも今の生活を壊す必要は無いと感じている。今のロシアも、人々は一つの「答え」に満足しているようです。

 今日の聖書に出てくる、ユダヤの最高法院の議員達は、イスラエル民族に対して「答え」を提示することに血道を上げてきた人たちです。そして人々には相当に説得力を持った答えであったようです。

 先ほどの牧師の国の話にも触れておきます。少なくとも国民の51%以上の支持、実際には9割近い支持によって出来ている与党が示す「答え」には到底賛成できないと考え、そして宗教改革の伝統に則って信仰的「答え」を掲げた人物だという事になります。この、ヨーロッパで第二次大戦中に首相の暗殺計画に加担したとして絞首刑になった牧師をとらえて止まなかった「答え」とは一体なんでしょうか。この牧師がいた国とは、ドイツです。そして彼が「福音の純粋な説教」を「答え」と考え、当時「総統」という名で知られた人の暗殺計画に加担したその相手とは、ヒトラーのことです。20世紀のプロテスタント教会を代表する有名な牧師であり神学者でもあるボンヘッファーは、彼が属する国で400年前に宗教改革を起こした信仰の先達が記した次のような宣言文から来た言葉に「答え」を見出しました。

 

また、われらの諸教会は、かく教える。唯一の聖なる教会は、時のつづく限り、つづくべきものであると。さらに、教会は、聖なる者たちの集まりによって成り立つ。聖なる者たちの集まりは、福音が純粋に教えられ聖礼典が福音に従って正しく執行せられるところで起こる。そして教会の真の一致のためには、福音の教理と聖礼典の執行に関する一致があれば足りる。(アウグスブルク信仰告白第7条、教会について)

 

混じりけ無く福音が語られ、その福音に基づいて聖餐と洗礼が営まれる所を、教会と呼ぶ。日本基督教団信仰告白は、「福音が正しく宣べ伝えられる」という言い方で、(つたない表現ながらも)この宗教改革の伝統が示した「答え」に連なる教会であることを宣言しています。

 

 *答えを示す(ガマリエルの場合)

 今日の箇所は、ルターが始めた宗教改革の示す答えの、さらに大元である使徒言行録の教会が与えられた「答え」が、当時の宗教的伝統と真っ向から対立していて、しかしそうであるにも関わらず、教会は「答え」を掲げ続けた、ということを記すところです。

 そこでまず、当時の宗教的多数派の示す「答え」を確認しておきましょう。

 まず今日の箇所の直前ですが、使徒達が説教をし、イスラエル民族の指導者達が集まる最高法院でも堂々と受け答えをしている。その様子に苛立つ議員達の様子が描かれています。怒りに燃えています。

 そこに立ち上がるのが、ガマリエルという一人の人物です。彼が、その怒りを「答え」の形に収める様子が見ものです。

 さてガマリエルという人物ですが、彼はファリサイ派に属している律法の教師で、人々からの尊敬を集めていた人物であると書かれています。ファリサイ派の中でも穏健なグループに属していて、後に明らかになりますがパウロが以前ファリサイ派に属していたときに、彼から律法を学んでいたという、ユダヤ教が意図せずしてキリスト教を生み出すに至るプロセスに欠かせない人物でもあります。彼は洞察力に富み、今最高法院の自分以外のメンバーを刈り立たせている熱情の原因について深い考察をした上で、二つの例を通じて皆が納得せざるを得ない一つの「答え」を示します。

 まず一つが、テウダという人物が起こした動きです。おそらくルカは、ガマリエルがいうテウダという人物と、もう一人別にルカ自身が知るテウダという人物がいて、取り違えているようです。ガマリエルが言うテウダはイエス様が生まれる直前、紀元前4年頃にヘロデ大王が死んでからユダヤが政治的に不安定になり、色々な反乱が起こった内の一つを起こしたテウダです。そしてルカが知っている方のテウダというのは、紀元45年頃の反乱の指導者です。この時点のガマリエルが知らない方のテウダについて、使徒言行録の記者ルカは言いたかったようです。(注:使徒言行録は紀元40年以前の出来事について1世紀末の時点までに徐々にまとめられている。)こちらのテウダは、いわゆる政治的反乱の指導者であるというよりも、どうやら自分をモーセの再来だという風に考えていた宗教的指導者で、魔術してもあったようです。そして、大勢の人をヨルダン川に連れて行き、自分の魔法でこの川を右と左に分けて、その間を渡ることが出来ると約束したようです。しかし水が分かれることはなく、人々が跡形もなく流されてしまった、というわけです。

 もう一人はガリラヤのユダです。熱心党に属していました。イスラエル民族の民族としてのアイデンティティーを過激な形で持っていた彼らは、一つの「過激な答え」を持っていたということになります。彼らは住民登録と納税の二つをきっかけに当時のローマ帝国に対して反乱を起こして、いずれも鎮圧されてしまいます。

 なぜ住民登録と納税が反乱の理由になるのか。そこには宗教的理由があります。この時点でイスラエル民族は国家の形を取っていますが、そんじょそこらの国家とは違うというプライドを持っていました。それが、「住民登録をしない」ということだったのです。大昔の、神様が王様で武装した祭司である士師が民族を治めていた時代は民数記の存在からも分かるように、住民登録というか人口調査は普通にしていました。イスラエルに12ある各部族の人数なども分かっています。ところが、カナンの地に移動を果たし腰を落ち着けてみると、周りにはどうやら国というものがあるらしいということに気づきます。そこには王様がいて、王様が率いているところでは建物も食べ物も立派だ。自分たちも国を建てて王様に導いてほしいと神様に願い出るのが紀元前10世紀頃です。国が出来て司祭ではなく王が支配するようになると、民を指導するのが神様自身ではなくて人間になってしまう、といって神様は願いを一旦却下するのですが、しつこく民が言うので、どういう結果になっても知らないよと念を押して、サウルを王様に建てるのです。

 その後の二代目の王様がダビデで、彼とソロモンの頃は王国は栄えていました。人々は、王様が支配する国に満足していました。ところが一つだけダビデは政治的な失敗を犯すのです。信仰的な失敗はバテシバ事件を含め色々起こすのですが、政治的な失敗は一つだけです。それは人口調査をしてしまって、神様のお気に召さなかったのです。その後王国は分裂し、解体し、捕囚という、辛酸をなめる経験をします。二世紀ぐらいにファリサイ派とサドカイ派が生まれた頃に、国とは何か、ナショナリズムとは何かということについてイスラエル民族はかなり一生懸命考えたようです。そして、あの人口調査が捕囚の憂き目に会う理由だったのではないか、やはりイスラエル民族の国家は神様の国家なのだから、人口調査をしないで良い特別の国なのだ、という考え方です。

 色々屈折しています。確かに、人口調査をしないで良いのならそれは特別な国です。普通、人口調査と住民登録をすることによって、徴税と徴兵が可能になります。国を豊かにするためには人口調査が欠かせません。それなしに国が成り立つのなら特別に祝福されていると、もしかしたら言えるのかもしれません。しかし実際には、イスラエルの国家が小さかったこと、そしてその国家は完全に独立しているのではなく、かつてはシリア帝国、その後は植民地としてローマ帝国によって支配され、守られているが故に人口調査が必要なかった、というのが実態だったのです。

 つまりこうです。ローマ帝国という、国家として極めて強力な国は、一つの極めて強力な「答え」を示していました。例えばローマが発行する貨幣には皇帝の銘と肖像が刻まれていました。人々はその貨幣を使う度に皇帝を意識せざるを得ません。イスラエル民族のいた植民地国家では、内部で元々の自分たちの貨幣を使うことが認められていたので、その貨幣を普段は見ないですみました。しかし納税の時だけは皇帝の貨幣を使うことが求められました。だから反乱が起きたのです。ガリラヤのユダが属していた熱心党は、ローマ帝国とは別のユダヤ教なりの「答え」がある、その答えにたどり着くためには過激な暴力も辞さないという態度を示したのです。ところがそれらの反乱は全て鎮圧されてしまう。

 それに対して、ファリサイ派は少し異なる「答え」を示していました。何かというと、こういう答えです。私たち神の民族であるイスラエルに税金を課すようなローマ帝国は、やがて神様の裁きによって滅ぼされてしまうだろう。滅ぼすのは私たち人間の力ではなく、神様ご自身がなさるだろう。だから税金はとりあえず収めておこう。

 これは現代の私たちからすると、「弱い答え」のように見えます。しかしファリサイ派はイスラエル民族から強い支持を受けていました。それは、彼らの答えは別の意味で「強い答え」になっていたからです。それは、律法を守ることの方が国家に抵抗するよりもずっと重要である、という答えです。私たちからすれば、例えば食事の際に手を洗うのは一回なのか前後で二回なのかとか、穴に落ちた人を安息日に助けることはどこまで許されるかというような問いは暇問題といって、どうでもいい問題のように見えます。しかし彼らにとって、律法の守り方は極めて重要な関心でした。そして律法を守ることによる救い、という答えをファリサイ派は示し、人々は納得していたのです。

 今日の箇所でガマリエルが示す、使徒達を殺さないための理屈は、その答えの応用です。ガマリエルはファリサイ派の内で穏健なグループに属しています。「もし使徒達の活動が神様の御旨に逆らっているのなら、彼らは自滅するはずだ」、という理屈です。そしてこの「答え」を示したのがあの尊敬を受けるガマリエルだということで、他の議員は納得せざるを得なかったということです。

 

 *答えを示す(私たちの場合)

 このガマリエルの機転に救われた使徒が、彼らなりの答えがどこにあるのかということについて今度は示す番です。それは端的には今日の42節の、「毎日福音を告げ知らせていた」というのが答えです。この表現は使徒言行録全体の最後にも出てくる言い回しで、言ってみれば使徒言行録が書として示す最終的な答えとも言えます。「福音が告げ知らされ続けなければならない」、これがこたえの半分です。

 もう半分が示されているのが前の節で、ここが少しややこしいところです。「使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び(ながら)」とあります。文脈で言うと、彼らは今や最高法院から出ることが出来るようになった、なぜなら、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜ぶというあり方に気づいたからである、ということです。最高法院は、熱心派のようにではなくてももっと落ち着いた形で一つの答えを持っています。その答えはその後もユダヤ教の主流派として通用し続けている答えと言えます。そして使徒達は、あるときまではその最高法院の答えが持つ影響力の中にいたのです。しかしこの時、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜ぶというあり方があることに気づき、新しい答えの中に自らの身をおくことが出来るようになったのです。

 しかしそれにしても、「イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜ぶ」というのはわかりにくい表現です。元々この表現は、国家による宗教弾圧のようなものを想定した表現だからです。そんなことはナチス時代とか、現代もいくつかある独裁国家では問題になりますが、日本国家が公然と信教の自由を否定する可能性はほとんどありません。しかしにもかかわらず、「イエスの名のために辱めを受ける」ことはあり得ますし、現に起こっていると思います。例えばそれは、日本の教会が小規模であることと関係しています。イエス様は「小さな群れよ、恐れるな」とおっしゃって下さったにもかかわらず、私たちは何か小さな集団であることを恥ずかしいものと思い込む習性があります。経済的危機感と関係しているのでしょうか。少数派なのにひとかどのことを言うなというような見えない圧力に弱いのかも知れません。

 

 そこで、イエス様の名を冠した福音についての説教が、他の答えとは異なるということをはっきりさせるために、宗教改革者達は、形を洗練させ、「福音を純粋に説教する」という風に言い表すこととしました。私たちもまたその流れに与するのです。最高法院の答えとは違う答えを持っていることを誇りにする使徒達に連なる者として、二心なく福音を語り続けます。福音を純粋に説教し続ける教会。私たちの教会は、大きな教会ではありません。それは、数で答えを示すという怠慢に陥ることなく、伊豆伝道の灯を消さないという熱意を大きく持ち続ける教会でなければならないということです。小さくても本格的な教会です。フルスペックの教会でなければ、今後の存続は難しいという時代に入りつつあります。だからこそ福音が純粋に語られる教会であることに依拠したいと願います。「使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。」これは教会が示しうる、最大にして最良の答えです。