創立115年、ただ主の導きによって 

2022/03/13 受難節第二主日(創立記念) 

使徒言行録説教第15回 51733節 

創立115年、ただ主の導きによって                  説教 牧師 上田彰

 

 *二つのことわざについて

 「冬来たりなば春遠からじ」という言葉があります。ご興味のある方はインターネットでご覧下さると分かりますが、冬来たりなば春遠からじの方は、かなり激烈な詩です。元々は19世紀イギリスの詩のようです。冬の厳しさの中に、魔法使いか預言者のように冬の西風がやって来て、そして人々のいる地上に春をもたらす、というのです。一文だけ引用します。

西風よ、お前は天地に充満し躍動する烈しい霊だ、

破壊者であり保存者だ! ──聴け、この叫びを聴け!

このような調子で、最後に詩人自身の言葉として、「冬来たりなば春遠からじ」と叫ぶ、というわけです。

 このように調べていて気づいたのですが、私自身、この言葉をそういう風に使っていたのかな、と思いました。使い方によるのでしょうが、次のような響きを持って聞こえることがあります。「今は悪いことがあるけれども、そのうち良いこともありますよ」というような意味合いです。そういう意味合いで使われるのを聞いたことがおありのかたもおられるかも知れません。その場合には、中国のことわざである「禍福はあざなえる縄のごとし」というのに近い響きがあることになります。この言葉にもまた歴史があります。今回は割愛しますが、中国のことわざが幸福と災いが交互にやって来る、だから余り喜びすぎず、余り嘆きすぎずにやっていこうというニュアンスです。「冬来たりなば…」はそれに対して、嘆きの真っ最中に平安のおとずれを願うのです。かなり意味合いが違うことは確かです。

 私たちは、今春の到来を間近に控えた受難節に、そのどちらの思いを持ってこの季節を過ごしているでしょうか。

 

 *救いをもたらす「歴史」について

 何を言おうとしているのかといえば、ウクライナ情勢です。ソ連時代のロシアは、戦争を冬に仕掛けます。草原地帯を戦車が走るときに、地面が凍っていると良いのです。ですから、氷が溶ける頃になると退却をする可能性が高い。いつまでも今のように戦車が列をなして隣の国の攻め込む態勢はとり続けられない、というのです。そう言われれば、沼地に入って動けなくなった戦車の写真などが、今回の報道でも映し出されていました。

 そう聞けば、いつ頃地面はゆるくなるのでしょうと思わず問いたくなってしまいます。どうも調べてみると、最近は道路の舗装率も高くなり、以前のように雪解けと共に退却とは言い切れないようですが、広い領土ですからやはり草原地帯も通らなければならないようで、そのタイムリミットはあと一週間と言われているようです。

 つまりこういうことです。春は来る。来る可能性は高いと個人的には思っています。ただしロシアの戦車とて何もせずにこのまま退却することは考えられません。それまでの一週間、あるいは二週間は、撃ち尽くせるだけ弾を撃ち尽くす可能性がある。退却の口実を失ってしまった一国の大統領が、このまま拳を振り下ろさずに終わらせるとはとても思えません。「我慢すればなんとかなります」などと安全地帯である日本からは決して言えないような、双方に少なくない犠牲を伴う、陰鬱な一週間が予想されているようです。春が来る前に、どうしても冬が来ることは避けられないのでしょうか。

 ここは、単に社会情勢についてやりとりをする場所ではありません。(もうそろそろやめます。)しかし思うのです。「冬来たりなば春遠からじ」とは、ただの季節の移り変わりをいうのではない、ということを。そして「冬」の時期とは、祈りながら救いの時を待つような、ちょうどパウロがロマ書8章で「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています」と述べているような、うめきの祈りを捧げながらつぶやくのが、「冬」であることを。そこまで踏まえた上での「冬来たりなば春遠からじ」なのではないでしょうか。

 従って、この言葉を信仰者の立場から用いるならば、こうなるはずです。春とか冬というのは、季節の繰り返しを意味する言葉というよりは、救いに向かう世界の歩みを意味するものです。ある人は、信仰とは「自然」であるよりは「歴史」であると言いました。別のある人は、信仰とは山手線のようにぐるぐる回るものというよりは、中央線や東海道線のように、一直線に走り抜けるものだ、と言いました。

 

 *「歴史」を重んじる

 創立115年。これは一つの歴史です。繰り返すような仕方ではなく、むしろ積み重ねるような、そして前へと進むような仕方で、私たちは115年という歩みを進めています。先日あるオンラインの教団の会議で、先輩の牧師がこういうことをおっしゃっていました。ちょうどその日(310日)は日本キリスト公会(現在の日本キリスト教会横浜海岸教会)という、日本で初めて日本人自身によって建てられた教会の設立の日で、150年の記念の年だというのです。「それなのに教団はそのことを祝う機運が全く生まれていない。そもそも私たちは歴史に気を配らなすぎるのではないか。歴史忘却に陥ったままであっては、私たち自身が歴史の狭間に浮かんだ一つのあぶくのように、やがては弾けて消えてしまうのではないか…」。そのように続ける仲間の牧師の言葉を聞いて、歴史が重要であるというのは、節目ごとに過去を振り返り、将来を望んで祈るというのは、色々なところで大事なのだろうな、と思いました。教団にとってだけでなく、一つ一つの教会の歴史にとっても大事なものなのではないかと思わされるのです。

 歴史を大事にするというのはどういうことでしょうか。今日の聖書箇所は、歴史を大事にするということを考える際に大事なヒントを私たちに与えてくれているように思います。

 

 出来事は次のように進んでいます。この時期にはキリスト教というのは存在せず、ユダヤ教ナザレ派という形で使徒達の群れは営まれていました。使徒達の中に、新しい宗教を作るという意志はあまりなかったように思います。自分たちは聖書と神殿に忠実なユダヤ教徒であり続けたい。神の民としてアブラハム以来の契約の中にあり、モーセ以来の聖書を信じ、ダビデ王以来の神殿と共にある群れではないか。確かに私たちはナザレのイエスを救い主と信じている。その点で少し他のユダヤ教のグループとは違うかも知れない。そのくらいの意識であったようです。ところが周りはそうではなかった。特に、彼らナザレ派のグループのことを快く思っていなかったのは神殿を支配していたサドカイ派と祭司達でした。その中でも特に力を持っていたのが大祭司も経験したアンナスとしゅうとのカイアファだったという風に、名前も分かっています。聖書以外の資料によると、当時政治と宗教の世界を牛耳っていた一族だということが分かっています。

 彼らが言うのです。なんだあの連中は。一日に決まった回数神殿で祈りを捧げるのは私たちと同じだが、私たちにも出来ない癒しをやったり、しかも前庭でやっている説教を聞いたら、ナザレのイエスを十字架にかけたのはユダヤ人だなどと言っている。ユダヤ人を批判しているようだ。それなら彼らはユダヤ人ではない。

 そこでカイアファたちは使徒達に対して、イエスの名による説教、つまりイエス様に触れるような話を人前ですることを戒めて前回は釈放したのでした。しかし人々は使徒達の群れを追いかけ回します。そこで彼らはねたみの思いを持ち、(そこから今日の話ですが、)また使徒達を牢に入れてしまいます。ところが彼らは無傷で牢を出てしまう。そして彼らは神殿に向かうのです。まだ日が出ないうちから神殿に向かう。恐らく一日の一回目の祈りは夜明け前に行われていたのでしょう。ですから夜明けに彼らが神殿の前庭にいたというのは、そして説教をしているのは、前庭でそれを聞いている人々にとっては不思議なことではありませんでした。しかしそれを不思議に思う者たちがいました。最高法院に集まっていた、カイアファの仲間達です。なにしろ、自分たちの裁判の場に使徒達を呼び寄せようと人を送ると、使徒がいるはずの牢が空っぽなのです。そこで探してみると神殿でまた説教をしているといいます。ナザレのイエスを十字架にかけたのはユダヤ人だなどと、ユダヤ人の風上にも置けないことをまた言っているというのです。

 

 今日の話はここまでですが、この話のどこが歴史を重んじる態度と重なるのでしょうか。

 実は今日の部分は恐らく、イエス様の地上でご経験なさったことを思い起こしながら語られている部分です。つまり、使徒達に加えられた弾圧を使徒達自身が物語るときに、ただ「ああ、大変なことがあったね」と語っているのではなく、「ああ、イエス様のご受難と重なっているね」と語っていたのです。節目において、過去を振り返り、将来を仰ぎ見るのが歴史を重んじる生き方です。イエス様の受難の歴史を振り返りながら、使徒は自分たちに与えられた使命を思い起こしていたのです。

 少しテキストに迫ってみましょう。17節、「そこで、大祭司とその仲間のサドカイ派の人々は皆立ち上がり、ねたみに燃え」た。この「ねたみ」というのはイエス様を巡ってファリサイ派の人たちが持ち続けたものです。自分たちの仲間になってくれると思っていたイエス様と弟子たちのグループが、別行動を取ることがはっきりした。いわゆる同族嫌悪というやつでしょうか。その様子は、ユダヤ人ではなかったピラトにとって、目につくものであったようです。イエス様を捕まえて裁判にかけ総督の前に連れて行ったときにピラトは「ねたみ」があることに気づきます。イエス様を捕まえた者たちが陥っている感情です。使徒達は、イエス様を十字架にかけたのと同じ思いが今自分たちにも向けられていると感じ、今日の17節で「ねたみ」という言葉を使っているのです。

 他にもいくつか、福音書を思わせる言葉遣いがあるのですが、その中でも特にルカが意識しているのは、「責任」という言葉です。総督ピラトが人々に問いかけ、本当にこの男を十字架にかけてよいのか、と語ったときに人々が答えた場面です。

 民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」

このマタイ27章の言葉は、「責任」ということについておおよそ考えたことのない人々によって使われた言葉です。ピラトは、責任ということについて全く考えていない人々が、一人の宗教的指導者を殺すために「責任」という言葉を臆面もなく使う様子を見て、人間はかくも厚顔無恥になることが出来るのか、と人間の恐ろしさを垣間見た思いでイエス様の処刑実行を命令したのではないでしょうか。

 そのことを踏まえて、今日の箇所で「責任」という言葉が使われているのです。かつて群衆を煽ったのは祭司長達です。彼らが今日の箇所でこう言ってのけたのです。「お前たちはエルサレム中に自分の教えを広め、あの男の血を流した責任を我々に負わせようとしている」と。自分たちにはナザレのイエスを十字架にかけた責任を取る理由など一つも無い。あれは誰か別の人が十字架にかけたというか、時の流れでそうなったに過ぎない。時の流れ、そう、まさにその通りだ。ナザレのイエスは、冬が来たら次に春が来るのと同じように、鮮やかな花がやがて枯れてしまうのと同じように、たまたま十字架上で死んだのだが、広い意味の自然な死にすぎない。自然死に責任問題などついてくるはずがない。全ての人間の死は自然的であり、全ての人間の営みは自然だ。

 ようするにここで祭司達は、歴史忘却に陥っているのです。全ての営みを自然に帰して、人間が神様の前で罪を犯したことを知らぬふりをする。血の責任は自分にあり、そして自分の子孫にあるとまで言い切った人々の誰も、責任を取っていない。そのこっけいさに使徒達は気づき、人々が責任を取る必要はやはりあることをはっきりさせるために、ここで使徒言行録は28節で「責任」という言葉を使って、群衆による誓いの言葉を改めて思い起こしているのです。「歴史は繰り返す」といいます。あの時に責任を取らなかった人々は、今回も責任を取らないのです。そうやって、出来事が何度も繰り返します。冬が来たら次に春が来て、やがてまた冬が来ることもあるという自然のサイクルの中でしか私たちは生きられないのでしょうか。

 

 *人間に従うのではなく神に従う生き方

 色々と考えさせられます。私たちは、歴史に対して誠実に向き合っていると言えるでしょうか。どうやったら本当の意味で責任を取っていると言えるでしょうか。それは、自然の出来事の繰り返しのように見える歴史が、少しずつ違っている。その違いに目を向けることから始まるように思います。

 パウロは先に引用したロマ書の中で、「新しい人の誕生」を救いと結びつけて語りました。今日の聖書箇所の視点で申しますと、「新しいユダヤ人像」です。使徒達の説教では、主を十字架にかけたのはユダヤ人達です。それは祭司長達や律法学者を本来は指しています。しかし考えてみれば、使徒達自身もまたユダヤ人です。ユダヤ人でありながらユダヤ人を(殺人者だと)誹謗中傷することはけしからんと祭司長達が語るのをよそに、ペトロ達は「新しいユダヤ人像」を示したのではないかと思うのです。今までのユダヤ人とは違う何かが、主イエス・キリストと結びつくことで生まれる。そんな期待をナザレ派としてのペトロ達は抱いていました。では、新しいユダヤ人像とは何でしょうか。

 ここでもまた今日の聖書テキストから考えてみましょう。イエス様の体験を繰り返しているように見える使徒達ですが、しかし使徒達のふるまいの中に、単なる「ものまね」では説明できない、新しい要素が今日の箇所を見ると入っています。それが、十字架の責任について語るイエス様についての説教を今後してはならないと言ってあったではないかと責められている場面で、ペトロ達が答える答え方です。その答えはこうです。

 「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」。

 考えてみたら、違う答え方もありうると言えるでしょう。例えば、牢の鍵を夜中に開けた天使は、「命の言葉を告げなさい」とペトロ達に命じています。それなら、「私たちは命の言葉を告げるのです」と祭司長達に反論をしても良さそうなものです。しかしそうではなく、「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」と答えています。これはおそらく、ペトロ達使徒が普段から考えていたことなのだと思います。

 カイアファ達サドカイ派の者たちは神殿に仕える者です。言ってみれば、一番「神様に従っている」と考えられていた人たちでした。使徒達はしかし、その彼らに向かって、「私たちは人間にではなく神様に従います」と宣言をする。宣言をしてしまったのです。新しいユダヤ人像はここから生まれます。人は、この宣言をきっかけに、使徒達はユダヤ教ナザレ派に留まるのをやめ、「キリスト教」へと自ら踏み出したと考えます。「私たちは人間にではなく神様に従います」。これは、歴史の前進につながる言葉です。主を十字架にかけてしまう罪を悔い改め、「新しい人」となることが、ここから始まります。

 

 私たちも少し想像してみたいと思います。私たちは皆信仰者ですから、人間に従うのではなく神様に従っているつもりでいます。しかしその内実として、全てのふるまいが神様に従うものとなっているかどうか、不安に陥ることだってあるかも知れません。その時には今日の箇所を思い起こしたら良いのだと思います。こうあります。「人間に従うよりも神に従うべきである」、と。

 

 私たちが繰り返す歴史の桎梏から自由になり、救いの旅路に向かうときに、このような言葉を語ることになるのではないでしょうか。創立115年。私たちはそのようにして度々、救いの旅路に向かう歩みを意識し直します。そして新たに前進をすることが許されます。