試練を乗り越える教会

受難節前主日礼拝 「試練を乗り越える教会」

                       (使徒言行録説教第13回) 5章前半 牧師 上田彰

 

 「一つとされる」という課題、第三回

 美しの門での出来事と、福音を告げることに対する最初の弾圧を経験した使徒たちの群れは、次第に教会としての体裁を整えつつあります。4章に出てくる言葉は「一つとなって」という言葉でした。一つとなる。これは課題です。4章は二つの角度からこの課題に取り組もうとしている使徒たちの群れの様子を描いています。

 第一回:一方にあるのは、心と思いを一つにするという、使徒(信徒)同志の一体性です。「一つとなって」という言葉が424で使われています。今風にいうと、教会員同士で思いに向けた温度差がなく、ということです。誰かが伝道に向けて冷めているが事柄を理解して熱い人もいるというのではなく、皆が一丸となっている、ということです。これが前々回の説教でした。

 第二回:前回の説教ではむしろ、一人の中での「一致」が課題となりうる、ということを申し上げました。32節には「心と思いを一つにする」とありますが、「一致」は人と人との間だけではなく、信仰者一人一人の中の課題でもある、というわけです。

 先の4章は、表向きの課題は献金の課題です。「献金の課題」と聞くと、私たちは勘違いをしたまま耳を塞いでしまうという傾向があるようです。献金。ああお金は教会でも大事かも知れない。しかしそれは宝くじか株で大もうけをしたら沢山させていただくことにしましょう、と言うかどうかは分かりませんが、献金が大事だというかけ声だけがむなしく響くということが、教会で起こることは考えられないわけではありません。では今日の前後でもそうかと思っていると、ここで「一生懸命捧げましょう」ということは一言も出てきません。

 そうではなく、「献金をささげなければならないという思いと、捧げられないという思い、バラバラになっていませんか。他にもバラバラになっていること、なにかありませんか。ほかにも信仰生活の中のこと、思い浮かべてください」、そんな問いが4章から5章にかけて問われているのに気付かされます。私たちがこの箇所を、献金を一生懸命するという問題、という風に単純にとらえるのではなく、「一つとなる(一つとさせられる)」という課題としてとらえたいと思います。そして使徒言行録をさらに意義深く読み進めたいと思います。

 

 一つの「伝説」の取り扱い

 今日は5章の冒頭です。アナニアとサッフィラの話を、「献金をごまかした人が罰を受けた話」として読むことも出来るかも知れません。そしてその場合は、息が詰まる思いで読まなければならないことでしょう。追い打ちをかけて申しますと、恐らくこの夫妻は、あとで説明しますように、かなり高額の献金をしていた可能性が高いのです。ただ、有り金全額ではなかった、ということです。それで罰を受けてしまうのか。なんと恐ろしい。…そんな誤解が、誤解なのですけれども、今日の箇所を読む私たちの心を支配しそうになります。

 しかし、「一つとさせられる」という課題として読む場合は、まったく意味が変わってきます。

 実は同じように、この使徒言行録を編集してまとめていたルカも、教会の中で伝えられている一組の夫婦の伝説について、それをどのように自分が今執筆している使徒言行録の中に収めたらよいのか、かなり迷った節があります。この伝承には、他に解釈の余地がないほどはっきりと、「ごまかした者に罰が下りる」という、天罰思想とでもいうべきものを込めて語り継がれた伝承が含まれているのは確かです。そのことに気づいたルカはまた同時に、ここで記されているような役割を演じることは、ペトロがしそうなこととはかなり食い違っていることにもルカは気づいていました。

 例えば代表的な指摘としては、ペトロにごまかしを指摘され、雷に打たれたようにしてその場で死んでしまったアナニアが、妻の承諾なしに勝手に葬られてしまった、これはおかしい、という指摘です。確かにペトロであれば、次のようにしたことでしょう。それは、まずはほかに誰もいないところでペトロがアナニアに話を切り出します。ごまかすことはやめた方がいいということを言う。それで聞き入れられなかった時には二人か三人で話し合う。「二人または三人が私の名のもとに集うときには私もまたいるのである」と主イエスがおっしゃった、その言葉をペトロが忘れるはずがないのです。それで聞き入れられない場合に、何か月かにわたる話し合いの末に、場合によっては教会から追放するという決断をせざるを得ないかもしれません。そのことをもって、その場で息絶えたという風に表現する可能性はあります。もしもそれが教会からの追放をもって息絶えたというのではなく、本当に生物学的にその場で息絶えたというのであれば、ペトロがとるべき対応は、ただ一つです。つまり、彼自身が葬儀をするはずなのです。ペトロであればその葬儀の場で、アナニアの生涯について意義ある形で語ることも十分にできたはずです。名も知られぬ若者に葬儀を任せたというのも不可解です。

 (説教原稿にのみ記す蛇足です。伊東教会では、「葬りへの備え」を提出することを御願いしています。それは葬儀の司式を行う責任を持つ者が、信仰者の生き様を出来る限り信仰的に表現し、たとえこのアナニアとサッフィラのような者たちをも、あるいはルカ1220に出てくるような貧困な生き方しか出来なかった金持ちをも、教会は信仰的な説教で天国へと送り出す責任を持っているということです。自分はアナニア的でもなく、金持ちでもないとおっしゃる方にも、是非ご自分の生涯をかけた信仰の歩みをご自身でまとめ、教会での葬儀をするお手伝いをしていただきたいと願っています。)

 

 「エクレシア(召された者たち)」の誕生

 したがって、「献金をごまかしたら天罰が下る」という、ルカも受け止めることが困難な伝説に振り回されるよりは、ルカ自身の思いを冷静に受け止めながら今日の個所を読み進めていきたいと思います。ルカ自身の思いというのは、「一つとされる」ということがどのような意味を持っているか、一つとして下さる聖霊の働きに思いを向けたい、ということです。

 状況を確認しますと、この使徒たちの集まりが結成され始めた当初、つまりパウロもまだ登場しないこの時期には、キリスト教という呼び名は存在せず、ユダヤ教ナザレ派、ユダヤ教イエス派という形で活動をしていました。あの美しの門の出来事も、ペトロとヨハネはユダヤ教の習わし通りに午後3時からの祈りのために神殿に向かったときの出来事でした。その後ナザレ派としてのユダヤ教はユダヤ教内部から追放され、キリスト教に姿を変えます。もはや安息日にシナゴーグ、ユダヤ教の集会所には入れず、神殿にもおそらくは入れなくなって、教会を各地に建設し、主の復活の日である日曜日に礼拝の日をずらして持つようになりました。今日はそれより前の段階ですから、使徒たちの群れは自他ともに「ユダヤ教ナザレ派」として認知されていました。

 そこで彼らは、ユダヤ教が取り組んでいる一つの運動に最初参加していたものと思われます。それは、現代でもシオニズム運動と呼ばれる、一つの運動です。「救いはエルサレムから起こるだろう。エルサレムが神様の国となるというのがアブラハムが私たちにした約束ではないか」というわけです。そこで、今までの歴史の経緯で各地に散らばっていたユダヤ人たちが、徐々にエルサレムに戻るという運動がありました。使徒言行録2章にも、いろいろな国の言葉を使徒たちが語るのを聞いて、その場にいる人たちは自分たちの故郷の言葉を聞くようにわかりやすく福音が語られることに驚くという場面がありました。すでにその時、エルサレム以外で生まれ育ち、エルサレムに移り住んだ人たちが多くいたのでした。その場合のエルサレムというのは、地図にあるエルサレムです。因みに調べましたところ、エルサレムは北緯31度・東経35度にあります。皆が北緯31度・東経35度に首都を持つ場所が、やがて神の国になるのだと信じて、アフリカやヨーロッパなどに持っていた自分の故郷の家を売り払ってエルサレムに移り住んだのです。これはペトロ達のグループだけでなく、全ユダヤ人の傾向だったと言っても良いようです。

 そしてその中で、ナザレ派に属する使徒たちは、このいわゆるエルサレム帰還事業の一環として、売り払った代金を教会に全額献金してもらう代わりに、エルサレムでの彼らの生活の面倒を見るということを当初行っていました。今風に言えば、出家をしてもらうという所でしょうか。恐らく外国からエルサレムに移住してきた人たちのための宿舎のようなものがあったのでしょう。それが今日の5章の段階です。

 その後の話も少ししますと、実はすぐに異邦人伝道が始まるのです。今までは、外国に住んでいたユダヤ人が北緯31度・東経35度の場所に引き寄せられる形で引っ越してきたのですが、今度はその逆の方向で、外国に住んでいたユダヤ人に向けて福音が語られるようになります。北緯31度・東経35度に来ないといけない、とは言わないようになるのです。この極めつけが、パウロを世界伝道のリーダーにしようというエルサレム会議の決議です。パウロは各地に散っているユダヤ人に向けた伝道ではなく、各地にいる非ユダヤ人、いわゆる異邦人に伝道をするのです。北緯31度・東経35度に元々憧れを持つユダヤ人にだけ福音を語る訳ではないのです。もうこの時、彼らはユダヤ教ナザレ派ではなく、実質的にはキリスト教になっていると言えるでしょう。異邦人であっても、福音を聞けば救われるというのです。今日の段階では外国からエルサレムに移り住むことを推奨していた使徒たちの群れですが、次の段階では外国へと伝道しようということを推奨するようになるのです。全額献金をするというのも、実は短い期間のみ実践されていました。聖書でいえばこの4章と5章、広く取って使徒言行録の前半でしか出てこない考え方で、そのあとはパウロが勧めているように、収入に応じて献金をするという、私たちがよく知る献金の仕方に変わっています。

 したがって今日の個所は、言ってみれば「ごく一時期使徒たちが実践していた変わった献金の風習」にすぎません。しかしそういいなして今日の箇所を軽んじると、私たちが信仰の成長のためのきっかけを大きく失ってしまう、のも事実です。むしろ、使徒言行録の著者であるルカは、この箇所からある大切な言葉を引き出すためにこのやや眉唾物の伝説を自分の使徒言行録に組み入れることにしました。大事なこととは、大事な言葉とは、何でしょうか。「使徒が一つとされていき、教会が出来ていく様子」がここにあると彼は見ているのです。その証拠となる一つの言葉が、「教会」という言葉です。今日の箇所で使徒言行録の中では初めて「教会」という言葉を使っています。(ルカ福音書にも出てこない。)最後の所ですが、聖書の元の言葉のニュアンスを生かして膨らませて訳し直しますと、こうなります。

「教会はここで一つとなった。それはこの出来事を聞いた者たちは皆、この出来事から教会の姿を想像し、まだ見ぬ教会の真の姿に憧れを持った。そして畏怖としてのおそれの念、尊敬の思いを持った。」

不正直者に天罰が下って皆が恐怖の念を持った、怖がった、という話をルカが描こうとしているわけではありません。むしろ、「一つとされた者たち」というぎこちない表現から始まって、「エクレシア(集められた者たち)」という、ギリシャ語として洗練された表現に整えられていき、そして表現が整うばかりではなく、そこに集められた者たちの信仰そのものが整えられ洗練されていく様子が、今日の箇所をきっかけに起こり始めるのです。

 

 献金についての考え方二題

 教会はここから二つの、いずれも無視できない「一つとされる」ということについての考え方の流れを見出し、そのどちらかに所属することになりました。ここで以前にやったように、説教壇から見て右と左に分かれてみたいと思います。

 右

 まず一つが、今日と前回の箇所に刺激を受けて、「全てのものを献げる」という所に強調点をおくようになったグループです。彼らのグループでは、前回と今回の出来事は、単なるエルサレム帰還事業の一環として完全献金が起こっただけでなく、いつの時代にも献身と感謝を完全な形で行う仕組みが必要である、と考え、修道院を建てました。

 修道院の中では、お金という考え方はありません。必要なときに必要な人が必要なものを取ることになっています。現代の日本でも修道院の制度は存在します。3年ほど前に社会部の集まりで上智大学の准教授である方を講師としてお呼びしました。その方に謝礼を差し上げようとして銀行口座を聞いたら、私は修道会に入っているので個人で口座は持っていません、修道会の口座に振り込んで下さいといわれました。必要なときに必要な人が必要なものを取るという仕組みが現代に残っていることに驚かずにはいられないという人もいることでしょう。ましてや日本の一流大学の正規の教員が、給料を自分では受け取っていない、ということに驚く人がいても不思議はありません。(以前は上智は神父が教えるケースが多かったのが、今は信徒で教える人が大半を占めるようになって、大学の経営が傾きかけているとのこと。)

 そこでこのグループはこう主張するのです。「私たちは、修道院という一つの『聖なる場所』に集まろうと願う者たちが、完全な形で献身することを求める。使徒言行録5章の夫妻がそうであったが、中途半端な献身は神様のお求めになるところではない。完全な献身を行う修道士や修道女が理想だ。尤も、修道士や修道女は結婚しないから、みんな献身したら困る。そもそも稼ぎも必要だ。修道院を支える()信徒がいることで、修道院制度は成り立っている。しかしその頂点には修道院で完全な献身をする人々がやはり必要なのだ」、というわけです。

 彼らが好む聖書箇所の一つに、出エジプトの道のりで、マナが空から降ってくるという記述があります。こんな感じでしょうか。「あの時に降ってきたマナをその日の分だけでなく二日分取って蓄えようとしたらどうなったか。腐ってしまったではないか。明日のことを思い煩うなとイエス様もおっしゃっている。完全な献身を聖書は薦めているではないか。完全な献身には他と違う聖なる場所が必要で、教会の中でも特別な者のみがそこで修行をするのだ」。こういったグループを、仮にカトリックと呼ぶことにします。

 左

 それに対してルターは、「ある特定の場所に集まった限定的な者だけが聖なる者と呼ばれることはあってはならない」という考え方を持ちました。そこで彼は、「洗礼を受けた者、つまり主に召された者全員が教会なのだ」という主張を展開します。ルターは修道会を脱退して元修道女と結婚することで、万人祭司論を実践しました。つまり、教会という場所だけが聖なる場所なのではなく、家族という単位でもまた召されることが出来、個人という単位でもまた召されることが出来るということを示したのです。

 そのためにルターは、今風に言えば銀行口座を個人で持つようになった、歴史的に初めての教会指導者です。そしてルターは、新約聖書に示されている献金理解は、「一部の人が全てを献げる」というのとは違うもう一つの、重要な理解があることを思い出しました。それが、パウロが唱える「収入に応じて」という理解です。平たく言えばこれは「分相応に」ということです。「分」というのは実は不思議な考え方です。「分」について考えていくことによって、皆が教会を通じて主の召しに思いを向けることが出来る、一つのキーワードであると言っても良い言葉です。

 どういうことでしょうか。それ以前に、旧約聖書の時代には、出エジプトの道のりで一つの課題がありました。それは、家族の養いを受けられないやもめが生活に困っているということです。旦那に先立たれると、同じユダヤ教の共同体に属していながら生活が不可能になる。それは正義に反するとして、全ての貧しい者を養うことが共同体の責務であるとされました。特に申命記にそのことが記されています。貧しい者にも一律で10分の1の献金が求められたことには理由があります。それは共同体自身が全ての者を養うというコンセンサスがあったのです。それに対して、パウロが言う「収入に応じて」というのは、すべての人が全体に配慮し、出せる人はもっと出す、という意味です。これが「分に応じて」ということです。つまり、出せる人はもっと出す。すべての人がお互いの腹の具合を配慮し合うことが出来なければ、そもそも「分」という考え方は成り立たないのです。共同体、それこそが教会の存在する意味だというのがこちらのグループ、仮にプロテスタントと呼びますが、プロテスタントのグループの考える献金についての理解です。

 そこでさらに進んだプロテスタントのグループは、教会総会において次年度の予算額を決める際に、祈りをもって全員で決めることにしよう、と考えるようになりました。(念のために言えば、ヨーロッパの大半の教会は教会総会で全員の総意を確認するという仕組みを持っていません。教会総会が存在するというのは現代日本に広がる、いわゆる自由教会の大きな特徴です。)そして示された予算案を確認し、「こんなには出せない」「これよりはこちらに予算を割くべきだ」などという意見を出し尽くして、最後に祈りを持って皆の総意で決議する。決まった予算案については、一人あたり平均でいくらなどという乱暴な計算をするのではなく、あの人があれだけ出してあの人があれだけ出すのだから私はこれだけ出そうという風に、互いへの配慮を行うことによって毎年の献金額を決めていく。「収入に応じて」というパウロの言葉には、教会員同士の相互の兄弟姉妹愛がある、という理解です。

 もう一言付け加えます。右の人が示した「修道院こそ聖なる場所」という考え方は、「特定の場所だけが聖なる場所だ」という考え方につながっています。それは、エルサレム神殿が崩壊した後も、「北緯41 東経12度」にあるバチカンが聖なる場所であるという、固定した考え方につながっています。そうではなく、洗礼を受けて神様に召された者がいるところ、そこが教会だというパウロの言葉(あなたがたは、自分が神の神殿である、第一コリント3章)に忠実で「互いに愛し合いなさい」(第一ヨハネ4章など)という聖書の言葉に忠実な生き方をこのグループはしていることになります。

 

 「一つとされる」ことを真剣に願う伊東教会

 恐らくこの右と左のどちらかのグループだけが正しいという前提で議論をしていっても、何の意味もないことでしょう。ただ言えることは、そのどちらを取るにしても、中途半端であることはあまり良くない結果を生み出す、ということです。今日の聖書箇所は、その悪い例を示していると言えなくはありません。

 おそらくは今日の箇所は、次のような事情だったのでしょう。アナニア達は多分エルサレム以外で生まれ育ったユダヤ人家族出身のユダヤ人です。そして以前から故郷に家を置いたままエルサレムに住んでいたところ、ペトロ達の洗礼を受けてユダヤ教内部のナザレ派のグループであるペトロ達の集団に属しました。そしてエルサレムへ帰ろうというキャンペーンがあることを知り、またそれに応募することで教会が養う宿舎のような所に夫婦で入れるということを聞きました。それでキャンペーンにエントリーし、自分の土地を売って得たお金を全て献げたことにしました。実際には少し手元に置き、そしてしかし、かなりの額を献げた上で、教会宿舎に入りました。

 ところが教会の中に、そこに誤魔化しがあったことに気づいた人がいました。そこでその人がペトロに伝える前にアナニア達に個人的に問題意識を彼ら夫婦に伝えました。恐らく次のような説得です。「別にすべての人が全額を献金しているわけではない。(すべての人が修道会に入って出家をしているわけではない。)しかし(修道会に入るようなつもりで)教会によって養われるのであれば、やはり出家と同様に全てを献げなければだめだと思う。正直に伝えて宿舎は出るべきだ」。ところがアナニア達は、「一つとされる」ために行われている帰還事業の信仰的意味を理解せず、「私たちは4章に出てくるキプロス島の自分の土地を売って全額の献金をしたバルナバよりも額で言うとたくさんの献金をしている。だから私たちはバルナバと同じように教会によって養われるべきだ、たくさんの献金をしている私たちの方が養われるべきであるのにそうなっていないのは制度的に欠陥があるのだ」とでも言い張ったのでしょう。それに対してアナニア達に説得をする者たちはこう言ったのではないでしょうか。「確かに、沢山献金をするという方が少ないよりは重んじられるというような教会も、世界中どこかを探せばもしかするとあるかも知れない。しかし少なくともこのエルサレム教会においては、全てを献げたものだけが教会で養われるという特権を得るのだ。(イエス様:アサリオン硬貨二枚で救われる女性。)だからこのエルサレム教会の定めにしたがってほしい」。

 結果的にこの説得は実を結びませんでした。アナニア達は人知れぬ仕方で教会からいなくなるしかなかったのです。ペトロがこのことを知ったときに、「彼らは聖霊を欺くつもりか」と言っています。これは要するに、献金に関するエルサレム教会の当時の定めを知って理解しようとしなかったことに対する責める言葉であっても、全額献金をしないことへの責める言葉ではありません。そうではない(全額献金という出家をする限定コースではなく、できるだけ献げるというコース、皆が在家で信仰生活を送る道が存在した)ことはペトロもはっきり言っています。問題になるのは、「一つとされる」というプロセスから外れてしまう者がいる、ということなのです。恐らく実際のペトロは、このようにして人知れず消えてしまった一組の夫婦の信仰者のために、深く祈りを捧げ続けたのだと思います。

 私たちの教会には献金の定めは存在していることになると思います。恐らくプロテスタントと呼ばれるグループの、特に自由教会の流れに属する者たちは、このことを意識しないではいられないという、献金の定めが存在することになんとなく気づいています。それは、献金額を決めるときに、自分の財布とだけ相談するのではなく、教会のその時の状況を配慮して決める、ということです。これは簡単なようでいながら、実際には難しい定めでもあります。配慮というのは、祈り続けなければ出来ないことだからです。私たちは献金を献げることと兄弟姉妹を愛することは別々だと考えるのではなく、兄弟姉妹愛を込めて献げる、ということです。

 修道院を持つ教会より、私たちの教会の方が教会としての体裁を整えるのは難しいのかも知れません。しかし、得るものもまた多いのです。私たちは、「場所」に束縛されるのではなく、そこから解放されつつ教会であることが出来るのです。

 かつて伊東教会で教会将来計画を定めたときに、「教会が生き残るためには近隣(隣接)駐車場が必要である、それが出来ない場合は移転をする必要がある」という提言を当時の牧師が行いました。その意味をすべての人が受け止め切れたわけではないかもしれません。しかしその思いと祈りは、皆の思いを越える形で教会に脈々と流れ続けました。だからこそ私たちの教会は、人知れぬ仕方で世間から忘れ去られるというのではなく、教会として留まり続けることが出来たのです。隣接地を取得した今であっても、私たちは北緯34度、東経139度の「伊東市松川町5-6」に存在するから教会だとは考えないのです。では何によって私たちの教会は教会なのでしょうか。

 その答えは簡潔です。私たちは主によって召されたのだ。私たちは隣人愛を持ち続けるのだ。だからこそ、教会だ、というのです。愛へと召される群れ、これが私たちの姿です。