動揺する権威

2022/01/30() 公現後第四主日礼拝 

「動揺する権威」 使徒言行録説教第10回 4122 

                                                                                    牧師 上田彰

 

 *権威と権利、私たちの中心に何があるか

 どのような権威によってしるしをなすのか。これがサドカイ派がペトロ達にした質問です。今ある秩序を重んじる立場の人から、新しい秩序に生きる者たちへの質問であるといっても差し支えありません。この言葉は、社会から教会に向けられた質問であるということだって出来ると思います。あなた方教会は、どのような権威に寄りすがって生きるのか。

 権威という言葉が聞かれることがない時代になりました。その代わりに権利という言葉をよく聞きます。実はこの二つは、構造がとてもよく似ています。中心がはっきりすれば、重要なものがはっきりすれば、重要でない周辺的なものもまたはっきりする、ということです。中心と周辺、大事なものと大事でないものとを分けるのが、権威だということです。

 ユダヤ人社会の中心にあったのは、神殿でした。どのような権威で以て人を癒やせるのかという質問をサドカイ派達がするのは、次のような意図があったのです。すなわち、神殿を中心にしたユダヤ教信仰を忠実に持つことによって、もしかしたら癒しが起こることもあるかも知れない。しかし神殿以外のものが中心になる構造を信じているのなら、それは問題だ。だからイエスの名によって奇跡を行うことそのものはかまわない。ただ、そのイエスの名とかいうものが、中心に位置する権威になってはいけない。権威の中心は、あくまで神殿でなければならない。これが彼らがしている尋問の真の意図です。

 現代社会において中心なのは、「自分」です。私たちもサドカイ派と同じように、「自分」という中心を脅かす存在を無意識に排除しようとすることがあります。キリストの福音を語る時に、もし現代人が無意識に耳と心を閉ざすことがあるとしたら、それは、真の権威に触れたときに、古い権威の構造が、あるいは自分が、中心ではいられなくなるということを感じるからです。しかし使徒達は説教をします。福音を説き明かす説教だけが、中心に位置しようとする「自分」を押しのけ、キリストの御名が自分の中心でなければならないことを告げる力を持っているからです。

 

 *サドカイ派について、復活を信じない信仰者

 二人の使徒がまだ説教を続けているときに、近づいてくる者たちがいます。説教を続けるわけには行かなくなってきたようです。祭司長、サドカイ派。彼らの肩書きを見ると、イエス様を十字架にかけた勢力と重なっています。サドカイ派といえば、イエス様を十字架にかけるに当たってはファリサイ派と手を組んだのですが、元々は犬猿の仲でした。出自は紀元前2世紀に遡ります。

 当時イスラエルのそばにあった大きな国といえばシリアでした。時代はシリアからローマへと支配権が移りつつありました。他の国が小国イスラエルを支配しようとするのです。その際、ローマに対して徹底抗戦をすべきだと考えたのがファリサイ派で、ローマの支配を受け入れたのがサドカイ派だというのが大まかな構図です。ローマの支配に近いユダヤ人の王様が神殿司祭の任命権を握り、それによって生まれた司祭たちが所属したのがサドカイ派です。「現実の政治権力とつながっている」といえばうさんくさいインチキ宗教者だと思われるかも知れません。サドカイ派がインチキ宗教ということは実際にはなくて、神殿の祭儀を取り仕切っていたのは彼らでした。信仰深いのですが、自分たちの論理があって、その論理以外は受け入れようとしません。

 例えば、サドカイ派は復活を強く否定していたことで知られています。一年半ほど前にマタイ福音書の説教をする中で、サドカイ派の話が出て参りました。彼らがイエス様に論戦を仕掛けてくるのです。こうです。七人兄弟の一番上の兄と結婚した女性がいて、その一番目が死んで二番目と再婚し、また死んで三番目と再々婚、こうして七人の兄弟皆に死なれてしまった女性は、復活したら誰の妻となるのか、という難題をイエス様に仕掛けてきたのです。ある説教者は、「結婚した相手が次々と死んでいく、呪われた女性の話である」と表現しています。考えてみると、「復活がない」ということを論証するための問いなら、もっと簡単なものでも良いのです。例えば、復活するときに何歳の時の私に戻るのでしょうか、死ぬ直前ですか、それとも若いときの自分に戻るのでしょうか、と聞けば良いのです。

 イエス様はその時にこうお答えになりました。復活したら、めとることも嫁ぐこともない、と。こういうことです。サドカイ派は、復活というのは、時間を巻き戻すことだと考えました。そこで、復活とやらを信じている人は、復活するとどこまで時間を巻き戻すと考えているのですか、と聞いたのです。しかしイエス様はおっしゃいます。時間を巻き戻す「蘇生」が復活なのではなく、復活というのは時間を進めることなのだ。しかも、ただ一年待てば一年後の未来を経験できるというのではなく、古い時代から新しい時代へと移りゆき、古い秩序から新しい秩序へと移行するのが復活である、と。

 それに対してサドカイ派は、こう考えました。今の時代のことを古びる時代というけれども、今の時代にも立派な秩序があるではないか、と。例えば助け合う家族を大事にするという秩序があります。実は先ほどの七人の兄弟と結婚するという話は、当時女性は裕福な男性に養ってもらうことでしか生きていくすべがなかった、ということが背景にあります。今でもイスラム教では、裕福な男性は最大四人まで結婚できます。現代ではあの制度は一人に飽きたら別の人と暮らすという、身勝手な男性に都合の良い制度として機能しています。しかし元々は、弱い人を助けるための制度なのです。サドカイ派はこの、当時から問題もあったのかも知れないけれども、とにかく現実に機能している社会の制度を守ることが信仰なのだと考える人たちでした。今ある制度の意味と意義を常に再確認し、今ある制度をより洗練させていくというのが、サドカイ派のモットーでした。そして今ある制度の究極の形が神殿だと考えていたのです。神殿という建物と神殿で行われる礼拝、それらは全て制度です。これを守ることがユダヤ人達のアイデンティティーだ、仮にローマに政治的に支配されていたとしても、心はユダヤ人だ、だから今ある制度や神殿を守り抜くことがユダヤ人として生き残る道なのだ、という訳です。ファリサイ派が、今ある制度に満足せず、聖書の中にこそ本当の救いのための秩序があるのだ、というのと対照的です。イエス様を殺すという一点で二つの派閥が手を組んだのが奇跡と思えるくらい、サドカイ派とファリサイ派は違うのです。

 

 *隅のかしら石

 今ある秩序を守る立場のサドカイ派にとって、神殿の前庭で説教をするペトロとヨハネの姿は忌々しいものでした。説教をしている最中から止めに行かねばならないくらい目障りだったのです。なぜ目障りかということを、今日の聖書箇所のペトロの説教に手がかりを見出すならば、「隅のかしら石」という言葉に行き当たります。これはもともと詩編にある言葉で、大工が家を作るために石を積み上げる際に、しっかりした石を家作りの基礎となるように四隅に配置するのです。ところが詩編の言葉(11822)によれば、家作りの大工達が最初要らないと言って捨ててあった石が隅のかしら石として機能するようになることがある、というのです。つまり大工達が自分で考えた秩序通りに家が建つのではなく、まさに神様が用意した秩序というか設計図に従って家が建つということが実際にあり得る。

 同じように、神殿を重んじるサドカイ派が思うように神の国が実現するのではなく、彼らが周辺的だと思っていたもの、つまりイエスの名によって新しい秩序である神の国が実現する。だからここでペトロは「隅のかしら石」という言葉を引用していると考えられます。そしてそのような考え方が古い秩序の支配者であるサドカイ派を苛立たせるのです。

 

 *いつの間にか新しい秩序に

 「隅のかしら石」という言葉を用いた使徒の側は、新しい秩序に基づく御国の建設のために自覚的に活動をしていたのでしょうか。どうもそういう訳ではないようです。使徒言行録において、美しの門での出来事や今日の聖書箇所という、初代教会がペンテコステのあと、まだ始まったばかりの時、使徒達は神殿で礼拝を守っていたのです。3章の冒頭を見ますと、午後3時の祈りの時に神殿に二人が向かった、とあります。当時は一日5回の祈りを、神殿の中で、または神殿に向かって行うのがユダヤ人としての信仰深い慣習でした。ですからペトロとヨハネは神殿と、いわば古い慣習とを、重んじていたのです。

 今日の時点での使徒達は、ユダヤ教の中の新しい派閥のメンバーといった具合でした。ユダヤ教サドカイ派などと並んで、ユダヤ教イエス派とかナザレ派というわけです。後にこのナザレ派は、ユダヤ教の一派ではなくキリスト教という新しい宗教へと進化していきます。その境目はかなりはっきりしています。使徒達が神殿や、後にシナゴーグに入ることを禁止され、安息日である土曜日から主の復活の日である日曜日に礼拝の日をずらすようになったときに、もはやユダヤ教ナザレ派ではなく、キリスト教となり、使徒達は新しい秩序の担い手になります。しかし今日の聖書箇所の時点では、まだ古い秩序に使徒達は留まっているつもりなのです。

 

 *復活を語る

 もちろん、彼ら使徒達は、古い秩序の中でさしたる目立ったところもなく古い秩序を守る、飼い慣らされたグループというわけではありませんでした。結論からいうと、彼らの説教の中で、キリストの復活ということを語っていることが重要なのです。キリストの復活を語る元ユダヤ教ナザレ派のグループが、復活を語り続けるという姿勢を一歩も崩さないでいたところ、いつの間にかキリスト教になり、教会になっていったというのが使徒言行録の重要なストーリーなのです。

 

 使徒言行録が考える教会の誕生の経緯を、ペトロの説教を手がかりに考えるとこうなります。

・ユダヤ人達は本来救いに与るべき人々である。

・しかし、救いの源であるお方を殺してしまった。(隅に捨てられた石)

・そしてその救いの源であるお方はよみがえった。(隅のかしら石へ)

・そのお方が天に上られ、聖霊が私たちとあなた方に注がれた。

・使徒達は、古いユダヤ教の制度に縛られない教会を作ろうと考えていなかった。(ユダヤ人全体が救いに与るべきだから。)

・ただ、復活を語っていたらユダヤ教から追い出された。

・結果として教会は(キリストが隅のかしら石になったのと同じように)、新しい秩序である、再臨するキリストが支配する御国への橋頭堡(若葉、新芽)となった。

・聖霊を注がれて伝道する者とさせられることによって救われる。

 

この使徒言行録の基本線において、使徒達が復活について説教をするというのが決定的に重要です。そしてその前に立ちはだかるのはサドカイ派なのです。彼らは、隅のかしら石という理屈を、奇妙な理屈として退けたいのです。今ある秩序の中で周辺的なものは、周辺的なものにとどめておきたいのです。周辺的なものが中心的になるという、隅のかしら石の教えがどうしても邪魔なのです。

 

 *新しい権威によって生かされる

 今日の所で、神殿前庭での説教を止めに来たのが、ファリサイ派ではなくサドカイ派であるというのは、理屈にかなっています。復活信仰を目の敵にしているサドカイ派の目の前で、あえて復活を語る使徒達。サドカイ派が彼らの前に立ちはだかり、そして捕まえて牢屋に入れてしまいます。

 

 翌日に次のように尋問が行われます。「どのような権威によって、誰の名によってしるし(奇跡)を行っているのか」、と。質問をしているのは大祭司一族であったと書かれています。祭司の中でも政治的権力を握っている一族がおり、その年の大祭司がカイアファ、そのしゅうとであったアンナスというのが絶大な権力者であったようです。イエス様を十字架にかけたのもサドカイ派側の意向としてはアンナスが決定権を持っていたと考えられます。そして今度は、ペトロ達を十字架にかける必要があるかどうか、尋問をしているというわけです。

 歴史に「もしも」はありません。しかし、もしもこの時アンナスが、ペトロとヨハネを十字架につけていたら、その後のキリスト教の形は極めて大きく変化していたことでしょう。結果として使徒達は今日の尋問を経て大目に見てもらえるようになって釈放され、ペトロは30年間伝道を続けます。パウロを加えて強力な伝道体勢を組んだ教会は、ペトロが逆さ十字架にかけられ、弾圧が始まるまでの30年間で教会の基礎を固めることに成功します。ですから、この時にアンナスが、目の前の二人の使徒を危険視して、神殿の秩序を乱したという理由で多少強引に十字架につけていたら、キリスト教の体裁になにがしかの変化があったと考えられます。

 

 アンナス達、またはサドカイ派の者たちが、あるいはもっといえば古い制度を重んじる者たちが、なぜ新しい権威、新しい力を担う者たちを大目に見たのでしょうか。決定的な理由が今日の聖書箇所に書かれています。それは、ペトロとヨハネによって癒された男性がいることを大勢の人が目撃してしまったからだ、というのです。今ある秩序を重んじるサドカイ派にとって、今の秩序が覆されそうになっていても指をくわえてみているしかないということがあるとしたら、それは今ある目に見える秩序が、目に見える仕方で覆されるときだけです。

 

 ペトロとヨハネの伝道の姿に学ばされます。彼らは、目に見えるしるしを見たら誰もが信じざるを得ないだろうという風には説教をしませんでした。そうではなく、このしるしはナザレの主、イエス・キリストの名によって起こった出来事だ。あなた方が十字架につけたこのお方がよみがえることによって、そして天に上ることによって、聖霊が注がれる。復活を語るという教会の使命は、復活が歴史の突破口になるからです。教会が主がよみがえった日曜日に復活の福音を語る説教を行う。家作りの捨てた石が隅のかしら石になる。そんな新しい秩序が生まれるのを、私たちは体験するのです。恵みに感謝したいと思います。