金銀は私にはない――豊かな交わりへの招き

2022/01/09(公現後第一主日礼拝 

                     使徒言行録説教第8回 3110

           「金銀は私にはない――豊かな交わりへの招き」

                                                                                     牧師 上田彰

 

 *「聖霊を通じて主がいつも共にいて下さる」

 キリスト教を取り巻くいくつかの宗教について学んでいると気づかされるのが、葬りの仕方の違いです。特に地域の有力な支配者などが亡くなるとき、付き人を同時に殺して一緒に葬るという習慣を持つ宗教があります。ピラミッド時代のエジプトなど大昔のことだけかと思うと、現代においても夫が死んだときに妻を一緒に墓に埋めてしまうというような海外の話が時折新聞を賑わせます。しかし現代日本にはさすがにそんな習慣はないだろうと思っていると、形を変えて実は存在するのではないかと思うことがあります。それは有名人が死んだとき、後追い自殺をする人が出てくることがあるのです。報道などを見ていると、そのような後追い自殺が起こらないようにするための様々な工夫がなされているようです。

それに対して主イエス・キリストが十字架につけられたときに、後追いをする者がいたという記事は見あたりません。これには恐らくはっきりとした理由があります。それは、主イエス・キリストは死んだのではなくて天に上られた、父なる神の元に戻ったという考え方があり、そして、残された弟子たちは後を追う必要は無く、地上においてなお果たさなければならない使命が存在する、という考え方です。しかしその使命は、師匠亡き後に弟子たちだけでがんばるというのではなくて、聖霊が与えられるという約束がイエス様によってなされてからイエス様は天に昇られます。今日の聖書箇所は、イエス様は天に行ってしまわれてただ地上に残された弟子たちがぽつねんと残されたというのではなくて、その代わりに聖霊が遣わされた、そのことの意味と意義について語る箇所です。

 使徒言行録を読む上で、そして私たちが信仰そのものについて考える上で、なかなか難しいと思われるのが、聖霊とは何かということです。例えば、イエス様が天に挙げられて、代わりに聖霊が与えられた、と普通は言います。聖霊とはイエス様の霊のことだから、同じことなのですと、まずは例えば受洗準備会などでは説明をしています。しかしここは参加者が食い下がっていい箇所です。それならイエス様の霊を与えて下さるよりはイエス様ご自身がずっと私たちのそばに留まって下さる方がいいのではないか。なんだかんだいって、私たちの手に届かないところにイエス様は行ってしまわれたので、あくまでその代わりに、ないよりはましだろうと聖霊を与えたことにしてある、だから聖霊がおいでになったというのはあくまで代替措置で、イエス様ご自身がおいでくださるという方がやはり良いことなのではないか。そんな感想を直感的にお持ちになる方がおられるのではないかと思います。さらに踏み込めば、そもそも聖霊が与えられたとは一体どういうことなのか。そんな疑問を持つこともきっとあるにちがいありません。今日の箇所は、そのような疑問(聖霊なる神が与えられることは子なる神が与えられることと何が違うのか、そもそも聖霊とは何か)に対して答えを示す箇所です。聖霊の現れ方は使徒言行録の中でもいくつかのパターンがありますが、そのうちで重要なパターンの一つが今日の箇所に出てきます。普通大事なことは何度も出てくるので、同じことを何度か違う角度から説教してだんだん分かってくるということがありますが、私の知る限り今日の箇所でお伝えしなければならないことは、多分今日の聖書箇所以外では一箇所ぐらいしか説明の機会がありません。とても重要な箇所なのですが、私自身、神学校を卒業してもうすぐ20年になりますが、初めてです。今日お配りした説教原稿以外にはまとまった形でお話をする機会はないかもしれません。しかし重要なことをお話しすることになります。コロナが収まった後に原稿配布を続けるかどうかはまだ分かりませんが、この原稿だけはお手元に残して頂いて、折りがあるときにご覧下さればと思います。

 

 *信仰者を巡る「視線」について(1

 この日、ペトロとヨハネが、神殿へと上る道を午後3時頃に歩いていました。二人は一体どういう会話をしていたのでしょうか。いろいろ想像が可能です。このところ、使徒達の集団を巡る状況は大きく様変わりしていました。ほんの二ヶ月前まではイエス様の弟子というだけで冷たい目で見られていたような気がしていました。今はそういう視線を使徒たちが感じることは感じなくなりました。確かに世間の見る目も違ってきています。かつてはイエス様の弟子たちということで迫害の危機にさらされていました。そしてイエス様が天に上られてまとめ役不在となってからは、エルサレムの町の片隅の二階で肩を寄せ合って祈るのが精一杯の、周りの人たちからは同情を買うばかりの寄り合い集団と見られていたのではないかと思います。しかし問題なのは、人々の視線がどう変わったかということそのものではありません。むしろ、人々の視線を気にするかどうかが大きく変わったのです。あのペンテコステの日、今日の出来事からほんの数日前にあたりますが、3000人とも言われる受洗者を生み出し、ひっそり祈っていた集団に街中の注目が集まり始めた時にペトロとヨハネ達使徒の関心事は、自分たちがどう見られているかではなく、自分たちが何を見るかということに大きく関心が変わっていきました。今の彼らにとって大事なのは、自分たちは何を見るか、ということなのです。エルサレムにおける使徒達を見る周りの目が変えられていくのとまた別の意味で、使徒達の目もまた変えられていきました。ペンテコステの出来事以来、様々な形で目が、見方が、視線が、あちこちで変えられ、調えられていくようになります。

 

 考えてみると、現代の世間におけるキリスト教への視点というものも、なお整えられる必要があるように思います。有り体にいえば、いくつかの偏見があるように思います。代表的なものを二つほど取り上げてみましょう。

 まずは、宗教と言えどもお金を無視しては動けまい、という偏見です。牧師の息子であり、後に教会的な信仰からは離れるようになる人で経済学者であり哲学者であるカール・マルクスは、幼い頃に親しんだ聖書のうちで、使徒言行録2章を開いてこう語ります。ここには、持ち物を共有したり、困った人を積極的に助けるというようなことが記されている。どうやら原始共産制の組織を教会は作っていたらしい。マルクスはご存じの通り共産主義を推奨する人物です。最終的には社会は共産主義になっていく、他の全ての社会的な形態は最終的に共産主義へと収まっていくと考えました。こうやって、教会の初期の姿を取り上げながら自分の説をマルクスは補強していくのです。

 ところが、使徒言行録2章を私たちがよく読んでみると、使徒たちの築いた教会の群れは、原始共産制を実践していたと評価するだけでは全く不十分であることに気づかされます。マルクスの読みよりもはるかに豊かな活動を見出すことが出来るのです。今日の箇所の直前を見ますと、み言葉を聞き、ものを分かち合い、そして祈っていた、とあります。つまり、原始共産制とやらは信仰生活の一部分に過ぎないのです。マルクスが向ける教会への視線は、お金の流れのことに行きついてしまっています。マルクスを例に挙げましたが、こういったゆがんだ視線は、時折教会に対して向けられています。ペンテコステが視線の矯正に関わるとするならば、ただされなければならない視線、癒されなければならない目というものを見出すことが出来そうです。今日の箇所でも、足の不自由な一人の男性が物乞いをしている中で、使徒達のことを施しをしてくれるかも知れないとおもって見上げる場面が出て参ります。そのような視線がただされるようになるのが、次の言葉でした。

「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」。ただ「立ち上がりなさい」というのではないのです。ただ「金銀はない」と突き放すのではないのです。「キリストの名」が示されるのです。キリストの名によって視線がただされるとも言えるし、キリストの名に視線が向けられることによって視線がただされるとも言えるかもしれません。

 

 *信仰者を巡る「視線」について(2

 さらに、偏った見方、偏見について取り上げておきましょう。この第二章を見ますと、ただされなければならない視線がさらに出てくるのです。二つ目に挙げられるのは、人間は変わることがなく同じ場所に留まり続け、同じ考えであり続けるし、そうあるべきだ、という偏見です。美しの門とは異邦人の庭と婦人の庭の間を隔てる門となっていました。神殿で礼拝をする者は、まず異邦人の庭、次に婦人の庭、そして神殿の建物へと入っていきます。この男性は癒されることによって、美しの門をくぐることが出来るようになります。かつて異邦人の庭に留まらなければならないことを義務づけられていた彼は、そこにとどまって物乞いをすることが自分の運命だと思っていました。周りの人もまたその運命を彼自身が受け入れられるようにと様々な配慮をしていました。例えば、彼が物乞いを毎日同じ場所で出来るように、彼に寝床を別にあてがっていたボランティアグループが存在するようです。彼らは毎朝寝床から運ばれて美しの門のそばに置かれ、夕方にはまた運ばれていっていたようです。ところがある夕方に迎えに行くと、彼の姿が見あたりません。ペトロの言葉によって物乞いとして美しの門のそばに死ぬまで座り続けるという運命から解放された男性は、もはや同じ場所には留まっていないのです。いつもの場所に男がいないことに気づいたボランティアグループのメンバーは、運命から解放された人物が一人いることを果たして喜んだのでしょうか、それともなぜいつもの所にいないのだといって腹を立てたのでしょうか。いろいろ想像することが出来ますが、ただ言えることは、ペンテコステの出来事によって変えられただされる必要がある視線や目とは、ただ彼の足に向けられた視線だけではなく、病とか貧しさということに対する世間の視線も含む、ということです。今日は余り取り上げるいとまがありませんが、本来、聖書の言葉でいうところの「貧しい人々」というのは誇りある立場の者たちでした。努力が足りないから貧しい側に回ってしまうという価値観は聖書には出てまいりません。豊かになる賜物を持っている人がいるのと同じように、貧しいものとなる賜物を持っている人がいる。その両方によって共同体が成り立っている、というのが聖書の本来の理解です。ですから障碍を持つ人々が誇りをもって生きることが出来なければ、ユダヤ社会は成り立たないのです。しかし、目の前の「かわいそう」な身体障害者を前にして、思わず彼らを物乞いに仕立ててしまい、異邦人の庭に閉じ込めてしまう。そういうボランティアの存在があったのです。貧しさという賜物を持った人々が誇りを持って生きることができないという矛盾が隠され、見えないようにする仕組みとしてボランティアが機能してしまっていた。彼らは悪意をもって体の不自由な物乞い達の世話をしていたわけではありません。熱心だったとも言えます。しかし、その視線もまたペンテコステによってただされなければならないものだったのかも知れません。

 

 *「共に見る共同体」への招き

 様々な視線のことに思いを巡らしましたが、このペトロとヨハネが神殿を昇っていく時の会話を、もう少し想像してみましょう。こういう可能性は十分にあるのではないでしょうか。それは、福音書の最初の方にあるような、自分たちがイエス様によって弟子にさせられたときに、イエス様から向けられた視線のことを話題にしていた、という可能性です。「あれからもう三年が経つのか。私たち漁師のところにあのお方はやって来た。ちょっとは知られた荒くれ者の私たちにまなざしを向けて下さった。すべてを理解し、すべてを許し、すべてを包むような視線。その視線を向けられた後に、あのお方は私に従いなさいというお言葉をくださった。あの視線が、あのお言葉が、いつの間にか私たちを主に従う者へと変えていた。あの視線によってすべてが始まった」。そうやって、あの救いのまなざしを向けられる体験を彼らが語っていたことを想像しました。

 

 神殿に入っていく二人が話をしているところに目に入ったのが、足の不自由な人でした。そこで彼らはこの男に視線を投じます。イエス様が彼らを「ご覧になった」のと同じように、彼らもまた視線を投げかけた。するとこの男性と彼らは目があった。視線をかわしあいながら、二人の使徒と男性との間で、視線の中身は違っていました。二人の使徒の視線は救いへの招きの視線です。教会的交わりに招き入れる視線といえます。それに対してこの男性の視線は、何かもらえるのではないかという期待のまなざしであったというのです。彼はキリストご自身に対する期待は微塵も持っていませんでした。しかし教会に対する期待は持っていたのです。視線を互いにかわしながら、わずかに何かがずれています。

 「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」。ペトロの提案はこうです。私たちを見るのではなく、イエス・キリストを見なさい。何か他人行儀にそう伝えているのではありません。私たちと一緒にイエス・キリストを見ようではないか、と提案をしているのです。

 

 こちらに来てからはまだ一度もやっていませんが、牧師として時折若いカップルに対して結婚講座というものを持つことになっています。その時に必ず申し上げることの一つに、教会における結婚式で新郎新婦が牧師に向かうという形で誓約を行うことの意味と意義についてです。二人が結婚するのだから、二人だけで納得すればいい、そう考えるのであれば結婚式は新郎と新婦が向かい合えば良いのです。しかし指輪の交換をのぞいてはキリスト教の結婚式で新郎と新婦が向かい合う場面は存在しません。二人が共に同じ方向を向かう、その視線の先にあるのが牧師を飛び越えてキリストへと向かうときに、初めて夫婦の絆はキリスト教的な意味で確かなものとされる。夫と妻が同じ価値観に立てばよいというような単純な話ではありません。どちらかが自分の価値観を放棄すればよいという乱暴な話でもありません。二人それぞれが育んできた価値観を、深めるような形で二人がキリストの前で出会うときに、二人の共同体が出来る。いえ、キリストがそこに加わって下さることによって三人の共同体が出来る。

 

 「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」。ペトロの提案はこうなのです。私たちを見るのではなく、イエス・キリストを見なさい。私たちは一緒にイエス・キリストを通じて一つの群れになろうとしているのだ、と。

 ペトロとヨハネが男性に向けて投げかける投げかける視線は、それぞれが主イエス・キリストを仰ぎ見るときに完成するのです。主イエス・キリストを仰ぎ見ることを通じて新たな価値観を持つようになった一人の人は、そして足・くるぶしがしっかりするようになった一人の人は、一体どのようなふるまいを始めたでしょうか。彼は躍り上がって立ち、歩きだしたのです。そして、ただ歩き回れるようになっただけではなく、「躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った」というのです。五体満足ではない者がくぐることが許されない美しの門を踊りながら神様を賛美しつつくぐるその姿は、ペンテコステの光を通して見るならば、美しいものとなったのです。

 

 この物語は、そこに登場する人物の誰もが注目に値する変化を遂げています。まず第一に足の不自由だった男性に注目をしてみましょう。一人の人間の曲がっていた部分がまっすぐにされて、ただ足がまっすぐになったというだけではなくて、その信仰がまっすぐにされ、人を見ると自分に利益をもたらす者であるかどうかを判断するクセは、「私を見なさい」という主イエスの交わりへと招き入れる言葉によって、ただされています。私たちは皆、この男性のように、キリストを仰ぎ見ることによって自らの心身を伸ばすことを願います。

 


 *使徒達の成長――伊東教会2022年の課題

 この物語においてただされ、伸ばされているのは彼一人ではありません。実はここで、ペトロとヨハネという二人の人物もまた変化しています。かつて弟子と呼ばれていた二人ですが、今や主イエス・キリストが天に上られたが故に、彼らを弟子と呼ぶことはもう出来ません。元弟子と呼ぶ代わりに、新たな呼び方がこの書の最初から用いられています。それは使わされた者と書いて「使徒」という呼び名です。この言い方でいいますと、昔の呼び名である「弟子」というのはついていく者、従う者という意味です。従う者から使わされた者への変化。言葉の上ではそうなります。考えてみると、主イエス・キリストはもう既に天に上られました。いつまでも弟子と呼ぶわけにはいかない。キリストのおられる天にまで彼らはついて行っているわけではない。彼らは地上に残された、いえ天におられるキリストから使わされた者となったのです。それが単なる言葉遊びではないことを示すのが今日の箇所です。ペトロはこう宣べているのです。「私を見なさい」、と。

 私たちはよく習い性のように次のように語っていると思います。「私を見るのではなく、キリストを見て下さい」という言い方は、証しなどでよく聞く言い方です。かつて洗礼者ヨハネはこう語りました。キリストは栄え、私は衰える、と。ペンテコステ前の信仰者の姿は皆、一様なのです。主イエス・キリストが地上におられる間、弟子たちも同じように到底「私たちを見なさい」などと言えるような信仰は持ち合わせていませんでした。

 しかしわずか二ヶ月の間に、「弟子」としては言うことが出来なかった「私を見なさい」という言葉を、「使徒」としては語るようになっているのです。それはなぜでしょうか。ペンテコステの出来事がそれほどに強烈で、使徒達は信仰的な成長を短期間で集中的に与えられて、ついにそのように立派なことを言えるようになったということなのでしょうか。

 恐らく違います。使徒達はやはり人間なのです。ただ、明らかに何かが違っています。ペンテコステの光が何かを変えているのです。もう一度整理してみましょう。「私たちを見なさい」とペトロは声をかけます。伏せていた一人の男性が見上げたときに、彼は確かに二人の使徒の方を向いたのです。しかし男性が目にしたのは使徒ではなくてキリストだった。私たちを見なさいという言葉によって、男がキリストを見た。だから癒されたのです。この出来事において不思議なのは、使徒の方を見た者が癒されたということではなく、使徒達の方を振り向いた男性がキリストを見るに至った、ということなのではないでしょうか。

 

 色々考えさせられます。ここに信仰生活の秘訣があるのは間違いないように思います。ただし、「私を見なさい」という言葉を連発するべきだ、そうするのがキリスト者として新しい姿だ、等とここで言いたいわけではありません。むしろ、「私などではなくキリストを見て下さい」、そう語ることを美徳であると考えている私たちであるからこそ、ペンテコステの出来事の不思議さがよく分かるのです。私を見なさいと言って、振り向いたらキリストが見えた。言い方を変えれば、ペトロがその言葉を発したとき、ペトロはこの男性が、自分を振り向いてそこにキリストのお姿を見てくれるはずだという確信があったことになります。これは不思議なことです。考え続ける価値がある出来事だと思います。

 私自身、このことをうまく説明することは出来ません。無理に説明するなら、ペトロに向けられた視線が聖霊によって天上のキリストに向けられた、そんな不十分で満足がいかない説明になってしまいます。むしろ、次のような事実を確認してまずは満足をしたいと思います。それは、主イエス・キリストは天に上られることによって、私たちから遠くに離れたのではなく、むしろ聖霊を注いで下さることによって私たちにより近づいて下さるようになった、ということです。ペンテコステとはイエス・キリストの霊が私たちに注がれたということです。弟子たちもまた、イエス様が遠くに行ってしまったと悲しみました。しかし使徒としての彼らは、イエス様が遠くに行った以上に近くに聖霊が来て下さったことを知るようになります。今までよりも主なる神が近くに感じられるようになったのです。

 私たちもまた、主イエス・キリストを思って喜ぶのと同じように、キリストの霊である聖霊を思って喜ぶ者でありたいと願います。

 

 2022年に私たちが使徒言行録から御言葉を聞くときに、新たな信仰的成長を各自が得られることになると思います。その成果を私たちはまた互いに共有することが出来ることを願ってやみません。