教会の始まり――世界史の転換点

2022/01/02() 降誕後第二主日聖餐礼拝 

「教会の始まり――世界史の転換点」 

使徒言行録第7回(23347                                      牧師 上田彰

 *チーズフォンデュの話、天国の話

 改めまして、あけましておめでとうございます。新しい年の報告を致しますと、いつも食べる話で恐縮なのですが、元日の夜の食事の時です。先日あるところでチーズフォンデュという料理を食べ、一度うちでもやってみようと材料になるチーズを少し前に買い込んでありました。特別なときに食べることにしようといって、おせち料理、和風料理、の目先を変える意味でも元日の夜の登場となりました。私自身、チーズフォンデュを食べ慣れているわけではありません。念のためにご説明しますと、チーズを溶かして深めのお皿に入れておきます。そして切ってある野菜やパンをつけて食べます。とてもおいしいと思うのですが、後片付けの際、溶けたチーズを入れたお皿のお手入れが大変です。そのためか、家庭ではなかなか出来ない料理でもあり、最近になって使い捨てのお皿にチーズが入っているというのが売り出されるようになりました。それを使えば、電子レンジにかけて手軽に食べられるので、少し手軽に味わえるようになりました。

 昨晩は娘が大喜びです。こたつを囲んでいたのですが、自分で野菜を取るために席を移動するため、ほとんど席に座ることなく、立ったままチーズをつけて食べているような状態です。うれしいのは分かるのですが、余りにも行儀が悪いので、とっておきの話をすることにしました。

 いい?天国っていうのは、長ーいお箸を持っていて、それで向かいの人にご飯を食べさせるような所なんだって。だから欲しいものは言ってご覧。取ってあげるから。まずは座って。

 その後は娘に求められるままに娘にものを取ってあげることになったため、結局振り回されてしまい、自分のために箸を動かすことが少なくなったような感じもあります。しかし食事を通じて、神の国とはどういう所か、娘なりに考えるところがあったようです。

 昨日の元旦礼拝では上田文牧師が「こたつ文化」を手がかりに教会というところを考えさせる説教でしたが、ヨーロッパの食事の文化において、チーズフォンデュというのは膝つき合わせながら出ないと食べられないという意味では、日本でいうこたつと少し似ていると思った留学時代の記憶があります。寮の学生達と大晦日の晩に食べたチーズフォンデュは忘れることがありません。

 神の御国の出先機関である教会の姿を考える際にも、食卓の様子をてがかりにすることが出来るように思います。

 

 *世界史の転換点に向けて

 「すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである」。

 クリスマスの余韻を味わうようにして迎えるこの時期、今一度クリスマスを過ごす意義について考える際に手がかりとなる讃美歌を歌いました。107番という讃美歌は、バッハが作曲し、ポール・ゲルハルト、つまりドイツにおける讃美歌の作詞者として最も大きな貢献をしている人(讃美歌では交読文の後のインデックス14ページ左側最下欄を参照)が歌詞を献じているという豪華キャストです。ドイツ教会で言えば、クリスマス讃美歌中のクリスマス讃美歌、というところでしょう。今うっかり「豪華」という言葉を使いましたが、しかしその歌詞をよく見ますと、クリスマスの意味と意義を「豪華」とは正反対の言葉によって言い表していることに気づかされます。特に注目したいのが、第三節にある、「貴き貧しさ」という言葉です。

 これは貧しさそのものを尊ぶという考え方とは一線を画しています。清い貧しさと書いて「清貧」という考え方は広く様々なところで好まれています。ああなるほど、清貧思想はキリスト教にも広まっているんですね、というように取られることもあります。しかし貴き貧しさという言葉を信仰者が目にしたときに、ただ貧しさを崇めているのではなく、神様が貧しいお姿を取ってこの世においでになった、そのことを畏れ敬うというのが、貴き貧しさという言葉に込められた、クリスマスの精神です。

 …そう考えてみますと、「クリスマスは伝道のチャンス」などということは軽々しくは言えないのかなあ、などということも考えてしまいます。世間でクリスマスといえば鮮やかなイルミネーションが町を飾るというイメージがあります。少しドイツに詳しい方であれば、ドイツのクリスマスといえばクリスマスマーケットが有名ですね、とおっしゃいます。その中でもとりわけ有名なのがニュルンベルクなど、比較的大きな町で催されているクリスマスマーケットは確かに年に一度の大きなお祭りで、訪れる者を華やかな気持ちにさせます。クリスマスを華やかなイメージで過ごしたいという向きにはぴったりです。そういうときに、いえいえ教会のクリスマスは見た目がもっと地味です、しかし味わい深いものなんですよ。なにしろ神様が貧しさの象徴である人間のお姿をお取りになったのがクリスマスですからね、などと言い出そうものなら、おやおや人間って貧しい者なんだっけ、神様が貧しくなったってどういうこと?とはてなマークが沢山飛び交ってしまいそうです。

 聖書をひもときますと、旧約聖書・創世記には次のような神様の人間に対する命令があります。「産めよ増やせよ、地に満ちて地を従わせよ」。そこだけを切り取って読むなら、力と数を増すことはよいことで、祝福されたことだと読むことが出来てしまいます。事実そのような理解は旧約聖書の時代、ある程度まで広まっていました。新約聖書の時代以降についても、多少は当てはまっていると思います。そして人類は、ある時期まで何の疑いもなく数と力を増すことに全力を傾けてきました。しかしその一方、教会はそのような流れと一線を画して参りました。今日は余り詳しく話すいとまはありませんが、教会が社会のど真ん中にあったヨーロッパにおいても、貴き貧しさということについてのささやかな実践を忘れることはなかったのです。このようにして、一方で人類は繁栄を目指し、他方で教会は貴き貧しさを忘れることはありませんでした。クリスマスといったときに思い起こす二つのイメージ、繁栄と貧しさは、どちらもクリスマスの精神を、教会の外と中で、それぞれ体現するようになったのです。

 今日の説教は「世界史の転換点」という副題をつけました。確かにこのクリスマスを境に、歴史は変わり始めました。一気に全部変わって、世界は主が地上においでになったことについて理解しきったとは言えません。少しずつ、静かに変わっていきます。み子なる神の地上への到来について語り伝える、ささやかな群れがあります。後に使徒達の教会と呼ばれるその集団は、一番最初は弟子の集まりでした。使徒言行録が伝えるのは、弟子の集まりが使徒の教会となっていくプロセスです。

 ペンテコステの出来事について語る二章の出来事を、丁寧に読み進めて参りました。主イエス・キリストに誕生日があるのと同じように、教会にも誕生日があります。主イエス・キリストの誕生日であるクリスマスと教会の誕生日であるペンテコステ、この二つの誕生日によって、世界の歴史は大きく変わった、あるいはささやかにではあるが変わり始めた、と言うことが出来るのではないでしょうか。

 

 教会の誕生日に起こったことは何だったのでしょうか。二章を読みますと、この日の出来事は、聖霊が炎の下のように弟子たちに降り、様々な言葉の民に届く形で福音を宣べ伝える備えが出来たという報告から始まり、多くの人が洗礼を受けて教会が一つとなったという報告で終わっています。

 正直なところ、この大きな転換点とも呼べる日の出来事について、聖書の報告は余りに簡素です。何しろ一日で三千人が洗礼を受けたという報告が正確であるとするなら、当時のエルサレム市内の人口の1割がわずか一日で洗礼を受けたということになります。ペトロがその日なした説教も二章には収められています。3000人を洗礼に導く説教にしては、余りに単純です。少し事柄の理解が必要な感じが致します。

 恐らく、二章に収められている報告は、ペンテコステの日一日ですべて起こったのではなく、この日をきっかけにして数ヶ月かけて起こった出来事をまとめて、一日の出来事として報告しているものと思われます。ペトロの説教として納められているものもまた、何人かの使徒達が何日かかけて説教をしたものを、代表者であるペトロの説教という形でまとめたのです。現在の二章に出てくる説教は一人が一日でしたものではない、という説を取っても差し支えはないと思います。ですから、3000人が一日で集団洗礼を受けたというのではなく、3章の出来事が起こるより前に洗礼を受けた人がエルサレム市内の人口のおおよそ10%にまで及んだ、という推測が成り立ちます。それでも3000人というと多いようにも感じます。しかし一方で思うのは、あくまで人口の1割です。3000人という数字は、あくまで途中経過に過ぎません。3000という数字をあえて掲げた理由は、使徒言行録の著者であるルカにとって、数の多さを強調する意図はあまりなく、むしろ中間報告という意味合いが強いように思います。

 

 *中間報告を重んじる使徒言行録と、結論を重んじる使徒信条

 そのように考える理由は、ペトロの説教の内で先ほどお読みした部分にあります。33節にはこうあります。「イエスは神の右にあげられた」と。ご存じのように使徒信条では「主は復活して天に上り、神の右に座った」と告白しています。神の右に座ったお方は何をしたかというと、全ての者を裁く、というのです。使徒信条の中では、この「お裁きになる」というのは未来形で書かれていて、まだ起こっていない出来事と考えられます。つまり、使徒信条の中で、イエス様が復活して天に上り父なる神の右にお座りになったという所までは2000年前の出来事で、お裁きになるというのはこれから起こる出来事だということになります。余りに時間が空きすぎているのです。使徒信条というのは元々洗礼を受ける人が自分の信仰を教会内で確認するために用いた信仰告白です。少し語弊がありますが、内輪向けと言うことも出来ます。数学でいうと、途中の計算結果をきちんと記さずに、答えだけを書いたような漢字の解答用紙です。イエス様が天に上られてから今に至るまで地上で教会には何が起こってきたのか、これは教会の中にいるのだからもう分かっているだろう、という訳です。それに対してルカは、計算の過程をきちんと書く解答用紙を作りました。使徒言行録を何のために執筆したかといえば、この、使徒信条では空白になっている2000年間の出来事を、何らかの形で記録しなければ、十分ではないと考えたのです。

 聖書に収められている使徒言行録は28章で終わっています。しかし私たちは、使徒言行録第29章を生きる教会として、ルカの記録を引き継いで、教会に何が起こっているのかを記録し続けています。3000人という数字は途中経過に過ぎない。しかしその途中経過をあえて記録しておくことに意味があると考えたのがルカです。使徒信条が原因と結果だけを記す形になっているのに対して、使徒言行録はその途中経過を記すことに意味がある、という考え方に基づいて成り立っています。

 

 *「邪悪なこの時代から救われなさい」

 途中経過を記すという、一見すると不思議な考え方は、ルカが勝手に考えたものではなく、恐らくペトロの説教から生み出されてきたものであると考えられます。40節には、次のようなペトロの勧めが出て参ります。「邪悪なこの時代から救われなさい」という言葉です。途中経過ではなく結論を記すという使徒信条の考え方に基づけば、ここは「邪悪さから救われなさい」と説教するところだと思います。しかし教会の中に流れるもう一つの流れを汲む使徒言行録は、邪悪さは「時代」という形を取ることに注目しました。私たちは罪から救われることが課題なのだと言って、確かに一方では間違いありません。しかし他方で、時代そのものが罪によって汚されている、そこからどうやって救われるかという課題が存在するのです。

 「邪悪な時代」とペトロが言うのは、どのような時代なのでしょうか。ペトロにとって、「この時代」はどのように見えているのでしょうか。言葉遣いから推測すると、どうやら相互信頼に欠けた時代、不信感に満ちた時代ということを考えているようです。

 そのような時代に、使徒達の教会としてペンテコステに生まれた集団は何をしたのでしょうか。何をしたから、43節にあるような、すべての人に怖れが生じたと言えるほどに不思議なわざとしるしが使徒達によって行われたのでしょうか。これは病気が治ったというような、イエス様ご自身がなさった不思議なわざではありませんでした。使徒達がなした不思議なわざは、今日の箇所で特に後半に何重にも記されていますが、42節の表現に注目して読んでみたいと思います。「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」摩訶不思議な超常現象が起きているわけではありません。普段の礼拝の様子が記されているのです。それは教えることで始まり、祈ることで完結しています。その中間に、「交わりを持ちパンを割いた」と書いてあります。これは、一つの出来事です。「パンを分け合うような礼拝を持った」ということです。礼拝が終わってからのやりとりもあったようです。しかし礼拝の中でパンが分け合われていた。

 

 *パン割きの儀式

 ご存じのように、そのようなパンの分かち合いを礼拝の中で行うことを、聖餐と申します。ですから聖餐とは、冒頭のこども向けの話でいえば、長い箸を持ってお互いに相手の口にまでパンを運ぶような仕方で食事をし、そのことによって神の御国を先取りして体験するためにもうけられているのだと、考えることが出来ます。

 聖餐式の意義を考えるときに、私が個人で神様の前に立ち、神様から直接恵みをいただく。そのような体験をするのが聖餐式だと考えるのは、もちろん間違いではありません。しかし途中経過を重んじる使徒言行録は、信仰者同士が互いに分け合うということがこの聖餐式の大事な意義であることを思い起こしてそのわざを継承しようと考えたのです。そしてそのわざは、今日に至るまで実践され続けています。

 最終的に神様と私の関係が出来れば良いという考え方も成り立ちます。しかし欠かすことの出来ない途中経過として、私たちには教会が必要なのです。そしてそのような教会は、御言葉を共有するだけではなく、パンを共有するような礼拝を執り行っていたというのです。

 使徒言行録が伝えるペンテコステの日の出来事は次のように締めくくられます。「こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」。これは、救いの途中経過である教会における、私たちの姿です。私たちが邪悪なこの時代において、あるいはもっと小さなことでいえばコロナへの不安を持つこの時代において、相互信頼の手がかりを見出すことが出来るとするならば、それは教会のような場所なのではないでしょうか。教会において祝われるクリスマスはささやかです。教会において記念されるペンテコステの出来事もまた、ささやかと言えるかもしれません。しかしそれで良いのです。ささやかな形で、しかし大きな恵みを私たちは体験しているからです。