私の負けです

2021/11/14()終末主日 特別伝道礼拝(幼児祝福式) 

説教 「私の負けです」(エレミヤ2079 伊東教会牧師 上田彰

 *「勝ち組」「負け組」というけれど

 人間誰でも、本能においては他人に勝ちたいという思いがあるのかもしれません。幼い子どもでも「競争ダゾ」、と言うと、普段はなかなか自分ではやらない着替えやトイレに率先して取り組み、相手を出し抜こうとします。「健全な競争が社会を発展させる」という言い方に反論をする人はほとんどいません。

 ただ、どんな競争も度が過ぎれば問題があります。「勝ち組」「負け組」という言葉があります。嫌な言葉です。「組」に分けられてしまう、というのです。つまり、これは競争の結果勝った人は永遠に勝ち続け、負けた人は負け続ける。これは勝敗の区別が固定化してしまうということです。行き過ぎた競争と言えないでしょうか。そのような社会はゆがんだものなのではないでしょうか。

 さてしかし、ではどこまで行けば「度が過ぎている」といえるのでしょうか。現代社会はすでに度が過ぎた競争社会に突入しており、勝ち組と負け組とやらの区別は、取り返しのつかないところにまで来ている、のかそれとも来ていないのか。…ここにおいでになっている方は、単なる社会時評の話を聞きに教会くんだりにまで来たわけではないと思います。この問題をきっかけにして、聖書は何を語っているのか、共に考えて参りたいと思います。

 今日は、「勝つ」のを目指すことをやめた人を、歴史から取り上げ、また聖書からも取り上げてみます。三人の人を今日は取り上げることになると思います。

 

 *阿南惟幾の場合(『日本の一番長い日』より)

 まず最初に挙げたい人、勝つのを目指すことをやめたのは、軍人です。日本が太平洋戦争で敗戦を迎えた1945年8月15日、その朝に亡くなった、阿南惟幾(あなみ これちか)という、当時の陸軍大臣です。現職の閣僚の割腹自殺は日本の歴史の中でも唯一の出来事です。大きな混乱があったことは容易に想像できます。

 この前後の状況を少し追ってみましょう。太平洋戦争は4年目を迎え、負け戦であることはすでに明白になりつつありました。その一方で、「王様は裸だ」ではありませんが、「日本は負ける」とは公に言いにくかったのも事実です。

 そのような中で阿南という軍人は、一言でいうならば潔癖な人でした。一途な人でした。好きなものは何かと聞けば、おそらく迷うことなく裕仁天皇、つまり昭和天皇であると答えたことでしょう。昭和天皇に心酔していました。

 彼の政治的態度はどうだったのでしょうか。世では5.15事件や2.26事件が起こりました。軍部が反乱を企て政府が戦争姿勢を強めていくきっかけとなった事件です。阿南は、参加した将校や軍人たちに対して批判的でした。天皇の名誉を汚すクーデターには反対する、というわけです。全ての行動基準は天皇であったと言ってもよいかもしれません。もともと阿南は、天皇とは乗馬などを通じて個人的な交わりがあり、その中で天皇への崇敬の念が強まっていったようです。国家を重んじるということは天皇を重んじるということだ、という姿勢は一貫していました。あるとき、阿南は天皇に声をかけられて、二人だけで長時間にわたって松花堂弁当を食べ会談を行うということがありました。国内における軍人同士の政治争いに巻き込まれ、阿南はそのようなことに馬鹿馬鹿しさを感じたのか自ら国外行きを志願し、その別れの席が天皇の好意でもうけられたのだそうです。

 さて阿南は外地でも大きな成果を上げたのち帰国、次の陸軍大臣は阿南だというような期待が持たれる地位に着任します。しかし陸軍内には阿南が大臣になることを反対する者もおりました。当時の日本はすでに敗色濃厚だったのですが、降伏する際の内閣に入っていた陸軍大臣は「降伏に賛成した者」という汚名を着せられてしまいます。当時陸軍内で名声の誉れ高かった阿南にそんな汚れ役はさせられない。彼をこのタイミングで入閣させるのはまずい、というわけです。まるで今の政治と同じような話が展開していることに気が付かされます。少し話を端折ります。いよいよ1945年4月、阿南が尊敬する鈴木貫太郎が首相となり、彼の声掛けにより阿南は内閣入りします。5月にはドイツが降伏し、日本の降伏はもはや時間の問題になっていました。

 つまり阿南の立場は、陸軍全体が降伏には反対という中、それでも国民の犠牲をこれ以上増やすことはできないという天皇の立場をおもんぱかり、天皇を守ることが国体を守ることだという立場から何とか状況を打開しようと考えるのです。7月にポツダム宣言が出され、連合国は日本に全面降伏を要求します。広島・長崎への原水爆の投下、ソ連の対日参戦によって戦局は完全に詰んでしまいました。このあたりのことは私が語るまでもないでしょう。

 問題は、戦争の終わらせ方です。降伏へと進む内閣への軍部の反発を抑え込むのが阿南の課題の一つでした。ここで軍部が反発を爆発させればクーデターが起こることは間違いなかったからです。その一方で、軍部の反発を利用してクーデターをちらつかせ内閣のほかの官僚を脅し、戦争継続を要求する、というのが自分の仕事でないこともわかっていました。ましてや首相は自分の尊敬する鈴木貫太郎です。完全に相反する二つの要求をこなさなければならない阿南は、ポツダム宣言への対応を決めなければならない会議において次のように主張します。「ポツダム宣言を読んだが、ここには天皇の地位について明確な記述がない。仮に降伏をするにしても、天皇の地位が確保されている必要がある」。それが明言されていないから受け入れられない、という論理です。

 話はさらに押し迫って8月13日です。阿南は陸軍内におけるクーデター計画を知らされ、協力することを求められていました。日頃親しかった部下たちが多くそこに賛同していたことと、既に彼らはホットになっていて、いつものきめ台詞であった「天皇の意向に反してはならない」と言っても彼らには通じませんでした。そこで、ほかの陸軍幹部に相談すると約束して一旦その場をしのぎます。すると幹部の中にはクーデターに反対する者がいましたので、ここで阿南も決心を決めて、クーデターへの反対を若い将校たちに明言します。

 翌日8月14日の御前会議では、天皇自身が最終的にポツダム宣言の受託を決意すると明言します。そこで会議の話題は、降伏の際の表明の仕方へと移ります。結局、天皇自身がラジオを通じて国内外の国民にポツダム宣言を受け入れることを明言する、という形になりました。これがいわゆる「玉音放送」です。録音は14日のうちに、詔書を読み上げる形で宮中で行われ、その録音盤が作られます。予備と合わせて二通りが作られ、二つそれぞれを都内にある別の放送スタジオへ持ち込むことになっていました。二通りの録音盤は異なる場所で保管されたそうです。今でいえば、要人が移動する際に二通りの移動ルートを確保しておいて、状況に応じてどちらかを用いるというのに少し似ています。しかし録音盤の場合は、どちらが残って放送されてもいいわけです。すでに要人(VIP,very important person)ならぬ要盤(very important disc)は軍部からの襲撃を受けねばならない運命が予想されていました。

 果たして陸軍内でクーデターは開始され、いくつかの部隊は反乱軍の指揮下に入ります。そして宮城は占拠されてしまいました。スタジオを占拠することもクーデター計画に組み込まれており、スタジオは一旦反乱軍の支配下に入ります。そこで録音盤がまだスタジオには移されておらず、宮中にあることがわかり、宮中の捜索が始まります。しかし必死の捜索にもかかわらず録音盤の隠し場所のカモフラージュはばれることがなく、録音盤は8月15日の放送日まで無事であり続けました。天皇に忠実であった侍従たちが銃の脅しに屈することなく、録音盤を守り続けたのです。

 

 つまりこの話は、「日本の敗戦という現実を正気になって認めなければならない」という「丸腰」での訴えが「銃」によって脅かされ、それでも「丸腰」が勝った、という話です。

 

 クーデターは15日の朝、収束へと向かいました。明け方ごろのニュースが契機でした。阿南が自決したというのです。前日14日の深夜、阿南に対し、「反乱軍のリーダーを引き受けてくれさえすれば、自分たちは勝利する」といって、青年将校が阿南を説得するために三鷹の自宅に行っていました。

 そこには風呂から上がり上半身裸で半紙を前に悠然と墨をする阿南の姿がありました。すぐに将校は阿南が自決をする覚悟であることを見て取ったといいます。そして酒を酌み交わして、6時前後にその将校の介錯を得て自刃。辞世の句は、数年前に天皇と会食をしたときに詠んだ句でありました。

 この知らせはすぐになお血気盛んな反乱将校たちに伝わります。銃を手にしていた狂気の固まりは、ようやく気を取り直し始めるのです。中心的な反乱将校は宮中でピストル自殺を遂げます。

 戦争の終わりとは、武器を収めることではなく、狂気を収拾させることであると気づかされます。

 

 この問題、キリスト教的にはどのように理解されうるのでしょうか。よく日本の文化は自殺を否定的に扱わないということが言われます。統計の上では日本以上に自殺がみられる国も、あるにはあります。しかしそれらの国は、躁鬱や人間関係の喪失など現代文明のゆがんだ側面から説明できます。それに対して、日本の場合には自殺が文化の一部になっています。切腹とは武士の美徳の一つと考えられてきました。けじめをつけるという理由で切腹することが美化されるのです。負けるということを認めるということが死ぬということとつながって理解されるのです。

 もちろん簡単に批判はできません。いわんや、このケースで自殺をしないですんだはずだと言ってみても始まりません。「勝たない」ことを目指す一人目の人、阿南惟幾の場合、どうやって生きたまま陸軍を説得できたことでしょうか。したり顔での解説は無責任すぎます。しかし思うのです。「勝たない」ことを目指す人の最終的な行き先が自刃であるというのは、果たして幸福なことなのだろうか、と。

 

 *旧約の預言者エレミヤの場合

 「勝つ」のをやめた、もう一人の人をご紹介します。それは今日の聖書個所に出てくるエレミヤという人です。もともとエレミヤ、若い人でしたが想像力の豊かな人でした。あるときに家の台所で、かまどの鍋からお湯が煮えたぎっているのが見えました。鍋が少し北に傾いており、湯気がそちらの方に立っておりました。また窓の外にはアーモンドの木が見えました。アーモンドというのはヘブライ語でシャーケードと言って、ショーケード、つまり見張りという言葉と発音が近いのです。そこで彼は考えます。これは北から敵が来る、だから見張りをしなければならないというお告げに違いない、と。預言というのは少数者の声という形をとります。エレミヤがいた時代は、イスラエルの王国連合のうちの、北イスラエル王国は滅んでいましたが、残っている南ユダ王国も実は滅びの直前にありました。バビロン帝国によって攻め込まれ捕囚の憂き目にあってしまうのです。しかし攻め込まれるまではバビロンとも関係がよく、平和を謳歌していました。そのときにたかが鍋が傾いていてアーモンドの木が揺れたぐらいで国の滅亡を言い出す預言者がいても、人々はふつう見向きもしません。エレミヤもまたあざけりの対象になりました。一方で彼らには、預言者を重んじる伝統があった。簡単に言えば少数意見を重んじる仕組みが、近代議会制民主主義の伝統がヨーロッパで生まれるよりもはるか前にイスラエルにはあったのです。自分たちから見てどんなに変な意見であっても、待て彼は預言者だ、まずは最後まで聞いてみようといってその預言を聞く。耳を傾けるのです。

 もっとも、耳を傾けたからといって受け入れるとは限りません。同じ時代のもう一人の預言者イザヤがしたある預言をご紹介します。ユダヤの王があまりに能天気で、自分たちがバビロンを攻めるつもりがないということを示すために、バビロンから来た使いの人に国の倉庫を開けて中を見せるのです。そこでイザヤは、これがきっかけで国家が滅ぶという指摘、つまり預言を行います。人々は、「ああそれはありがたい」とだけ述べて、本気にしませんでした。国家滅亡の、おそらく数年前の預言です。

 「勝たない」ことを目指す預言者エレミヤは、イザヤよりさらに徹底的に、国家の滅亡を預言します。この直前の19章などを見ますと、ユダヤの人々が忘れたがっている昔の恥を、わざわざさらしています。それは、まだ律法というユダヤ教の戒律のシステムがまだ整う前の時代の思い出です。子どもたちを神々に献げる人身御供のような異教の習慣が実践されていた場所がエルサレムの街のすぐ外にあったのです。その谷をゲヘナ(つまり「地獄」)の谷と呼んだのですが、そこからは子どもたちの骨が大量に出てくるというのです。エレミヤはその場所に陶器の壺を持っていき、そして皆の前で割るのです。一種のデモンストレーションのようなものでしょうか。そして預言をします。「やがてユダヤの人々は主を裏切り、他の神々に仕えるだろう、そして出来損ないの壺を壺作りの職人が割って投げ捨てるように、主なる真の神はあなた方を捨てる。そしてここは再び墓場となる」、というのです。「地獄」とも呼ばれる場所において、強烈な滅びの預言を行うのです。

 実はこの話には続きがあり、それから数百年してから主イエスの弟子でありながら主を裏切ったイスカリオテのユダがこの場所で首をつり、後に外国人向けの墓地となったという伝説があります。

 エレミヤは過激すぎると言う人がいます。次のような感じになるでしょうか。「子どもを献げたといっても、ずっと昔の話だ。今更昔の罪を蒸し返し、これからその裁きが訪れるというのはおかしい。そこ、壺を割らない。そのパフォーマンスは悔い改めのためだというが、そんなものは誰にも受け入れられないだろう。」

 私自身は、少し迷いがあります。例えば街の真ん中で壺を投げ割って神様に向かって心を向けるべく悔い改めなさいと叫んでいる人がいるのを現実に<<<目撃>>>したら、やはり眉をひそめると思います。その一方で、かつて異教の神々に街の子どもを差し出した場所で、これからもっとひどいことが起こるという警告の意味で壺を投げ割る。そしてその同じ場所がその後、イエス・キリストを裏切った者が死ぬ場所となるということを<<<想像>>>したら、エレミヤのパフォーマンスはやや不十分だったのではないかと思ってしまいます。つまり、「目撃」出来るような短い時間軸で考える感情的反応と、「想像」するしかないような長い時間軸で考える歴史的評価に、なぜこれほど大きなずれが生じるのだろう。なぜ人間は罪を犯し続け、そのことへの警告を無視し続け、社会は歪み続けているのか、そう考えさせられてしまうのです。

 この一連の、壺を巡る出来事が18章と19章で記され、今日の20章につながります。今日の箇所で、エレミヤは神さまに祈りながら迷いを告げています。それは、北からの敵などなかなか来ないではないか、お前の預言は嘘っぱちだといって、多くの人にあざけりを受けている間に、彼自身が自分の預言は外れるのではないかと思い始めているが故の迷いである、そう言ってよいと思います。従って今日の7節にある「私は惑わされてあなた(神様のこと)に捕らえられました」という言葉の表面的な意味は、「だまされて無理矢理自分は預言者にさせられた」という意味になります。また先ほどのような「目撃できる短い時間軸」と「想像しなければならない長い時間軸」という話で行きますと、今傍目に起こっているのは、つまり短い時間軸では、エレミヤという一人の信仰者を多くの不信仰者がよってたかってあざけっている状態です。一種のリンチとも言えます。エレミヤはかわいそうだとは思いますが、エレミヤが悪いわけではありません。

 しかしエレミヤからすると、この出来事を長い方の時間軸で見れば、「今受けているあざけりは神様からのあざけりということになるはずだ」、というのです。エレミヤは、実は神様から責められなければならない心の奥深くに潜む闇が自分にあったことを知っているのです。それは何かと言えば、預言をしているときのエレミヤは、「この預言が当たればこの人たちは自分に感服するだろう、本当に北からの侵略者が現れたら、私はこの信じない人たちに勝ったことになる」という、勝ち負けの構図を消しきることが出来ていないということなのです。つまり、彼はまだ他人に勝とうとしていた。しかし今日の所で、こう語るのです。「あなたの勝ちです」「私の負けです」。他人に対する勝ち負けではなく神様に対する勝ち負けを意識しているのです。深く突っ込むとするならば、「勝ち」とか「負け」とか口にしている時点で、なお勝ち負けを意識しているのではないかと考えることも出来そうです。もしかするとそうかもしれません。その上で彼は、「私は神様に負けた」と宣言し、告白しているのです。

 負けてしまったエレミヤは、先ほどの阿南陸軍大臣のように死ぬ必要があるでしょうか。いいえ。なぜなら、エレミヤはこの時点ですでに神様の前で死んでいるからです。エレミヤはこの後も何度も人間的な思いに引き戻されることがありました。その度に彼は悔い改めました。悔い改める度に命を捨てていたら、命など幾つあっても足りません。しかし神様の前で悔い改めることは、何度行ってもよいのです。神様の前に立って感じる魂の重み。その告白の言葉が、エレミヤのいう「私の負けです」という言葉なのです。こうしてエレミヤは、「勝とうとするのをやめる人」にさせられていきました。

 

 *一つの彫刻から学べること

 「勝とうとするのをやめる人」の三人目についてお話しします。というか、「人」と言ってよいのでしょうか。実は今回の特別伝道礼拝、毎年芸術作品を様々なジャンルから一つ取り上げることにしています。教会の方にあらかじめお題をいただくことにしていて、そこから私の方で思いついた何かの芸術作品を用いてお話をするというわけです。今回のお題は当初は「ヘイトスピーチ」でした。準備を始める際に、こう考えました。「ああ、ヘイトスピーチっていうのは、勝っていない人が、それでも頭の中だけでも勝ちたいと思い、勝っていることにして何か悪口を考えているんだろう、しかもその悪口を頭の中だけにとどめておけばよいのに、インターネットとかデモの時とかに口にしてしまうんだろうなあ、何で人間は勝ちたいんだろうなあ。やはりヘイトスピーチは日本が第二次大戦で敗戦国となったコンプレックスが関係するのだろうか」。

 そこで取り上げたい芸術作品は『日本の一番長い日』という小説(映画もあります)で、キーワードは「敗戦」となるかなと思いました。その形で、教会の中でポスターやチラシを作って下さっている方に「敗戦」をイメージしたデザインを御願いしますといってキャッチコピーをお送りしました。すると「このままでは難しい」とおっしゃるのです。それは、「敗戦」というデザインは、絵画でいうと「ゲルニカ」などごくごく限られたものになってしまう。それより伊東市には有名な彫刻家がいるから、その方の作品を取り上げてみたらいいのではないか、といっていくつかの作品の写真を下さいました。その中で、「祈る」という作品と今回の「女(ひと)」という作品の写真を拝見しました。もしかすると、「敗戦」というテーマは「平和」というメッセージとつながりますから、「祈る」という方を私が取り上げると予想された上での複数案提示だったのかも知れません。しかし私は、今回の聖書箇所と深く結びついているのは「女(ひと)」の方であると考えました。新しく示したコピーは以下の通りです。インスピレーションのごとく湧きました。

 「公園にある一つの彫刻に目が止まった。うずくまった人。「女」と書いて「ひと」と読む。絶望しているのだろうか。祈っているのだろうか。聖書には「私の負けです」と神様の前で告白する信仰者の姿がある。そこから、地上の誰かによって断じられた「勝ち負け」を越えたところにある、ささやかな安堵感が見いだせるのではないだろうか。」

 「勝とうとするのをやめる」一人の女性は、見方によっては絶望していますし、見方によっては祈っていると取ることが出来ます。そしてその二つには深いつながりがあるのではないでしょうか。かつてのエレミヤは、祈りと絶望を切り離して考えていたのかも知れません。神様に対してはいつも敬虔に祈ろう。その場合には天に向かって顔を上げる。しかし人間の間には競争社会があり、そこでは勝たなければならない。その勝敗に一喜一憂する。負けたときには絶望する。その場合には地面に向かって顔を伏せる。顔を上げるのと顔を伏せるのですから、これは正反対です。つながりがなくなってしまいます。しかし預言によって説き伏せたいとかつて思っていた相手からのあざけりを、神様からのものだと受け止めることが出来るようになったとき、エレミヤは負けを認めて喜んで悔い改めることが出来るようになったとき、絶望と祈りは一つとなるのです。

 そこまで考えたときに、一週間ほど前にこのデザインをして下さった教会員と二人で彫刻家のアトリエを訪れたときに伺った話を思い出しました。氏は、ご自分の作品がほとんどの場合大地と人物がつながっているのだ、ということを教えて下さいました。言ってみれば、どの作品においても人は木のように大地とつながっている、ということでしょうか。もしそうだとしたら、人と大地がつながっているこの彫刻の意味は、人が祈る姿となるのは、言ってみれば様々な紆余曲折は経ますが、最終的に自然な姿なのである、という事になります。絶望する姿勢と祈る姿勢とは木が根っこでしっかりと地面につながっているような仕方でつながっているというわけです。神さまに祈ることを知る人は、人間的な、周りの人に勝ちたいという希望を失ったとき、それでも神様が希望を与えて下さることを知ることが出来ます。(恐らく、重岡さんの作品はこのような特別伝道礼拝の枠組みでもう一回扱うことになるでしょう。再来年あたりどうでしょうか。)

 

 *子どもたちと共に希望を持つ場所、教会

 今日は特別伝道礼拝であると同時に、教会に与えられている幼子たちを祝福する日でもあります。この後に子どもたちを祝福する時を持ちます。昨年は抱っこをされていた子どもが、今は自分で歩いています。成長を続ける子どもたちが、「絶望」を教え込まれるような社会はごめんです。私たち大人が皆、そのことを心しなければなりません。そして私たち自身、現実社会の中で諦めて絶望していないかどうか、自己吟味をしなければなりません。

 絶望の向こう側にある希望が、悲しみの向こう側にある喜びが、今日集う全ての人に与えられますように。