御言葉が示す道

2021/11/07() 終末前主日聖餐礼拝 

            使徒言行録説教第五回 21421                   牧師 上田彰

 *現代の教会の嘆き

 ペンテコステ、聖霊降臨を迎えた使徒達は、雄弁に語り始め、その弁舌は多くの人の心を捕らえます。私たちの第二章の終わりには、この日に洗礼を受けた者は実に3000人に上る、というのです。そして同時に考えるのです。なぜ現代において聖霊降臨は起こらないのだろう。なぜ私たちの教会にも説教というものが存在するのに、その説教を通じて新たに洗礼を受ける者はこれほど少ないのだろう。少なくとも見かけの上では受洗者が次々と与えられるわけではありません。時にはそのために失望することだってあると思います。

 

 *落語と説教について

 以前に牧師になるかならないかの駆け出しの頃、こんな話を聞きました。それは説教に行き詰まった牧師が、多くの人の心を捕らえる話をするにはどうしたらよいのだろうといって、寄席に通い詰めた、という話です。落語家の話を聞けば、そして同じように語ることが出来れば、多くの人の心を動かせるのではないか、という訳です。私自身は、そのように、説教者が落語家の話を聞いて学ぶものがあるのか、ということに少し疑問を感じていました。それで、その寄席に通い詰めた説教者がその後説教に開眼したのかどうか、エピソードの終わりの部分を知らないままでいます。

 私自身、なぜ自分が説教者として落語を模範にすることを避けているのか、分かっています。実は小さい頃、小学校卒業から中学生ぐらいの頃、寄席に通い詰めていたのです。落語の本を朗読してテープに録音したり、実際に新宿の末広町にあった寄席に通ったりしておりました。なぜ自分の中の落語ブームが去ったのか、正確には分かりません。高校になって勉強と部活が忙しくなって、自然と落語から離れました。ただ一つ、いわれてみればと心当たりがあるのが、自分が落語家になれるか、と考えたときのことでした。落語家になるには、多くの場合は徒弟制といって、真打ちの落語家のところに弟子に入らないと行けない。入ってもすぐに落語の練習が出来るわけではない。数年は掃除や師匠の身の回りの世話をする。そしてやっと少しだけ話の練習をさせてもらえる。もう一つのルートが、大学で落研、つまり落語研究会に入り、そこで落語を身につけてデビューをする。徒弟制か大学ルートか。中学生の後半にその話を読んだときに、ちょうどどういう高校に行き、その先に大学があるということを意識していたために、徒弟制よりは、つぶしがきく大学にまずは行っておくべきだ、そのように考えたような記憶がかすかに存在します。

 

 なぜそのような記憶を呼び起こされたかというと、昨日重岡さんのところに伺ったおりに、弟子は取ったことがおありですかと聞いたら、自分は高校を定時制で遅れて卒業し、学校で芸術を学ぶのではなく弟子に入ったものだったが、今は徒弟制が機能しない、学校で楽しく芸術は学ぶものだ、自分も講師として東京芸大に教えに行っていたことがあるが、学食でカツ丼が食べられる。徒弟制とは大違いだ、とおっしゃっていたのです。それで自分の30年以上前の記憶が呼び覚まされたのです。

 私自身、学問を大学で身につけたと言えるかどうかは分かりませんが、確かに楽しい学生生活を送っていました。因みに大学で落研に入ろうとは思いませんでした。他に色々やることがあったからです。そういう訳で、説教に行き詰まった先輩牧師が寄席に通い詰めたという話を聞いても、自分の中では以前に自分が夢見た職業にもう一度目を向けるつもりはないというか、何か少し距離を取ってしまっている自分がいることに気がつきます。

 

 ここまで語った分析は実に昨晩行ったもので、幾分プライベートな話を混ぜてあえて語りました。説教と落語の関係についての私自身の長い間の理解は別にあります。落語と説教には一つ大きな違いがあると考えています。それは、落語には型、つまりパターンがある、ということです。それに対して説教の場合には、同じ聖書箇所でも幾通りもの説教が出来るという風に、型という考え方では十分説明できません。あえてそのように思うことで、説教と落語を重ね合わせることから離れようとしていたのかも知れません。

 しかし、考えてみますと、説教に型がないとは言い切れないかも知れません。むしろ型はあるのです。その型とは、イエス様の説教です。実は今日の箇所は、旧約聖書のヨエル書の引用が含まれていますが、ヨエル書を文字通り引用しているわけではありません。その改変の仕方にはイエス様の言葉を聞いてきた使徒ならではの特徴があり、それゆえに「使徒が語る語りの型」と言えるものが見いだせます。かつて落語の型というものに警戒心を持ちすぎていた一人の説教者として、今日はその反省も込めて、使徒が語る語りの特徴についてお話しをさせて頂きたいと思います。

 

 *イエス様の語り方を受け継ぐ使徒達

 かつてイエス様は、多くの人々を前にして行う説教によって、聞く者に驚きを与えられました。山上の説教がマタイ福音書にありますが、その終わりである7章の最後の部分にこうあります。

 

イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。

 

これはどういう意味かというと、当時の律法学者達は、それこそある種の型というか語りのスタイルを持っていて、「律法は言う」という風に、主語は常に聖書であり律法、場合によっては先達の律法学者の言葉の引用を使うことはあっても、「私は言う」という言い方を避けるのが常でした。例えば、「昔の人はこう言った。殺してはならない、と」といった具合です。その後には、「だから殺してはならないとはこういうことだ」という風に律法学者達は続けるのです。ところがイエス様は、「昔の人はこう言った、~と。しかし私はこう言う」、という風にご自分の言葉として続きを語るのです。そのことが人々には衝撃的だった、ということが出てくるのです。その衝撃には続きがあり、話の中で「私は」ということをイエス様がよくお用いになるだけではなく、「私はあなたに言う。悪霊よ、出ていけ」というと悪霊が出ていき、ついには「私はあなたの罪を赦す」と言い出したりして、「罪まで赦すとは何者なのか」という風に反感を買うようにまでなってしまうのです。つまり、イエス様が持っておられた語りのスタイルは、最終的にはイエス様を十字架へと至らせてしまうほど首尾一貫していました。イエス様は反感を買ったとしても、ご自分が神の子救い主としての立ち位置を一歩も退くことがなかったがゆえに、最終的に人々はイエス様を通じて救われるのです。今日の箇所は最後が、「主の名を呼び求める者は皆、救われる」で終わっています。ここでペトロがヨエル書の引用を区切っているのは意図があります。先ほどそのためにヨエル書も朗読をしたのですが、そこでは最後が「主が言われたように/シオンの山、エルサレムには逃れ場があり/主が呼ばれる残りの者はそこにいる」で終わっています。つまり、主の名を呼ぶ者は救われる、そしてその救われる者はごく少数のユダヤ人なのだ、というのがヨエル書の引用の意図です。それに対して、使徒言行録の意図は、主の名を呼ぶ者は救われる、その救いの中には、主の名を呼びさえするなら誰でも入れるのだ、ということがあることになるのです。

 ヨエル書を引用しながら、ペトロはイエス様の教えを思い出し、無意識にイエス様の語り方、救いについての語り方を意識していることになります。

 

 *進化する説教

 ここで、新しい説教の型が生まれました。イエス様が語ったのと同じように、使徒達も語り、そこに語りの型が生まれたのです。落語で言いますと、名人になると自分の型をよく心得ています。例えばキセルを持っていて、そのキセルでタバコの灰を落とす。その落とし方をゆっくり行うか早く行うかでその日語る寄席が客に対して与える印象が大きく変わる、そのことまで計算して灰の落とし方を計算します。同じ話を語っているようでありながら、全く新しい話になることさえある。一言一句、一挙手一投足を計算し、コントロールすることが落語家が名人に達した域だと言えるでしょう。

 今日私たちが見ている説教も、繰り返しペトロ達が語っていたのだと思います。少しずつ変わっていき少しずつ洗練していったのでしょう。教会が成長して行くにつれ、説教もまた成長していきます。ちょうど、若い牧師が教会の成長と共にその説教を成長していくことが出来るのと同じように。

 

 *イエス様の救いを受け継ぐ使徒達

 この時語られたペトロの説教の内容はどのようなものであったか。その核心は何であったか。このように言うことが出来るでしょう。かつて預言というのは、ごくごく限られた人たちだけが行うことが出来るものだった。この、選ばれた者にだけ許されたわざが、神様の霊を注がれた老若男女全ての人たちに例外なくできるようになる。預言のわざを始めた使徒達は、周りの者たちから次のようなあざけりを向けられます。それは、使徒達が酒に酔っているのではないか、という疑いです。あざけりとは書いていますが、実際には疑いだと思います。使徒達の語りの外部にいる者たちにとって、ペンテコステの日に起こった集団預言の出来事は、余りに怪しすぎました。なにしろ、預言という者は選ばれた者にしか出来ない者だというのが常識でした。さらにいえば、救いということそのものがユダヤ人という選ばれた者にしか与えられないというのが常識でした。そういった常識の中にいる者にとっては、全て主の名を呼ぶ者が救われるという教えは、非常識なのです。酒に酔っているように思われるのです。

 しかしこうも言えるのではないでしょうか。酒に酔っている者は、しらふの人を見て酒に酔っている、と言ってしまうことがある、と。笑い話がありまして、ある人が酔っ払うとどうもものが二重に見えてしまう。そこで、酔っ払っているにもかかわらず酔っていないかのように振る舞うために、二重に見えても一つだということにしていたというのです。いつものように酔っ払って歩いていたら向こうから双子の赤ちゃんを連れた母親がやって来ます。そこでこの酔っ払いは、「おや、なんとかわいい赤ちゃんを一人抱いていることでしょう」、と言ってしまった、という話です。現実が不自然であっても、酔っ払いは酔っ払いの理屈で合理化して理解しようとします。むしろその不自然に見える現実が本当であるということがありうるのです。

 今日の説教では、主の御名を唱える者は「みな」救われる、と語ります。そして人々は考えるのです。いやいや、イスラエルの血筋を引く私たちだけが救われる。旧約聖書を見るとそう書いてあるではないか、と。ごく限られた人だけが救われるという教えではなく全ての主の名を唱える者が救われるというのが本当だったとしても、人々はそんな不自然に見える教えは酔っ払いの教えなのだといって、なんとか遠ざけようとするのです。

 

 *古くて新しい教えを受け入れる

 ペンテコステの出来事が大変に画期的な出来事であるのは、この全ての主の名を唱える者が救われるという教えが、実は限られた者が血統、血筋によって救われる人と救われない人が分かれているというのよりもずっと自然で普通の考え方なのだということを使徒達が語る中で人々が納得してしまった、というところにあります。

 

 終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。

 

使徒言行録の中で、最後まで出てくるのがこの「夢と幻」です。パウロは幻の中でイエス様に出会って回心を遂げ、ペトロは夢の中でローマの軍人コルネリウスを伝道することを命じられます。後のパウロは幻の中で「私たちを助けてください」というマケドニア人の声を聞き、マケドニア伝道、つまり後のヨーロッパ伝道へと赴くのです。全ての重要な出来事の転換点は夢と幻から起こっているといって間違いありません。しかしそこで忘れてはならないのは、幻と夢を見た人にだけ救いが与えられる、ごく限定的な救いだというのではなく、これは聖霊を受けた者は誰でも見ることの出来る救いなのだ、というところです。そしてすべての人に霊が注がれる、ともいうのです。

 

 *教会の希望

 落語家の話は何度聞いても、同じ話であってもまた聞きたいと思ってしまいます。それなら説教はどうか。イエス様の救いについての説教は、広い意味で同じことを語り続けている、同じ型を持っているはずです。そして同時に、成長を続けています。語り手が成長するだけでなく、同時に教会もまた成長していくのです。私たちは、聞く者も語る者も、教会の成長を信じ、説教が語られ聞かれることの成長を信じたいと思います。

 今日は聖餐にこれから与ります。聖餐は2000年間全く変わることはありませんが、しかしその聖餐に与る私たちは少しずつ変わります。なるほど聖餐に与るとはこういうことだったかという思いを与えられることだってあるでしょう。同じように、いつも聞いている説教が、なるほどこういうことだったのかと分かることだってあると思います。

 

 パウロはあるときに、旧約聖書(申命記)の言葉を引用して、次のように語りました。

 

 「御言葉はあなたの近くにあり、/あなたの口、あなたの心にある。」実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。(ローマ10:18-19)

 

 

 御言葉はいつも変わらず説教、聖餐、そして教会という形で私たちのそばにあります。私たちがその御言葉を自分のものだと感じたときに、私たちは主に結びつけられるようになります。そのような成長が与えられていることを感謝したいと思います。