ガリラヤへ向かう

2021/07/10 三位一体後第六主日礼拝 ガリラヤへ向かう 

(マタイ説教第137回、28章1から10節)  牧師 上田彰


*預言者は故郷では歓迎されない

 

 イースターの時に私たちが繰り返し読む聖書箇所から、私たちは故郷、つまりふるさとについて思いを巡らしてみたいと思います。復活された主はこう仰るのです。

「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる」。ガリラヤ。それは弟子たちの生まれ故郷であり、主イエスが幼い頃から育った場所でもあります。



 私自身が牧師になる志を与えられ、神学校に行くというヴィジョンを検討しつつあった時に、頭から離れなかった聖句の一つが、「預言者は故郷では歓迎されない」というヨハネ福音書(4章)の言葉でした。

  おそらく当時諺のようにして人々の間で使われることのあった表現の一つを、イエス様ご自身が口にしたことがあったのでしょう。

 預言者というのは、神様から言葉を託され、人々に語る役割を担います。

 当然人々の願望や願いに逆らう言葉を語らなければならないこともあったに違いありません。

 例えばヨナは、ニネベという道徳の乱れた町に船でたどり着き、

「この町は滅びる」

と公に語り、悔い改めを人々と国王に求めました。

そういった思い切った言葉を語り、人々に受け入れることを求める際に、預言者は自分の故郷以外で語る方が良い。

 なんとなくわかる諺ではあります。

 私の場合は、自分の父親が牧会する生まれた時の教会が高知、育った教会が金沢と東京で二つ、親元を離れて大学時代に通った教会が京都、さらに当時入れ込んでいて機会を見つけては通い、深く親しい交わりを持つようになり、献身の思いを強めることになった教会が東京と、いくつか故郷と呼べる教会の思い当たりがあります。

 その中でいくつかの教会は、預言者となった自分を、昔の自分としてではなく主の使いとして受け入れるであろう、と予想がつきました。    

 そしていくつかの教会については、おそらく自分が牧師として説教壇に立ったとしても、昔の自分のままのつもりで説教を聞こうとするだろうと思いました。

 どちらかが悪いというのではありません。しかし、違いがあるのは事実です。

 その場合、古い自分をありのままで受け入れてくれる居心地のいい教会というのも悪くはないのですが、実際に牧師になった時に、自分はその教会から誘いがあっても赴任できない、と思わなければならないことは悲しいことでもあります。

 もちろん、その教会に将来説教者として赴いた時に、故郷に戻った預言者のように受け入れられるのか、それともみ言葉の役者(えきしゃ)として受け入れられるのか、それはわかりません。

 語られる言葉によって態度も変わってくるでしょう。

 昔ながらのあどけなさを残した語り方しかできないのか、それとも、さすが牧師になる勉強をし、牧会者として経験を積んだ人は違うと思われるのか。

 神学校に入る前に一年以上の間進路について考え、祈っている期間、いつの間にか自分の召命の吟味は、

「故郷では預言者として受け入れられない程度の牧師にしかなれないのか、それとももっと先があるのか」

という方向に向かっていました。


 *主イエスと弟子たちにとっての「故郷」


  福音書の中でも、この問題は重要問題として扱われています。

 例えば幼い頃にエルサレムに両親と神殿詣でに行った少年イエスは、神殿で律法学者たちとの信仰議論に加わります。

 息子を探していた両親はその現場を見つけ、議論の輪から引き離そうとします。

 その時に少年はこう宣言するのです。

「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。

しかし、両親はこの言葉の意味が分からなかった、とあります(ルカ2章)。

 信仰者としては正直頼りにならない弟子たちでしたが、こちらもこの点で望み薄です。

 ある時に弟子に付き添っていた母親が主の元に来て、どうかみ国では自分の息子を出世させてくださいと願い出て、主に呆れられます。

 かろうじて面目を保つのが主イエスの母親です。

 カナという村で行われた結婚式にマリアもまた出席しており、振る舞われるべき葡萄酒が無くなった時の対応について、主イエスに全てを委任するよう裏方に対して求めます。

 当時有名になりつつあった自分の身内との関係を特権の一つとして意識する向きも他の箇所を見るとなかったわけではないにせよ、自分の息子がもはや母親の思いを実現するのではなく、神様の思いを実現する人物になりつつあることを静かに受け止めようとしていました。

 だからこそ、主イエスが十字架上で息絶えた時に最も絶望したのもまたマリアであったと言えるかもしれません。

 今日お読みしたところの少し前、27章61節を見ると、アリマタヤのヨセフが墓に主を収めたあと、その墓に対して向かい合うようにして座り続けたのがマリアであると証言しています。

 座っていた母親は、一体何をしていたのでしょうか。ここで聖書は、55節まで戻りますが、特別なニュアンスのある「見る」という言葉を使っています。

 マリアは墓を見つめていた。

 他の福音書でもこの箇所に出てくる「見る」は出てきまして、その場合は「見抜く」「見極める」「見定める」というような、信仰に至る意味でイエス様に対して視線が投げかけられる時の言葉として使われています。

 マタイ福音書では、この重要な意味の「見る」という言葉を、27章55節と、そして今日の28章1節でのみ用いています。

 マリアは墓に収められた主イエスを見つめたのです。

 今日の箇所の冒頭、おそらく二人の女性は金曜日の夕方に慌ただしく葬られた主イエスのご遺体を葬り直すため、手には新しい亜麻布と香油を手に、日曜日の朝早くに墓に向かったはずなのです。

 他の福音書はそう証言しています。

 しかしマタイ福音書に描かれる日曜早朝の母親はただ「墓を見に行った」だけだと証言されるのです。

 なぜなら、葬り直すことよりも、主を見つめることの方が遥かに重要だとマタイは考えたからです。

 その視線は、故郷では歓迎されない中途半端な預言者に対して向けられるものとは明らかに一線を画しています。


 *故郷とは


  ここで、作家魯迅が書いた短い小説『故郷』の冒頭を読んでみます。(少し言葉を改変しました。)

 「わたしは厳しい寒さの中ではあったが、遠い距離を隔て、二十年以上離れていた故郷に帰って来た。時はもう冬の最中(さなか)で、故郷に近づくに従って天気は小闇(おぐら)くなり、身を切るような風が船室に吹き込んでびゅうびゅうと鳴る。苫の隙間から外を見ると、蒼黄いろい空の下にしめやかな荒村(あれむら)があちこちに横たわって、いささかの活気もない。わたしはうら悲しい心の動きが抑え切れなくなった。

 おお! これが二十年来ときどき想い出してきた我が故郷なのか。

 わたしの想い出してきた故郷はまるきり、こんなものではない。

 わたしの故郷はもっと佳(よ)いところだと思い出してきた。

 しかしその佳いところを記すわけにもいかないので、どうやらまずはこんなものだとしておこう。故郷はもともとこんなものだとあえて言っておこう。

――故郷は確かに進歩はしない。

しかしわたしの感ずるほどうら悲しいものでもない。このうら悲しい思いは、ただわたし自身の心境からくるものに違いない。」

 20年の間故郷を離れていた魯迅は、故郷の家を手放すことになり、久しぶりに帰ってきます。

 すでに作家として有名になっていた彼のことを、人々は歓迎します。

彼自身、そのような歓迎の態度を当然と受け止めていたようです。

 そして幼馴染の一人に会い、古い家に置いてあった調度品の中から、彼が望む香炉と燭台を渡しもします。予定していた滞在の日が終わり、再び船に乗る魯迅。その船の中で、幼馴染のことを思い出すシーンで小説は終わります。再び言葉を整えつつ引用します。

 「幼馴染の彼が香炉と燭台が要ると言った時、わたしは内々彼を笑っていた。

 彼はどうやらものに執着する性質があるようで、あたかもそれは偶像崇拝のようだ。

 彼はそこから離れることができない哀れな人物だ、それに対して今の自分は将来の成功が約束されている立ち位置にいる、とその時思っていたのだ。

ところが考えてみると、現在のわたしの、世に言う希望というものは、実はわたしの手製の偶像ではなかろうか。彼の偶像と私の偶像に、どれほどの違いがあるのだろうか。

 希望というものは、元々存在しているものでも、元は存在していないというものでもない。それこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。そのようなものによって、人間は振り回されている。」

 魯迅にとっての故郷は、決して居心地の悪いところではありませんでした。

「故郷に錦を飾る」という言葉は、まさに彼のためにあると言っても良いくらいです。

 しかし歓迎されている理由は、自分が有名人だからだということも魯迅自身は気がつきつつありました。

 その中で、かつての幼馴染だけは昔ながらの友情ゆえに自分を歓迎してくれていた。

 しかし自分はそのような彼の態度を馬鹿にしてしまっていた。

 彼が自分との思い出を残したいと言って所望した調度品と、世間の波をうまく渡ることができている自分が培ってきた名声、そのどちらも本来は虚しい泡のようなものなのではないか。


 *「わたしの兄弟たち」と呼んでくださる故郷


  一体、魚を取る網を捨てて人間を取る漁師となった弟子たちにとって、主イエスの弟子になる思いとは一体どういうものだったのでしょうか。

 そして主イエスがどうなって自分たちがどういう役割を果たし、どういう風に成長し、どういうふうに人々の希望となることができれば、彼らの目指すところとなったのでしょうか。

 聖書の中には、弟子たち自身の理想像がどんなものであったのか、はっきり書かれているところは多くありません。

 ただ言えるのは、自分たちは最後まで主イエスに従う、もしそのために死ぬことがあったとしても本望だ、というふうに互いに言い合っていたということです。

「弟子と書いて主に従う者と読む」と最初に言った聖書解釈者は、いったい誰なのでしょうか。

ずいぶん昔からそう言われていたようです。

 しかしこの前々日、目指すべき理想の弟子像は、木っ端微塵に砕け散ったのです。

 ゲッセマネで主が祈っていた時に近くにいて一緒に祈ることを求められていた弟子たちは、祈るかわりに眠っていました。

 彼らは、イスカリオテのユダによって率いられたユダヤ人たちが主イエスを捕まえにきたときに、一人残らず逃げ去ったのです。

 捕まえにくる側の論理としては、捕まえるべき対象は主イエスただお一人です。

 もしついてこようとする弟子がいれば捕まえますが、逃げた弟子たちをわざわざ追いかける必要は感じていなかったと思います。

 要するに、小物なのです。一度でも逃げたのであればもう彼らが弟子として立ち直ることはない。

 せいぜいのところ、夜中に墓からイエスの遺体を抜き取って、蘇ったと吹聴するくらいだろう。

 しかし、そのような周りの視線など本人たちには問題ではありません。

 問題になるのは、自分たち自身がなお弟子であり続けられるか、です。

 そしてこの点でも答えは絶望的でした。

 逃げ出した弟子たち、いえ「元」弟子たち自身が、自分たちの無力さに最もよく気づいているからです。

 特に最も威勢の良い態度をとっていたペテロは、最も深くうなだれていたことでしょう。

 他の福音書では彼らは部屋の中で鍵をかけて閉じこもっていたと記されています。

 逮捕と迫害の手が自分たちにも及ぶと思って鍵を閉めたのでしょうか。

 おそらく彼らはユダヤ人やローマ兵士たち以上に、自分たちのことが怖かったのだと思います。

 自分たちの恐れの心に対して絶望し恐れ、無力さを感じた。

 そのような弟子たち、いえ「元」弟子たちを尻目に、墓に「見に」行ったあの女性たちのことを今日の福音書は記します。

 墓に向かう彼女たちを地震が襲い、そして墓を蓋していた大きな石は転がされ、その上に主の使いが座っていたのです。

 墓の様子を見にきて、そして主イエスの出来事を目撃することになる二人の女性に対して、こう語ります。

「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。

 さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい」。これがいわゆる「空の墓伝承」です。

 主を収めていた墓穴は空だった。常識が変わるのです。

 政治的権力はいつまでも衰えることなく、お金の力が変わることはない。

 同じように、一度死んだ人は動くことがなく、息を吹き返すこともない。

 そういう常識が地震とともに崩れ去る。

 天使はさらに言葉を続けることで、もう一つの常識を崩します。

「それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。

『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』

確かに、あなたがたに伝えました」。

 ここで天使は、「弟子たち」と言うのです。「かつて弟子と呼ばれた者たち」

ではないのです。今も彼らは弟子なのです。

 どれほど臆病で、失敗を繰り返したとしても、彼らは一旦弟子とされたのですから、ずっと弟子であり続けるのです。

 こうして、

「失敗し逃げた者は弟子ではなく卑怯者と呼ばれる」

という常識は崩されました。 

 そこで彼女たちは、弟子たちと天使が呼ぶ者たちに事実を告げに行くために急ぎます。

 その途中で今度は主ご自身が出会ってくださるのです。

 そしてこうおっしゃる。

 「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる」。

 忠実な信仰者として頑張り続けることに失敗した人物たちは、天使によって「弟子」と呼ばれました。

主はさらにこうおっしゃってくださるのです。「わたしの兄弟」、と。


*「霊の故郷」で主と出会う


 神学校を卒業して20年になりました。

 故郷の教会に呼ばれたら、歓迎されない地元出身の預言者として扱われるのか、それとも、御言葉を取り次ぐ者として以前とは違う扱いを受けるものなのか、いまだにわからずにいます。呼んでくれる教会がないからです。

しかし実際に呼ばれるとしてどうなることだろう。

 楽しみでもあり恐れもあります。

 その一方で思うのは、これは楽しみであり恐れのままにしておいてもいいのではないか、ということです。

 なぜなら、牧師として、肉の故郷にこだわる必要はないからです。

 むしろ、み言葉を語るところ、それが新しい故郷、霊の故郷なのではないでしょうか。

 誰にでも故郷があります。

 できれば錦を飾って帰りたいと思えるようなところ、それが一人一人にとっての故郷とまずは言えるでしょう。

 肉的な意味で最も成功した人物の一人であったはずの魯迅は、しかし錦を飾りながら帰るということの馬鹿馬鹿しさに、故郷を離れる最後の時になってやっと気がつきました。

 それに対してペトロたち12人には、錦を飾って帰れるはずの故郷ははるか遠いものとなってしまいました。

 肉の故郷であるガリラヤにも遅かれ早かれ、主が十字架にかかったという知らせは届くことでしょう。

 ではあのイエスという男に従っていた者たちはどうなったのか。

 まさかこっそり故郷に帰って漁師をしているのか。

 どのような顔をして帰ってくるのか。

 しかし主ご自身が、婦人たちを通じて伝えるのです。

 故郷に帰って私に出会いなさい、と。

 私たちにとっての故郷とはどこでしょうか。私たちは飾って帰れるような錦など存在しないと言って、こっそり片隅に暮らすのが美徳だと思い込んでいるのではないでしょうか。

 主はおっしゃるのです。

 そもそも飾るべき錦など必要ない。

 それどころか肉の故郷も必要ない。

ただ主が私たちに兄弟よと言って出会ってくださる場所、それが霊の故郷です。

 それが教会です。