後悔から悔い改めへ-ある墓地を巡る記憶

2021/05/02 復活節第四主日 

「後悔から悔い改めへ-ある墓地を巡る記憶」 

マタイ説教第131回 27章1-10節                    牧師 上田彰

 

 *「外人墓地」と呼ばれる場所について

 イスラエルの街の南の一角にある地域には、ベン・ヘノムという名の谷があります。直訳すれば「地獄の子供たちの谷」という名前になります。そこには、「血の畑」という名の外国人向けの墓地があるのだそうです。ただならぬ響きを持つ地名をめぐり、聖書にはいくつもの証言が積み重ねられています。今日はそれらの一部をご紹介するにあたり、まずは日本にある「外人墓地」に関する思い出をお話しします。

 

 時々父方の祖母の死の間際の話をしますが、その祖母は亡くなった後、祖父の隣に葬られました。よく人に説明するときに、外人墓地の隣ですと説明をしています。カトリックの信者である叔母の関係で、50年前に亡くなった祖父が横浜のカトリックの墓地に納められているのです。年に一度、なんとか都合をつけて墓参りをする習慣がありました。婚約をする直前でありましたか、当時私は横浜に住んでおりまして、現在妻である人は三鷹に住んでおりましたが、一緒に墓地に向かいました。実はその時に一緒に墓参りをした時のことを、私自身はほとんど忘れておりました。結婚前のデートの場所を忘れるというのは大失態です。昨日その話になり、え?行ったっけ?と私の側ではハテナマークがつきまくるやりとりをして夫婦喧嘩になってもおかしくない展開でしたが、妻は比較的冷静にその時の話をしてくれました。

 私たち二人が7年前に墓に佇んでいた時に、彼女が気づいたのが、隣に広がる「外人墓地」にある特徴がある、ということです。一口で「外人墓地」と呼ぶけれども、比較的きちんと管理がされている区画と、全く管理がされていない荒れ放題の区画がある、ということに気づきました。そこで、そばを通りがかった墓守らしき外国人に私が聞くように仕向けました。そして話を伺ったところによると、遺族が墓を守れば荒れることはないけれども、外国人が日本で亡くなるケースの中には墓を守る人がいないというケースもあり、一体誰が葬られているのか、墓石も読めない状態になっているものもある、そんな話を聞くことができました。正確に申しますと、そういう話を妻は正確に覚えていました。

 私がなぜこの話をほとんど覚えていないのか、理由はなんとなく気がついています。それは、結婚を控えた女性を、いわば「自分の家」の墓地に連れてくるというのは、なんとなく昭和の保守的な気質の男性のやることという後ろめたさがあるのです。7年前に墓地に連れて行ったときにそういう思いを持ったことと、帰りに寄りたい馴染みの中華料理屋があったのだけれどもそこは中華街の中にあって車で行くのは難しいため立ち寄ることを断念したという、つまり墓参り以外の記憶だけが残っていたのです。後ろめたさから記憶を失うというのは勝手な話ですが、人間の実態としてありうることなのかもしれません。今回に関しては、結婚前のデートの場所を忘れてしまったという結婚後の夫婦の微笑ましい会話の一コマという体裁に持ち込めますから、私も開き直って「そんなことあったっけ?」と娘もいるところで話ができました。しかしそういうことができない、笑い話で済まされないような後ろめたい出来事に関する記憶であったらどうなるのだろう、と思いました。例えば親友を助けようとして結果的に裏切ることになってしまった、というような話が小説などで時折見られますが、その場合、「忘れたことさえも忘れ去りたい」という風になることがあるかもしれません。

もちろん忘れることが全て悪いことではありません。特に自分が深い心の傷を負ってしまった場合に、時間をかけてそっと忘れることが一番良い治療になるということもありえます。しかしその一方、先ほどの私の例のように、半ば加害者の立場であったということを忘れるということが、状況によっては倫理的に問題になることがあります。有名な例が、現在韓国と日本の間で問題になっている、戦時中の出来事をめぐる記憶です。加害者側が一方的に記憶を忘却の彼方に投げ捨てたような態度が、国家間・民族間の関係をこじらせていると言えるかもしれません。

 

 *「陶器職人の畑」から「血の畑」へ

 聖書を読んでいて感心させられるのが、聖書に出てくる集団や民族は、私たちと同様に罪を犯す存在であるのですが、同時にそれらの事柄をある意味で赤裸々とも言えるくらいにはっきりと記憶し、記録しているということです。マタイ福音書の受難の物語を読み進める中で、決定的に重要であると実感させられることが、裏切り者のユダがイエス様の12人の弟子の一人であることを、聖書は包み隠すことなく明確に証言している、ということです。実はイエス様は12人の弟子がいたということはわかっていますが、その内訳は実ははっきりせず、ペトロやヤコブなど、いわゆる主だった弟子たちを除けば、名前しか出てこない弟子がいたのです。そこで福音書記者たちは、12弟子の残りについては、名前だけ記録するか、名前もわからない72人のつまりその他大勢の弟子に組み入れてしまうか、ということを決めてしまえる余地があったのです。しかし、イスカリオテのユダについては、12人の一人と数えるという判断をしました。

都合の悪いことを忘れたがるという日本人、いえ人間の性質からすれば、イスカリオテのユダを忘れ去ることはできたのではないかとも思います。しかし一世紀の教会に身をおいた福音書記者たちは、ユダを12弟子の一人という形で記憶に留め続ける教会の姿勢に倣い、12番目の弟子としてイスカリオテのユダを数えることを忘れませんでした。「教会には自分が考えもしないような悪い人が潜んでいるかもしれない」というような他人行儀な話で記憶と記録にとどめたのではありません。「私の中にはユダのような性質が潜んでいて、いつイエス様を裏切るかもしれない、しかしそのような私がなお生かされているとするならば、それは神様の恵みと呼ぶ以外にはない」、そのことを記憶しつづけてきたということです。

 

 *「血の畑」という名の外人墓地の由来

 今日の話を通じて、エルサレムにあった外国人墓地の由来を信仰者たちは記憶しようと努めていたことがわかります。まず、「地獄の子」という異様な名前で呼ばれる谷の由来からです。それは、預言者エレミヤが活躍をした前七世紀ごろ、その場所には異教の神殿が建てられ、神々への供物として子供が焼いて捧げられていました。そのためのかまどの火が決して絶えることがなかった時代があったのです。

そんな時代に、エレミヤは神様の命令で谷にやってきて、預言を始めます。預言と言ってもいろいろなやり方があり、エレミヤが得意なのは説教ではなくて行為預言、今でいうパフォーマンスです。ベン・ヘノム(「地獄の子」)で行ったパフォーマンスとは、陶器の壺を割ってみせるパフォーマンスでした。そのパフォーマンスの意味は、陶器職人はうまくできなかった陶器を投げ捨てる、同じように神様も他の神々を拝み続ける民を投げ捨てる、というメッセージだったのです。つまり、私たちはしばしば、個人レベルでも民族レベルでも、加害者としての罪を忘れるということをして平気な顔をし続けているわけですが、もっと本質的な問題として、神に捨てられるようなことをしていながら平気な顔をし続けている、そのことを告発して壺を投げ割った場所が、7節にある「陶器職人の畑」と呼ばれた場所でした。

 さてそれから700年経って、今から2000年前に話が移ります。ユダは裏切りを通じて報酬を得ました。その額は銀貨30枚でした。しかしイエス様に対して死刑判決が出たのを見て後悔し、お金を返すとユダヤ人たちに申し出ますが、彼らはそのお金を受け取りません。そこでユダは、この銀貨を神殿のいわゆる賽銭箱に投げ入れました。祭司長たちはそのお金をわざわざ拾い上げ、これを神殿の収入にするわけには行かない、と言って除外をします。自分たちが渡したお金によって動いた人物の裏切り行為を、自分たちは無関係だと言い張るために、彼らは特別の使い道を考えました。それが、「陶器職人の畑」を買い上げて、そこを外国人のための墓地にする、ということでした。いわゆる異邦人、つまり不信仰な異教徒のための墓地というような意味合いではなく、寄留者、旅人としてエルサレムに立ち寄り、短期的に滞在していた人々が、客死(かくし)した場合に収められる墓地ということです。

 ここには、いくつもの記憶の隠蔽があります。ユダは銀貨30枚を手元に置いておきたくありませんでした。それは裏切りを引き受けてしまった記憶だからです。裏切りを依頼した者たちも、返すと言って差し出された銀貨を受け取ることを拒みます。ここにも記憶から消し去りたいという思いがあります。そして受け取ってもらえない銀貨は賽銭箱に投げ入れられますが、祭司長はそれを拾い出す。汚れた記憶を神殿は受け入れない、ということです。そこで形ばかりの慈善事業を行うために、旅人向けの墓地を作ることにしました。銀貨30枚の使い道として、「忘れ去られて良い人たち」を収める場所を整えるのはちょうどいいだろう、私たちは心優しいユダヤ人信仰者だ、と言わんばかりの振る舞いです。

 しかし同時代のキリスト者たちは、ユダの報酬の行き先について、都合の良い記憶改竄が起こっていることを明らかにするため、経緯を詳細に記録しました。誰もが責任を取らない無責任体制、その挙句の産物が寄留者向けの墓地ということではなかったのか、というわけです。

 

 *忘れ続ける人間とその人間を追い続ける恵み

 デートの行き先を忘れることには理由があります。それは、これから結婚する女性に対して、自分の家の嫁になれというようなメッセージを発信してしまっているのではないかという後ろめたさです。そのレベルのことであれば、まだ忘却の理由を分析しようと思えるだけましなのかもしれません。今日でいえば、外国人労働者を使い捨てることを前提にして、就労ビザを大量発行するのが似ているかもしれません。そしてさらに、本当に忘れてはならないことを人間は忘れるのです。それは、私たちは真の神だけを神として礼拝しなければならない、しかしそうしていないという罪を犯している、という現実です。エレミヤは身をもってそのことを告発したのでした。そして告発者の中の最大の告発者とも言えるイエス様を、人々は忘却しようとした。十字架というのはローマの死刑の仕方です。イエスという男をユダヤの死刑ではなく異教の支配者であるローマの処刑の仕方に委ねる。血が地面につかないようにするために十字架にかけるのだそうです。地面に血がつくと地面が記憶をするからといって、処刑の対象を完全に忘れ去るために十字架につけるのです。

 今日の箇所を福音書記者が執筆するにあたり、福音書記者は、そして教会は、あえて隣人を忘れ去ろうとする人間の性質がどこから来るのかということについて、考察を行なったことが言葉の端々から伺えます。イエス様を十字架にかけるために策略を張り巡らしたユダヤ人の人々は、ユダを利用することを思い立ちました。人間が人間を道具化するのです。そのために彼らが支払った報酬は、銀貨30枚でした。この額は伝統的に、奴隷一人の命の値段とされている額でした。例えば、誰かが事故で他人の持ち物であった奴隷を死なせてしまった。その場合に賠償として支払う額が銀貨30枚だったのです。ユダはおそらく銀貨30枚を渡されるということの意味を理解していました。これは一種の手切れ金、悪いことに加担したことを忘れるための対価として支払われる、ということです。ユダの側で言うと、ユダヤ人の最高法院で死刑判決に携わった人たちが、良心の呵責を覚えなくて良いように受け取ってあげた、ということになります。イエス様を、奴隷一人と同じようにあえて扱うというユダヤ人たちの意図を理解した上で、裏切りという形で主イエスが捕まり、裁判にかけられることに協力をしたのです。おそらくユダとてただ道具として使われることに甘んじていたわけではありません。ユダの側にも、捕まった時にイエス様が天使軍団を派遣することを天の父なる神様に願えば、すぐに窮地を脱することができるだろう、そうすれば結果として多くの人を信仰に導くことができる、と考えていました。例えば十字架についたイエス様に対して祭司長がかけた嘲りの言葉はこうでした。「今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば信じてやろう」。こんな言葉を吐きかけるユダヤ人たちを信じさせるためには、実際に天使の軍勢を見せる以外にはない。そうなるためには一度捕まってもらわないといけない。そのために自分が裏切らないといけない。なんのことはない、ユダもまたユダヤ人、祭司長や律法学者たちを手段のように用い、さらにはイエス様にもまた役割を果たしてもらわないといけないという形でイエス様をも道具として用いることを計画していたのです。

 イエス様は、道具として御自分を用いようとするユダ、そして祭司長たちユダヤ人の意図をよくご存知の上で、お力を発揮することをなさいませんでした。ただ沈黙してひたすら聖書の言葉が実現するのを待つのです。人間のシナリオが発動し、人間が他の人間を計画通りに動かすというのではなく、神様のシナリオが発動するのを待っていたのです。人間が人間を道具化する悪循環を打破するために、イエス様が誰かを、あるいは何かを道具化することを一切やめて聖書の言葉が実現するのをひたすら待ち続けた、とも言えます。

 

 *後悔から悔い改めへ

 そのようなイエス様のお姿を見てユダは気がつくのです。3節の言葉は、今更すぎて遅すぎるユダの後悔について記します。「そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し」た。まだイエス様が沈黙を打ち破り、天使の軍勢が助けに来る局面が訪れる可能性は残っています。イエス様はまだ十字架にかけられてはいません。まだ祭司長によって罵られるよりは前の場面です。しかしユダは悟るのです。ここから大逆転をイエス様が起こすことはない、ということに。そして自分がイエス様に対して持っていた期待は結局のところ、イエス様を道具化して、奇跡を起こすからくり装置のようにして見なしていたことに。そこで彼は初めて後悔をした。「私は罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言い出す。

 聖書を読む人たちはユダの浅はかさに気がつきます。彼はこの罪の告白を、神様に対して行うのではなく、ユダヤ人に対して行うのです。当然のことながらユダヤ人たちは、私たちは無関係だから、自分の問題として対応しなさいと言い放ちます。「お前の問題だ」という言葉をユダはうっかり真正面で受け止めてしまい、そして自分の問題として対応する手段として自殺を思いつきます。今日の聖書箇所は、全ての自殺をする人を非難するテキストではありません。むしろ、全ての、自分のことを自分の責任として自分の力だけで解決を図ることができると思い込んでいる全ての人に、そうではないと気づいてもらうための箇所です。自殺をすることを「責任を取る」と表現することがあります。しかし、本当の意味で人間は自分のことに自分で責任を取れるのでしょうか。自分でしでかしたことだから、自分で責任を取らねばならない。その考え方の背後にあるのは、自分でしでかしたことについて、自分が責任を取ることはそもそもできる、という考え方です。宗教改革者のカルヴァンは、今日の箇所の3節にある「後悔」という言葉がイエス様の宣教の始まりの言葉である「悔い改め」という言葉と違うということを指摘した上で、次のように語っています。自分で自分の責任を取ることができると考え後悔に至ったのがユダであるが、後悔にとどまらず悔い改めに至った時、自分で自分の責任を取り切ることができない、だから神様に委ねないといけないと気づくことができる、というのです。

 自分でしたことには自分でケジメをつけなければならない。美しい言葉です。しかしその言葉によって自分の罪人としての姿を見えなくさせてしまっていて、そのために苦しんでいるのであるならば、ただ心の中で後悔し、あるいは形ばかりの慈善事業に精を出すのではなく、神様の前で罪を告白し、悔い改める必要があることに気付かされます。

 

 *外国人墓地を巡る思い出(横浜の話とベン・ヘノムの話)

 今日、外人という言い方には差別的なニュアンスが含まれます。しかし外国籍の人を収めた墓地を「外人墓地」と呼ぶことには、その墓地の性質をよく言い表した意味合いがあるように思います。

横浜で、「外人墓地」という名前で親しまれ続けた場所は、単なる観光名所の一つとは言い切れません。名もなくして死んでいく者がそこにいるという、物悲しさがつきまとうのです。おそらくカトリック教会がその墓地のすぐ隣を購入したということには、意味があるのでしょう。名もなくして死んでいく者のすぐ隣に教会がある、というわけです。

血の畑という名の外人墓地ができてから2000年が経ちます。ベン・ヘノム、すなわちエルサレムの町外れにある「外人墓地」にはどういう記憶が盛り込まれているでしょうか。この墓の名前を聞いた時に私たちは思い出します。私たちは現在なお他人を道具化し、自分の責任を自分で取り切ることができるという考え方から自由にはなってはいない、ということを。

 

 

だからこそ私たちは、エルサレムにあるもう一つの墓地の名前、ゴルゴダに思いを向けます。主イエスが十字架にかけられたそのすぐそばの墓に、主は葬られました。ここに葬られているお方こそ、私たちが自分で背負い切ることのできない重荷を背負ってくださった方です。私たちが自分で行った過ちを自分で取り返し尽くすことができないことに気づき、悔い改めてこのお方の方を向いた時に、赦しを与えてくださる。私たちは後悔の記憶によって生きるのではなく、赦しの記憶によって生きることが許されています。