美しい業への参与

2021/02/28 受難節第二終日礼拝 説教 

マタイによる福音書26613節 美しい業への参与 

                                                                                  (牧師 上田彰)

                    

 *「この福音」が響く

 「世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」。あの時、あの場所での出来事がずっと語り継がれる出来事となる。多くの人々の心に刻み込まれ、記憶に残る出来事となる。

 主イエスの言葉をよく見ると、二回「この」という言葉が使われています。「この福音」、そして「この人」。マルコ福音書では、「福音が宣べ伝えられるところでは」と書かれているので、マタイが「この福音」と表現したことが目を引きます。マタイにとって、一人の女性が香油を注いだというふるまいによって、もともとはイエス様の訪れそのもののことを言い表す言葉であった「福音」という言葉を、ただ「福音」と呼ぶのでは飽き足らなくなり、「この」福音と言い表すに至った、そう考えられるものとなったのです。「イエス様って、なんとなくいいお方だ」というのが「福音」と呼ばれるとするならば、「イエス様が十字架につくということにこんな意味があるということが、はっきり分かった」、というのが「この福音」と呼ぶ理由です。もう「キリスト教はなんとなく感じの好い宗教だ」というのではなくて、「キリスト教は私の信仰だ、私そのものだ」となるのが、「この福音」とマタイが言い表す心境なのです。イエス様の生涯を思い起こす際に、ただ漠然と、客観的に思い起こすのではなく、イエス様と私、という特別な関係を思い描きながら思い起こし、語り起こします。そしてさらに、今日の出来事を「この福音」と言い表したマタイが私たちに呼びかけるのです。あなたもまた「この福音」に参与しようではないか、と。

 

 *弟子たちが関わっていた福祉の業

 出来事はベタニアという、神殿のあるエルサレムからさほど離れていない、小さな村で起こりました。そこにある、「重い皮膚病の人シモン」という名で呼ばれる家に主イエスと弟子たちは滞在したのです。シモンはかつて抱えていた病気を、主イエスにいやしていただいたのでしょう。

 重い皮膚病の人、というのはなんだかぎこちない呼び方です。ぎこちなく病を呼ぶこの呼び方の中に、隠されているもう一つの病があります。新共同訳が出始めたごく初期は、この箇所を「らい病の人シモン」と訳していました。しかしおそらく、聖書の時代にレプラ、即ち正確な意味でハンセン病にかかっていた人はごく少数で、おそらくシモンも文字通り単に重い皮膚病にかかっていただけであると想像することが出来ます。今でいえば、咳をしてのどが痛いと口にすることがあれば誰でも新型コロナウィルスを連想して3メートルの距離が出来ます。ソーシャルディスタンスという言葉について先日お話ししたばかりです(参照: http://itokyokai.holy.jp/2020shak.html)が、ソーシャルな、相手のことを慮った距離の取り方ではなく、まさに自分のために距離を取るのです。そしてこのように距離を取ることは現時点では残念ながら一応正しいのです。現時点の伊東で、咳をしてのどが痛い人の大半はおそらく他の人にコロナウィルスを移す可能性はないと思われます。しかし絶対とは言えないのです。ですから距離を取ることには「大義」があるのです。同じように、かつてシモンも皮膚が白くなる病気にかかった。それが本当に細菌による感染を起こすハンセン病であったかどうかははっきりしません。皮膚が白くなってきたからといって、感染性の病気とは限りません。そのことは、当時でも分かっていたと思います。しかしハンセン病ではないと厳密に判定することは当時の医学では不可能でした。実質的には素人が肌の様子を見て、この者はレプラにかかった、あるいはレプラから癒された、と宣言をするのです。かかったと宣言された人は、人里離れたところで生活をしなければなりません。人が通りがかると、「私は汚れています」と大声で言わなければならないことになっていました。大都市エルサレム近郊のベタニアには、町外れにそういった人々が住んでいました。

 こういった事情は、医学的な見解ではなくて、完全な偏見です。こういった偏見に苦しめられていた、というのが元々レプラをあえて「らい病」と訳していた事情なのでしょう。つまり、確かにシモンは、あるいはレプラと宣言された福音書の登場人物たちのほとんどは、ハンセン病には実際はかかっていなかった可能性も高いが、しかし彼らが汚れた病気にかかっていたといって差別されていたのは間違いないのだから、「らい病の人シモン」と訳した方が実態に合っているのではないか、そう理解し「重い皮膚病」という表記には反対をする人(注:例えば新約聖書学者の新井献)もいます。当時、レプラと宣言された人たちは、多くの健康な人によって出来ている共同体を守るという大義の下に、苦しめられていました。

 そして次のような推測も成り立つでしょう。主イエスと弟子たちの一行は、「レプラのシモン」と呼ばれる人の家に、進んで入っていったわけですから、ここがレプラと宣言された人たちや、元レプラではあるものの帰る家を失ってしまった人たちが今なおその近くにいる可能性が高い、あるいはひょっとすると、彼の家自身が今はそういった人たちの共同生活の場として用いられているのではないか、つまり今でいう福祉施設の走りのようなものがすでにできかけていて、イエス様や弟子たちはその活動に関わっていたのではないか…。今日の後半に出てくる、女性を叱る弟子たちは、香油を主に注ぐ代わりに、香油を高く売ることで自分たちの福祉活動を助けてほしい、という思いを持っていたのではないでしょうか。他の福音書を見ますと、ここで口を挟んだ弟子は具体的には一人で、それはイスカリオテのユダであった、そして彼は財布の中身をごまかすほどにお金への執着が強かったが故に彼女を叱った、という理解を示しています。弟子たちの叱責が福祉目的であったのか、単なるお金への執着が原因であったのか、これは興味深い問題ですが、少なくともマタイは、弟子たちがこの女性を叱ったことには誰もがうなずく、それなりにまっとうな理由があった、つまり人助けをするという「大義」故の叱責であった、という理解を示します。

 

 *女性が関わった葬りの業

 ところが、この「大義」というのが厄介なのです。誰もがうなずかざるを得ない大看板を振りかざす弟子たちに対してイエス様は、あえて苦言を呈するのです。「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない」。つまり、あなた方弟子たちは、ここにもいてあそこにもいる多くの病人や差別されている人々を助けようとしている。関わろうとしている。しかしこの女性は、「この」私を葬ろうとしている。関わろうとしている。一般的な人との関わりではなく、「この」私との関わりが大事だとおっしゃっているのです。イエス様はまた、記念する、という言葉もお用いになっています。記念するとは、「この私」との関わりを胸に刻む、という意味です。一人の女性が、私の救い主と仰ぐお方を記念する様を聖書は次のように記します。「一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた」。

 聖書は、彼女自身の情報について何も記していません。名前は何なのか、どういう階層なのか。主を記念する業に参与する栄誉に与るわけですから、せめて名前くらいは記録してほしかった、と考えるのは少し俗すぎるのでしょうか。この美しい光景を記す聖書箇所は、弟子たちの、そして私たちの俗的な思い入れを排除するような仕方で、必要なことだけを記します。それは、彼女は石膏の壺を胸に抱いて主の元にたどり着いた、という事実です。香油の入った石膏の壺。外国製でした。すぐに高価だと見て取れるのです。誰もが持ち歩くような壺ではありませんし、ましてやよその家の食卓の場に持っていくものでもありません。彼女の唯一つの自慢であった香油の壺。それほどは大きくはなかったこの壺を、両手で大事に胸に抱いて、部屋に入ってくるのです。そして何の躊躇もなく、この香油を主イエスの頭に注ぎきってしまうのです。誰もそれを止める間もなく、一気に。ここでルターは、この高価な香油という言葉を、高価な水、と訳しました。おそらくルターは、ルカ福音書の平行記事で、女性が主の足に香油を塗る前に、自分の涙で自らの長い髪を濡らし、主の足を拭いたということが記されていることを念頭においたのでしょう。涙と香油の両方が、高価な水である、というわけです。

 そして彼女は、高価な水をこのお方に注ぎきってしまう。香水であれば、普通一滴か二滴垂らせば十分なのです。そして涙であれば、髪を濡らして人の足を拭くほどに流す必要は普通はないのです。一滴か二滴の香水と、そしてひとしずくの涙があれば、人と関わるには普通十分なのです。しかし、このお方イエス・キリストを、つまり誰か人一人ではなく、その人を記念して、「このお方」と呼ぶために、彼女はすべてを注ぎきってしまう。

 

 *殺意の狭間をかいくぐって主の元にたどり着く

 この様子を見ていた弟子たちは憤慨して言うのです。「なぜ、こんな無駄使いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことができたのに」。困っている人はあそこにもここにもどこにでもいるのだから、特別扱いしない方が良い、特別扱いなど出来ないはずだ、そういって憤慨するのです。弟子たちには大義があります。できるだけ多くの困っている人を助けたい。「大義」が、この一人を記念したいというささやかな志を押しつぶそうとしています。

 私たちはそうやって、「大義」によってささやかな志が押し殺される様を、生活の様々なところで経験します。実は今日の記事は、大義が人を殺すという話に挟まれるような位置に置かれています。今日の前の箇所を見ると、祭司長や民の長老たちが、主を捕まえて殺すことを計画しています。そして言うのです。祭の間だけはやめておこう。一説によれば過越の祭の時期、エルサレムには200万人の人が押し寄せたのだそうです。その時期に混乱をもたらすことはやらない方が賢明だ。祭りの間、厳かな気持ちでいたいものだ。なんといっても、私たちは信仰者なのだから、祭りは重んじよう。そう一方で言いつつ、他方では主イエスを殺す計画を練り上げていった、というのが直前の箇所です。そして直後の箇所を見ますと、イスカリオテのユダが、主イエスの裏切りの代価がいくらになるか、交渉をする場面です。弟子たちは皆、イエス様が神の国を建設するのを見たくて、そしてお手伝いをしたくて、弟子になったのです。しかしいつまで経っても神の国の建設に立ち上がる気配はない。ファリサイ派やサドカイ派との敵対関係もいよいよはっきりしてきて、イエス様を中心にユダヤ教勢力がまとまってローマと戦うというシナリオもなさそうな感じになってきた。それなら、私ユダがはっきりとファリサイ派やサドカイ派にイエス様を売り渡して、ローマの裁判にかけられれば、きっと裁判のために出てくるローマの総督ピラトを神様の力でなぎ倒して、神の国の建設のために立ち上がってくださるだろう。これは裏切りなどではない。歴史を前に進めるためのささやかな努力だ。

 一人の小さなお方を、そして一人の女性の中にある小さな志を、押し殺すことが出来る「立派すぎる大義」を皆が持っているのです。祭司長や律法学者には祭りが問題なく営まれるのが優先であるという大義があり、イスカリオテのユダには神の国の建設のためにはどんな者とも、敵とさえ手を組むという大義があり、そして福祉の業を営む弟子たちにも香油を注ぐのは無駄だと言って叱る大義がある。そして大義は暴走し、殺意に変わっていくのです。

 ですから今日の箇所は、様々な殺意に挟まれるようにして、イエス・キリストという固有名詞を埋もれさせようとする流れに立ち向かう形で、葬りが記されているのです。主を殺す計画が張り巡らされる、そのような殺意を尻目に、この女性は、殺し方ではなく葬り方に思いが至るのです。

 

 *「殺す」生き方から、「葬り、記念する」生き方へ

 殺すのと葬るのとは何が違うでしょうか。いきなりそう聞かれると戸惑うかも知れません。確かに雲泥の違いがあります。殺すというのは、地上からいなくなればよいのです。大義を掲げるのに妨げになるものは何であれ殺してしまおうというわけです。それに対して、葬るというのは地上での生涯が終わってからのことを問題にします。地上での生涯のさらに先を見据える主イエスは、地上の価値観にそぐわない女性のふるまいをお褒めになります。さまざまな大義に挟まれるようにして、おそらく彼女は幸せとは言えない人生を送ってきたのでしょう。彼女は大義の正反対におられる主イエスを葬り始めた。主は今日の箇所の少し前にこうおっしゃったのでした。「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」、と。しかし今やイエス様は、ご自身が「この最も小さい者」になってしまわれたのです。人間の大義というものに対して、あえて最も無力になられた。ただ一人の女性の葬りのわざによってだけ記念されうるような存在になって、彼女にすべてを委ねきる小さく無力なお方になった。実はこの香油注ぎとその後のやりとりを通じて、彼女はこのお方に救われた、そういえるのではないでしょうか。

 これらの大義によってまさに数日の内に押しつぶされ、十字架へと押しやられるお方は、幾つもの大義に対して、ささやかな形で立ち向かいます。まず祭司長と律法学者たち。彼らは、にっくきイエスを祭りを厳かに祝ったあとに殺そうと計画します。ところがイエス様は結果として、祭りの真っ最中に十字架にかけられるのです。彼らが掲げていた大義は真っ向からつぶされたことになります。しかし、これは本当の祭りの開始でもあります。主イエスが週ごとに礼拝されるというのは、過越の祭がまさに主イエスを記念する礼拝へと造りかえられたことを意味しています。

 次にユダの大義です。これについては次週にもう少しお話しできると思います。ユダにはユダなりの計算があり、イエス様を敵対者の手に引き渡すことでイエス様が、神様の御子としての力を発揮せざるを得ない場面が訪れる、と考えていたようです。しかし神様の御子は、十字架上で、どんなに挑発されたにもかかわらず、特別な力を発揮して十字架から降りてくることはありませんでした。

 そして最後に弟子の大義はどうなってしまうのでしょうか。多くの人を救うために香油を売るべきだという大義に対して、主は「この」私を葬る「この」福音の業のために「この」香油を使うのは意味があるのだとおっしゃいます。

 

 イエス様は振りかざされた大義に対して、ご自分の大義を振りかざすのではなく、むしろささやかに振る舞われるのです。主がこの私と関わってくださる。ここに福音がある。だから、私もまたこのお方に関わるのだ。この一人を重んじる生き方は美しい。皆が礼拝を通じて、このお方の葬りに連なることが出来ます。