蛇のように賢く、鳩のように素直に(天正遣欧少年使節団)

2020/11/15() 終末主日(特別伝道礼拝・幼児祝福式) 

                  マタイ福音書101620      牧師 上田彰

*「派遣」再考

 派遣という言葉をインターネットで検索すると、仕事探しのサイトがずらっと出てきます。いつの間にか派遣という言葉は、雇う側と、働く側のお手軽なマッチングという意味合いに変わってしまいました。そんな時代だからこそ、派遣という言葉の本当の意味を考えてみたいのです。派遣は英語ではミッション、つまり「伝道」を意味します。特別伝道礼拝と銘打って、私たちの今日の礼拝は、ミッションについて考えてみたいと思います。

 

 聖書、そして教会の歴史を通じて、ミッションは常に関心事です。新約聖書の時代に一番最初に現れる派遣の記事が、今日の記事です。主イエス・キリストがおっしゃいます。私はあなた方を遣わす、と。「あなた方」とおっしゃっています。その場にいるみんな、と言い換えてもかまいません。今日の所より前に、すでにイエス様はペトロやマタイなど何人かを弟子として召しています。その時には一対一で召し出しておられます。しかし、派遣は違うのです。集団なのです。

 今席に座りながら、隣に誰がいるかということを想像してみて下さい。左右に誰がいるでしょうか。これが、派遣の意味です。弟子になるだけならイエス様と一対一の関係があれば十分です。しかし、派遣はチームなのです。私たちは、実はイエス様によってこの世へと派遣されているということに気がつくのが、自分がチームに所属しているということに気づいたときです。

 わかりやすいように、外国から宣教師がやってくる場合からまず考えてみましょう。16世紀に、神の国の到来を告げる宣教師がローマからやってきます。彼らの所属はローマ教会です。周りを見れば皆キリスト教信者という環境から、キリスト教のキの字も知らない人しかいない国へとやってくるのです。その際に、チームを組んでいるというのが大変に大事なことは、いうまでもありません。くじけそうになる時も多々あることでしょう。そのときに励まし合い、自分たちの故郷を思い出しながら前へと進むのです。

 今日はこの後詳しく16世紀の話に入りますが、いったん聖書の話に戻ります。弟子たちにとって、彼らが所属している故郷とは一体どこでしょうか。彼らは元々ガリラヤ湖周辺の、宗教的にいえば何の変哲もない辺境の地に属しています。そして彼らは今や、神の国がやってくるというよき知らせ、福音を伝えるために派遣されているのです。先ほど申し上げたローマの宣教師の場合は日本という、ガラッと違う場所に派遣されました。それに対して今日の聖書箇所に出てくる弟子たちは、私たちと同じく、派遣元と派遣先が一緒です。こういうことは現代の派遣業界でもたまに起こります。ただ、派遣元企業と派遣先企業が一緒というケースと、元々その企業に正規に雇われているというケースは、全く違います。同じように、弟子たちにとって、今までなじみになっていたこの辺境の地ガリラヤが、神の国を告げる宣教のターゲットになった時に、すべてのものが違うように見えてきたのではないでしょうか。

 神様から使命を託されて派遣される。ミッションを託されてミッショナリーとなる。そのときに弟子たちは、今ある景色を全く違うものとして見始めるのです。派遣された者が、現地の様子を地元の人と違う新鮮な視点で発見するということは、よくあることです。明治期に日本に続々と入ってきたプロテスタントの宣教師たちは、女の子が尋常小学校を出てから学ぶ場所がないことに驚き、多くの女子校を作りました。そのほとんどは後に官立になりましたが、いくつかはそのまま残りました。そのため今でも学齢期の日本の子どもの10%は彼らが作ったいわゆるミッションスクールに現在でも通っているというくらいです。宣教師たちが使命を帯びて派遣された地における新鮮な視点は、今もなお生き続けています。ほかにも彼らは明治期の日本で、貧しい社会階層で老いた人や病を負っている人が十分なケアを受けていないことに驚き、社会福祉施設を多く作りました。今でも日本の社会福祉を牽引するのはキリスト教勢力です。もしかすると今日、もう一度あの宣教師たちが日本に来たら、私たちは新鮮な視点で日本の現状を見直せるかも知れません。見直す必要がきているかも知れません。

 

*天正遣欧少年使節団のこと

 そのような意味で、21世紀の現代に、16世紀に派遣の務めを帯びた少年団のことを思い返すことには意味があると思います。まず、当時の一般的な状況について説明します。キリスト教の日本伝来は1549年とされています。最初の宣教師はフランシスコ・ザビエル、彼もまたチーム伝道のメンバーの一人でした。それから30年余りが経ち、日本での伝道は公平に見てかなり順調に進んでいました。すでに九州を中心に何人かの有力な大名がキリシタンとなり、ある資料によれば、当時の九州の人口に対するキリシタンの率は5%あったそうです。宣教師というのは何年か務めると異動します。第一世代に属するフランシスコ・ザビエルはイエズス会の創始者の一人です。彼は自ら中国伝道を志願し、日本を離れます。第二世代の宣教師は、第一世代とは違い、宣教師としての訓練を十分に受けていない者たちでした。本国であるローマがすべてにおいて優っていると考え、日本を尊敬することをしないため、結局適応できずに終わります。また当時あった、修道会同士の覇権争いも伝道の妨げになっていました。

 そこで第三世代の宣教師たちが日本を訪れます。その代表者はアレッサンドロ・ヴァリニャーノといい、ザビエルと並ぶ優れた宣教師、キリスト教と日本の両方を愛してやまない人物でした。彼が計画したのがローマを訪れる少年使節団です。当時、イエズス会の中には海外宣教に消極的な声もあり、献金が思うように集まらなかった事情があるようです。16世紀後半といえばまだ宗教改革の余波が収まっていない時期であることも関係しているかも知れません。そこで、おおよそ次のような要領で少年たちが選ばれました。

 ・目的は、日本における伝道の成果として、優れた少年たちが教会教育によって育っていることを示すことにある。

 ・メンバーは修道会で勉強中の、数十人の少年たちの中から四名選抜する。

 ・船での長旅に耐えられるよう、15歳前後(それ以上の年齢になると、船上の食事に体が慣れない)。

 ・正使・副使は大名の血筋。

 ・他に、印刷術を学ぶ職人を二人随行させる。

 

 今日はこの中から二人の少年について見ておきたいと思います。

 まず正使である伊東マンショから始めましょう。彼は日向にある伊東家、日向伊東という武将の出身です。彼が幼い頃、日向伊東の城が島津によって攻められ豊後の国へと逃げ、両親とは離ればなれとなり、そこでみなしごとして生活をしておりました。そこで教会の司祭に拾われるような形で教会につながるようになったようです。今回の使節団は、キリシタン大名が自分の子弟をローマに派遣している、というのが建前でしたから、不都合があったのです。彼を派遣する大名の花押、つまり大名の署名捺印の入った派遣状が必要だったのですが、それが存在しません。そこで花押を偽造して持たせていたようです。伊東マンショ自身がどこまでそのことに自覚的だったのか、時折自分のルーツが不確かであるようなことを口外していたのかどうか分かりません。そこまでして自分の出自を明らかにすることが果たして神の国に入ろうとしている者にとって必要なのか、迷うことだってあったに違いありません。ローマからの帰りの船路で、使節団の代表と言える伊東マンショの身分詐称が使節団そのものの悪口として日本で広がっていることを耳にします。血筋そのものは、間違いなく武将の家の者ですから、使節団派遣の趣旨にかなっているのですが、それだけではだめで、派遣状が必要だというわけです。しかしそこでいう派遣状は、日本の教会の代表であるヴァリニャーノの派遣状という意味ではなく、政治的権力者の派遣状という意味なのです。一体彼は、政治的権力者によって派遣されているのか、教会によって、つまりキリストによって派遣されているのか。もし後者であるのならば、なぜ政治的権力の存在などに気を遣わないとならないのか。

 これは究極的問題とも言えます。結果として彼はその後、司祭になるためにマカオに向かいます。

 

*賢すぎる少年、千々石ミゲルの悲劇と慰め

 さてもう一人、二番目の代表、つまり副使である千々石(ちぢわ)ミゲルについて触れたいと思います。様々な文学において注目されるのは、むしろこのミゲルの方ではないかと思います。なぜなら、彼は後にキリスト教を捨てるからです。彼もまた城主の息子として使節団の務めをこなして無事に帰ってくるのですが、他の三人と違い司祭になる道に進むのではなく、修道会を退会してしまうのです。そして藩士として大村藩に仕え、大村藩の領主であった大村喜前(よしあき)は元々は洗礼名を持つキリシタン大名であったのが、豊臣秀吉のバテレン(神父)追放令に賛同し、キリシタン弾圧に転じるようになる、その助力をしたのが千々石ミゲル、いえ千々石清左衛門と名を改めた元キリシタン、元使節団の副代表だというわけです。

 どのような資料を見ても一致しているのが、彼が感受性が豊かでしかも賢い人物だったのではないか、ということです。今日の聖句にある、蛇のような賢さと鳩のような素直さを両方持ち合わせており、しかも持て余している人物です。

 使節団はバリニャーノの計画によって組織されました。彼は先ほども申し上げたように、日本を愛し、また少年たちを愛した人でした。しかしそのことでもって、すべてにおいてローマ的な発想を抜け出ることを意味するとは限りません。あるいは例えば、バリニャーノは彼ら四人には、ヨーロッパの良いところだけを見せたいという思いがあり、実際に様々な形でヨーロッパのくらい側面を見せないようにしていたのだそうです。ある小説によれば、四人は旅の途中で様々な国の港の近くの町に滞在しますが、各地で日本人の奴隷には会わないことに次第に不自然さを感じてきていた、という記述がありました。実際当時、ヨーロッパの各地に日本人の奴隷がいました。これは初期アメリカにおける奴隷と違い、鎖につながれているというようなものではありません。働けば働いた分だけ賃金も出ます。ただ、移動(帰国)の自由はない。日本ではおそらく、身請けをする業者がある程度の額を家族のものに支払い、その額と渡航費を借金として背負わせる。そして賃金によって借金を払い終えられるまでは日本には帰れない、というわけです。まじめに働けば数年で返せる額です。

 何のことはない、現代でも色々なところで起こっている国際出稼ぎにまつわる問題が当時からあったのです。私自身は、今の政府でさえ加担しているとして国際的に非難されているようなことを、400年前のカトリック教会が黙認したからといって、本当に非難されるべきかどうかは分からないでいます。それよりもむしろ驚くべきことは、当時すでにこのような片道切符の海外出稼ぎが、ヨーロッパでは非難の対象だったということです。バリニャーノも当然そのことを知っていた。だから少年たちにはこの現状を見せたくなかったのでしょう。バリニャーノが少年たちを愛するが故に行ったこの隠蔽を、それに気づいた少年たち、特に千々石ミゲルは見抜いて、そして深く傷ついた。

 もう一つ彼らが、特にミゲルが傷ついたと思われるのが、バリニャーノがヨーロッパ向けに書いた文章の中で、四人の少年がローマを賛美する場面が頻繁にあった、ということです。さらには、ローマの教会に掲げられている絵の中に、異教徒が成敗されるというようなものがありました。阿弥陀が踏みにじられているというようなものもあったそうです。そういう微妙なものが彼の心をいじけさせていたのかも知れません。ここまで彼は、蛇のような賢さを一切発揮すること無く、鳩のような素直さをもって事柄を観察し、そして傷ついてきました。傷つききった一人の人物が今度は蛇のような賢さだけを発揮して一つの悲劇、そしてわずかな慰めに至るのが彼の帰国後の話です。

 

 まず、その事情を見るために考えねばならないのが、彼はそういったいじけが溜まったことによって棄教をするに至ったのか、ということです。実はこの数年、新しい事実が明らかにされたことが報道されています。それは、彼か、少なくともその妻がいわゆる隠れキリシタンとして余生を過ごし、葬られた可能性が高いという事実です。つまり彼はキリスト教から背を向けたのではなく、むしろキリスト教シンパのまま亡くなったということなのです。ではキリシタン弾圧に手を貸したという事実との兼ね合いはどうなってしまうのか。

 例えば、次のような仮説は可能ではないでしょうか。それは、彼は一度としてキリスト教を捨てたことはない、ただ彼なりの仕方でキリスト教の理念を実現しようとした、というものです。それは、例えば自分が仕える領主である大村喜前がそのままキリスト教の信仰を公に保ったままであるならば、お家お取り潰しにあってしまう危険性があった。それは避けなければならない。しかしさりとて、キリシタンになった民衆も多く、そう易々と宗教を捨てることも出来ない。そこで、千々石ミゲル改め清左衛門が大村に進言をした形を取ろうと提案をするのです。自分が提案をしてキリシタンをやめることになったという風にすれば、自分だけが悪者になれば済む、という訳です。もちろん彼が公にキリスト教信仰を保つわけには行きません。しかし妻には信仰を許した。

 つまり彼は、大村藩には数多いキリシタンの領民たちを守る必要があると考えた。自ら弾圧に積極的に手を貸し、そうやってお上の目をごまかして出来上がった監視の緩さを生かして人々の信仰、そして妻の信仰を守ろうとした、という訳です。ここに幾ばくかの慰めがあります。結局その後、キリシタン弾圧は踏み絵政策の導入もありさらに激しいものになり、彼のささやかな抵抗など吹き飛んでしまいます。蛇のような賢さによって信仰を守るというもくろみは成功しませんでした。

 

*蛇のような賢さと鳩のような素直さは両立するのか

 このように考えていくと、遣欧少年使節団というものそのものが、ある種の矛盾をはらんでいることに気づかされます。つまり、神様によって派遣されるということがいつの間にか名目化してしまい、キリシタン大名が派遣したことにしよう、その方が箔がつくからといって、派遣状が偽造されてしまうのです。そのことによって伊東マンショは苦しみました。同じように、キリスト教が奴隷貿易を黙認しているのではないか、そして自分たちが田舎から都会にあがって驚く者のように、ヨーロッパやローマ教会を賛美する操り人形へと仕立て上げられているのではないか。神さまに仕えるつもりだったのに、人間に仕えることになっているのではないか。使節団として派遣された自分たちの純粋な志はないがしろにされているのか。

 

 しかし彼らには、迷う時間はありません。時代はどんどん過ぎていき、状況はどんどん変わっていくからです。彼らがローマに行っている間に政治状況は大きく変わり、自分たちの志に賛同してくれるかも知れなかった織田信長は天下を取る前に殺され、今は豊臣秀吉が天下を取っています。そしてバテレン追放令を出します。そのことを少年たちが知るのは帰りの船の上でした。彼らは一度豊臣秀吉に会う機会を得ます。そして彼に仕えることを提案されるのですが、それは少年たちの本意ではありません。彼らは豊臣秀吉になど仕えるつもりはなく、ただ神様にのみ仕えたいのです。しかしそこには矛盾もある。

 もしかすると天国で神さまに仕える際には、矛盾無くただ純粋な志を持って仕えることもできるかも知れません。しかし地上で神さまに仕える場合、どうしても世俗との兼ね合いが問題になってしまう。千々石清左衛門は思ったかも知れません。もし自分が千々石ミゲルとして大村喜前にこう進言できたらどんなに楽だろうか、キリスト教を捨てることなど一切ありません、と。しかしもしそう進言したら、大村藩は取りつぶしにあうか、少なくとも領地替えは免れないだろう、もしそうなったら、この領地にいる大勢のキリシタン領民は迫害を受けてしまう。むしろ大村が名目上キリシタン大名の名を返上すれば多くの民が救われるのではないか、そしてその時に恨まれるのは自分一人で十分だ…。

 鳩のような素直さを持って、そして鳩のような素直さだけを持って生きていきたいのです。しかしそのようにすることが出来ない。そこで、蛇のような賢さを持って事柄に当たらなければという局面が出てくるように見えるのです。バテレン追放令、次いでキリシタン追放令が出たら、あたかも弾圧をリードする側に回ることで、実際にはその弾圧に手心を加える形で仲間であるキリシタンを救えるのではないか、世間的に立派な出自や肩書きを振りかざせば、私たち少数派の肩身の狭さが少しは解消できるのではないか、などなど。

 

*私たちはイエス様によってこの世へと派遣されている

 イエス様は今日の箇所で大胆にも、蛇のような賢さと鳩のような素直さを並べています。蛇のような賢さだけであれば世の中におもねることになりますから、不十分なことは明らかです。鳩のような素直さだけでは結局世の中に取り込まれてしまうことを私たちは学びました。イエス様は、この二つを並べて、そのどちらもが大事だとおっしゃるのです。結局これはどういうことでしょうか。おそらく、この二つの関係だけをいくら見ても、答えは出ないと思います。そうではなく、聖書自身を素直に読む必要があります。すると気がつかされるのが、この蛇のような賢さと鳩のような素直さを並べておっしゃるときにイエス様が最初に口にしておられる言葉がある、ということです。それが、「私はあなた方を遣わす」という言葉です。

 最初と同じことを言います。

 派遣という言葉をインターネットで検索すると、仕事探しのサイトがずらっと出てきてしまうのです。派遣という言葉はいつの間にか、雇う側と、働く側のお手軽なマッチングという意味合いに変わってしまいました。「出会い」という言葉もそうやって安売りされるようになりました。こんな時代だからこそ、派遣という言葉が、実はミッション、つまり「伝道」を意味することに注目しなければなりません。私たちは、伝道をするときに、自分が持ち合わせている賢さとか、自分が持ち合わせている素直さとか、そんなもので十分伝道が出来ないということを、少しでも本気で伝道ということについて考えたら、すぐに気がつくのです。そうではなく、私たちを召して下さり、そして派遣して下さるお方がいるからこそ伝道は可能なのです。

 ですから、こうも言うことができるかも知れません。私たちは、自分たちをこの世へと派遣して下さっている方がいるということを忘れたときに、蛇のような賢さと鳩のような素直さの分裂を経験する、と。蛇のような賢さと鳩のような素直さの分裂というのは、考えてみると日常生活で私たちが経験し、世界各地で起こっている様々な悲劇のほとんどすべてがこの二つの分裂だと言ってもいいかもしれません。そのような悲劇は結局、私たち人類はこの世へと派遣されているにもかかわらず、そのことを忘れてしまい、自分がここにいる根拠は自分自身にある、だから自分自身の中にある知恵と思いを出し尽くして事柄に当たらなければならないと思い込んでしまうことにあるのです。派遣されていることに気がつけば世界は全く新しく見える。そして私たちは、この世界を未だ古い世界のままで扱ってしまい、あるときには蛇のような賢さによって自ら溺れてしまい、あるときには鳩のような素直さを持ちながらうまく他人に受け入れられずにいじけてしまう。

 

 そのような分裂がもたらす不幸をイエス様は常に先取ってご存じでいらっしゃいました。そのような分裂の不幸を先取りするような形で十字架におかかりになったお方が、こうおっしゃいます。私はあなた方を遣わす、と。「あなた方」とおっしゃっているのです。この場にいるすべての者、と言い換えてみましょう。今日の所より前に、すでにイエス様はペトロやマタイなど何人かを弟子として召しています。その時には一対一で召し出しておられます。しかし、派遣は違うのです。集団なのです。今日は特別伝道礼拝です。いつもと趣旨をいろいろ変えていますのでここでも提案してみたいと思います。隣の人の顔を見てください。左右に誰がいるか、確認してみてください。これが、派遣の意味です。私たちは、共にこの世へと遣わされている仲間に気づくときに、イエス様がこの世へと私たちを派遣して下さっていることに気づきます。