アメージンググレースを知っていますか

「アメージンググレースを知っていますか」

        2019年11月24日(特別伝道礼拝)         説教者 牧師 上田彰

聖書箇所「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」(フィリピの信徒への手紙 3:20

 

 アメージンググレース、驚くべき恵み。「アメージンググレースを知っていますか」という問いかけは、アメージンググレースという名の歌を知っていますかという問いかけにとどまりません。神様の恵みは、驚くべきものであり、神様の恵みによって心動かされた経験を大事にしていますかということを含みます。今日は、神様の驚くべき恵みを知っている、何人かの証言者のご紹介をする形で話を始めたいと思います。

 

 アメージンググレースを経験した信仰者、一人目の証言者はジョン・ニュートン、この曲の作詞者です。18世紀の前半に生まれた一人の船乗りは、かつてイギリス軍に勤めていました。そして民間の船に乗るようになりました。どうやら軍人から民間人への移り変わりは本人の希望ではなかったようです。しかし彼がある意味で自覚的に従事するようになったことがあります。それは奴隷貿易でした。奴隷貿易というのは、アフリカで現地から奴隷を買い取り、当時大規模なプランテーションが出来つつあって人手が足りなかった西インドに運ぶ。そして西インドからは砂糖などの製品を欧米に持ち込んでもうけるという、三角貿易の重要な「商品」の受け渡しのことでした。そしてジョン・ニュートンはこの三角貿易に従事し、いえ、積極的に携わっていたのです。おそらく、いわゆる奴隷狩りの部分は彼の担当ではありませんでした。銃で脅して1箇所に閉じ込めるというような乱暴なことをしていたのは、現地の人です。あるいはそれほど乱暴なことをしていたのは当時からもう昔話になっていたのかも知れません。西インドに行けばお金が稼げるという甘い宣伝文句で働き手を募集したり、せいぜい借金のカタにはめてその借金を返すために西インドに行けば早く返せるというような言い方で自ら進んで奴隷になる者達を集めていたのかも知れません。しかしアフリカからそのようにして船に乗せられた人たちは、その言葉が嘘であったことに船の中で早くも気づいてしまいます。狭い船の中に押し込められ、わずかな食料が与えられるだけ、トイレがあるわけでもなく彼らの押し込められている場所はたちまちのうちに糞尿でくさくなってしまいます。そして自分たちの手足をつないでいる鎖は、単に逃げ出さないためとか船に一緒に乗っている奴隷貿易の貿易商人たちに反乱を起こさないためとかいうことではなく、自分の身を悲しく思い絶望の余り海に飛び込んで自殺をすることを防ぐためのものであることに気づきます。奴隷になった瞬間から、人間にとって最も重要な尊厳である、自己決定権というものを奪われ、自分で自分の身を処することが一切出来なくなった人たちを、彼ら貿易商人たちは運搬して大もうけをしていたのでした。

 ジョン・ニュートンは大した罪の自覚もなく、この仕事を16歳から始めていました。ところが22才の時、最初の転機が訪れます。船が嵐に襲われ、絶体絶命という状況に陥ります。彼はその時、幼くして母を失って以来、初めて真剣に祈ります。先々週に私たちの教会を訪れた村越ちはるさんという神学生も、大学を卒業して銀行に就職してから、網膜剥離で片方の目が見えなくなる危機を迎えたときに、もし治れば自分の身を神様に献げますと祈ったそうです。ルターの映画を思い起こすこの祈りによって導かれて、視力を保つことが出来た村越さんは東京神学大学を半年後に卒業するに至りました。私たちからして少し不思議なのが、生まれつきの障碍(しょうがい)を負って、現在でも身長が98センチ、そのことで生きていく中でご労苦もあって、いろいろ考えた末に献身なさったのではないかなどという私たちがよくやりそうな想像とは全然関係ない献身の証しをなさったことです。左目が見えなくなるかも知れない。それなら、治るべく祈ろう。そしてこの祈りが聞かれれば私は自分の身を神様に献げよう。献身のための祈りは人によって様々です。彼女にとっての大問題は左目失明の危機でした。ジョン・ニュートンは命の危機ですから、分かるような気もしてしまいます。しかし同じように命の危機に遭って助かった人が、必ず信仰の道に入るかと言えば、そうではありません。アメージンググレース、驚くべき恵みが彼を捉えるのです。

 しかし真剣に祈るようになったジョン・ニュートンは、その後直ちに奴隷貿易をやめたわけではなかったようです。ただし彼はその時から身の処し方を徐々に変えてはいきます。教会関係の様々な集会に出席するようになり、結婚。生活を様々な意味で改めるようになった彼は、それでもなおアフリカから西インドに連れて行かれる人々の尊厳を自分が奪っているということには無自覚であり続けました。数年間この仕事を続けた後、いわゆる「陸(おか)に上がる」という、貿易商人としての仕事をやめ、関税局の職員となったときにも、なお彼がすでに捉えられていた驚くべき恵みに、彼自身自覚的であったとは言えないかもしれません。しかしロンドンに定住するようになった彼は、ホウィットフォールドやウェスレーといった、当時英国国教会から自由になって宣教を始めていたキリスト教伝道者に出会い、変えられていくようになります。

 時々、現代において神の声を私は聞いたという人がいます。夏休みの時期に東京の方から伊東に来た50代の方がいて、私はキリスト教グループの伝道者だ、礼拝堂でお祈りをさせてもらっていたと言って礼拝堂から出てきたところで私がご挨拶をして、少し話をしましたが、私は神様からの声を直接聞くことが時々あって、そのお告げでふるまいを決めることがあると言っていました。聖書の中でも、神様からの声を聞いて預言者になったという記事がいくつもあります。あのパウロもまたそのような劇的な回心を経て伝道者になったのでした。そういう聖書の記事を読むと、ああ私たち現代の信仰者は信仰が足りない、神様の声を聞いていないのに信仰者だ等ということは出来ないのではないだろうかなどという、いわば「間違った」思いを持ってしまうことがあります。なぜ「間違いだ」と言いきることが出来るかといえば、聖書の中に出てくる、神様の声を聞いて人生の方向転換をしましたといった記事の中で、かなりのものは神様の声に操られて、今まで考えてもいなかったことをその場で決断したという話ではないからです。神様の声を聞いて、その直後に方向転換をしたというような、人間の意志を度外視した形で神様の意志が人間に関わっているのではありません。方向転換を示唆する様々な体験がいろいろあって、それを神様からの促しだと受け止めた人間が、考え、時に迷いながら方向転換を徐々に行うものなのです。たとえば徴税人マタイはイエス様に、私に従いなさいと言われたらすぐにすべてを捨てて主に従ったと聖書にはあります。しかしマタイはおそらくその前から何度も、イエス様とその一行が自分の仕事場の前を往復する姿を見かけていたことでしょう。イエス様の声は決定的なきっかけではありますが、しかし最後のきっかけに過ぎませんでした。

 あるいはさらに、自分がそのような形で方向転換を遂げてから、何年も、時には何十年も経ってから、あああの方向転換には神様の声が関わっていたのだと気づくこともあります。ジョン・ニュートンは明らかにそのような類の人物でした。神の声だと気づくのが遅いのです。あの時嵐の中で祈った祈りが聞かれたのは、自分の身が驚くべき恵みに捕らわれていたということなのだと気づくのは22才の祈りから10年後です。いえ自分が今や奴隷貿易の虜から、もっとはっきり言えばお金の奴隷から、神の僕へと変えられたのは、6才の時に失った自分の母の祈りからなのではないか、と30歳を過ぎてから気づくのです。

 気づくのはやや遅めのニュートンですが、気づいてからの転身は鮮やかでした。彼は神学校に行って牧師になるための勉強を始めます。ところが当時の教会は、どういう理由か分かりませんが、一人の元奴隷貿易商人が神学校の門をたたき、牧師の道を歩むことに対して消極的でした。33才の時に牧師としての任職を一度拒否され、6年間待ち続けることを余儀なくされます。ようやくジョン・ニュートンの回心が本物だ、彼は牧師としての才能もあるんじゃないかと証言してくれる教会の有力信徒に出会い、その人が身元引受人となる形で教会の牧師、正確にいえば見習いの牧師として按手を受けることが許されます。当時の教会は、按手を受けても教会の主任牧師となるまでは正規の牧師とは見なされませんでした。彼はその立場で自分の前半生を振り返る手記を出版し、数年後に集会を持つようになります。今牧師が新しく集会を持つというと、例えば木曜日に韓国語とかドイツ語で聖書を読む会を開いて人集めをするとか、あるいは教会員のお宅で家庭集会を始め、そこを経由として教会に人を招く、というイメージかも知れません。しかし当時集会を持つというのは、今でいえば公民館を借りて、教会から離れて伝道的な祈祷会や礼拝を持つということです。独立伝道者と言われる活動です。彼は一つの民家を借りて、集会を始めました。つまり、教会では見習い牧師という立場を脱することが出来ないので、教会に一応籍は持ちつつ、自分で集会を立ち上げ、そちらに力を注ぎ、その集会においてあたかも牧師として振る舞ったというわけです。その集会の時に歌う讃美歌を、ニュートンは自ら作曲し、讃美歌集を作りました。出版された讃美歌集は『オウルニィの讃美歌集』といいまして、1779年の出版です。この讃美歌集の41番が、私たちの讃美歌です。元々は「信仰を通じて過去を振り返り、そして将来を眺め渡す」というタイトルの曲でした。少し意訳すれば、「信仰を持てば自分の過去と、そして将来について見通すための『目』を持つことが出来る」ということになります。

 このようにして教会外での伝道活動を盛んにするジョン・ニュートンをこの1779年、つまり副牧師という牧師の見習いの立場を15年以上続けた54才にして、ようやく教団は正規の主任牧師としてロンドンのある教会に派遣することになります。やっと彼は正真正銘の牧師となったのです。そしてこのころからついに、そして力強く手がけるようになったのが、奴隷貿易反対運動です。人々が彼の運動に冷淡であったことはすぐに想像が出来ます。奴隷貿易でしこたま稼いだ人物が今更反対など、笑止千万。当時反対運動を積極的にしていたのはクウェーカーと呼ばれる少数のキリスト教の一派だけでした。彼はいわゆる運動家としてずっと運動をしたというよりは、運動が実を結ぶ前に教会での活動に専念するようになります。しかし彼の祈りは結局実を結び、1807年、彼が80代で亡くなる前の年に、イギリスにおける奴隷貿易が禁止される法律が制定されたのです。

 彼は晩年に視力を失いました。しかし彼の信仰の目は、自由な人間を見続けた、そのように言うことが出来るでしょう。アメージンググレース、驚くべき恵みの力です。

 

 もう一人のアメージンググレース、驚くべき恵みに与った人物の紹介をしたいと思います。1807年に奴隷貿易を禁止する法律の制定に関わった議員の名はウィリアム・ウィルバーフォースといいます。2006年にアメージンググレースという名の映画が制作されておりまして、その主人公です。今日は午後神山教会に出かけますので私はいませんが、パソコンを置いていきますので1時間40分ほどの映画ですがご覧になりたければ自由にどうぞ。彼は若くして下院議員、今でいう衆議院議員になりました。もともとヒューマニストとして、虐げられる人間や、場合によっては動物の立場を守るふるまいをしていたようです。そして26才の時に、老いたジョン・ニュートンに出会います。彼に対して、議員を辞めて牧師になりたいと相談を持ちかけます。ジョン・ニュートンはそれを思いとどまらせ、議員として自分の性分を発揮しなさいと勧めるのです。しかしウィルバーフォースの議会での戦いは孤軍奮闘でした。結局最初に奴隷貿易の禁止のために議会に働きかけた30才から、ほぼ15年かけてようやく奴隷貿易の禁止にこぎ着けたのでした。

 その映画の中で印象的な言葉があります。視力を失った後のニュートンの言葉なのですが、こうです。「私たちは彼らを名前では呼ばなかった。しかし彼らが人間で、私たちがサルだったのだ」と。奴隷とされている人の方が自由人で、私たちが奴隷なのだ、という意味の言葉です。そしてウィルバーフォースは同じ映画の別の場面で、こう言います。「政治家として働くより、芝生の上を転がって、蜘蛛が巣を張ることを驚く方が、ずっと素敵だ」、と。二つの言葉はつながると思います。

 よくあるキリスト教信仰についての、あるいは宗教についての誤解で、信仰とは心の中の問題だという信仰を主観の問題にしてしまう誤解があります。しかしこの、アメージンググレースを巡る証言者、つまり驚くべき恵みを経験してしまった信仰者たちについて見てみますと、信仰というのを心の問題だと言ってしまうのは、まだ目の前の現実の奴隷となっている人のいうことではないかという感じがしてしまうのです。

 

 そこで、信仰は心の問題なのか、現実を変えることが出来る力を持っているのかという古典的な問いについて考えるべく、聖書を今度はひもとき、第三の証言者、つまり現実に捕らわれた奴隷からキリストの僕へと転向した、驚くべき恵みに与った人物を探し出したいと思います。その中の一人であるパウロという人物の言葉を先ほどお読みしました。短い言葉です。地上の出来事に捕らわれ、ファリサイ派という自称信仰者のグループの中で、律法の点では欠けのない者と見なされる立ち位置に安住していた一人の奴隷が、現実という名の主人に飼い慣らされていた奴隷が、キリストのしもべとして、キリストが支配する神の国の奴隷へと立ち位置を変更し、いえキリストが身元引受人となって下さることによって新たな主人に仕えることになった一人の伝道者が、今彼が生きている現実の中に私たちを招き入れる、短い、しかし力強い言葉が、これです。「しかし、わたしたちの本国は天にあります。」英語を織り交ぜることを許されるならば、こうなります。「私たちのルーツは天にある」、と。要するに、根っこが天にあるというのです。普通、この目の前のシクラメンもそうですが、根っこは地上から生えているものです。木であれば、その木が大きければ大きいほど、根っこは地下深くにしっかりと根付いていなければなりません。この植物学的な常識を覆すような形で、パウロはこう言うのです。私たちのルーツは天から地上へと伸びてきているのではないか、私たちを支える見えない現実とは、本当は天にルーツを持っているのではないか、と。まさに天地がひっくり返るような認識を示唆されていることに気づくのです。

 

 アメージンググレース、驚くべき恵みを知る第四、第五の証言者をここに加えることが出来るかもしれません。それはここにいる一人一人です。確かに私たちは、まだ十分解放された奴隷だというわけではありません。報道をひもとけば、現代の奴隷は世界中合わせて4000万人はいるといいます。それはあくまでもののたとえでしょうと思っていろいろ調べると、例えばアパレル産業がインドに持つ工場では、びっくりするほど安い時給で働かせられている人がいる。ブラジルではコーヒープランテーションで働かせられている人がやはり問題のある環境で働いているようだ。現地で活動するヨーロッパの人権団体の人たちも、いきなりその状況を全部変えるわけにはいかないので、まずは子供が小学校にも行かないで一日10時間働いているのはさすがにむちゃくちゃでしょうといってその問題だけまずは取り組んでいる状況です。そういったことを知っていくと、例えば紛争地においては少年兵士というものが、つまり年端もいかないのに正義の名の下に人を殺すことを快感だと感じてしまいかけている子どもたちをトラウマから解放するために奔走している人たちがいることもわかる。こういうことを聞いて、私たちがまず考えるのは、ああ祈らなければならない、祈ることしか出来ない、ということでしょう。

 かしこに奴隷がいるように、ここにもまた奴隷がいます。ここで、私たちがいきなり現地に行って運動をする方がいいと言おうとしているわけではありません。あるいは、運動に参加することが、解放された奴隷である私たちの務めだなどと煽るつもりもありませんし、まずは祈るしかありませんという信仰者の本能的な反応を、それこそ家から出ないための言い訳だなどとなじるつもりもありません。そうではなくて、祈る(小さなもの)ことよりも、現実的な運動(大きなもの)をすることの方が大きな業であり、祈ることも大事だけれども現実を変えないと意味がありませんよなどという考え方そのものが、実は現実というものに支配された、現実に捕らわれた奴隷の考え方なのではないか、ということです。本当は、祈る(おおきなもの)ことの方が大きな事実であり、現実(ちいさなもの)の方が取るに足りない事実なのではないか。信仰は心の中の現実(ちいさなもの)に過ぎないというのは間違いだというのはこのことです。人間の心は確かに小さいものですが、その心が映し出す信仰の事実は天にルーツを持っていますから、地上よりもはるかに「大きなもの」なのです。

 かつて明治時代に日本にアメリカから来た宣教師達は、当時の日本に足りないものを自分たちの本国と比べることで次々と見出していきました。この地には、女性が学ぶ場所と、貧しい者が癒されてケアを受ける場所と、そして魂の乾いた者が祈る場所がないということにいち早く気づき、病院、学校、そして教会を建てることで日本の近代化に大いに貢献しました。同様に私たちも、祈ることによって、自分の本国である天に思いを向けることで、はじめて現住所である地上の生活に欠けているものに本当に気づくことが出来るのではないでしょうか。ヨーロッパにおいて満ち足りているものがインドや南米に欠けているということに気づけて運動をする人は、世間的にいえば尊敬に値します。しかしそれ以上に、天の国において満ち足りているものが地上において欠けているということに気づいて、さらに深く祈る人は、(世間的にどういう評価になるのかは知りませんが、しかし)意味と意義のあることだと言えるでしょう。ウィルバーフォースの映画の中での言葉を紹介しました。「政治家として働くより、芝生の上を転がって、蜘蛛が巣を張ることを驚く方が、ずっと素敵だ」。

 人は言うかも知れません。蜘蛛が巣を張ることに驚いたとしても、ウィルバーフォースの名は歴史に残ることはなかっただろう、と。しかし思うのです。彼は蜘蛛が巣を張ることに驚けたからこそ、人間が奴隷として売り買いされていることに対して感情を殺さずに運動し続けられたのではないか、と。そしてアメージンググレース、大いなる恵みに自分が捉えられていることに気づいたからこそ、本当の意味の正義を貫くことが出来たのではないか、と。

 

 アメージンググレース、驚くべき恵みを知っていますか。ここにいる一人一人が、この恵みに捕らえられて、キリストの僕として、この一年を終え、み子なる神イエス・キリストの到来を待ち望む新しい年を迎えることを思います。